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そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

ランボーという反戦映画を検証する

2015-08-16 | 戦争
映画「ランボー」を久しぶりに見た。マッチョな、シルベスタ・スタローンが主演する、特殊部隊のベトナム帰還兵が町の保安官や州警察を、一人でやっつける痛快アクション映画である。原作はベトナム帰還兵が帰国後置かれたことを主題にした、反戦作品なのである。主役になったスタローンも紆余曲折を経た割には、はまり役となって、何度かシリーズ化された。1982年作の誰もが知る大衆娯楽作品であるが、ランボーが最後に自ら破壊した警察署所内で、投降を呼びかけるかつての上司に訴える言葉が、現在のアメリカの苦悩を言い表している。反戦映画としての側面は、新たなスターの誕生とシリーズ化で消えてしまった感があるが、最後の5分間の言葉は生きている。

「おれたちは一機数千ドルもする、兵器やヘリコプターを与えられて、国家のために戦った。英雄として勲章も貰った。ところが帰国した空港では、反戦のプラカードを持った、汚い奴らに罵られた。『人殺し!』『子殺し!人でなし!』と叫ぶあいつらに、そんな資格があるのか!戦争のこと何も知らないで」
「ボロボロになって帰還すると、俺たちのやれる仕事は駐車場の管理人くらいだ。俺たちは何のために、誰と戦ったのか」
「戦場では真の友情があった。戦場でこそ俺たちは生き生きとしていた」
「友人が靴磨きの少年に頼まれ、靴箱の上に足を置いた。俺は用事があって先に行ったがその瞬間、靴箱が爆発した。友人の身体は、腸が噴き出し足が片方どっかに飛んで行った。俺は必死でそれらを集めたが、奴はおれの手の中で死んでいった。奴とは帰ったら高級スポーツカーで、ビンビン飛ばそうぜと話していた。隊の皆は死んだ。枯葉剤で帰還後がんで死んだのもいる。俺たちは何のために戦ったのだ」
ランボーの涙の訴えに、トラウト大佐は
「誰もが不幸な時代だったのだ」と慰めた。

この30年以上の映画の教訓は、現在のアメリカには残されてはいない。残されているのは、戦場の取材規制である。ベトナム戦争の映画は、「ディアーハンター」や「地獄の黙示録」「ハンバーガー・ヒル 」など秀逸のものがあるが、いずれも戦場の取材がほとんど無制限だったことが背景にあり、各種のルポルタージュや写真集や小説も少なくはない。それらの作品がすべて共通しているわけではないが、ほとんどが人の目線から戦争を語った、反戦作品である。
イラク帰還兵の多くが、路上生活者になったりPTSDになったり、自殺したりする現実は、ランボーの声がアメリカの何処にも届いていないことを物語っている。
アメリカは今も懲りずに、戦争原因を探し求め止めることはない。安倍晋三はそんな国家に従属をしようとしているのである。
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ミサイルは武器ではない?地雷も機雷も消耗品だそうな??

2015-08-05 | 戦争
中谷防衛大臣は3日、社民党の福島瑞穂氏の質問に答えて、弾薬の定義について「一般的に武器とともに用いられる、火薬類を使用した消耗品」と説明した。「人を殺傷するなどを目的としている火薬類を使用した消耗品」というのである。弾薬は武器ではなく消耗品というのである。これは牛は動物ではない、牛肉であると言っているようなものである。
更にこの言葉遊びによる、戦争法案の実態隠しは続く。手榴弾についても「武器にあたらないと」の考えを示した。「弾薬は重要影響事態法に基づいて、提供することが可能である」と述べていた。
弾薬も手りゅう弾も、後方支援として消耗品であるから提供できると明言した。

更に中谷氏は4日、「ミサイル」も武器にあたらないという見解を示した。撃ってしまうで消耗品なのであるということである。ミサイルも弾薬同様、消耗品というのである。
さらに中谷氏は、非人道兵器の「劣化ウラン弾やクラスター爆弾が弾薬に含まれるか」と問われ、「劣化ウラン弾、クラスター爆弾も弾薬だ」と回答した。安倍首相は「日本は、クラスター爆弾も劣化ウラン弾も保有していない」と発言したが、他国のものなら可能という意味にもとれる。福島氏はミサイルは「武器」に分類されるべきと指摘し、「言葉遊びをしてはいけない。ミサイルも弾薬だなどと言ってはいけない」と批判したが、安倍晋三にとっては国会のスケジュールをこなした以上の中身はない。
弾薬が武器でないのは機械装置でないというのが、中谷の回答であろう。銃は武器であるが弾薬は武器でないと言ってしまったのである。弾薬が武器で内の発言は、これまでの周辺事態法を大きく超えていることを、自ら認めたものである。
然し手りゅう弾は、装填する器具がない。地雷や機雷も武器ではないということになるのであろう。ミサイルは装填する器具が余りにも大きいが、武器でないから後方支援として日本の自衛隊は、アメリカの戦場に供給することができるというのである。

一般社会常識から大きく離れた、積極的戦争参加を目指している、安保法案(戦争法)である。ドンドン中身が膨らみ、戦争法の実態が露わになってきた。
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志位共産党委員長の質問は秀逸で、戦争法の実態が明らかになった

2015-05-29 | 戦争
昨日(28日)の安保法制特別委員会での辻元清美氏の質問は、更迭が取りざたされる中谷防衛大臣には無能力を曝け出させ、安倍晋三の(九条の会の大江氏の提案に従い呼び捨てにしている)無知といい加減な対応ぶりがあからさまになり、この法案の危険性と抽象性が明らかになった。辻元氏の質問は野次の中で、彼らを苛立たせる戦法かと思われ、まんまと安倍晋三が嵌められた感がある。

これに比して、共産党の志位和夫委員長の質問は法論議を丁寧に重ねて、静寂の中で淡々と行われ、これまでの政府の対応を引き合いに出し、これからの問題点を洗い出した。党首討論で、ポツダム宣言すら知らなかった、安倍晋三のアホさを晒したことに次ぐ快挙と言える。

戦闘地域の定義が曖昧である。戦闘が起きたら撤退すると安倍は回答したが、撤退することは書いてあるが、戦闘地域については法文には一言も書かれていないと喝破した。
志位氏は、国連平和維持活動(PKO)と集団的自衛権の行使容認という二つの問題を取り上げ、前者はPKO協力法と自衛隊法の改定、後者は武力攻撃事態法と自衛隊法の改定にかかわる問題である。PKO協力法の改定によって、新たに国連が統括しない治安維持活動への参加、安全確保業務や駆けつけ警護、任務遂行のための武器使用の解禁などが可能になる。志位氏は、アフガニスタンでの国際治安支援部隊(ISAF)のような活動に参加可能なのかと質問した。
これに対して、安倍晋三はPKO参加5原則に基づいて当事者同士の間で停戦合意が履行されていることが重要で、アフガンのような治安状況を前提としていないと答えた。しかし、幾度にもわたる志位氏の質問には正面から答えず、参加しないとは最後まで明言しなかった。本音はここにある。自衛隊を参加させたいのである。
ISAFに参加した、自衛のための戦いしかできないドイツは、人道支援や治安維持活動を掲げ後方支援や輸送支援などの関わっていた。しかし、正当防衛などを理由に戦闘行為が行われ、55人の命が失われた。現地の人も数百人単位で殺したのではないか。自衛隊も同様なことをやるようになるのではないか、との質問にも5原則を繰り返すだけであった。

日本が協力したいアメリカが行った間違った戦争の例として、グレナダ侵略、リビア爆撃、パナマ侵略について、日本のとってきた姿勢について質問をした。これらについて国連が非難決議を挙げているのに日本は「理解する」という立場で通している。これまで日本は、戦後のアメリカの軍事介入について反対したことは一度もなく、全て賛成・支持・あるいは棄権をしている。
アメリカの行う戦争に対して理解を示す対米追随の外交からすれば、アメリカから言われるままに集団的自衛権を行使して、たとえ間違った先制攻撃であっても米国の戦争に協力させられるのは明らかである。これにたいして安倍は明解な回答ができなかった。

志位氏が間違った戦争の例としてベトナム戦争とイラク戦争を挙げた。ベトナム戦争では北爆など戦争拡大の口実とされたトンキン湾事件がねつ造であったことが明らかになり、イラク戦争では大量破壊兵器が見つからなかった。
これらの戦争の原因とされた事実は存在せずねつ造であった。この間違った戦争を日本は支持し、ベトナム戦争では出撃基地として、イラク戦争では復興支援活動ということで自衛隊を派遣している。
更に、二つの戦争に対しては、戦争理由の根拠が間違っていたことがはっきりした後も、アメリカに対して説明を求めず、検証もせず、反省もしていない。アメリカのやることは何でも無批判に受け入れ、正しいと信じて支持し追随し、間違ったと分かった後でさえ説明を求めたり検証も反省もしていない。このようなアメリカ追従外交姿勢で良いのかとに質問にも、安倍は回答できなかった。

集団的自衛権を行使することは、アメリカが行っている戦争は理由の如何も正悪も問わないまま、戦闘地域も不明なまま、武器使用の基準も曖昧なまま、自衛隊員は勿論のこと、日本国民全体が標的にされ危険に晒されることになる。これれこそ「戦争法案」という、レッテルが相応しい法案と言える。
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兎に角法案を通したい、それだけである

2015-05-28 | 戦争
国会での、集団的自衛権に対する質疑応答が、メチャメチャである。首相の見解と所轄の防衛大臣の見解が、多くの場面で異なっている。三要件が満たされれば他国の領土や領空にまで出かかると防衛大臣は発言しているが、安倍晋三はそんなところに行かないと発言していた。「一般に」そういうことには行かないと、修正している。
「存立危機」と「切迫事態」との違いも良く解らない。前者は武力攻撃ができるが、後者は武力行使はできない。その違いは何かと問われても、どうやら武力攻撃ができるのが存立危機事態と回答している。蒟蒻問答である。その判断基準を問われても、防衛大臣は回答できないのである。
質問者の辻元清美は、違いを聞いているのに、対応することの違いを応えているのである。アホである。
代わって安倍晋三が、拒否を振り切って回答している。明白な基準がないことの指摘には回答できていない。武力攻撃の有無を基準にしたいようであるが、全く回答になっていない。他国はの派兵の基準をこの法律は持っていないことを明らかにしたといえる。
海外派兵はやりませんということは、安倍政権の問題であって、政権が代わると法文の解釈が変わる可能性が
アフガン支援に、自衛以外の戦闘はやらないとしているドイツが加わっているが、結局は54名の死者を出している。アフガニスタンの人も殺している。自衛隊もそうなると、志位和夫の質問には、もう終わっているからとか言って根拠もなく否定している。
「専守防衛は何も変わらない」、「従来通りである」という見解を政府は繰り返すが、それならばこれまでの個別的自衛権の範囲で十分である。自衛隊は世界中に行けるようにするのである。新たな法律は、自衛隊の活動範囲をほぼ無限に拡大させることになる。これは自衛隊に大きなリスクを与えることになる。当然のことである。これは自衛隊員や経験者も指摘している。イラク派遣された自衛隊員が、29名も自殺をしている。今回の戦争法では、更に彼らに大きな負担を強いることになる。
自衛隊員のリスクが高くなり、海外にいる日本は当然のこと、日本そのもののリスクが高くなるのは、当然のことである。安倍晋三はこれも認めようとはしていない。
「起こり得るリスクに、絶対ないと言う政治家は無責任である」と、前年発言している言葉を投げつけて、辻元は締めくくっている。自衛隊は絶対戦闘には加わらないと、発言した安倍晋三の言葉に対することを指摘しているのである。

「早く質問しろよ」と下品な野次飛ばす安倍晋三。この男は首相としての自覚も裁量もなく、国家の在り様を大きく転換する審議を、早く終わりたかったのである。首相の立場をわきまえなく情けないだけである。
安倍晋三は兎に角法案を通したいだけである。そのために、あまり変わりませんよと言って、つまり小さく産んで、大きく育てようとしたい本音が見え見えである。
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澤藤統一郎の憲法日記が面白い

2015-05-21 | 戦争
ほぼ毎日書かれている「澤藤統一郎の憲法日記」が面白い。安倍晋三は澤藤氏の教え子である。今日の「ポツダム宣言もカイロ宣言も、つまびらかにしない総理」は、首相の知的レベルの低さを知るのにい機会であるから、関心のある方は是非一読されるようお勧めします。共産党の志位氏の質問に答えられず、醜態をさらす日本の最高権力者の原点をみることが出来る。
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天皇と皇后のパラオ訪問を評価する

2015-04-07 | 戦争
天皇皇后両陛下は、戦後70年の節目の今年戦没者の慰霊などのため、明日からパラオを訪問する。天皇は、パラオの訪問を長年望んでいた。天皇の言葉を、マスコミは恣意的と思える対応で封じてきている。とりわけ昨年の天皇誕生日の言葉などは、明確に憲法の擁護の発言を、不戦の言葉の中に込めている。そのことはあまり報道されることがない。今回の訪問も、あまり大きく報道されていない。
私は天皇制については、積極的な支持者ではない。むしろ今でも否定的である。
母は私の父でもある夫を戦争で失っている。天皇制についは大きな疑問を抱いていた。しかし、晩年にカルチャースクールに美智子妃が来られて、母の手さばきを褒めてもらったことを、ことさら喜んでいた。東北の震災地などを天皇が訪問することによって、被災者の励みにもなっている姿を見ていると、こうした形での皇族は存在することも許されるのではないかと思っている。

ペリリュー島は太平洋戦争で硫黄島とともに最も悲惨な戦地であった、ペリリュー島を80歳を越えた高齢の天皇の強い希望で訪れるが、このことは高く評価したい。私も今年2月に、父の亡くなったフィリッピンのセブ島を訪れた。色々言いたいことは山ほどあったが、父が亡くなった現地に実際立ってみると、言葉では言い難い胸に迫るものがあった。
天皇も、日本軍が1万6千名も亡くなった現地に立つと、大きな感慨がきっと胸に去来することだろう。本土防衛という虚偽の戦術の元で玉砕を強いられ、天皇のために戦い、国家によって遺棄された人たちのことを思ってもらいたいものである。
天皇にいたいことは山ほどあるが、今回の慰霊は理屈を越えたものとして、高く評価したいものである。
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日本はついに切れ目なく軍事行動をする国へ

2015-03-20 | 戦争
自民、公明両党の与党は今日(20日)、新たな安全保障法制に関する与党協議会を開き、集団的自衛権行使や米軍を含む他国軍への後方支援など、幅広い分野で自衛隊活動を拡大させる法制の骨格について正式合意した。憲法解釈を変更した昨年7月の閣議決定を受けた安保法制の大枠が固まったようであるが、詳細は不明である。
与党二党による密室協議であるが、自民党がドンドン海外派兵を進めるのを、与党に留まりたい公明党が必死に食い下がっているのが実態だ。
高村協議会長は記者団の質問に、「あまり難しいことは聞くな」と切り捨て、スケジュールに関する質問に応えただけだった。
しかし、与党と言っても具体的には安倍首相のこれまでの思惑を法制化する作業と言える。武安倍政権は、器を防衛装備品と呼び名を変えたりするが、安保法制と言っても、実態は自衛隊海外派遣法もしくは海外交戦法、あるいは共産党の言うように軍事立法と呼ぶにふさわしいものである。
国連のPKOを拡大解釈し派兵するかのように見せながら実態は、アメリカの軍事支援になることは間違いない。この70年の間、宣戦布告するクラッシクな戦争あるいは紛争は、起きてはいない。
後方支援と言っても、結局は参戦になることになる。どこが戦闘地か解かるはずないと居直ったのは、最高指揮官の小泉首相である。全くその通りである。後方すら特定できない。
紛争地では、いつ戦闘状態になったか、どこが紛争状態になっているか、決定的な判断要素などないに等しい。あるいは、常時変化するのである。
それが「切れ目ない」紛争地の実態である。これに切れ目なく対応してアメリカのご機嫌を取りたい安倍首相は、5月の訪米までに何とかしたいのだろう。

この国の形を根本から変えるには、余りにも稚拙な論議しか行われておらず、余りにも短期間でこれを成し遂げようとしている。憲法の条文をいくら読んでみても、現在の与党協議の内容が出てはこない。
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フィリッピンに父の慰霊団に参加して

2015-03-03 | 戦争
先月半月ほど、フィリッピンに行ってきました。日本政府、厚労省主催のフィリッピン慰霊巡拝団の一員として参加した。
私の父は、フィリッピンで戦死した。父は逓信省の官僚であり、軍人ではなかった。父は通信兵、軍属として1943年7月に出兵した。臨月の母は玄関までしか見送ることができなかった。母のお腹にいたのは私である。
父は銃に撃たれて死んだのではない。餓死したのでもなければ、病死でもない。父は三人の負傷兵とともに、敗走する隊から自爆用の手りゅう弾を渡され、自らの命を絶ったのである。
内地に20代の妻とまだ見ぬ私を含め、三人の息子を残してまで、父を自決に追いやったのは、東条英機が制作した『戦陣訓』である。「生きて虜囚の辱めを受けず」という一文が、父たちを死に追いやった。
父の亡くなった、フィリッピンのセブ島の地で、厚労省の次第に従う慰霊を行った。(上掲の写真をクックすると大きくなります)
父と母の遺影を掲げて現地に立つと、さすがに胸にこみ上げてくるものがあった。
父は、苦学して大学に入り、逓信省に合格した。真面目な父は日本のためと、志願して戦地に赴いた。父はわずか36歳であった。何のための人生だったのかと胸が重くなる。
私はもうすぐ父の倍生きたことになる。空しさが私にこみ上げてきた。
実はこの地に、36年前に私は自費で母を連れて訪れている。戦友たちの話を聞いて、ほぼ自害した地を特定し、線香をあげてきた。東京空襲で全財産をなくして、塗炭の苦しみの中で子どもたち3人育てた母は、この地で泣き崩れるものと思っていたが、母の反応はあっけらかんとしたものであった。
「死んだ者はいいさ。苦労しなくて済むから」と乾いた言葉が残っている。

戦争は人類の選択する、最も不条理で残忍な行為である。そして人類しか行わない行為である。どう繕おうとも、殺人であり最も愚かなことである。
戦争するものには言い分がある。自らの正義を掲げるが、他国も同じである。正義の戦争などと言うものは存在しない。戦争回避するためには、武力を自ら放棄することである。武力行為する理由を探す行為は、この100年”自衛”しかない。自衛のための武力行使は、国民を納得させやすいがそれは、他国も同じであり、武器は手にしてはならないのである。
今また、戦争への遺伝子が国会で息を吹き返す。怖ろしい時代へと突入しつつある。
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南京大虐殺の事実を見つめるべきである

2015-02-17 | 戦争
次のサイトは、高校教師の小野賢二さんが、語ろうとしなかった兵士たちが書きとめた、軍人手帳を集めてつなぎ合わせた労作のドキュメントである。
南京大虐殺 兵士たちの記録 陣中日記2008
http://www.dailymotion.com/video/xnu8oo_%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA-%E5%85%B5%E5%A3%AB%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2-%E9%99%A3%E4%B8%AD%E6%97%A5%E8%A8%98-2008_news
昨日のブログで触れた、小野さんのドキュメントを見つけましたので、ぜひご覧いただきたい。46分であるが内容が子良いのですぐ終わります。
国家は不都合なことを隠ぺいしたいものである。事実関係の多少の齟齬があっても、加害者の日本はこの現実を直視しなければならない。30万人は殺していないということを理由に、虐殺はなかったとする産経は報道者としての資格を放棄した。
同類のことが従軍慰安婦についても起きている。あるいは沖縄で集団自決がなかったとする発言も同じである。
加害者は、被害者の声を真摯に受けなければならない。産経の居直りは、戦争にまた向かう日本の象徴的事件ではないだろうか。
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産経が南京虐殺の隠ぺいを公然とする

2015-02-16 | 戦争
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安倍政権のご用達新聞である産経新聞が、南京大虐殺はなかったなどとキャンペーンをはり始めた。いったいこの時期に何の目的で、新聞という公器を使い、被害者感情を逆なでする行為を産経はやろうとしているのであろうか?
昨年、映画「ジョン・ラーベ」を上映しましたが、こんな僻地ですが日本で初めての映画会だったそうです。上映前に、ジョン・ラーベの日記も目を通しましたし、JNNの小野さんという高校教師が、当時の軍人の日記を探し集め、聞き取りをやっているドキュメントも見ています。
日本軍が、当時の首都南京を陥落し日本中が提灯行列をやって祝っている。そんな中で、自らに不利な虐殺の証拠の多くがは隠ぺいされたのは当然である。
その前に、日本軍が戦っていたのは蒋介石軍である。彼らの後ろには八路軍(中国共産党軍)が構え、政府軍が疲弊するのを待っていた。蒋介石軍は後退する場所を失い、南京市内で軍服を脱ぎ一般庶民に成り済ましたので、日本軍はところ構わず一般市民と区別がつかないことをいいことに、大量の虐殺をやったのです。この事実は産経と言えども認めるべきです。
問題は、30万人という虐殺された人の数です。これは、レイプオブナンキンを書いた、中国系の女性ジャーナリストの数字に依拠している。このジャーナリストは、この本を書くと間もなく原因不明の死を遂げています。彼女は専門でもなかった中国の事件を詳細に描いたこの本は、写真など明らかに事実関係にかなりの間違いがあります。
兵器を持たない一般市民を大量に殺した事実は、生き残りの証言者の言葉を借りるまでもなく、事実である。当時の逃げ惑う南京市民を、南京城内に閉じ込めたとしても、30万の虐殺は到底無理と思わる。大量虐殺も上記の兵士の記録も、ほとんど場外で行われています。したがって、仮に10万人あるいは5万人が犠牲になったとしても、加害者側は被害者が示す数字を訂正するべきではない。ましてやそれを根拠に、事件がなかったように振る舞うことは許されるべきではない。
私の個人的な意見として、日本軍が侵略者というなら共産党(八路軍)も、政府軍と力を合わせて戦うべきだったのである。八路軍(共産党軍)はその逆の行動をした。政府軍が疲弊するのを待っていたのである。戦術として理解はできるが、南京虐殺を大きくした一端を、共産党も負っている事実を認めるべきである。
現在の中国共産党が、日本軍を一方的に非難するのはおかしい。77年前の事件の政治的利用にであると言える。産経などの右翼に口実を与えるだけである。
しかし、それらを差し引いたとしても、産経新聞のように加害者が平然と、嫌中国の風潮に乗ずる形で事実を隠ぺいする姿勢は、決して許されるべきものではない。
産経は、徒に日中間の緊張を高め、軍事国家を目指す安倍政権のサポートをやろうとしてとしか思えないのである。
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”切れ目がない”とは、”際限ない”ということである

2015-02-13 | 戦争
安倍政権は、集団的自衛権行使容認に向けて、安全保障の法整備のために与党協議を始めた。座長を務める自民党の高村副総裁は、「国民の命と暮らしを守るための法制を、現行憲法の範囲内で、あらゆる事態に”切れ目なく”対応できるものを作るために、建設的な議論をしていきたい。できれば3月中のそれほど遅くない時期にまとめたい」と述べた。
もう一つの与党の公明党は、支持母体の創価学会の意向に逆らう形で、昨年安倍首相の集団的自衛権行使容認を認めた。武力行使の三要件を設けたが、「密接な関係にある他国が・・」の他国はアメリカを意味していると公明党に含ませていた。
処がすでに、オーストラリアも密接な関係あいある国と言えるなどと高村に発言され、座長代理の北川公明党副代表はもみ消しに躍起になっている。
こんなこと初めからはっきりしている。騙された公明党が悪いのである。政権与党に留まりたいために、安倍政権の出す危険な方向をズブズブと認めてきたことを反省すればいいのである。
切れ目ない対応とは、結局際限なく広がることである。どこにでも派兵できるし、どの国とも密接なな関係になるし、どんな微細なことでも、武力で関わることになるのである。
そもそも、戦争や紛争は戦闘相手の弱いところを攻めるのが常道である。机上で戦闘を予測したり際限なく事例を列挙しても、何の意味もない。戦闘とは、予測を超えることで勝利することになるため、日本が規制を加えて参戦するなら必ず標的にされることになる。
戦争や紛争は、参戦するかしないかのどちらかしかないのである。ちょっとだけ参戦するとか、後方支援とか武器の供与とか、ましてやグレーゾーンなどと言う現実は存在することはない。仮にあったとしてもそんなものは、瞬時に変わるものである。戦闘相手は、ちょっとだけ参戦する日本を攻撃する方が攻めやすい。
切れ目なくとはどんな状況でも戦闘に加わるということで、際限なく戦闘に加わるということである。そうして意味で安倍首相の言うことは正しい。戦闘に加わるなら中途半端はダメと言っているのであるから。ところが言葉では、戦闘に加わることはないだの平和国家日本は変わらにだのと発言しているが、これは嘘である。そんなことはできるはずがない。

戦争は参戦するかしないか、どちらかしかないのである。現行日本国憲法下の日本が、この70年それを証明してきたいるではないか。安倍晋三は本気で参戦できる国づくりをやろうとしていることに、日本国民が早く気が付いて欲しいのである。
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奨励金まで出して武器を売り込ませる安倍政権

2014-12-30 | 戦争
以下は東京新聞12月17日付の記事である。
『防衛省が、武器を輸出する日本企業向けの資金援助制度の創設を検討していることが分かった。国の資金で設立した特殊法人などを通して、低利で融資できるようにする。また輸出した武器を相手国が使いこなせるよう訓練や修繕・管理を支援する制度なども整える。武器輸出を原則容認する防衛装備移転三原則の決定を受け、国としての輸出促進策を整備する。 (望月衣塑子)』

自民党が右傾化・軍国化している象徴的なのが、「武器輸出三原則」をなくし[防衛整備移転三原則]と言葉を変える、極めて稚拙な手法で、武器輸出を容認したことである。
これまでと変わることないと言い続けていたが、選挙後早速馬脚を露わいた。上記の東京新聞が報道するように、輸出奨励の資金援助までした上に、輸出(安倍首相はこれを”移転”と呼んでいる)するばかりではなく、その後のメインテナンスまでやらせようというのである。手取り足といの武器輸出奨励事業である。
原発事故の収拾が済んでいないばかりか原因も究明されていない日本が、原発を輸出することと酷似する、安倍政権の犯罪的行為である。
選挙の争点に「アベノミクス」を掲げたのが猫ダマシであることが、これによって証明された。
安倍政権は武器を外貨獲得の製品としか見ていない。これが安倍晋三の言う、積極的平和主義である。武器は人を殺すための道具である。一旦紛争地等にわたると何処にでも行く。武器を欲しがる集団にとって、価格など関係ない。武器を売る軍事産業にとって、思想など関係ない。
北アフリカの拠点を置く、ボコハラムはリビアのカダフィ政権から流れた優秀な武器・兵器を使用している。イスラム国は、アメリカがシリアの反政府勢力に供与した兵器を使用入ている。
軍需産業は、やがて武器が売れなくなると売れるように動くのが、世界の通例である。紛争をやってもらうために、具体的に国内外で動いているのがアメリカの軍需産業である。
これで日本は戦争を希望する国家になった。自民党に票を入れた人たちは肝に銘ずるべきである。
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戦争を語らぬ、自衛権論議

2014-08-16 | 戦争

昨日終戦の日、NHKで集団的自衛権についての論議があった。聞いていて空しさを感じいたものである。何かおかしいのである。
賛否3名を配した論議で、もっと盛り上がり終戦の日に相応しい論戦を期待していたが、どちらの陣営もマァマァと言った感じであった。
鳥越氏の、「第一次世界大戦は同盟国の支援、これこそ”集団的自衛権”によって拡大した。第二次世界大戦も同様である。」との発言に、進展はなった。ここでは、”同盟国”の存在を論議すべきであった。
現在の同盟国関係は、正邪を問うことなく単純に同盟国の行為を支持することである。イラクの時に日本やイギリスがアメリカを支持したのがいい例である。
同盟国に、過ちを正すことが何よりも優先することこそが、同盟国としてのある姿である。公明党が支持者の大半を占める創価学会の、反対を押し切って自民党に従うのもその例である。まるでやくざの一宿一飯の恩義で、助太刀するのである。
公海での日本船舶の安全論議はもっと貧弱である。関係者の発言するように、広大な公海に自衛隊が数百キロごとに並んでいても、不可能である。

アメリカの、9.11同時多発テロの暴力を、ブッシュは暴力的に解釈した。武力による報復である。戦火を上げる毎に、ブッシュはテロの危機が無くなった、少なくなったと繰り返し発言した。
現実はその全く逆である。アフガニスタンもイラクもそしてシリアもイスラエルやパレスチナも、より一層戦禍は広がっている。テロは数百倍になったのではないか。
20世紀に暴力は暴力しか生まないことを、人類は体験したはずである。この番組の討論は相も変わらず、国家や国益を軸とした、暴力装置の在り方論議に終始している。
国益を守ることが、最優先で論議は進んでいる。既に、前の世紀から一方的な侵略戦争はなくなている。客観的には、一方的な侵略戦争であっても、必ずなんらかの自衛が強調され国民の支持を得る。
イラク戦争でブッシュが、クリミヤ併合でプーチンが、国民が90%にならんとする支持を受けている。自衛が名目的であっても、これほど大きな意味を持つのである。敵を作りこれに打ち勝つことは、痛快極まりないのである。まるで国民は、水戸黄門の助さん格さんが、悪を征伐するかのように感じているのである。
助さんや格さんに殺された人にも、親いるだろうし家族もいるだろう。悪を征伐した助さん格さんの陰に、数百人の殺された人物がいてその家族がいて苦しんでいることを、21世紀は知らなければならない。正義は、自国に限って存在するものではない。
お互いの正義が戦う紛争の解決は極めて困難である。
が、唯一解決策があるとするなら、強者が譲ることである。弱者の抵抗には、大きな意味がある場合が多い。強者は国益を前面に出すためである。強者が寛容を持つためには、国家間の圧力も国連の仲介も必要であろう。
防衛が戦争の理由である限り、この討論者たちのように、集団的自衛権をお互いに戦わす紛争は消えることがない。戦争が殺人行為であり、人を非人道的に扱う行為であることから、論議されるべきである。でなければ、集団的自衛権の、真の姿は見えてこない。20世紀から何も学ばなかったことになる。

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明日で第一次世界大戦から100年経つが

2014-06-27 | 戦争

明日(6月28日)で第一次世界大戦が始まって、100年になる。サラエボでオーストリア=ハンガリー皇太子夫婦が暗殺された日である。先月も書いたが、この戦争は今日の戦争の原型を形作ったともいえる。
Ww1_00 それまでは、日露戦争のように二国間の戦争が一般的であったこと、そして戦闘者・兵士が死亡するものであった。
ところがこの戦争は、同盟国関係が複雑に入り混じって、敵の敵は味方だったり、過去の怨念から連合国側に付いたり、同盟国側に味方したりした。現在、他国をも巻き込む戦争の安倍政権の理屈、同盟国は助けねばならないという構図がここにある。正邪を問うこともなく支援するのが同盟国というのである。あるいは利害関係で支援するのが、同盟国である。多国間戦争と言える。
この大戦以降、一般市民が戦争で殺害されることが日常的に行われるようになった。とりわけ、第二次世界大戦では、略奪や空襲更には、原爆のように、非戦闘要員・一般国民の方が圧倒的に多くなったのであWw1_02 る。死亡者が1000万人を超える、人類がこれまで経験したことのない、大戦争となった。
もう一つ、未来に禍根を残したのが、戦争終結への手順である。ほぼ1年にわたる交渉はほとんどが決裂した。その結果、ドイツのように賠償を放棄すると言い出した、ヒトラーが登場する基盤を作り出したことである。

Ww1_04 今日明日とヨーロッパでは、100年を記念するセレモニーがいくつか開催されている。世界を戦場にしてきたヨーロッパの責任は小さくはない。現在でもウクライナに火種を抱く。話し合いこそが、戦争回避への道であるが、EUはロシアに対して、挑戦的でもある。
この100年で起きた戦争や地域紛争は、すべて自衛の戦争である。自国は特定の国家から狙われている、その国を攻めるのが自衛になるという論理である。自衛の理由がなければねつ造でもなんでもするのが、この100年の戦争理由である。自衛を戦争理由にした100年ともいえる。
日本では安倍政権が、その自衛権を集団的にやろうとする道を画策するのである。
100年経っても戦争を終わらせるどころか、安倍晋三のような戦闘的国粋主義者を首相を選び、戦争への道を拓こうとする愚かな国家日本国民であることを、恥じなければならない。

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やがて戦争は語り継がれなくなるのか

2011-08-23 | 戦争

NHKBS放送で先日放送された、「戦争記録・日本人と戦争」前編と後編をほとんど見た。2本で6時間にもなるが、これまで撮りためてきた戦争証言をまとめたものである。

証言者のかつての兵士たちはすでに、80代後半になっている。証言後に亡くなられて方も少なくない。

自らの手で、民間人親子を銃殺した人は、涙をこらえることがなく証言している。両親を脳と心臓を打ち抜き銃殺した。その場所に8歳に娘が座 り手を合わせた。両親のところに来たいと言った。

やっと生き残った戦友を、終戦直後に餓死したと年老いた母親には言うことが出来ず、勇敢に闘い銃弾に倒れたと報告した。この老兵士は、涙で嘘をついた正当性と、淡々と語った。

インパール作戦や大陸打通などは、到底実現不可能な作戦であった。食料は現地調達を命じられ、懇願する住民から略奪した。軍の命令である。

あの戦いで死んだ戦友を、無駄死にとはいえない。無駄であったと、次々死んで行った、戦友にどうして言えようか。

南京では、一般人に紛れ込んだ政府軍を区別することなく、殺りくを繰り返した。自らも多くの中国人を殺したと、誰にもこれまで話さなかったと、涙で語る。

虚偽の戦果に湧く日本。それを根拠に遂行された、レイテ戦で戦友が火炎放射機で全身火傷になって火ぶくれ、水が欲しいと言って彷徨い死んで行く様は地獄だと証言する、老兵士。

殆ど戦禍のなかった自爆グライダー”桜花”を設計した技師は、100歳になっていた。設計上の問題は認めた。乗った兵士は全て死んで行った。と怪我で生き残った老操縦士は涙で語ることが出来ない。

兵士たちの年齢は、20歳からせいぜい25歳である。日本は、多くの可能性を地に葬ったのである。

日本人の死者は、310万人といわれている。大敗北したミッドウェーで敗戦を認めていれば、100万に満たない死者で終わらすことが出来た。

大本営は敗戦のシナリオは用意していなかった。そのため、あらゆる戦いに過失を認めず、戦陣訓で鼓舞し惨敗の戦場にひたすら兵士を送り続けた。

老兵士たちはやがて語ることが出来なくなる。その後は想23_op_commentary_new_23_5像したくはないが、国家のメンツや利益のために軍隊を増強する人たちが増えて機はしないだろうか。

悪い平和がないように、良い戦争もないのである。

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羅臼港

春誓い羅臼港