国内最大の前方後円墳で、宮内庁が仁徳天皇陵として管理する堺市の大山古墳(5世紀中ごろ)
について、宮内庁がこのほど、戦前の宮内省時代を含めて約100年ぶりに墳丘全体を詳
細に測量して製図し、完成当時の姿を推定したことが分かった。
試算の結果、全長は従来の486㍍より約30㍍大きい
513.3㍍だった可能性があるという。墳丘は後世の
崩落などで形状が変わっている部分があり、担当者
は「成果を墳丘の保全に生かしたい」と話している。
ただ「今回の結果はあくまでも推定。発掘で確定さ
せた数位ではない」とし、公式的な全長は変えない。
2021年度に墳丘全体の地上レーザー測量を実施し、
高精度のデータを収集して新たな測量図を作成した。
その上で築造時には「南朝尺」(1尺が25㌢)と呼ばれ
る尺度が使われたことを踏まえ、墳丘の各部位の幅
や長さ、高さなどの比率を求めて復元を試みた。
倒木などの影響で地中から露出した埴輪の位置情報も参考にした。
その結果、全長は513.3㍍、前方部の最大幅は342.75㍍で、後円部の直径は約284㍍とな
った。 墳頂部以外にも「テラス」と呼ばれる2つの平たんな面が全体に巡る3段築成
とした。
現在の拝所に近い前方部前面などは築造時の様相を残していた。 一方、後円部は幅の細
いテラスが巡り4段築成のようになっていたが、後世の計画的改築と判断。 改変理由
は不明だそうです。
1926~27年に宮内省と帝室林野局によって全体が測量・図化され、全長の根拠とな
ってきたそうです。 歴史をたどると色々とあるんですな~‥勉強が足りませんでした。
について、宮内庁がこのほど、戦前の宮内省時代を含めて約100年ぶりに墳丘全体を詳
細に測量して製図し、完成当時の姿を推定したことが分かった。
試算の結果、全長は従来の486㍍より約30㍍大きい
513.3㍍だった可能性があるという。墳丘は後世の
崩落などで形状が変わっている部分があり、担当者
は「成果を墳丘の保全に生かしたい」と話している。
ただ「今回の結果はあくまでも推定。発掘で確定さ
せた数位ではない」とし、公式的な全長は変えない。
2021年度に墳丘全体の地上レーザー測量を実施し、
高精度のデータを収集して新たな測量図を作成した。
その上で築造時には「南朝尺」(1尺が25㌢)と呼ばれ
る尺度が使われたことを踏まえ、墳丘の各部位の幅
や長さ、高さなどの比率を求めて復元を試みた。
倒木などの影響で地中から露出した埴輪の位置情報も参考にした。
その結果、全長は513.3㍍、前方部の最大幅は342.75㍍で、後円部の直径は約284㍍とな
った。 墳頂部以外にも「テラス」と呼ばれる2つの平たんな面が全体に巡る3段築成
とした。
現在の拝所に近い前方部前面などは築造時の様相を残していた。 一方、後円部は幅の細
いテラスが巡り4段築成のようになっていたが、後世の計画的改築と判断。 改変理由
は不明だそうです。
1926~27年に宮内省と帝室林野局によって全体が測量・図化され、全長の根拠とな
ってきたそうです。 歴史をたどると色々とあるんですな~‥勉強が足りませんでした。