被爆の悲惨さを描いた"故 丸木位里・俊夫妻”の連作絵画「原爆の図」を未来に継承しようと、
修復作業に若い世代が参加したという。 作業は約1年半に及び、「原爆を意識するきっか
けになった」という。 作品は7月、埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」で一般公開
されている。
参加したのは文化財の保存を研究する愛知県立芸術
大(同県長久手市)の非常勤講師、“斎藤さん”。
原爆の図は全15部の群像画です。今年5月末、同
大の文化財保存修復研究所には作品と向き合う斎藤
さんの姿があった。今回修復した第1部「幽霊」は
縦1.8㍍、横3.6㍍のびょうぶ2架で一つの作品とな
っており、皮膚が垂れ下がった“幽霊”の行列が、あの世との境界をさまよう。
斎藤さんは搬入当初から、おぞましさよりも実相を伝える画力に圧倒された。
この日は最後の工程げで、のりを塗り重ねる表情は真剣そのもの。 先輩の指導を受けなが
ら、びょうぶのつなぎ目を紙で覆い、見事に仕上げた。
愛知県美浜町出身の斎藤さんは大学で日本画を専攻し、2015年4月に同研究所に入った。
原爆の図の修復を開始したのは21年12月から。 「(第1部は)丸木夫妻が最初に伝え
たかった情景だと思う。 後世に残す一役を担えて光栄だ」と話す。
原爆を出発点に「暴力」を表現し続けた丸木夫妻。 2人は原爆投下直後の広島に入り、自
らが目撃した惨状を描いた。 原爆被害のほか、被爆した米兵捕虜や朝鮮人への差別を題
材とし、日本人の加害性に焦点を置いたことでも知られる。
被爆者の見方は「本当の風景とは違う」「この通りだった」と別れる一方、報道が制限され
た占領下で検問を免れ、日本全国で原爆のイメージを最初に形成したメディアとしての評
価は高い。
原爆投下から5年後の1950年に発表され、世界各地を巡回した第1部は80年代に掛け
軸から現在の展示形式であるびょうぶに仕立て直された。 記録上、本格的な修復は初め
てで、今回は黄ばみ除去やびょうぶの修理が進められていた。
第1部の修復を大学で担うことは所蔵する丸木美術館たっての希望だったそうだ。 大学で
あれば、作品が若手研究者や学生の目に留まりやすいと考えたためだそうです。 丸木美
術館の学芸員は「作品を未来につなげるプロジェクトでもあった。 (所蔵する)第2部以降
も若い世代に任せたい」と第1部と引き換えに既に搬出されているそうです。
斎藤さんは修復に携わるまで原爆に特別な関心はなく、教科書程度の知識しか持たなかった。
修復を終え、「丸木夫妻が見て感じた『原爆』を受け取った‥。 2人の思いが次の世代
にも伝われば‥‥」と語っている。 大事な体験ご苦労様でした。 第2部の修復も期待
して待っています。
修復作業に若い世代が参加したという。 作業は約1年半に及び、「原爆を意識するきっか
けになった」という。 作品は7月、埼玉県東松山市の「原爆の図丸木美術館」で一般公開
されている。
参加したのは文化財の保存を研究する愛知県立芸術
大(同県長久手市)の非常勤講師、“斎藤さん”。
原爆の図は全15部の群像画です。今年5月末、同
大の文化財保存修復研究所には作品と向き合う斎藤
さんの姿があった。今回修復した第1部「幽霊」は
縦1.8㍍、横3.6㍍のびょうぶ2架で一つの作品とな
っており、皮膚が垂れ下がった“幽霊”の行列が、あの世との境界をさまよう。
斎藤さんは搬入当初から、おぞましさよりも実相を伝える画力に圧倒された。
この日は最後の工程げで、のりを塗り重ねる表情は真剣そのもの。 先輩の指導を受けなが
ら、びょうぶのつなぎ目を紙で覆い、見事に仕上げた。
愛知県美浜町出身の斎藤さんは大学で日本画を専攻し、2015年4月に同研究所に入った。
原爆の図の修復を開始したのは21年12月から。 「(第1部は)丸木夫妻が最初に伝え
たかった情景だと思う。 後世に残す一役を担えて光栄だ」と話す。
原爆を出発点に「暴力」を表現し続けた丸木夫妻。 2人は原爆投下直後の広島に入り、自
らが目撃した惨状を描いた。 原爆被害のほか、被爆した米兵捕虜や朝鮮人への差別を題
材とし、日本人の加害性に焦点を置いたことでも知られる。
被爆者の見方は「本当の風景とは違う」「この通りだった」と別れる一方、報道が制限され
た占領下で検問を免れ、日本全国で原爆のイメージを最初に形成したメディアとしての評
価は高い。
原爆投下から5年後の1950年に発表され、世界各地を巡回した第1部は80年代に掛け
軸から現在の展示形式であるびょうぶに仕立て直された。 記録上、本格的な修復は初め
てで、今回は黄ばみ除去やびょうぶの修理が進められていた。
第1部の修復を大学で担うことは所蔵する丸木美術館たっての希望だったそうだ。 大学で
あれば、作品が若手研究者や学生の目に留まりやすいと考えたためだそうです。 丸木美
術館の学芸員は「作品を未来につなげるプロジェクトでもあった。 (所蔵する)第2部以降
も若い世代に任せたい」と第1部と引き換えに既に搬出されているそうです。
斎藤さんは修復に携わるまで原爆に特別な関心はなく、教科書程度の知識しか持たなかった。
修復を終え、「丸木夫妻が見て感じた『原爆』を受け取った‥。 2人の思いが次の世代
にも伝われば‥‥」と語っている。 大事な体験ご苦労様でした。 第2部の修復も期待
して待っています。