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ふかねこ

2009年06月19日 | もやもや日記



家の近くの公園のあたりでよく見かける、ふかふかした動物を写真におさめることに成功しました。うーむ。ふかふかですね。ほんとうは正面からの姿を激写したかったのですが、私が、ケータイ、ケータイのカメラ! などとモタクサしている間にあっちを向いてしまいました。

それにしても携帯電話にカメラが付いているというのは便利ですよね~。PHS時代には考えられなかったなぁ。おかげで最近はデジカメよりもむしろ携帯電話のカメラで撮影することが増えました。ここしばらくはほとんど誰からの電話もメールも受信しない(し、発信もしてない……最後は10日前、その前はさらに10日前;今月メール2回のみ(/o\;)..)ので、携帯電話というよりもむしろカメラとしてしか活用していませんが(なんか電話機能がムダな気がしてきた……)、ほんとうに便利です。動画も撮影できるらしいことに、昨日気がつきました。機種変更して1年半! 衝撃の新事実発覚!!


さて、写真の動物は、遠目にはタヌキのようにも見えますが、どうやら猫。
目は緑でした。思ったよりも顔が小さい。
時々、植え込みの間からひょいと姿をあらわして、こちらをのぞいていたりするのが可愛いんですね~。





『書痴談義』

2009年06月18日 | 読書日記ーフランス

P・ルイス/O・ユザンヌ/G・デュアメル/L.G.ブロックマン
生田耕作編訳(白水社)



《収録作品》
*書庫の幻…P・ルイス
*シジスモンの遺産…O・ユザンヌ
*書痴談義…G・デュアメル
*アルドゥス版殺人事件…L.G.ブロックマン

《この一文》
“しかし、それがなんの役に立ちましょう? 人間の一生はみな同じように平たく圧し潰されます。たとえどのようなものであれ、あなたの一生もやはり《人生》を越えられません……
 ――「書庫の幻」(P・ルイス)より ”

“「無数のクールタンが生まれ出ては滅びるだろう。それでもこの宇宙を支配する遠心力は止められない。どんな蒐集もいつかは散らばるのだ」
 ――「書痴談義」(デュアメル)より ”



どうしたらよいのか分からないほどに面白かったです。この感情のたかぶりをいったいどう表現したものでしょうか――。



書庫の幻…P・ルイス

先日「新しい逸楽」という短篇によってはじめて知ったピエール・ルイス。この人の作品を読みたくて借りてきた本書ですが、この「書庫の幻」も完璧な作品でした。あまりにも私の魂にぴったりとくる作風に、やはりこの人は私の運命の人に違いないことを確信します。私にはほかにも多くの運命の人がいますが、彼らのすべてが既に魂の一部だけを地上に残して去った人々であることを考えれば、さらに愛情や熱狂的崇拝はただひとりの人だけに捧げるべきものでは必ずしもないことをも考えあわせれば、これは浮気でも何でもないと言えましょう。しかし、この作品の、なんという素晴らしさ!

家族からの愛情を一身に受け、十二歳の今日までただの一日たりとも一人っきりで放置されることのなかった少女シール。ところがこの日は、父母も小間使いも家庭教師でさえも出かけてしまって、広い家のなかに二時間ばかりのあいだ、シールはたったひとりで取り残される。心細さを感じつつも、シールはこの機会をとらえて、普段は出入りを禁じられている最上階の書庫へ入り、そこで巨大な一冊の本を取り出し、こっそりと開いてみると、書物のあいだから現れた聖女さまが、三つだけ、彼女の質問に答えてくれるという……というお話。


もう死んでしまうかと思いました。ごく、ごく短い物語ではありますが、私自身の人生観がはっきりとこの物語のなかにも読めてしまって、そのあまりの一致、一体感にしばらくは声も出ませんでした。人生を常に思い迷っている人間にとっては、かなりの衝撃をもたらす短篇ではないでしょうか。

少女シールは無断で書庫へ入ったことで、あとで父から叱られます。しかし、彼女の「私の人生とは?」という問いに聖女が答えて言った内容を父に告げると、彼はどうにか微笑を浮かべようと甲斐のない努力をしながら、青ざめた顔でシールに言って聞かすのです――「人生は美しい…人生は楽しい…人生は……」

私はシールでもあり、彼女の父でもある自分をここに発見します。人生とは、幸福とは何かということを知りたくて、追い求め、追いすがりますがいつも追いつけず、失望のなかで「世界は美しい…人生もまたいくらかは美しいはずだ」と唱えては、どうにかここまでやってきたのではなかったでしょうか。信仰心とも言えるほどの強さでこの考えを掲げ、ぎゅっと固く目を瞑って、暗がりの中に星の輝きを認めたつもりで、しかし一方では常に「だがいったい何のために? これはいったい何のために?」とおののきながら、私はそうやって人生をここまで引き摺ってきたのではなかったでしょうか。

我が身を、私のこの人生というものと照らし合わせると、心は相当に揺さぶられてしまう物語ですが、しかしこのお話はたしかに美しいものです。私の人生がどうであろうと、この物語は美しい。私にはそのことのほうが重要に思えます。私の魂のなかにも存在するだろうものを、美しく取り出してくれる人が、作品がある。美しいものとの出会いの歓びは、甲斐のないみじめなこの人生に対する悲しみや虚しさを凌駕します。私はこの瞬間だけは、そのことを忘れてしまえます。

物語のなかで聖女さまは「《人生》を越えられない」とおっしゃいますが、もしかすると越えられるのでは? ほんの一瞬だけなら、周囲をほんの少しだけ照らし出すマッチの炎くらいささやかなものだとしても、あるだけのマッチを擦ったらいいんじゃないだろうか。ずっと続く暗闇の合間に、わずかなあいだだけでも、たとえばこの物語やあの物語のように自分の想像を絶する美しいものを目にし、それに満足して、そうやって生きてもいいんじゃないだろうか。このときばかりは私は別の誰かの魂と一体となって、自分の人生を越えているとは言えないだろうか。……言えなくてもいい。たしかなものなど何一つ手に入らなくても。どのみち甲斐もなく終わりをむかえるものならば、夢見るように生きて、そのまま滅びたい。

そんなことを、とめどなく思ってしまう、とても印象的なお話でした。ピエール・ルイスを、もっと読むつもりです。



シジスモンの遺産…O・ユザンヌ

これは、「本」という物体に愛着を感じ、それを集めることに喜びを感じるタイプの人にとっては、それはそれは共感と恐怖を得られる作品かと。
稀少本を手に入れたい場面で、ライバルが自分を差し置いてそれを手に入れた場合、「畜生、死ね!」と思わない人はいないかもしれません。私もそう思ったことがあります。

憎きライバルが死んでその蔵書を狙っていたら、遺産相続人によってその入手を阻まれるばかりか、本そのものに憎悪を抱くその相続人によって貴重な蔵書が過酷な環境にさらされることになり、それを黙って見ていられない男との壮絶な攻防戦が繰り広げられる…というお話。

これはかなり面白かったです。本の装丁などに愛着を感じる人は、きっと落ち着いて読むことは出来ませんね。結末などはもう絶叫ものです。ひどい!!


書痴談義…G・デュアメル

デュアメルというと『真夜中の告白』を読んだことがあります。読むそばからたちまち内容を忘れてしまう物忘れの激しい私ですが、『真夜中の告白』はおぼろげに覚えています。会社の偉い人の耳を、なんでだか分からないけれど触ってしまったことでクビになった男の話でした。お母さんと婚約者だか近所に住んでるだけだったか忘れたけど若い女の子が、一生懸命縫い物だかをしている場面が記憶にあります。ま、でも覚えているのはそれだけで、おおよそ忘れています……私ときたらもう。

この「書痴談義」は、蒐集家のクールタン氏が、蒐集を始めた頃から、次第に熱中して、最後は蒐集し尽くして、その都度まるで人が変わったようになっていくさまを描いた作品。

これも相当に面白かったです。デュアメルもいいですね。もっと読みたいなあ。『真夜中の告白』は《サラヴァンの生活と冒険》という連作小説のなかの1篇だそうなので、他のも読んでみたい。しかし、図書館にはなかった……! 買えってことですね? ああ、私はクールタン氏と違い、本そのものよりもその中身により愛情を掻き立てられる方ですが、無闇に集めたくなるその気持ちは、分からないこともないどころの話ではないのでした。


アルドゥス版殺人事件…L.G.ブロックマン

これは一応推理小説らしいです。フランスの作家ばかりのところへ、この人だけはアメリカ人らしい。でも舞台はフランス。

貴重な本の競売を明日に控えた館で人が死にます。

……しかし、どこが推理小説なの? いや、事件が起こってそれが解決するんだから一応は推理小説なんだろうけど、でもあまり推理してなくない? 事件が起こるなり、すぐに解決篇だし; でもこのあっさり感は嫌いじゃないですね。




本文ページにはすべて美麗な飾り枠がつけられた、なかなか凝ったつくりの本です。これは借りてきたものなのですが、ぜひ手もとに置いておきたい! と転げ回る羽目となった一冊。ああ~、思うつぼです。しかし本の魔力というのは本当に侮れないものなのですね……



「犬の話」

2009年06月17日 | 読書日記―エレンブルグ


エレンブルグ 木村浩訳
(『現代ソヴィエト18人集2』新潮社 所収)



《内容》
エレンブルグが《青春(ユーノスチ)》の若い読者に語る、犬に関する愛情にあふれた話。

《この一文》
“かれはアベックを嫌った。連中はあまりに自分たちの愛情にかかずらっているからであった。ブーズー一世はアベックを感動させるわけにはいかないと、はじめからさじを投げていた。かれは肉の皿を食べている、独りぼっちの客を見つけると、特別な愛情をみせながら、相手にじゃれついた。やさしい客はビーフステーキの切れはしを投げてよこした。十五分もしてだめな場合には、仲間の犬を呼んだ。仲間の犬はナシを食べたが、ブーズー一世は果物が嫌いだった。私がかれを連れてモンパルナスへ散歩にでかけると、かれは先にたってカフェにたちより、サンドイッチを作っているスタンドに近づき、素早く、サーカスのような芸当をはじめるのだった。一切れのハムにありつくと、すぐ表へとびだし、《おそいですね?》といった顔つきをしながら、私を待っている振りをするのだった。”




エレンブルグの最晩年の一編だそうです。自分が飼っていた犬、家族や友人の飼っていた犬、すれ違っただけの犬、彼の人生に関わったさまざまな犬たちのお話。犬に対する深い愛情に満ちていて感動的です。

いろいろな性質と性格をもった犬が紹介されますが、もっとも印象的だったのは、上にも引用しましたが、エレンブルグの飼い犬ブーズー1世。スコッチテリアとスパニョールの混血。ものすごい自惚れ屋。…だめだ、すでにこれだけで笑えます。テリアって、ひげのおじさんみたいな容貌の犬ですよね。ぬいぐるみみたいな感じの。

短いながらも多くの犬たちのエピソードが満載されていますが、ブーズー1世のほかには、複数の主人のもとを渡り歩き、ときには電車に乗って遠方の主人のところまで移動する犬の話も面白かったです。色々な犬がいるものです。


私はエレンブルグの初期の小説にまず打ちのめされたのですが、晩年のエッセイなんかも面白くて好きですね。まだあまり読んではいないのですが…。好きすぎるともったいなくて読めなくなるのが私の欠点なのですね。

しかしこの人の文章は、正直に告白すると、私にはいったい何を言っているのかさっぱり理解できないところが多々あります。「このくらいは言わなくても当然わかるだろう」ということなのかもしれませんが、行間に込められたものが皮肉なのかユーモアなのか、それとも何でもないのか、どうも判断できません。でも、それでも面白い。いつかは読みこなしたい! と燃え上がるものを抑えられません。

それでもって、どこか泣きたくなるような気持ちにもなります。これはどうしてなんだろうなあ。はっきりと分かりませんけれど、この人の書くものには、なにか独特の雰囲気があるようです。淡々とした文章の中には、弾けるようなユーモアと同時に痛烈な皮肉が、みじめで哀れで残酷、容赦ない描写の中には深い憐れみと優しい愛情があったりするんですね、たぶん。とにかく、私はこの人が好きでたまらない。


犬、そしてテリア犬と言うと、私が田舎に帰省したとき、実家にもいました。灰色の巻き毛の小さな分別臭い顔をしたおじさん犬が。割とおとなしいけど、挙動がいちいち面白い犬です。食い意地が張っていて、家族の見ていないところでテーブルの上の塩鮭を盗み食いして、しかもそれが辛かったらしく水をごくごく飲み干し、さらに盗みの濡れ衣を父に着せて平然としていました。それを思い出しました。

内田百先生の『ノラや』も久々に読みたいな。あれは猫の話ですが。でも、クルツの話では泣いちゃうからなぁ…。

犬や猫、ともに暮らす身近な動物についてのエッセーというのは面白いです。そこには特殊な愛情が、いえ、これこそを愛情というべき美しい感情の流れが記されているから。



このエレンブルグの短い一篇を読むためだけに、【ソヴィエト18人集】シリーズ4冊をまとめて購入してしまった私……。いえ、ほかのも読みますよ、いつか……知らない人ばかりだけど、18人のうちはっきりその人と分かるのは2人だけだけど、いつかは。私が知っているエレンブルグともうひとり、ザミャーチンの「島の人々」だけはすぐにでも読みたいところです。




『皇帝ペンギン』

2009年06月16日 | 映像

監督:リュック・ジャケ/86分/フランス




《内容》
南極の厳しい自然の中で、皇帝ペンギンが求愛から子育てに励む姿を追ったドキュメンタリー。



昨日、BS2で放送されていたのを、途中から観ました。しまったー、最初の方は気がつかなくて見逃してしまった。

コウテイペンギンと言えば、体長は130cmほどもある大きなペンギンなので、彼らが寒さをしのごうと、吹雪のなかぎゅうぎゅうと身を寄せ合って足踏みしているのを見るにつけて、つくづく「ヒトっぽい」と思ってしまいます。あれだけきっぱりと直立していて、しかも体の色もグレーから黒色の背中に白い腹、蝶ネクタイに見えなくもない黄色い模様が首筋にあったりして、一列に並ぶその姿はまるで朝の通勤風景です。歩きながら時々ぱたっと倒れて腹で滑っていくのもまた可愛い。

そんなコウテイペンギンの子育ての場面から私は観たわけですが、やはり大変ですね、この人たちの過酷な環境は。何も食べずに4ヶ月もじっとしているなんて、えらいこっちゃ。

コウテイペンギンのヒナは、ペンギンのなかではかなり可愛い部類です。アデリーペンギンのヒナなどは、毛だらけの膨れたラグビーボールみたいな姿でふてぶてしく餌を要求し、あまり可愛いとは言えない感じですが、コウテイペンギンのヒナはふわふわして灰色で、とても可愛らしい。うーむ。可愛い。


ペンギンが集団でぞろぞろ歩いたり押し合ったり、海に飛び込んだり海中を飛ぶように泳ぎ回ったり、ヒナがよちよち歩いたり可愛く鳴いたり、そんな愛くるしい姿を、南極の美しい映像とともに堪能できる作品でした。
ただ、押し付けがましい内容のナレーションと、時々挿入されるいささか場にそぐわない風のポップな歌に、どうも気が散っていけませんでした。でも、海の中や夜の南極の映像がとてつもなく美しかったからいいか……。

動物もののドキュメンタリーはいいですね。


スクワット-スクワット

2009年06月15日 | 自作アニメーション

1、2。1、2。
え?
よく見てくださいよ。
ちゃんとほら、スクワットですよ。

高画質版↓(『不透明記録:層』)
スクワットースクワット




私も近頃はダイエットのためにスクワットをやっているのですが、一向に痩せる気配がありません…。
成果が目に見えるようにと、巻き尺であちらこちらのサイズを測って、みるみる数値が減っていくさまを観察しようと思ったのに、ぜんぜん減っていかないのですが……どうなっているんだ~!


うーむ、筋肉がついたためにサイズが変わらないのだと信じたい。しかし、ほっそりと引き締めようと思って始めた筋トレなのになぁ。なんだかなぁ。つーか、まあ、まだ成果が上がるには早すぎるのだな。めげずに頑張ろう…。



『女王陛下の007』

2009年06月13日 | 映像


監督:ピーター・ハント
出演者:ジョージ・レーゼンビー/ダイアナ・リグ

1969年 イギリス



007シリーズのなかでは異色の作品らしいという噂をきいていた『女王陛下の007』を観てみました。ふーむ。なるほどたしかに他の作品と比べると、少し違った感触です。しかし、こちらの方は原作に忠実なんだそうですよ。へー。

この映画で何が一番面白かったかと言えば、それは衣装とセット! 1969年の製作ですが、やっぱり60年代っていいですねー。お洒落です。

最初のほうのシーンで、どこかのホテルのカジノが出てくるのですが、ここの内装がとっても素敵。鮮やかな紫色の壁に沿って弧を描いて下りてくる白い階段。紫の壁紙に白い階段って……素敵過ぎ!
また、ホテルの客室のドアが、これまた白くて厚みのあるドアで、上部は円くなっている素敵なもの。こんなホテルに泊まりたいものです。

途中でボンドが書類を盗み見にいく法律事務所もかなり格好良い建物でした。床とかエレベータのデザインがいいですね。この建物は実際に存在するホテルだという話ですが。いいなあ。

そしてスイスの山のてっぺんにある研究所がまた凄い。ガラス張りの書斎の向こうに研究室が丸見えになっていたりして、やたらとハイセンス。


それから、綺麗な女性がたくさん登場する本作品ですが、どの女性も着ているものがカラフルでとても可愛らしい。ヒロインのテレサもいちいちお洒落ですが、テレサの父親ドラコと一緒に居る若い女の子(名前は聞き取れなかった)が最初に着ていた紫(またしても紫)のミニ丈フレアーのドレスが異常に素敵でした。それから法律事務所の場面で、ロビーを歩いていく女性が、その日は雨なので雨の日らしい服装をしているのですが、これがまたお洒落。膝上丈のコートにロングブーツ。はあ~~。目の保養ですね。


私はついついこんなところにばかり注目してしまいましたが、本編もかなり良く出来た、手に汗握るエンターテイメント性抜群のアクションあり、ドラマチックに盛り上がるロマンスもありの見所の多い良作でした。




「白いお母様」

2009年06月12日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト
ソログープの短篇を収めた3冊



「白いお母様」
ソログープ 昇曙夢訳
(『決定版ロシア文学全集29』(日本ブック・クラブ)所収)



《あらすじ》
サクサウーロフは、かなわなかった初恋に義理立てし、また生活に何の不自由もないことから独身を通している。白いライラックの花が、死んでしまったタマーラの思い出を呼び起こし、彼女はサクサウーロフの夢のなかへやってくる。復活祭の日に出会った小さな男の子にも、不思議とタマーラの面影を見いだすのだが……。


《この一文》
“『自分が買って来たということに何も意味があるんじゃない。ただこの花を買おうと思ったこと、それを今忘れていたということに暗示があるんだ。』”




ソログープの「白いお母様」を読みました。タイトルがとても美しいので以前から読んでみたかった作品でしたが、ソログープと言えば、読むごとに遣る瀬無い厭世観に覆われて、もういっそ死んでしまいたい! と底なしに気持ちが沈んでしまう人ではなかったかしら…という記憶があったのですが、とりあえず読んでみました。

驚いたことに、私が抱いていたイメージとは裏腹に、この「白いお母様」はたいへんに優しく美しく、温もりのあるお話でした。あれ? 救いがたく暗い作品ばかりというのは私の思い違いだったのかしら。えーと、たしかソログープの「光と影」があの本に収められていたはず……(読み返し)……ぐはっ!! やっぱ死にたくなる……(/o\;)...! 影絵の狂気がひしひしと……うわ~~……く、暗いな。
えーと、もう一個「死の刺」というのが入っている本も持っていたよな。なんかタイトルからして既にあれだけど…(ちらっと読み返し)……そうだ、男の子が水に飛び込んじゃうやつだっけ。……やっぱ死にたく(以下略。

という感じで、これまでに読んだ2篇はとても美しいながらも破滅的で、私の心を限りなく凹ませたのですが、この「白いお母様」はまったく異なった感触のお話でした。たしかにこの世ならぬ美しいものへの憧れを感じさせてくれるところでは共通点がありますが、読後感がまるで違います。こちらは、現世で生きていくための希望を、この世ならぬ美が、優しく美しく与えてくれます。美しいなあ。

以下、この物語の要約。

サクサウーロフはどうしてだか、世間に対してうんざりとした冷たい気持ちしかありません。財産も十分にあり、家のことをまかせている信頼できる従僕がいて生活に不便もなく、結婚する相手も、その必要性もまったく感じていません。しかしその彼にもただ一度だけ恋をした相手があって、そのタマーラは物静かな美しい人だったのですが、彼から求婚を受けると間もなく、それに応えることなく死んでしまったのでした。
復活祭の日に、祝福の接吻を与える相手として、汚れた大人ではなく純真な子供を探していたサクサウーロフは、レーシャという男の子と出会います。まだごく幼い彼は継母から虐げられており、夢のなかに現れるタマーラや、自分のことを憎からず思っている年頃の娘ワレーリヤの言葉などもあり、結局はサクサウーロフはレーシャを引き取ることになります。

サクサウーロフにとってのタマーラのイメージが、白いライラックの花、というところがとても美しいです。なんて美しいのだろう。そしてサクサウーロフが、ある時から目につくものの中に徴を見いだしていくところも良いです。冷たく退屈だと思われた日常の中にも、美しいものははっきりとその姿を現していて、それを見、それに触れることで、生活は少しずつ変化してゆく……。

とにかく、とても幻想的で美しい、どこまでも美しい物語です。少し、ソログープに対する認識が変わりました。こういう優しいお話も書くんですねー。もっと読みたい。とりあえずは、狂気と邪悪とエロスの悪魔主義ばんざいな長篇として名高い『小悪魔』を読みたいですね!

狂気! 邪悪! なんだかんだ言っても私はこういうのが好きなんです。この世はうんざりだ、もう死にたい…とか言っても私はいつも全然死にそうにないから大丈夫なのです。というか、もうだめだ…破滅だ…とか、そういう気持ちになるのが私にとっての快感で、生きる糧となっているのかも。嫌な奴だなー、まったく。でも改める気はないです! 好きです、滅亡!


あ、なんかせっかく心温まる「白いお母様」の話のはずだったのに、なぜか悪魔主義に傾いてしまった…(/o\;)
しかし、ソログープの作品にある「美しさ」は、私をたしかに惹き付けるところがあるので、『小悪魔』には期待が高まりますね。そのうち借りてこようっと。うふふ~~。





湿気

2009年06月10日 | もやもや日記
じめじめ




そろそろ、梅雨なのでしょうか……。

湿っぽいよう
じめじめして気持ち悪いよう
なんだか頭もぼんやりして、いまいち働かないような…って、それは別にいつものことか。大丈夫だわ、ほっ。




というわけで、気晴らしに、大量の絵文字キノコを発生させてみる。
うーむ。湿っぽいね!

キノコと言えば、名作『スーパーマリオブラザーズ』ですが(…唐突に)、あのゲームの何が凄いって、クリボーを踏んだときのあの音! 絶妙な「キノコを踏んづけた感」! モフっていうような、クポっていうような、とにかくもうキノコを踏みましたよ、としか言えない音ですよね。

クリボーは敵キャラだし何の役にも立たないですが、お役立ちアイテムのキノコはいいですね。ああ、1upキノコが、リアルでも存在すればなぁ~~。もう一回生きられるじゃん。目一杯長生きして、よぼよぼと死の間際まできたとき、懐からさっと1upキノコをとりだし……。未来がどうなっているのか気になるのだわん。

あーでも、今すぐに役に立つならスターのほうがいいか。無敵とか素敵過ぎ。うーん、無敵かぁ……無敵ねぇ……無敵だったらねー……。


そこはかとなく話が湿っぽくなってきたので、今日はこのへんで。
でも、明日もまた雨で湿っぽそうなんですけど……うおー。




『フランス文学19世紀』

2009年06月09日 | 読書日記ーフランス

鈴木信太郎 渡辺一夫共編
(世界短篇文学全集6 集英社)



《収録作品》
*知られざる傑作…バルザック
*チェンチ一族…スタンダール
*ミミ・パンソン…ミュッセ
*シャルル十一世の幻想…メリメ
*死霊の恋…ゴーチエ
*解剖学者ドン・ベサリウス…P・ボレル
*シルヴィ…ネルヴァル
*ラ・ファンファルロ…ボードレール
*アデライード…ゴビノー
*ジュリアン聖人伝…フローベール
*くびかざり/テリエ亭/ジュール叔父さん/シモンのパパ…モーパッサン
*誤解…ドーデー
*ドン・ジュアンの最も美しい恋…ドーヴィイー
*未知の女/断頭台の秘密…リラダン
*パンとシュリンクス…ラフォルグ
*葡萄畑の葡萄作り…ルナール
*クサンティス…サマン
*新しい逸楽…P・ルイス
*黄金仮面の王…シュオッブ


《この一文》
“そんならそれでもいいわ! あんたがたは海王星を発見したのね。見あげたものだわ! 昨夜からわたしはお願いしてるではないの、新しい快楽、幸福の征服、涙に対する勝利を見せて下さいと。それなのに海王星を発見したんですって!”
  ――「新しい悦楽」(P・ルイス)より



19世紀フランス文学。私がいま最も好きなところ。面白いー。今日も面白い、明日も面白い。弾け飛びそう!

『フランス文学19世紀』の短篇を集めたこの本は、どの物語もはずれなく面白いものばかりでした。素晴らしい。私にとって特に収穫だったのは、これまでなんとなく避けてきたバルザックやモーパッサンが、やはりその轟き渡る高名にふさわしく、非常に面白い作家だということが、しみじみよく分かったことでしょうか。特にモーパッサンは凄かったです。フローベールが凄いというのは、ちょっと前に読んだ別の短篇集で判明しました。こうやって私の目を無理なく開かしてくれる【短篇集】というものは、本当にありがたいものです。私は徐々に、理由のない好き嫌いというものから開放されつつあるのです。まあでも、なかなか「名作」に手を出すまでには至っておらぬのですが……


さて、フローベールの「ジュリアン聖人伝」については先日別に記事を書いたので省略するとして、その他に面白かった作品についていくらか感想を書いておこうと思います。

まず、モーパッサン。私はこの人を名前以外はまったく知りませんでしたが、ここに収められた4篇の短篇によって、かなり強い印象を受けました。
どちらかと言うと、この短篇集には幻想的でロマンチックな作品が多く収められているのですが、モーパッサンのこの4つの物語はいずれもとても現実的な、日常のありふれた一風景を扱ったものばかりです。それでもって…

「くびかざり」は、見栄張りな貧乏役人の奥さんが、舞踏会に行くのにアクセサリーが無い!といって、お金持ちの友達にダイヤのネックレスを借り、おかげで素晴らしい舞踏会の夜を過ごしたのだが、帰途、そのネックレスをなくしてしまい……というお話。……モーパッサン!! あなたはなんて底意地が悪いんだ!! と私は読み追えて絶叫してしまいました。トラウマになりそうな、気の遠くなるような結末に、私は一晩へこんで過ごしてしまいました。ああ、気が滅入る。しかし、物語には描かれていないけれど、結末より未来ではこの女の人もちょっとは報われるといいなあ。そうであってほしい!

この人はしかしどんだけ意地悪なんじゃ…と滅入った気持ちのまま次の「テリエ亭」を読みますと、今度は一転して明るく、温かく、優しい感じのお話です。しかし、適度にみじめで悲しい雰囲気も漂わせつつ。これは面白かった。
町の男たちの溜まり場となっている夜のお店を経営するマダムと、そこで働く女たち。たいそう繁盛しているお店が、ある晩はなぜか閉まっていて男たちは大騒ぎ。マダムと女たちは、マダムの姪の聖体拝受のためにマダムの弟が住む田舎へ出かけていったのだった…というお話。マダムのところの女たちが、みな気のいい人ばかりで和みます。

「ジュール叔父さん」は、またしてもちょっぴり後味の悪い読後感です。一族の問題児だったジュール叔父さんが、追い出された先のアメリカで成功を収めたという便りを受け取って以来、家族はみんなでジュール叔父さんの輝かしい帰国の日を待ち望んでいた。しかし…というお話。ジュール叔父さん、可哀想過ぎます! モーパッサン、ひどい!

「シモンのパパ」は、もうモーパッサンは信用できないわ…という気持ちで読み進めましたが、これは地味ながらとても心を打たれる美しい物語でした。父親のいない私生児のシモンは、そのことでクラスメイトからいじめられ、悲しさと悔しさで川のほとりでひとり泣いていたところ……というお話。
何でもないような地味なお話で、結末も想像通りだったのですが、それでもなお素晴らしいと言える物語でした。淡々と進んでいくようでいて、要所要所の切れ味が鋭いのでしょうか、非常に強い印象を残します。モーパッサンって、やっぱ凄いんだなーと認識した次第です。

ゴーチエの「死霊の恋」、ペトリュス・ボレルの「解剖学者ドン・ベサリウス」、ドールヴィイの「ドン・ジュアンの最も美しい恋」、シュオッブの「黄金仮面の王」などは、もう既に何度も読んでいるので、その素晴らしい面白さについてはあらためて言うまでもありません。面白いんです、もう無茶苦茶に。何度も読み返すレベル。

それから、「新しい逸楽」のピエール・ルイスという人は、たぶんここで初めて読みましたが、素晴らしく、いかにも私の好きそうな面白いお話でした。楽しさで言うと、この短篇集のなかではダントツに楽しかった! この間合いがたまらなく気持ちいい!
ある晩のこと、「わたし」のもとに素晴らしく美しい見知らぬ女がたずねてくる。女はラミアの娘カリストーと名乗り、千八百年ぶりによみがえり、夜のほんの短い間だけこの世を歩き回り、人類がいったいこの長い年月の間に何を発見したのかを探っていると言うのだが…というお話。素晴らしい完成度! 異常に面白い! ばんざい!
この人のその他の作品は、私は恥ずかしながらこれまで知りませんでしたが、今でも翻訳がいくつか読めるみたいなので、さっそく探してみようと思います。面白いなー、これは面白かった。大収穫です!



というわけで、私はフランス小説が好きでたまりません。特に19世紀から20世紀前半にかけては、私にとっての黄金時代です。このころの作品を集めた短篇集をいくつか持っているのですが、どれもこれも信じられないくらいに面白いので、たいがいは一気に読んでしまいますね。どうしてこんなに面白いのかしら……はあ、うっとり。





『サムライチャンプルー』

2009年06月08日 | 映像(アニメーション)


《あらすじ》
「ひまわりのにおいのするお侍さん」を探すフウは、ムゲン、ジンとともに旅をする。




『カウボーイ・ビバップ』の渡辺信一郎氏の監督による、一応江戸時代を舞台としたアニメ。でも、ところどころにヒップホップな感じの音楽やファッションが出てきたり、会話中にも平気でカタカナ英語が出てきたりするので、そのへんがとても自由な設定で楽しい作品です。スピード感のある映像も見応えがありました。オープニングが好き。お洒落です。

全26話。

最初はどうかなーという感じで観ていたのですが、あとからじわじわくる面白さのある作品でした。それに、先へ進むほど物語の質が上がっていったような気がします。最初の数話は予定調和な展開が多かったようでしたが、最後の方では先が見えなくて、ハラハラさせられました。

キャラクターについても、観ていくにつれて愛着が増していくのか、当初感じていた取っ付きにくさのようなものは次第になくなりました。3人の、なんだかんだで、あまり干渉し合わないクールな関係もよかったですし。

フウとムゲンとジンは、実は一緒に行く理由が特にないのにもかかわらず、ムゲンとジンなどは常にいがみ合う関係ながらも、なぜか延々と3人で連れ立って旅を続けます。で、最後の最後まで、お互いがどういう人物なのかよく知らず、わりと淡白な関係のまま目的地まで来てしまうんですね。この淡白さと、付かず離れずな感じは、私は結構気に入りました。こういうのって、いいですよ。

終わり方も、たぶんあれで良かったのでしょうね。ある意味すがすがしい。



ものすごくバカバカしいお話と大真面目なお話が混在していますが、バカらしいほうの話で気に入ったのは、何話目か忘れましたが「うな丼大食い大会」の話。異人が出てくるやつ。結構最初の方の話だったかと。大食らいのフウが目一杯食べた後、容貌が激変するのが、なんだかもうやたらと笑えました。

それにつけても、ジンの格好良いことよ。クールで間抜け、強くて優しい眼鏡の男。あの手のキャラクターに滅法弱い私……。



うーむ。やっぱり地味に面白かった。このじわじわ感がいいんですね、たぶん。