半透明記録

もやもや日記

お知らせ

『ツルバミ』YUKIDOKE vol.2 始めました /【詳しくはこちらからどうぞ!】→→*『ツルバミ』参加者募集のお知らせ(9/13) / *業務連絡用 掲示板をつくりました(9/21)→→ yukidoke_BBS/

金木犀のひみつ

2006年10月13日 | もやもや日記
近所の公園に植わっている、ちょっと大きい金木犀を撮影してきました。だいぶ香りが弱まってきていましたが、それでも近づくとまだまだ良い香りが漂っています。すがすがしいー。

ドッペルさんが「金木犀は実がなるんでしょうか?」とおっしゃっていたので、私もはたと気が付きました。そう言えば、実がなっているところを見たことがない……。いままでそんなことを思いもしなかったのが不思議です。

それで、気になって、ちょっと調べてみたところ、金木犀には雄株と雌株があるんだそうです。そして、原産は中国で、日本に輸入されるときには雄株しか入ってこなかったために、国内では結実することはまずない、という説が有力でした。へ~、知らなかったなー。どんな実がなるのか見てみたいところです。

ついでに、白い花をつける銀木犀というものもありますが、私はこれは柊と同じものと思っていましたが、厳密には違うらしい。両者とも同じ木犀の仲間なのには違いないそうですが、ちょっと違うそうです。銀木犀と柊をかけあわせた「柊木犀」というのもあるらしい。3つはいずれも白い花をつけますが、葉っぱのギザギザ度で判別できます。よりギザギザなのが柊とのこと。ふうん。そうだったのか。ちなみに私はこの銀木犀のほうも好きです。金木犀に比べると香りは弱いですが、それでもやはり良い香りです。


私は昔、玄関を出て、右側に金木犀を、左側に銀木犀を植えた家で育ちました。そんな対称的なつくりには今でも憧れます。

金木犀

2006年10月12日 | もやもや日記
窓を開けると、どこかで咲いている金木犀の香りが漂ってきます。うちは5階だというのに、すごい。そして、一番近くに植わっている金木犀まででも、30mくらいの距離があるというのに、すごい。

私は金木犀が大好きなんですけれど、あの香りって、ちょっとミカンの皮のにおいにも似ていると思うんですが、どうでしょう。色も近いし。

『ボウリング・フォー・コロンバイン』

2006年10月11日 | 映像
監督・脚本・主演:マイケル・ムーア

《内容》
1999年4月20日、アメリカ合衆国は普段通りの穏やかな朝を迎えた。人々は仕事に励み、大統領は国民が名前さえ知らない国に爆弾を落とし、コロラド州の小さな町では2人の少年が朝6時からボウリングに興じている。何の変哲もない予定調和な1日のはじまり…。このあと、2人のボウリング少年が悲劇的事件を起こそうとは、いったい誰が予想しただろう。
 「ボウリング・フォー・コロンバイン」オフィシャルHPより



昨晩、核兵器と原子力をめぐって、ちょっとした議論になりました。原子力に関しては、私は相手の意見にほとんど反論がなかったので、それを議論と呼べるかどうかは分かりませんが。とりあえず、私がなんとなく納得できたのは、人間にはもっとエネルギーが必要であること。そしてそれを得るための研究やその目的自体は、必ずしも破壊を前提としたものでなく、むしろ世の中をより安全に、より効率良くしたいというところから始まることが多いということ。いちど手に入れた力を放棄することは難しいということ。その力を知る以前に戻ることは難しいということ。どんどんジャブジャブと電気を使っている奴が、他に有効な代案も出さずに、あるいは電力不足になっても構わないから、とにかく原子力発電を止めろと言うことが本当にできるのか。
核兵器に関しては、やや意見が対立しましたが、多くの国々が核を持ち合うことでそれが抑止力として働いてきたという事実があることには納得しました。こんなものは作られなければ良かったのにと思って仕方がありませんが、あのとき作られなかったとしてもいずれ誰かが作っただろうということにも納得しました。しかし、この感情はなんなのだ。
あるものの良い面と悪い面。問題は、それをどう扱うのかということである。それにかかっている。凶器になる、と言い出したら、多分キリがない。果物ナイフだって危ないし、鉛筆やもしかしたらハンカチとかバナナとか何かほかの思いもよらないものだってすごく危ないかもしれない。だからといって、全ての果物を皮ごと食えるのか、いかなる場合にも鉛筆を使わないで済ませられるのか。たぶん、そういうことじゃないんだろうと思います。生み出したものをどう使うか。やはりそれは人間の理性にかかっているはずです。でもそれが分かっていて、じゃあ、どうして出来ないのか…。そんなことを考えて、この映画を見てみようと思った次第です。

さて、銃というのは、狩猟に用いる場合には、非常に有効な道具であります。斧や弓矢だけではなかなか獲物を得られません。その反面、銃というのは、その威力のために、その気になればある動物を絶滅させるくらいのことはできますし、それを人間に対して使用するならば、こともなげに殺傷することもできます。年間に1万人以上が銃によって死んでいるというアメリカ。どうしてそうなのか。ムーアさんのやり方で、この問題が検証されていきます。暴力的な映像や音楽が氾濫しているからか。貧困や人種差別のせいか。それとも、そのへんで誰でも気軽に銃を入手できて、それが国中に溢れかえっているからなのか。

突撃インタビューのなかでも、マリリン・マンソンさんのコメントが特に印象的でした。コロンバイン高校の乱射事件を起こした少年たちが好んで聴いていたというだけで「元凶」とみなされたマンソンさんは、非常に冷静に自分の置かれた状況やそうなった原因などについて分析していました。そして、アメリカの社会がどういう状況なのかについても、非常に鋭いことをおっしゃっていました。「恐怖と消費」。鋭い。そして「もし事件を起こした少年たちと会って話せるとしたら?」という問いに対して「ただ話を聞いてあげる。たぶん誰も聞いてあげられなかったんだろうから」と答えていました。普通に優しそうな人でした。見た目だけで単純に人を判断してはいけません。もちろん、この映画だって、ある意図にもとづいて構成されているわけですから、ここで誰がどんなことを言ったということだけで全ての正確な情報を得たと思ってはいけませんけれど。でもとりあえず、一理あると思えました。

恐怖ということが問題であるというのは、たしかにそういう面があると思います。自分以外の人間を信用しなければ、いつ何をされるか分からないと言って脅える気持ちはわかります。私が家に鍵をかけるのだって、なにかの勧誘の人や泥棒に勝手に入ってこられないようにするためです。物を盗られるだけならまだしも、身体に傷を負わされることもあるかもしれないからです。そして、大乱闘になり、あり得ないかもしれませんが、私のほうが逆に相手を返り討ちにして重傷を負わせてしまうこともあるかもしれません。実際にそんな目にあったことは、いまのところ幸いにもありませんが、それでも恐ろしいのです。

こうやって自分のことをあらためて少し見直してみると、私もやはり喪失することや暴力に対する恐怖と欲望のとりこになっているところがあると言わざるをえません。たしかに、色々な情報に煽られているところはあるかもしれません。でも、用心にこしたことはないと思ってしまいます。そもそも大したものは持ってさえいないのに、どうしてここまで恐れるのか。暴力はたしかに恐ろしいけれど、その暴力に対して、暴力で対抗するしかないというのは本当だろうか。どうしたら、いいんだろう。

びびっているときに不足するもののひとつは、たぶん分別ではないかと思います。むやみに怖がる前に、しっかり目と耳を開いて、恐怖の対象と向き合い、話し合いによって解決する可能性が本当に全く無いのかどうかを冷静に考えなければなりません。問答無用で「やられるまえにやる」というのは、やはりどこかおかしい。しかも「まだやられてもいないし、やられるかどうかもわからないのに、やる」ということになると、もう常軌を逸していると言わざるをえません。また、「やられるのが嫌だから、見て見ぬふり」というのもどうでしょうか。なんの解決にもなりません。
ところで、カナダでは家に鍵をかけないんだそうです。攻撃するまえに、どうして話し合わないのかが、そもそも不思議なんだそうです。そういう考えもあるということくらいは知っておきたいと私は痛切に感じます。

銃なんて、日本に住む限りは関係ないし…などと言っていられないような問題をはらんだ作品でした。簡単に答えが出なくても考えるくらいはしたい。びびっているだけでは、いつまでも乗り越えられないだろうから。

『ロシア・ソビエトSF傑作集(上)』

2006年10月10日 | 読書日記ーロシア/ソヴィエト
オドエフスキー他 深見 弾訳

《内容》
長い伝統を誇るロシアSF。本書はその代表作を年代順に編纂した画期的アンソロジーである。この上巻には革命前ロシア時代を代表する作品を収録した。ロシアSFの出発点とされる、オドエフスキーの未来小説「四三三八年」をはじめ、クプリーンの描くウェルズ風の異色作「液体太陽」など5編に加えて、巻末には訳者による詳細な論攷「ロシア・ソビエトSFの系譜」を併録。

《収録作品》
四三三八年(オドエフスキー)/宇宙空間の旅(モロゾフ)/液体太陽(クプリーン)/技師メンニ(ボグダーノフ)/生き返らせないでくれ(ブリューソフ)/ロシア・ソビエトSFの系譜(深見弾)

《この一文》
”「はたして人類に、その思想が真実であることをやめさせるようなことができるだろうか? 人類が認めたがらないからといって、それに従うことを拒否したからといって、そのことで思想が苦しむだろうか? たとえ人類が消滅しても、真実は、そのまま真実として残るのだ。だめだ、思想を卑しめることはできん! 思想にいたる道を見つけるには努力が必要であるし、その偉大さを実現するには、しばしば荒っぽい労働が必要だ。だがその手段は、思想の高邁な本質とは無限のへだだりがある」 
  --「技師メンニ」より ”


先に下巻を読んでしまったのですが、どうやらこのセットに収録された作品は年代順に並んでいたらしい…。そうだったのか…。どちらにせよ、2巻を読んでみて思うことは、さすがに「傑作集」というだけはある傑作ぞろいでした。すごい。面白かったです。

私がとくに気に入った、というか、衝撃だったのは、ボグダーノフの「技師メンニ」。上巻に収録された作品の中でもとりわけ分量の多い作品です。最初は正直に言って、眠かったです。ところが、途中から突然ドラマチックになり、最後には私は涙を禁じ得ませんでした。
これは、火星における人類の歴史を振り返るという体裁で、ある英雄「技師メンニ」の生涯を物語っています。これが非常にドラマチックなのであります。物語全体としては、とにかく思想や労働についての議論の部分が多く、私には不勉強のために分からないところのほうが多かったのですが、それでも面白かったです。とりあえず、いまのところ私には、この物語は、人類が思想を掲げ、失敗や挫折、生と死を繰り返しながら、それでもとにかく前進しようとし、結果的には滅びる運命を避けられないとしても、それさえも宇宙の歴史になんらかの貢献となるはずだ、という熱いメッセージがあふれているように感じました。上に挙げた他にも名言多数。とても引用しきれません。とにかく、面白い。非常に面白いです。
しかし、いかんせん恥ずべき知識の不足のために読み違えているところもあるような気もするので、いずれまた読み返そうと思います。ちなみに紹介文によると、作者自身はかなり凄い人らしい。自分で設立した輸血研究所で体内の血液をそっくり入れ替えるという実験中に亡くなったらしい。理論を実践する人だったのでしょうか。熱いぜ。
たった2作しかないこの人の作品のもうひとつ『火星の星』は『赤い星』として邦訳があるそうなので、ぜひとも読みたいところです。

他にオドエフスキーの「四三三八年」も面白い。発表されたのが1840年ということを考えると、物語で描かれたロシア像は、かなりSF的です。とにかく、クリスタルとか、光輝くドレスとか、ロマンチックな小道具が満載です。このへんが面白かったです。そして、この時代には(四三三八年という未来を旅するという物語です)「ドイツ人」というのがなんのことを意味しているのか分からなくなっていたり、アメリカはとにかく野蛮なだけの国で、中国は文化的に未熟な歴史の浅い国として描かれていたりするのが面白い。栄えているのはロシアだけなんです。でも、そのロシアもなんだかおかしな国として描かれています。短いけれど、なかなか印象的な作品でした。

それからモロゾフの「宇宙空間の旅」。この作者は皇帝暗殺計画に参加したかどで25年間も投獄されていて(なにかにつけて投獄されている人が多い)、この作品も獄中で書かれたそうです。月面を探査するという物語で、月のクレーターは隕石が衝突したものであるということを推論しています。そのあたりが凄いんだそうです。たしかに凄い。獄中にいても学問をおろそかにしないその高い志には感動しました。というか、「技師メンニ」でも、メンニは獄中で勉強していました。もうとにかくそういう人って現実に本当に多かったのかもなー、としみじみします。

クプリーンの「液体太陽」は、かなり面白かったです。いかにもSFという感じです。はらはらさせてくれます。ちょっと物悲しいトーンで語られているのが、また良い感じです。太陽光線を液状化して保存しようという、スケールの大きい話です。そして、手に余るほどのエネルギーを得た人間の責任という問題を追求しています。興味深いです。

「生き返らせないでくれ」は、ごく短い作品ながら、ユーモアもあって、印象的です。なんとなく、ストルガツキイの「月曜日は土曜日にはじまる」に似た感触です。グロテスクなユーモアとでも言いましょうか。魔術研究所が登場するところが似てるだけかもしれませんが、面白かったです。


というわけで、上下巻とも読みごたえがあり、はずれなしの傑作集でした。ロシアSFの入門書としては、たしかに必携と言えましょう。

大阪市立科学館 プラネタリウム

2006年10月08日 | 学習
昨日、中之島にある大阪市立科学館のプラネタリウムを見に行ってきました。

ここのプラネタリウムの特徴は、直径26.5Mという世界第5位の大きさを誇るドーム型スクリーンと、新しくなったばかりの投影機、などなど。背もたれが後方に沈み、ドーム全面を見渡せるようになっている座席に腰をおろし、ドームの前面を見ていると、開演時刻となり、ついにスクリーンに文字が投影されました。

 *星のまたたきかたがリアル!

 *いすはフランス製!
  座り心地はいかがですか……?

そうかー、フランス製なんですか。寝てしまいそうなくらいに気持ちがいいですよ。と、ツッコミたい気持ちを我慢して、軽く受け流します。そんな感じでしばらく宣伝の文句が執拗に画面に映し出されていましたが、とうとうこの日のプログラムが始まりました。定員は300名。上映時間は45分。この回では、200席くらいが埋まっていました。

この日の大阪は満月だそうです。その前の日はお月見の日でしたが、満月ではなかったのですね。そういうこともあるんだそうです。中之島の科学館から見た大阪の空を、まず太陽が西へと沈み、東から丸い月が昇ってきました。星もちらほらと見えます。しばらく、月の模様がどう見えるか(うさぎ、かに、吼えるライオン、本を読む女の人、などなど)についての解説があり、そのあとは星座についてです。

大阪では街の灯りが強過ぎて、星があまり見えません。「では、ちょっと消してみましょう」と言う解説のお兄さんの声で、突然空は星でいっぱいになりました。わー、これは凄い! 暗いとこんなに見えるのかー! もう星だらけです。いつもは明るくて気が付かないだけで、本当は星はこんなにもたくさん輝いているということを知り、真剣に感動します。昔の人が夜空を見上げて、星座なんかを生み出した気持ちも分かるというものです。もしも夜が今でも暗かったならば、我々は毎晩、この地球が宇宙のただなかにあるのだということを実感して生きていくことができるかもしれません。プラネタリウムという人工の空間のなかでそれを実感するというのは、そこまで進んだ人間の技術はほんとうに凄いことだけれど、なんだか妙な気もしました。なんというか…。

大阪市立科学館

星座の解説のあとは、「ユニバース-はるかなる宇宙の探求」という人類の過去の宇宙観から現在の最新研究までを辿るコンピュータグラフィックスのプログラムが始まります。これがまた凄かった。ドームに貼付いているように見えていた星々が、急に奥行きを持ちます。そしてぐんぐんと地球を離れていって、またすぐに地球へと戻ります。錯覚だと分かっていても、座席ごとぐるぐる動いているようにしか思えません。うおー、目がまわる。そして、太陽系の惑星をめぐる旅が始まりました。火星や木星などがすぐそこを横切っていきます、すげー! 輪っかの中ですよ! 

それから、星の誕生や死、ブラックホールなども見ました。すごいなー、宇宙って。しかし、星ってたくさんあるんだなー。それにしても、このプログラムのBGMがやたらメタルな感じなのが気になるわ…(ちなみにこのプログラムの制作はアメリカ)。しかし、良く出来ています。面白かったです。12月から始まる新しいプログラム「安倍清明の見た星」というのも面白そう。また行きたいです。


夕方からの上映でしたので、帰宅するころには暗くなっていました。ビルとビルの間から、今夜が満月だという美しく明るい本物の丸い月が出ていました。夜空を見上げ、宇宙を思う。人類はそうやって情熱を燃やしつづけ、宇宙は地球を取り囲む壁なんかではなく、もっと広大なものであることを知り、ついには地球を飛び出して外から自分たちの住む球体を見るようになったわけです。そういう現在を生きているというのは恵まれたことですね。夜が明るくても、ときどきは遠い星を探しましょう。それだけで心が広がったように思えます。想像力だけではちょっと…という時には、ほら、プラネタリウムがあります。



秋ですね

2006年10月06日 | もやもや日記
公園のなかを通ったら、金木犀がそろそろ咲きそうでした。うーむ、秋です。気が付いたら、もう10月ではないですか。上の写真のような紅葉(去年の11月ころ富山で撮りました)にはまだはやいですが、もう秋のようです。

秋にはご飯がおいしいので、食べまくっています。この機会に3キロくらい太ろうと思います。夏には可哀相なほどに痩せこけていたらしいのです。特に胸元が干上がったカエルのように哀れっぽいので、もっとがっしりとした感じになるよう筋トレを始めました。テレビで「ほしのあき」さんがつねに胸筋を鍛えていると言ってたので。いえ、べつに張り合おうというわけではないですよ。そんな、滅相もないです。ただ、ジャケットが似合うくらいの胸板が欲しいだけなんです。

この季節には、髪も短くしたくなります。そういうわけで、いま、とても短くなっています。これから寒くなるのに、どうしてなのでしょうか。やたらと短いです。でも、私はやはり短髪が似合うので、もっとはやくに切ってしまえばよかったです。ちなみに、ロシア語では、「超短波」のことを「ウルトラ・コロトコフ」というそうです。こないだ読んだ『ロシア・ソビエトSF傑作集(下)』のなかの短篇に、そういう名前の人が出ていたので、知りました。そういえば、ブルガーコフの『悪魔物語』の主人公もコロトコフと言いました。「コロートキイ」というのは「短い」という意味なんだそうです。で、なにが言いたいのかというと、「短髪」と「短波」は似てるなあ。というだけのことです。脱線しすぎです。


あー、腹減った。

金色の夢と香り

2006年10月03日 | ヒャクボルコと行く
(秋。金色の光。白いあずまや。薔薇。林檎。)


ヒャクボルコ:(目を閉じたまま、つぶやく)
        ………。
        遅いわ…。どうしたのかしら? もうずっとこうして
       待っているのに。

        ちょっと起き上がって、あちらを見渡してみようかしら。
       いいえ、だめね。じっとしていなければ…。

        そう。それに、わたしの喉には林檎のかけらがつまって
       いて苦しいの。ほんとうに苦しいわ。はやく王子さまが来
       てくれないと、たいへんだわ。

        どうしたのかしら? 遅いわね……。


(ヒャクボルコをみつめる二人の人物。)

かえる: ちょっと、この人ったら一体どうしたのかしらね?
    白い箱になんか入っちゃって、お葬式ごっこかしら? 
    あんた、なにか聞いてる? なんの遊びなの?

オネコタン: さあ?

かえる: 全然動かないけど、なんだか面白そうではあるわね。
    それに、ここ、なんだか良い香り。
    あ、あんなでっかい林檎があるわよ!
    (林檎に近寄る)
    ちょっと、見てよ! 一口かじったあとがあるわ!
    いやねえ、この人、食いかけたままで寝てるわよ。
    だらしがないわさ。

オネコタン: わけがわからんな。
       しかし、ヒャクボルコはいつもよりずいぶんと
      青ざめているな。真っ青だぞ。大丈夫だろうか。

かえる: そりゃ、心配ないでしょう。なにせこの人は……。
     それにしても良い香り。
     林檎と、それに薔薇の香りだわね。

オネコタン: ああ、ふたつは親戚だからな。
       黄金の花と果実だ。

かえる: なんの夢を見てるのかしらね。暇だわ。




(ふたたびヒャクボルコ。ついに目を開ける)

ヒャクボルコ:(起き上がり、箱に片足を乗せる)
        来なかったわ…。
        ええ、わかってはいたの。あれはただの物語。
       それにわたしはお姫さまでもないし。それでも

        林檎を喉につまらせて、箱の中に寝てました。
        王子さまの口づけでよみがえるのを夢見て。

        それでわかったの。
       あのお姫さまは最初から王子が来るのを知ってて
       林檎をかじったんだわ。毒がまわらないように、
       かけらは喉のところで止めておいて……。
        すごい執念だわ。だって死にそうに苦しいもの。

        そしてわかったの。
       わたしは最初から王子を待ってはいないことが。
       わたしは、ただ、林檎が食べたかっただけ。
       わたしは、ただ、林檎の夢を見たかっただけ。
       わたしが、待っているのは、ほんとうは……。

        それに、毒のない林檎のかけらなら
        もうとっくに飲み込んでしまったわ。

       (箱から飛び出す)
        さ、残りを食べましょう!
        あら、かえるとオネコタンもいたの?
        ご一緒にいかが?

かえる・オネコタン: やあ、喜んで!


(薔薇の音楽。林檎をかつぎあげ、三人はぐるぐるまわる)


  さあ今のうち うつくしい秋
  のこりはみんな たべておこう

  ゆめをみる ゆめをみた
  もうなんだか わからない

『プラネット・アース 第5集』

2006年10月02日 | 映像
NHKスペシャル


昨日の夜、偶然テレビをつけたら、やってました。『プラネット・アース』が。あれ? 第二シーズンは11月からじゃなかったっけ?(謎の思い込み) しまったーッ、録画予約してないー! と慌てましたが、再放送を期待しつつ、とりあえず観てみました。

うーん、例によって、超美麗映像です。すごいです。感動的です。第5集は「高山 天空の闘い」です。あんな山の高いところで、あんなドラマが繰り広げられていたとは、絶句です。ほとんどファンタジーです。雪の舞い散る山の高いところで、ヤギはなぜか崖っぷちに佇んで遠くを見つめ、雪ひょうはふかふかの長いしっぽを揺らしながら絶壁を下り獲物を追いつめたり捕り逃して失意のうちに巣穴へ帰ったり、巨大なイヌワシは大きなつばさをひろげ3羽ほど並んで滑空し、ツルの群はヒマラヤ越えを断念したり再挑戦で成功したりしています。私の暮している世界とは全然違う世界が展開しています。しかし、これもまた同じ惑星の上でのことなのです。素晴らしいなあ、地球って。なんて美しいんだろう!

と、単純な私などは、完全にNHKの思うつぼです。

このNHKは、超高機能カメラを開発・所有していて、その「ウルトラ・ハイ・スピード・カメラ」はこの『プラネット・アース』シリーズで活用されるだけにとどまらず、驚いたことに野球中継なんかにも使っちゃってます。先月のことですが、偶然NHKの阪神戦中継をみていたら、アナウンサーの方が野球そっちのけでこのカメラの性能を絶賛していて面白かったです。

「このウルトラ・ハイ・スピード・カメラは、なんと1/100万 秒の世界を撮影できますので、肉眼では絶対に見ることのできない映像をお届けできるというわけなのです。(と、そのカメラで撮影した空振りの瞬間映像を見ながら)ここから(ボールがバットに近づき)ここまで(ボールがバットに当らずにすりぬけていく)で、なんと0.2秒! 速いですねー!(おそらく、ボールやバットの動きが「速い」というよりもむしろカメラの撮影速度のことを言っているのだと思われる)」

こんな感じで、最近のNHKはちょっと面白い。なんかちょっと変な気もしますが。

話は逸れましたが、このカメラはほんとにすごい。世界に数台しかないらしい。NHKが宣伝したくなるのもわかります。撮影された映像は、ほんとうに見たことのないような映像なのでした。このまえの放送で見たものの中に、サメが海から飛び上がってまた海に沈むまでの瞬間をスロー再生した映像があるのですが、それが凄かった。(多分、第7集でまたやるはず) 水がまるで水飴のように粘っているように見えます。美しい。

そんなわけで、手放しにおすすめのドキュメンタリーです。NHKにはこれからも、もっとこういうことに力を入れてほしいものです。DVD-BOXもあと少し安価であれば買うのになあ。

とりあえず、第5集の再放送は10月3日深夜0時~(10月4日になりたて)だそうです。