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もやもや日記

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それは確かに美しい

2006年04月05日 | もやもや日記
今年も桜が咲き始めました。この季節になるといつも思うことと言えば、「花はなぜ美しいのか」ということであります。去年も色々と考えましたが、やはりわかりませんでした。

関連記事:「花に色があるのは?」 (asahi.comより)

うむ。花の色が虫や鳥を惹き付けて、受粉を促しているというのは理解できますが、人間が花に惹き付けられる場合、必ずしも受粉までしてやらないわけです。すると、株ごと遠くへ運ばせようと言う魂胆なのでしょうか。ですがその場合には、その花に対して「美しい」とか「珍しい」「役に立つ」「おいしい」といったような価値を見出さねばならなくなります。その花がいずれ果実をつけることになれば、話はわかりやすい。是非とも手元においておこうという気になります。庭でリンゴやミカンがなったら便利です。

しかし、(食べられる)実をつけない花に関しても「美しさ」を感じてしまうというのは、これは一体どういうことでしょうか。特に今が盛りの「ソメイヨシノ」。あれは果実はおいしくない(食ったのかよ、って食いました。サクランボの仲間なのかなーと思って。でも苦かった……しょぼん)ですが、まことに美しい。咲いている花を美しいと思うのみならず、散っているところにさえ美しさを感じるというのは、なんだかもう訳がわかりません。

《仮説その1》その花の「美しさ」というのは、「今年も去年と同じように季節がめぐってきた」ということを確認できる安心感のようなものである

《仮説その2》その実を食べられるとか食べられないとかではなく、人間にとって別の利用法があって、そのことにまだ気が付いてはいないが、なんとなーく感じ取っているだけの状態を「美しさ」であると認識している

《仮説その3》「美しさ」はその花のみに属しているのではなく、それと関連付けられた別の事項とも関わっている。花が咲いて散るのを人生に見立てたりできるほど想像力が逞しい状態にある心の働きがすなわち「美しさ」である

《仮説その4》そもそも「美しさ」ということについて、まださっぱりわかっていない

今、私の中で最も有力なのは、《仮説その4》でしょうか。要するに、考えれば考える程、よくわかりません。見て、それが美しいと思うのならそれでいいじゃないか。ええ、そうなんですけどね……。でも気になる。

とりあえず、私の希望としては、花や空や森や海、旋律や絵画や文章の「美しさ」というものが人間という存在を押し上げるものであればよいです。そして、もしも「美しさ」というものがある種の安定した状態を指すとしたら、人類はつねに強い欲求をもってそれを目指しているという事実が、私を少し慰めるようなのでした。いつか、何もかも美しい世界がやってくるかもしれません。それは、何と言うか、実に………美しい。