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『書痴談義』

2009年06月18日 | 読書日記ーフランス

P・ルイス/O・ユザンヌ/G・デュアメル/L.G.ブロックマン
生田耕作編訳(白水社)



《収録作品》
*書庫の幻…P・ルイス
*シジスモンの遺産…O・ユザンヌ
*書痴談義…G・デュアメル
*アルドゥス版殺人事件…L.G.ブロックマン

《この一文》
“しかし、それがなんの役に立ちましょう? 人間の一生はみな同じように平たく圧し潰されます。たとえどのようなものであれ、あなたの一生もやはり《人生》を越えられません……
 ――「書庫の幻」(P・ルイス)より ”

“「無数のクールタンが生まれ出ては滅びるだろう。それでもこの宇宙を支配する遠心力は止められない。どんな蒐集もいつかは散らばるのだ」
 ――「書痴談義」(デュアメル)より ”



どうしたらよいのか分からないほどに面白かったです。この感情のたかぶりをいったいどう表現したものでしょうか――。



書庫の幻…P・ルイス

先日「新しい逸楽」という短篇によってはじめて知ったピエール・ルイス。この人の作品を読みたくて借りてきた本書ですが、この「書庫の幻」も完璧な作品でした。あまりにも私の魂にぴったりとくる作風に、やはりこの人は私の運命の人に違いないことを確信します。私にはほかにも多くの運命の人がいますが、彼らのすべてが既に魂の一部だけを地上に残して去った人々であることを考えれば、さらに愛情や熱狂的崇拝はただひとりの人だけに捧げるべきものでは必ずしもないことをも考えあわせれば、これは浮気でも何でもないと言えましょう。しかし、この作品の、なんという素晴らしさ!

家族からの愛情を一身に受け、十二歳の今日までただの一日たりとも一人っきりで放置されることのなかった少女シール。ところがこの日は、父母も小間使いも家庭教師でさえも出かけてしまって、広い家のなかに二時間ばかりのあいだ、シールはたったひとりで取り残される。心細さを感じつつも、シールはこの機会をとらえて、普段は出入りを禁じられている最上階の書庫へ入り、そこで巨大な一冊の本を取り出し、こっそりと開いてみると、書物のあいだから現れた聖女さまが、三つだけ、彼女の質問に答えてくれるという……というお話。


もう死んでしまうかと思いました。ごく、ごく短い物語ではありますが、私自身の人生観がはっきりとこの物語のなかにも読めてしまって、そのあまりの一致、一体感にしばらくは声も出ませんでした。人生を常に思い迷っている人間にとっては、かなりの衝撃をもたらす短篇ではないでしょうか。

少女シールは無断で書庫へ入ったことで、あとで父から叱られます。しかし、彼女の「私の人生とは?」という問いに聖女が答えて言った内容を父に告げると、彼はどうにか微笑を浮かべようと甲斐のない努力をしながら、青ざめた顔でシールに言って聞かすのです――「人生は美しい…人生は楽しい…人生は……」

私はシールでもあり、彼女の父でもある自分をここに発見します。人生とは、幸福とは何かということを知りたくて、追い求め、追いすがりますがいつも追いつけず、失望のなかで「世界は美しい…人生もまたいくらかは美しいはずだ」と唱えては、どうにかここまでやってきたのではなかったでしょうか。信仰心とも言えるほどの強さでこの考えを掲げ、ぎゅっと固く目を瞑って、暗がりの中に星の輝きを認めたつもりで、しかし一方では常に「だがいったい何のために? これはいったい何のために?」とおののきながら、私はそうやって人生をここまで引き摺ってきたのではなかったでしょうか。

我が身を、私のこの人生というものと照らし合わせると、心は相当に揺さぶられてしまう物語ですが、しかしこのお話はたしかに美しいものです。私の人生がどうであろうと、この物語は美しい。私にはそのことのほうが重要に思えます。私の魂のなかにも存在するだろうものを、美しく取り出してくれる人が、作品がある。美しいものとの出会いの歓びは、甲斐のないみじめなこの人生に対する悲しみや虚しさを凌駕します。私はこの瞬間だけは、そのことを忘れてしまえます。

物語のなかで聖女さまは「《人生》を越えられない」とおっしゃいますが、もしかすると越えられるのでは? ほんの一瞬だけなら、周囲をほんの少しだけ照らし出すマッチの炎くらいささやかなものだとしても、あるだけのマッチを擦ったらいいんじゃないだろうか。ずっと続く暗闇の合間に、わずかなあいだだけでも、たとえばこの物語やあの物語のように自分の想像を絶する美しいものを目にし、それに満足して、そうやって生きてもいいんじゃないだろうか。このときばかりは私は別の誰かの魂と一体となって、自分の人生を越えているとは言えないだろうか。……言えなくてもいい。たしかなものなど何一つ手に入らなくても。どのみち甲斐もなく終わりをむかえるものならば、夢見るように生きて、そのまま滅びたい。

そんなことを、とめどなく思ってしまう、とても印象的なお話でした。ピエール・ルイスを、もっと読むつもりです。



シジスモンの遺産…O・ユザンヌ

これは、「本」という物体に愛着を感じ、それを集めることに喜びを感じるタイプの人にとっては、それはそれは共感と恐怖を得られる作品かと。
稀少本を手に入れたい場面で、ライバルが自分を差し置いてそれを手に入れた場合、「畜生、死ね!」と思わない人はいないかもしれません。私もそう思ったことがあります。

憎きライバルが死んでその蔵書を狙っていたら、遺産相続人によってその入手を阻まれるばかりか、本そのものに憎悪を抱くその相続人によって貴重な蔵書が過酷な環境にさらされることになり、それを黙って見ていられない男との壮絶な攻防戦が繰り広げられる…というお話。

これはかなり面白かったです。本の装丁などに愛着を感じる人は、きっと落ち着いて読むことは出来ませんね。結末などはもう絶叫ものです。ひどい!!


書痴談義…G・デュアメル

デュアメルというと『真夜中の告白』を読んだことがあります。読むそばからたちまち内容を忘れてしまう物忘れの激しい私ですが、『真夜中の告白』はおぼろげに覚えています。会社の偉い人の耳を、なんでだか分からないけれど触ってしまったことでクビになった男の話でした。お母さんと婚約者だか近所に住んでるだけだったか忘れたけど若い女の子が、一生懸命縫い物だかをしている場面が記憶にあります。ま、でも覚えているのはそれだけで、おおよそ忘れています……私ときたらもう。

この「書痴談義」は、蒐集家のクールタン氏が、蒐集を始めた頃から、次第に熱中して、最後は蒐集し尽くして、その都度まるで人が変わったようになっていくさまを描いた作品。

これも相当に面白かったです。デュアメルもいいですね。もっと読みたいなあ。『真夜中の告白』は《サラヴァンの生活と冒険》という連作小説のなかの1篇だそうなので、他のも読んでみたい。しかし、図書館にはなかった……! 買えってことですね? ああ、私はクールタン氏と違い、本そのものよりもその中身により愛情を掻き立てられる方ですが、無闇に集めたくなるその気持ちは、分からないこともないどころの話ではないのでした。


アルドゥス版殺人事件…L.G.ブロックマン

これは一応推理小説らしいです。フランスの作家ばかりのところへ、この人だけはアメリカ人らしい。でも舞台はフランス。

貴重な本の競売を明日に控えた館で人が死にます。

……しかし、どこが推理小説なの? いや、事件が起こってそれが解決するんだから一応は推理小説なんだろうけど、でもあまり推理してなくない? 事件が起こるなり、すぐに解決篇だし; でもこのあっさり感は嫌いじゃないですね。




本文ページにはすべて美麗な飾り枠がつけられた、なかなか凝ったつくりの本です。これは借りてきたものなのですが、ぜひ手もとに置いておきたい! と転げ回る羽目となった一冊。ああ~、思うつぼです。しかし本の魔力というのは本当に侮れないものなのですね……