半透明記録

もやもや日記

お知らせ

『ツルバミ』YUKIDOKE vol.2 始めました /【詳しくはこちらからどうぞ!】→→*『ツルバミ』参加者募集のお知らせ(9/13) / *業務連絡用 掲示板をつくりました(9/21)→→ yukidoke_BBS/

「犬の話」

2009年06月17日 | 読書日記―エレンブルグ


エレンブルグ 木村浩訳
(『現代ソヴィエト18人集2』新潮社 所収)



《内容》
エレンブルグが《青春(ユーノスチ)》の若い読者に語る、犬に関する愛情にあふれた話。

《この一文》
“かれはアベックを嫌った。連中はあまりに自分たちの愛情にかかずらっているからであった。ブーズー一世はアベックを感動させるわけにはいかないと、はじめからさじを投げていた。かれは肉の皿を食べている、独りぼっちの客を見つけると、特別な愛情をみせながら、相手にじゃれついた。やさしい客はビーフステーキの切れはしを投げてよこした。十五分もしてだめな場合には、仲間の犬を呼んだ。仲間の犬はナシを食べたが、ブーズー一世は果物が嫌いだった。私がかれを連れてモンパルナスへ散歩にでかけると、かれは先にたってカフェにたちより、サンドイッチを作っているスタンドに近づき、素早く、サーカスのような芸当をはじめるのだった。一切れのハムにありつくと、すぐ表へとびだし、《おそいですね?》といった顔つきをしながら、私を待っている振りをするのだった。”




エレンブルグの最晩年の一編だそうです。自分が飼っていた犬、家族や友人の飼っていた犬、すれ違っただけの犬、彼の人生に関わったさまざまな犬たちのお話。犬に対する深い愛情に満ちていて感動的です。

いろいろな性質と性格をもった犬が紹介されますが、もっとも印象的だったのは、上にも引用しましたが、エレンブルグの飼い犬ブーズー1世。スコッチテリアとスパニョールの混血。ものすごい自惚れ屋。…だめだ、すでにこれだけで笑えます。テリアって、ひげのおじさんみたいな容貌の犬ですよね。ぬいぐるみみたいな感じの。

短いながらも多くの犬たちのエピソードが満載されていますが、ブーズー1世のほかには、複数の主人のもとを渡り歩き、ときには電車に乗って遠方の主人のところまで移動する犬の話も面白かったです。色々な犬がいるものです。


私はエレンブルグの初期の小説にまず打ちのめされたのですが、晩年のエッセイなんかも面白くて好きですね。まだあまり読んではいないのですが…。好きすぎるともったいなくて読めなくなるのが私の欠点なのですね。

しかしこの人の文章は、正直に告白すると、私にはいったい何を言っているのかさっぱり理解できないところが多々あります。「このくらいは言わなくても当然わかるだろう」ということなのかもしれませんが、行間に込められたものが皮肉なのかユーモアなのか、それとも何でもないのか、どうも判断できません。でも、それでも面白い。いつかは読みこなしたい! と燃え上がるものを抑えられません。

それでもって、どこか泣きたくなるような気持ちにもなります。これはどうしてなんだろうなあ。はっきりと分かりませんけれど、この人の書くものには、なにか独特の雰囲気があるようです。淡々とした文章の中には、弾けるようなユーモアと同時に痛烈な皮肉が、みじめで哀れで残酷、容赦ない描写の中には深い憐れみと優しい愛情があったりするんですね、たぶん。とにかく、私はこの人が好きでたまらない。


犬、そしてテリア犬と言うと、私が田舎に帰省したとき、実家にもいました。灰色の巻き毛の小さな分別臭い顔をしたおじさん犬が。割とおとなしいけど、挙動がいちいち面白い犬です。食い意地が張っていて、家族の見ていないところでテーブルの上の塩鮭を盗み食いして、しかもそれが辛かったらしく水をごくごく飲み干し、さらに盗みの濡れ衣を父に着せて平然としていました。それを思い出しました。

内田百先生の『ノラや』も久々に読みたいな。あれは猫の話ですが。でも、クルツの話では泣いちゃうからなぁ…。

犬や猫、ともに暮らす身近な動物についてのエッセーというのは面白いです。そこには特殊な愛情が、いえ、これこそを愛情というべき美しい感情の流れが記されているから。



このエレンブルグの短い一篇を読むためだけに、【ソヴィエト18人集】シリーズ4冊をまとめて購入してしまった私……。いえ、ほかのも読みますよ、いつか……知らない人ばかりだけど、18人のうちはっきりその人と分かるのは2人だけだけど、いつかは。私が知っているエレンブルグともうひとり、ザミャーチンの「島の人々」だけはすぐにでも読みたいところです。