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そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

消えゆく戦争の記憶、終戦時の留萌沖の三船殉難事件をご存知でしょうか

2017-08-25 | 戦争
1945年8月22日、日本がポツダム宣言受諾後1週間目にそれは起きている。1945年8月22日、三船殉難事件が発生している。留萌沖で、樺太からの非戦闘員の老人や婦女子ばかりの引揚船3隻(小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸)が、ソ連の潜水艦に攻撃され、小笠原丸と泰東丸の2隻が沈没し、1708名の人々が犠牲となった、あまり知られることのない民間人の殉難事件である。
日本政府はポツダム宣言を受諾し、民間人を樺太からの引き上げた。その一方で、先日のNHKの「樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇」は、樺太の日本軍はソ連の南下を防ぐよう命令を受けていたことが解った。日本は不可侵条約を締結しているソ連に終戦交渉の仲介を何度も打診していたが、スターリンは見事それを逆手にして8月9日の参戦と、8月15日以降の侵攻を続けてきた。満州や朝鮮や千島それに樺太にである。
留萌沖の三船の攻撃をもいまだにソ連・現ロシア政府は事実を認めていない。ソ連以外に戦闘行為をしていた国はなく、ソ連以外に潜水艦を保持している国はほかにない。魚雷を放ち浮上した潜水艦に白旗をあげて非戦闘表示もしているが、潜水艦は攻撃を止めなかった。攻撃意思もなく武器も持たない民間人に潜水艦の兵士は銃撃を行っている。2船が沈没し、留萌の浜に無数の死体が流れ着いた。留萌の漁民たちは攻撃の危険を顧みず、漁船を出し救助を活動を行っている。
事件の生き残りで遺族会代表の永谷保彦さんは毎年、この攻撃の事実を認めるよう外務省を通じてロシアに質問状を出しているが、なしのつぶてである。スターリンにしてみれば、この程度の惨殺行為は数限りなく行っている。敵国の1700名程度の死亡など意に介していなかったのであろう。千島列島の占拠と、北海道北半分の割譲をヤルタ会談で要求していたスターリンにしてみれば、些細な殺戮に過ぎなかったのである。
この三船殉難事件を風化させまいと、遺族会の人たちは高齢になりながら語り繋いでいる。遺族会代表の永谷保彦さんは、今年の慰霊祭を見届けると静かに旅立った。
民間人の船舶への攻撃は、対馬丸事件が知られたところであるが、それは終戦前で戦時中のことである。それとて国際法に違反する、非戦闘要員の攻撃で許されるべきではない。留萌沖三船殉難事件は、際立って不条理な事件である。戦争とはそうした行為をも容認する人間の所業である。
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731部隊には獣医師もいて、その多くは帰国後私たちの教師として教壇に立っていた

2017-08-17 | 戦争
NHKが新たな資料を得て、人体実験を行っていた731部隊のドキュメントを放送してくれた。この石井部隊の実態を初めて日本に知らせたのが、ドキュメントプロヂューサー吉川春子である。彼女は昨秋亡くなられたが、「魔の731部隊」として放映された。BSで再放送をしたのでこのことについた私はすぐさま書いた。森村誠一の、731部隊の実態を暴露しベストセラーになった「悪魔の飽食」が出版される15年も前のことである。ところが私のブログに複数の、731部隊の人体実験は中国の作り上げたでっち上げをお前は信じるのかというような内容の書き込みがあった。汚い言葉で書かれていたので削除したが。
日本にはあの戦争の正当性を信じ知恵る人たちが山ほどいる。安倍晋三や稲田朋美を筆頭に、日中戦争やそれに続く太平洋戦争の正当性を主張するのである。稲田に至っては、南京大虐殺をも否定している。
太平洋戦争の終結は東西冷戦の始まりでもあった。東京裁判に対して、ソビエトはハバロスク裁判を行た。旧満州と中国に残された資料を基に行われた、ソビエト主導の裁判である。存在をも否定する人は少なくはないが、今回NHKが裁判の録音レコードを入手した。
因みに、NHKでは全員が死亡したとされているが、吉川氏のドキュメントには当時の”マルタ”の生存者が数人証言している映像もある。
ハバロスク裁判を逃れて日本に戻った医者の、その後の出世振りをNHKは報道していた。私はこの裁判の抄録を見たことがあり、その中には獣医師が数人いたことも確認している。そのほとんどの方は、国立大学の教授になっていたり国立の研究所に奉職されていたり、すでに退官しているかたもいた。彼らが望んだことではなかったかもしれないが、戦争協力を越えた人権に関わる、極めて非人道的なことである。彼らにもその後ろめたさがあったのは疑う余地などない。終戦時に施設を破壊し、資料やデータを破棄したりアメリカに提供を条件に放免されていることが、如実にそれを物語っている。
私が教えていただいた教授の名前もその中にあり、先生は人獣共通伝染病をドクター論文にされていた。実態は不明ではあるが、人間の感染例は人体実験を疑われる内容であった。そのことを知ったのは、彼らの多くが鬼籍に入ってからである。
時間は歴史を風化させ、不都合なものを意図的に消し去り、耳障りの良いもだけを残そうとする。731部隊で繰り返された人体実験がそのよい例であり、私たちは忘れてはならない。
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お上に従順な日本人

2017-08-16 | 戦争
昨年8月15日に「終戦の日に思う事」を書いた。日本が8月15日を終戦の日とほとんどの人が思い込んでいるが、それはポツダム宣言を受けたことを国民に、天皇が表明した日でしかない。改めて9月2日を終戦の日として提案したい。とりわけ北海道では、この18日間の間に、ソビエトが縦横に領土を獲得していった痕跡があり、人々の中にも怨念として残っているのである。8月9日には根室半島の先端の納沙布岬に右翼の街宣車が大量に終結して、北方領土返還を千島列島に向けてガンガンやっていた。街宣車の大声はこの時のためにあるかと思われたが、今はその面影も失せてしまっている。因みに8月9日は、ポツダム宣言に署名していないソビエトが日本に参戦した日である。
ソビエトは、終戦を9月2日としいる。少なくとも、中国や韓国や東南アジア諸国は日本軍が撤退した、8月15日を終戦記念日や解放の日としているが、西欧では9月2日を第二次世界大戦の終わった日としている。
日本政府が、ソビエトに敗戦の通知を怠ったのを良いことに、スターリンが樺太や千島や満州に兵を進める手を緩めなかった。日本の官僚(軍部も含む)の失態である。残念ながら千島をソビエト、ロシアが占拠する正当な理由はなくはない。8月15日が戦争が終わった日と信じてやまない日本人は、何と官僚に従順なことであろうか。

NHKは会長が代わったためではあるまいが、新たな資料の発見に伴う731部隊に加えて、インパール作戦も実態も放送した。獣医師になりたての頃、インパール作戦の生き残りの酪農家の方がいた。彼は戦友に申し訳ないと生涯結婚しなかった。たった一人で、黙々と乳搾りをしていたが、地域では変人扱いされ外にはほとんど出ることなく、地域の集会度には顔を出すことがなかった。彼は弾薬などの物資が不足したために、作戦は遂行できなかったと無念の言葉を口にしていた。
しかしこのインパール作戦は、太平洋戦争で最も無謀な作戦と言われている。知人の酪農家の言葉は、気概を込めた言葉をいつも口にしていたが、作戦については否定的なことは口にSていない。そういえば横井匠一さんや小野田寛郎さんたちも作戦への批判は口にしていない。恥ずかしながら戻ってきたというのである。
食糧の補給も弾薬も限られた中の行軍の死者は、作戦終了後の方が多い。餓死か病死が圧倒的である。最高指揮官の牟田口廉也中将は戦後も生き残っていたが、晩年のインタビューに答え作戦は必要であり無謀であることを否定している。
NHKの番組の最後に96歳の元兵士が車いすで登場したのには驚かされた。松本清張の、「砂の器」の最終場面を思い起こさせたが、兵士が死ぬことが前提だった作戦に嗚咽した。
多くの国民が、お上の意向に従順な国民性は、安倍晋三のバカさかげんに辟易し、ようやく気が付き始めている。
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今日と明日は北海道空襲の日、愚かな戦争犠牲者の日でもある

2017-07-14 | 戦争
北海道に空襲があったことは意外と知られていない。72年前の7月14、15日に主にアメリカのグラマンによるものである。最も何の防御も攻撃設備もない青函連絡船が撃沈され、最も多い被害者が出ている。室蘭はミズリー号の艦砲射撃で、甚大な被害が起きている。北海道空襲についてはこれまでに、2009年と2013年と、二度書いている。たった二日で2000人の死者が出ている。グラマンといういわば軽飛行機でこれだけの被害である。ほとんどが民間施設への攻撃で、グラマン機の一方的な空襲であった。
最も市街地の多くを失ったのは根室である。北方の拠点であったが、二日にわたってグラマンの爆撃を受けている。市街地のほとんどが喪失した。しかも市街地だけである。周辺の農家は全く攻撃されていなかった。鉄道も動いていた。私が聞いた爺さんは、中学生であったが大人たちと一緒に動員され、市街地の復興に出かけた。
2045年7月14日と言えば、終戦まで一月である。5月にはドイツのヒトラーも自決終戦を迎えている。もはや終戦をどう迎えるかだけの問題であった。陸軍は本土決戦を言い出し敗戦の決断を遅らせ、鈴木貫太郎首相がソビエトに終戦の仲介を模索していたのを知りながら、ソビエトが不可侵条約を破棄し参戦することをヤルタ会談で決めていたことをひた隠しにしていた。徒に官僚のメンツと、国体護持しか念頭にしかなかった。敗戦を念頭に置いていなかったし、国民の存在も戦略にはなかったである。
国の戦闘方針に国民は累々と死体を並べるだけであった。少なくとも、同盟国のドイツの降伏に従っていれば、本土への無数の空襲もなかった。原爆投下もなかった。北方領土問題もなく樺太もそのままで、残留孤児問題もなく沖縄もあれほどにはならなかった。公式には、320万人が亡くなっているが、1945年(昭和20年)の8ヶ月で200万人も亡くなっているのである。
少なくとも、北海道の僅か二日の空襲で亡くなった2000人は無駄死以外の何物でもない。しかもほぼ全員が非戦闘員である。
戦争がいかに愚かか、国家は国民の犠牲などいかに厭わないか、二日間の北海道空襲がそれを物語っている。
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「無言館」戦没画学生の無念から戦争を追体験せよ

2017-05-10 | 戦争
戦没画学生の主として絵画などを集めた、「無言館」という美術館が長野の上田市にある。毎年全国各地で展覧会をやっている。今年は釧路にやってきたので見に行ってきた。
無言化にも訪れたが、絵画展についても今回で三度目となる。装飾を省いた無言館は戦没者の重みを感じる静かな丘の上の美術館である。窪島氏が戦没画学生の絵画を集め始めて、今でも持ち込まれるものがあるという。窪島氏が遺族たちが大事の保管していたり、手あまししていたりする作品を収集したいたのを、かなり以前から知っていた。
初めて東京で、戦没画学生の絵画展を見た時に強い衝撃を受けた。父とほとんど同じところで、ほとんど同じころ戦死している画学生の作品をいくつか発見したからである。それぞれの作品には強い画学生たちの想いがある。
無言館の象徴的作品になっていて、今回のチケットにもなっている「編み物する婦人」であるが、作者の興梠武が出征直前に描いた作品である。モデルは妹である。病弱な妹の死を戦地で知った興梠武は、あたりかまわず大声で何日も泣き崩れていたという。その興梠も帰らぬ人になった。
出征直前までキャンバスに向かい、「あと5分、後10分この絵を描かせておくれ・・・・・小生は生きて帰らねばなりません。絵を描くために・・・」といった日高安典は、南方で戦死した。白木の箱には名前の入った紙切れが一枚入っていただけだった。気丈夫な母は奥の部屋で箱を抱きただ泣くだけだった。
父などのように一般の人は無念の死をただ噛みしめるだけであったが、画学生たちは作品という形で戦争の不条理を残してくれている。彼らは決して反戦を唱えていたわけではない。静かに自らの絵を描いていたかっただけである。
戦没画学生たちの作品は、絵画のレベルとしては無未完成のものと言えるし、総じて技術的にももう少しと思われるものも少なくはない。しかし、彼らの絵画の多くは穏やかで見る者の心を和ませてくれるものが多い。世にこうした無名の作家を紹介した、窪島氏の尽力に敬意を表したい。

最近脚本家の、倉本聰しが稲田防衛大臣の発言に、「戦争を体験したことのなない発言だ。鉄兜かぶって銃弾の雨の中に立てば解る」と述べている。作詞家・作家のなかにし礼氏も、現実感を失った今の政治家の発言や発想の危険性を指摘している。
彼らはかつては保守の側に立つと言われていた人物である。私たちは戦争の愚かさを、自らの正義信や愛国心で軍隊の必要性などを語る前に、こうした戦没画学生の絵画に触れ、彼らの無念を通じて戦争を実感するべきなのである。現行憲法は私の父たちを含めた、累々たる死体のが作り上げたものであることを、リアリティーを持って認識するべきなのである。
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アニメ映画「この世界の片隅に」を観て、戦争へのアプローチを考える

2017-01-13 | 戦争
今年一番の寒さで友人の牛舎ではマイナス26度にまでなった。昼もマイナス19度しかなかったが、100キロ先の釧路まで出かけ、昨年の日本映画のトップにキネマ旬報は評価した、「この世界の片隅に」を観に行ってきた。原作は漫画家こうの史代氏で、監督は片淵須直しである。最近は時代考証がなっていないドラマなどが目に付く中、言葉遣い以外にはそうした違和感がなかった。淡々とした戦時中に生きる庶民、特に女性の目線で時代を見ている。これだけ国が懸命に戦時下の国民を鼓舞しても、庶民感覚は変わらずある意味逞しくもある。配給が止まっても野の草や残り物や調理の工夫などで、むしろ楽しむようでもある。男女の想いなども淡く描いている。原作がしっかりしているのであろうか、時代描写に大きな違和感がなかった。

全身小説家井上光晴の『明日 一九四五年八月八日・長崎』は、原爆投下前日の庶民の日常を描いたものであった。淡々と戦時下の庶民の一日を描いてそれらが、翌日すべてが原爆によってすべてがなくなるという小説を思い起こした。この小説は映画化されたが,終わりは強烈であった。
戦争を庶民の日常との落差を、この二作品は描いている。戦争によって、絵を描く右手を失ったすずが終戦の事実を知り、「最後の一人まで戦うといったではないか。私には左手も両足もある!」と叫んでいた。私にいろんなことを教えてくれた、従兄弟の姉から、「竹やりで最後まで戦う」と覚悟していたという言葉を聞いていたことを思い出した。。
人々の日常とは、つまり生活をしていくということは、平和そのものなのである。国家がそれらに戦争として対峙する。生活を壊すである。生活だけではなく人々の感性まで奪い壊すのである。

この映画の観客層の幅の広さには些か驚いた。初老の人たちから若者までの男女が客席にいたのである。こうした戦争へのアプローチが若者を呼んだのであろう。声高に反戦を訴えるしか能のない自分自身を見直すことにもなる。
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戦争を心に刻み反省する人、今度は上手くやると政治をする人

2016-12-11 | 戦争
時折見る、NHKBS1の歴史検証番組がある。武士の台所などで知られる、歴史学者磯田道央が進行する番組である。今回は、「太平洋戦争 幻の航空機計画」というものであった。終戦間際に、アメリカのB29を凌ぐ巨大な戦闘機の政策が計画されていた。そのことは幼いころ、何となく戦争ロマンのように知らされていた。中島飛行機が計画していたもので、”冨嶽”と名付けられアメリカ本土を爆撃する計画であった。資金と時間がなく終戦間際になって、ゼロ戦政策に力が移ったという内容であった。
番組では、知ったかぶりの学者が、「中島飛行機の技術者は戦後は平和のためにその技術を生かした」とコメントした。これに明らかに立腹したかに見える、航空機評論家の鳥養鶴雄氏が言わせていただきたいと切り込んだ。
鳥養氏は、戦後まもなく中島飛行機を引き継いだ富士重工に入社した技術者である。戦闘機を開発した人たちは終戦とともに、冨嶽の設計図はもちろんのこと、あらゆる資料を焼き尽くしてしまった。そして、鳥養氏は次のように述べたのである。「軍用機を開発した技術者は全員私の上司である。戦後軍用機のことは全く語らなかった。人殺しに関わったことを深く反省していた。彼らは冨嶽を誇ったことは一度もない。戦闘機に乗った人間も作った人間も、多くの人が亡くなっている。平和を守るためという言葉は、まやかしでしかない。」というのである。
そして、「軍用機の政策は本当はだれも望まないことであったが、戦後はどうして平和産業に技術を提供するかということを考え続けていた。」そうして車や航空機など様々な機械の制作に携わった。全く別の世界に行った技術者も沢山いたというのである。
司会の磯田はいつものようにまとめることができず、鳥養氏の言葉を追認して番組は終了した。

この話の対極にいる人物がいる。岸信介である。太平洋戦争開戦時の閣僚であったが、A級戦犯になりながら戦後は首相にまでなった男である。そしてその孫の現首相の安倍晋三と日本会議の面々である。
満州事変から始まる一連の戦争は、欧米からアジアを守るためのものであって、太平洋戦争はアメリカに仕組まれたものであり、多くの失敗などがあったが、上手く立ち回れば勝てた戦争であったという主張である。憲法ですら、明治憲法を踏襲する草案を作って、戦前回帰を目指している。
安倍晋三が日本軍が急襲した真珠湾に行って慰霊をするそうであるが、直前の日露首脳会談の領土交渉の失敗を覆い隠す政治的パフォーマンスでしかない。本来なら南京に行って慰霊するべきである。中国は複数個所異例の場を用意していると言っている。
戦争を根底から反省するのであれば、憲法の精神を重んじ武力の放棄を真っ先に考えるべきなのである。中島飛行機の技術者の爪の垢でも飲ませたいものである。

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史上最悪の防衛大臣が誕生する

2016-08-02 | 戦争
安倍晋三の盟友である甘利茂が不起訴が決まったとたんに、国会へ顔を出した。本人はビョーキというが、不眠症など自己申告病である。とても都合がいい病気である。それでもさすがに今回の入閣はないようである。
ところが、安倍晋三お気に入りのウルトラ右翼の稲田朋美がこともあるか、防衛大臣として入閣するという噂である。南京大虐殺はなかった、日本刀で殺害人数を競った二名の将校の名誉回復の訴訟をやっている。敗北している。このグループは、先の戦争は間違っている。それは敗北したからである。うまくやっていれば勝つことができた戦争であるというトラウマから抜け出ていない。報道は自らの主張に近い人物と、稲田を説明している。かつて、稲田はアホであると本ブログで指摘したが、主要な法案の説明はほとんどできない。彼女には安倍の擁護を受ける思想があるだけである。
先ごろ韓国人へのヘイトスピーチで名ををはせている、在特会との関係を裁判所が認め、稲田の訴えが退けられている。
彼女は沖縄の集団自決さえも否定いている。韓国からの入国を拒否されている。

稲田朋美は成長の家の経典ともいえる、「生命の實相」を擦り切れるまで何度も何度も読んでいると、自慢げに公表している。一般人ならそれでもい良かろうが、政権の中枢にいる人物である。生命の實相は生長の家の創始者、谷口雅春の著書で人間は神の子であると説く。生長の家はあらゆる宗教を統合するものであるというのである。そして日本は天皇を抱く神の国であるというのである。カルト集団ともいえる生長の家の信者、信奉者でその後の日本会議には当然のように参加している。
上記の稲田朋美の戦争に対する発言の詳細な出所は確認できないが、谷口雅春の言葉かそれを解釈したものと思われる。
稲田は、憲法を変えるほうが立憲主義という、本末転倒の主張を何度も繰り返す。野党との討論を聞いていても、ほとんど質問には答えることがない。それでいながら自説は延々と述べ続ける。不都合なことは指摘されてもとぼけるほどの技術や機転もなく、否定して話題をそらすだけである。
国会での質疑でぼろを出すことは目に見えている。無知を晒すか回答できなくなることが考えられる。いずれにしても、自衛隊のトップ(防衛庁・防衛省)に史上最悪の人物が座ることになる。安保関連法(戦争法)の存在ともども、恐ろしい時代になったものである。
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半世紀にもわたる治外法権(地位協定)の屈辱、いつまで続く

2016-06-11 | 戦争
米軍属女性暴行殺人事件で、被害女性の遺体が遺棄された恩納村安富祖の遺体遺棄現場には、多くの人が花束を手向けに訪れてる。沖縄で何度も繰り返された、特に若い女性の殺人強姦事件である。今回はたまたま、殺人事件で日本の警察が容疑者を特定するのが早く拘束したために、アメリカが手を出せなかったのである。

日米地位協定の第17条により、「合衆国の軍法に服するすべての者に対して(第17条1-a)、また米軍基地内において(第17条1-b反対解釈)、合衆国の法令のすべての刑事及び懲戒の裁判権を日本国において行使する権利を有する。」と明記され、合衆国軍隊が第一次的裁判権を持つことになっている。日本で犯罪を犯しても、アメリカの軍属は日本の法律を適用させませんというのである。古くは殺人事件でもアメリカに帰国させ無罪放免されていた。
治外法権というが、国家が国民を守ることなく他国の法にそれを委ねるというのである。国が占領されているときにはよくある話であるが、56年も全く変えずにいるのは珍しい。要するに未だに日本はアメリカの占領下にあるのである。
アメリカに侵攻された、アフガニスタンでもイラクでもアメリカやNATO兵の犯罪に対する裁判権は放棄していない。

作家の司馬遼太郎は栃木県の小隊長として終戦を迎える。自らが述懐するように彼は愛国青年であった。首都圏にアメリカ軍を迎え撃つため向かうことになったが、道には混乱した人たちが溢れてたどり着けない。軍に相談すると、大本営から「轢き殺していけ」と命を受けた。国民を守るための軍隊にこのとき疑問を持ったのである。司馬遼太郎にとって、兵士が国民を守ろうとしないこの出来事は大きかった。その後の彼の執筆の原点になっている。

日本を守るためのアメリカ軍と自負するが、平気で駐留兵たちは日本人を殺すし犯すし盗みをおこない、泥酔で暴走する。地位協定が彼らを守ってくれるし、地位協定を背景にしてアメリカ軍の優越感は国が担保してくれるし、国だってそうした軍隊でも金をたんまり出してくれる。おまけに、日本は世界のどの国よりも格段に治安が良い。兵隊さんはやりたい放題である。今回も再発防止のために、旧態依然とした方針がださえたが、もうすでに酔っ払いで事故を起こした女性兵士がいる。自粛や規制など何の効果もない。日本を守るなどお題目に過ぎない。アメリカの戦略は別のところにある。
日米地位協定を結んだのは、安倍晋三の敬愛する祖父のA級戦犯ながら生き延びた昭和の妖怪、岸信介である。
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戦争による変質を受けいられない藤田嗣治という生き方

2015-12-24 | 戦争
藤田嗣治という、フランスで最も名の知れた画家の生き様を描いた映画「FUJITA」が上映されている。主演のオダギリジョーが好演らしい。監督小栗康平は藤田を持ち上げることなく描いていると聞く。
藤田嗣治は生涯の最高傑作(と私は思っている)の、アッツ島玉砕の評価はあまりにも社会的に政治的に上げて下げられた経緯があるが、僅か2週間で描かれたものである。1943年に軍の要請を受けて描かれたものであるが、戦意高揚と持ち上げられたが、絵を子細に見ると明らかに伝統的なヨーロッパ宗教絵画の手法をもいいて描かれていながらも、藤田の思うものが残されてはいる。
戦後は戦争に協力した芸術家として、芸術家協会から真っ先につるし上げられて、1949年日本を離れフランスに永住した。故国の地は踏むことはなかった。藤田は時に流れや動きに頓着しなかったのである。そうして意味では隠遁者に近かったようであるが、彼一人の者ではない。
同様に戦争さんBの歌を作った古賀正男は自宅の庭に、日本兵士などのための慰霊碑を建立している。戦後数多くのヒット曲や楽曲を手掛けた古関裕而は、軍歌を書いていたことを長年恥じていて、国民栄誉賞を拒否いている。戦争協力者は数多いるものの、戦後黙したままの人物も少なくはない。
藤田のとった態度はふて寝する子供のようにも見えるが、フランスで日本を想いながら洗礼を受け没している。彼には画家つとしての一貫性は正常とか関係なく貫いたものがあり、時代によって評価を平気で替えることが受け入れられなかったのであろう。
同じようなことは現代にも言えることである。原発をあれほど程賛美していた、草野仁や滝川クリステルなど今は全く平気で逆の発言をする。昔から反原発だったような顔をした、同類の人物は山ほどいる。藤田の爪の垢でも飲ませたいものである。
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山田洋次監督渾身の作品

2015-12-17 | 戦争
山田洋次監督自ら、「最後の作品・・に近い」と位置付けた映画、「母と暮らせば」を見てきた。劇場のある釧路は100キロ先である。それなりの支度と準備が必要である。主演の吉永小百合を見て前作「母べぇ」の続編かとも見ていたが、全く異なるものであった。井上ひさしの広島被爆の「父と暮らせば」に対する、長崎被爆が舞台で亡霊で出てくるのが、医学生の息子という設定であった。劇場には若い世代だけでなく、若者たちも見られたのは、人気グループ出身の息子役の二宮のせいであろうが、それでも良い。
医学生の息子が授業中に被爆して亡くなるのであるが、山田洋次はこの息子を浩二と名付けた。戦争を体制からではなく、自らの庶民感覚で受け入れようと必死にもがいた、詩人竹内浩三を彼に映したのである。竹内浩三は、僕は戦争に行くのだけれどと、体制を受け入れそしてフィリッピンで戦死した。出征の日にはぎりぎりまで、チャイコフスキーの悲愴を最終楽章まで聞いていたそうである。明るく一筋な感性が現代風といわれている。
息子の設定も十分である。原爆の表現はわずか数秒で山田洋次は終わらせている。そして、終戦を3年飛ばしている。人間の側から戦争、原爆を見ようとする意図が見えている。
浩二の許嫁で町子役の黒木華の慎まし気に明るい演技が光っていた。この作品では秀逸であった。
今年84歳になる山田洋次は、50年も若いスタッフとのやり取りに苦労する。朝ドラの時代考証のずさんな番組を見て嫌気がするが、山田洋次は細かい作業の点検を、最も年齢が高い自分がやらなければと、細かな支持も怠りなくこなしていた。原民喜の詩につけた坂本龍一の楽曲はやや重苦しく余分な気もした。
井上ひさし氏が表題だけ決めていた作品を、山田洋次が形をつけた作品であるが、作品としても、興行的にも成功したのではないかと思われる。戦争を引き継ぐ作業は山田洋次のような細やかな作業が必要なのであろう。戦争が希薄化することが簡単に国家の武装などを躊躇いもなく夢想するのではないか。
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下着泥棒の復興大臣は核武装論者、農水大臣はカネとヤクザまみれ、臨時国会もなく密室論議、何が民主主義だ

2015-10-17 | 戦争
安倍晋三の新内閣に入れてやった新人大臣の素性が怪しくなってきた。その最右翼が、下着泥棒だった高木毅復興大臣である。なんでも好きだった女の子の家に侵入して、タンスから下着などを盗んだとのことである。本人も否定していない。父の威光で示談に終わっているようである。
初当選した時には、敦賀市長の父の七光りで当選している。父の高木孝一は原発推進論者である。この敦賀市長は、地元出身の水上勉が反原発発言をするや、圧倒的政治力で封じ込めてしまっている。最近になって、一滴文庫も日の目を見るようになったが、地元からは総スカンをくらわせていた。
高木孝一敦賀市長は、「原発は金になる。」と、全く正直に吐露している。「50年後や100年後生まれた子供がみんな障害者でも問題はない。」と発言している。安全性や住民のことなど全く考えていない。そもそも、原発への基本的な知識も疑わしい発言といえる。その父の後ろ盾で当選した息子が、原発振興を掲げないわけはない。よりによって、こうした人物をわざわざ、東北の復興大臣に、安倍は指名したのである。原発再稼働へのシグナルとみてよい。下着泥棒するような人物の資質を疑うのは良いが、面白おかしい報道に目が行ってはならない。福井県は稲田朋美のウルトラ右翼に感化されて、極右翼の議員ばかりになってしまった。

同様のことは、農水大臣に指名した森山裕も同じである。TPP参入反対の急先鋒であったばかりか。「TPP参加の即時撤回を求める会」の会長までやっていた人物である。これまでの主張とどのように整合性を突けるつもりなのかは知らないが、最近になって暴力団との黒い関係が早速指摘されている。談合に関与して鹿児島県の指名停止を受けた複数の業者から、11年から3年にわたり690万円の献金を受けていたことも発覚している。全々農水大臣の、西川公也も同様の問題が説明できずに、辞職に追い込まれている。もっとも西川の場合は大臣としての資質そのものに問題があった。
「カネ」と「ヤクザ」にまみれた、森山農水大臣である。このまま続けていいのか。

文科大臣になった元プロレスラーの馳浩であるが、教員時代に竹刀がボロボロになるまで体罰を加えていたと述べている。当時は、体罰の必要も訴えていた。こんなでかい男に竹刀で叩かれた日にはたまったものではないが、今は大臣の椅子が欲しくて反省しているとのことであるが、こんな人物をよりによって文部科学大臣に据えてい良いのであろうか?まったく時代にそぐわない人選といえる。

安保関連法案を強引に一国会で通すために、最大の国会延長を行ったあおりである。臨時国会が開かれない。安保法(戦争法)の運用などについてや、TPP交渉の経過や内容や対策などや、辺野古新基地建設に関係する諸問題や、消費増税などや、国会で審議しなければならないことが山積している。通常はこの時期には臨時国会が開かれるはずである。野党も臨時国会開催の要求をするようである。
しかし、このような不祥事を抱えている安倍晋三の内閣が応じるとは思えない。例えば消費増税に伴う諸問題は、自民党と公明党だけで密室でやることになる。安保法案と同じである。これこそ民主主義の否定である。
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いまでも軍国主義を擁護し続ける自民党

2015-10-12 | 戦争
旧日本軍が多くの中国人を殺害した「南京事件」を巡り、ユネスコは中国が「記憶遺産」として申請していた資料について登録することを決定した。 悲しいことに、南京事件(大虐殺)はなかったといまだに主張する人物が、国政の中枢にいる。
中国とのパイプ役をかって出ていた、中国不理解の二階俊博総務会長の愚かさについては以前本ブログで、「智がなくなり貧相になる中国外交の現状」で書いた。
この二階総務会長はが徳島市で講演し、ユネスコ=国連教育科学文化機関が、旧日本軍が多くの中国人を殺害したなどとされる「南京事件」を巡る資料を、「記憶遺産」に登録することを決定したことを受けて、ユネスコへの日本の拠出金の在り方を見直すべきだという考えを示した。全く愚かとしか言いようがない。
鼓した機関に対しては独立性を重んじるべきで、金は出すが口を出さないとするのが、文明国のとる姿勢である。俺の言いなりになれというのでは、世界遺産への評価能力がないということになる。
そもそも、いまだにこれほどの大虐殺がなかったという見識自体が低レベルである。確かに犠牲者が30万人は多すぎると思われる。 ならばその数の根拠に話をするべきである。昨年当地で、映画「ジョン・ラーベ」を上映した。この映画も30万人が虐殺されたと述べている。
さらにもう一つ、日本軍と戦っていたのは蒋介石の国府軍であり、敵対関係にあった毛沢東の八路軍(共産党軍)と内戦状態にあって、毛沢東はこれを見捨てた。八路軍は日本軍とほとんど戦ってはいない。現政権が日本軍の残虐性と指摘すはるなら、見捨てた八路軍とその政権が後程樹立する共産党が、日本軍を非難するのには違和感がなくはない。
時の首相の近衛は、暴支を懲らしめると攻め入って「支那事変」と称さし、宣戦布告すらしていない「事変」で留めているのである。捕虜をジュネーブ協定の範疇から外す意図である。更に兵士以外の国民を大量に殺害している。下の100人切りの記事はプロパガンダの一種で、数字的には事実を越えてはいようが、そんなことは関係ない。因みに、ウルトラ右翼の稲田朋美は、この二人の将校の名誉回復裁判を起こしている。
南京事件については、先週のNNNドキュメント「南京事件・兵士たちの証言」で放送されていた。戦後黙する兵士の日誌を丹念に拾ってつなぎ合わせた、小野氏の努力には頭が下がる。41分の番組である。ご覧になって欲しい。
虐殺についての論議や、一般人殺害や女性や子供たちの殺害については、78年の年月が仔細については困難なことが多いが、両国以外で客観的にやるべきであると思われる。
二階総務会長や本ブログにも寄せられる、事実無根の反論には応じること気がない。加害者は被害者の声を、謙虚に受け取るべきなのである。このドキュメントの最後に、「私たちは戦争を被害者の目線で捉えようとするが、多くの人を殺害したことも知るべきである」と結んでいることを、真摯に受け止めたい。そうした姿勢を失った権力者どもが、「戦争法」なるものに”平和”という名を冠した法律を作るのである。国家の命に従って殺人者となった兵士たちは英霊として靖国に祀られている。ユネスコの遺産指定を評価する。
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正確に何度も”誤爆”を繰り返したアメリカ空軍機。誤報を装ったもので誤爆などではない

2015-10-07 | 戦争
アフガニスタン北部クンドゥズの「国境なき医師団(MSF)」病院への、アメリカ軍の爆撃事件(3日未明)の内容が次第に明らかになってきた。MSFの医師、看護師らスタッフ12人、患者10人が死亡、子ども7人を含む37人が重傷で、うち19人がスタッフであるとMSFが発表した。
MSFはすべての紛争当事者に、GPSの正確な位置情報を通知してるのに、なぜアメリカ軍に誤爆されたと声明を出している。MSFなどの話によれば、その時は上空で爆撃機が何度も旋回し、繰り返し空爆を行ったとのことである。更にかなり激しい爆撃にもかかわらず、病院周辺の建物にはほとんど被害が及んでいなかったのである。明らかな狙い撃ち攻撃である。
アフガン駐留アメリカ軍は「アフガン軍に脅威を与える複数の個人をターゲットに空爆は行われた。近くにある医療施設に巻き添え被害を与えた可能性がある」と誤爆を認めたが、現場の事情と大きくかけ離れている。オバマも当初は渋った誤爆を認めてはいたが、謝罪は一言もない。
国連アフガン特別代表や赤十字国際委員会は「ぞっとする悲劇だ。医療従事者や医療施設への攻撃は、アフガンの人々を支援する人道組織の能力を損なうものだ」「人道に対する破壊だ。国際人道法に違反している」と空爆を激しく非難している。医療施設や医療従事者への攻撃は国際人道法で禁じられているが、謝罪もしない誤爆の原因究明もないアメリカ軍は、当初この病院がタリバンの基地になっていると説明していた。
MSFは「アフガン政府軍とアメリカ軍の声明は、タリバンのメンバーが病院内にいると主張して、このスタッフと患者180人がいるフル活動の病院の壊滅を、共同して決めたことを示している」と非強く非難した。
この空爆は誤爆などではなく、誤報による正確な空爆なのである。

28日から激しい戦闘が起き、「市街地で激しい戦闘が起きたあと、クンドゥズ州のスタッフは数十人の負傷者を手当しています。早朝から102人の負傷者を収容しており、もう手一杯です。うち36人が頭や腹を負傷しており、重体です。外科医は銃撃された患者をノンストップで治療しています。ベッドを増設して前例のない状況に対応しています。2日間で171人を治療しましたが、うち46人が子供でした」
「28日の朝、叫び声や砲撃の音が増える中、クンドゥズ州の病院に来た。昼までに私たちの病院は最前線になった。砲撃やロケット、飛行機の音が聞こえる。銃弾が病院の中に飛び込んでくる。集中治療室の屋根を突き抜けてくる銃弾もある。それでも普段通り、治療を継続した」とクンドゥズ州の外傷病院を率いる医師はブログに綴っている。(木村正人氏の記事より)
当病院は80人のMSFスタッフが働いており、28日から2日間で、90件の外科手術をし171人の治療に当たり、昼夜を分かたぬフル回転であったとのことである。また、アメリカ政府はアフガニスタン政府の要請によるものと、言い逃れようとしている。MSFは第三者の貯砂を要請している。

北部クンドゥズ州に対して、一年前からタリバンが攻勢をかけている。NATO特殊部隊とアメリカ軍の空爆の支援を受けて、政府軍が掃討作戦を行っている地域である。また戦争ではなくテロ掃討作戦であるから、兵士を守るジュネーブ協定にも抵触しない。しかし、CNNは戦争犯罪事件であると報じている。
MSFは施設が破壊されたことで、全スタッフの撤退を決めている。アメリカの正確な、”誤爆”はさらなる悲劇をアフガニスタンにもたらしたと言える。
日本は今後こうしたアメリカの非人道的戦闘地でも、「後方支援」なるものを自衛隊にやらせるようになるのだろう。かつての平和国家日本は崩壊し、恥ずかしい国家になって行く。
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防止装備(武器)庁発足、いよいよ軍事国家へ

2015-10-02 | 戦争
安倍晋三は武器輸出三原則を撤廃した。兵器を防衛装備と言い換え、輸出を移転などと言う言葉で言いくるめ、代わりに「防衛装備移転」などという言葉に置き換えたのである。兵器の輸出を緩和したのではないと言いながら、早速ヨーロッパでの展示会に出展させ、兵器の開発に奨励金まで出す念の入れようである。
そして、昨日ついに、防衛装備庁が発足した。2015年10月1日は、日本が兵器を公然と製造販売・研究し輸出することを決めた日として、長く記憶に留めよう。
「防衛装備庁」は、通常国会で成立した改正防衛省設置法に基づいて、陸上・海上・航空の各自衛隊の装備部門や調達業務などを担う装備施設本部、それに研究開発を行う技術研究本部を統合し、防衛装備品の研究開発から調達までを一元的に担う防衛省の外局の組織と説明されている。しかしこれは戦前の、軍需省の再来である。

なんと言いくるめようとも、兵器は人殺しの道具である。戦争が人殺しであり殺されることと同様に、兵器は殺傷能力こそがもっとも大きな要因である。日本が戦後憲法のもとで、戦争に加担してこなかった、あるいは憲法を何とか形だけでも維持してきた、その苦肉の策が武器輸出三原則であった。それすら易々と安倍晋三は破壊して叱ったのである。
集団的自衛権行使容認によって、日本は戦争をすることはないし、憲法にも抵触しないと言い続けている安倍晋三は、兵器さえも平然と、研究・開発・輸出まで行うのである。
注目は、経団連と日本商工会議所が声明を出し、輸出産業の奨励になると歓迎していることである。原発を輸出することもさることながら、外貨獲得のためなら殺人道具さえも輸出するのである。
安全保障関連法が外堀を埋めはじめ、平和国家を次第に軍事国家へと変えて行く一つの礎にしか過ぎない。この法が「戦争法」であることを改めて感じた次第である。
戦争するだけが軍事国家ではない。戦争を奨励すること、戦争を期待すること、戦争や紛争で儲ける武器を製造販売することも、軍事国家なのである。武器市場は成長産業であることを見込んだ、あるいは奨励する安倍晋三である。
これこそが積極的平和主義、アベノミクスの真の姿である。font>
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羅臼港

春誓い羅臼港