
「おれたちは一機数千ドルもする、兵器やヘリコプターを与えられて、国家のために戦った。英雄として勲章も貰った。ところが帰国した空港では、反戦のプラカードを持った、汚い奴らに罵られた。『人殺し!』『子殺し!人でなし!』と叫ぶあいつらに、そんな資格があるのか!戦争のこと何も知らないで」
「ボロボロになって帰還すると、俺たちのやれる仕事は駐車場の管理人くらいだ。俺たちは何のために、誰と戦ったのか」
「戦場では真の友情があった。戦場でこそ俺たちは生き生きとしていた」
「友人が靴磨きの少年に頼まれ、靴箱の上に足を置いた。俺は用事があって先に行ったがその瞬間、靴箱が爆発した。友人の身体は、腸が噴き出し足が片方どっかに飛んで行った。俺は必死でそれらを集めたが、奴はおれの手の中で死んでいった。奴とは帰ったら高級スポーツカーで、ビンビン飛ばそうぜと話していた。隊の皆は死んだ。枯葉剤で帰還後がんで死んだのもいる。俺たちは何のために戦ったのだ」
ランボーの涙の訴えに、トラウト大佐は
「誰もが不幸な時代だったのだ」と慰めた。
この30年以上の映画の教訓は、現在のアメリカには残されてはいない。残されているのは、戦場の取材規制である。ベトナム戦争の映画は、「ディアーハンター」や「地獄の黙示録」「ハンバーガー・ヒル 」など秀逸のものがあるが、いずれも戦場の取材がほとんど無制限だったことが背景にあり、各種のルポルタージュや写真集や小説も少なくはない。それらの作品がすべて共通しているわけではないが、ほとんどが人の目線から戦争を語った、反戦作品である。
イラク帰還兵の多くが、路上生活者になったりPTSDになったり、自殺したりする現実は、ランボーの声がアメリカの何処にも届いていないことを物語っている。
アメリカは今も懲りずに、戦争原因を探し求め止めることはない。安倍晋三はそんな国家に従属をしようとしているのである。