NHK「クロ-ズアップ現代」で5月6日に上記の表題で放映された。「親を捨て
てもいいですか」―自分を虐げた親の介護― という副題がついているものである。
しかし親というものは、子供の幸せを第一に考えて子に接するものである。放映内容
を見ると、親の冷たい仕打ちを怨みと子は感ずるようである。また女の子が、小さい
時から母親からなぐられて折檻されたことに怨みを抱いているようである。それらは
親の気持ちをくわしく聞いてからでないと、一概に親だけせめるわけにはいかないの
ではなかろうか。親は、子の幸せを念ずるものである。社会人として大人になった時
に、恥をかかないようにと思って子に接し、養育するものである。子に血が出たり、
怪我をするような折檻を親はしないものである。私には6人の子がいるが、一度も子
を殴ったことはない。勿論、普段から怒ることは再々あった。しかし、子に手を挙げ
たことはない。
あるとき夕食の席で、子の一人が「どもり」の話し方をした。女房やその他の子供
たちは面白がって笑った。そのとき私は大変なことになりそうだと思った。「馬鹿なま
ねをするな」といって本気で怒ったのである。「どもり」とは、言葉をなめらかに云う
ことができず、つかえて同じ音を何度も繰り返したりする話し方である。「あ、あ、あ
明日はあ、あ、あ、雨かな」というようなことを「どもって」云った。これは学校で
誰かの真似をして面白がっておぼえてきたに違いない、と思った。私が大声で本気で
怒ったのでその子は泣き出した。このようなときは、一緒に笑ってはだめである。な
ぜなら、本当の「どもり」になるからである。怒るのが「どもり」を防ぐ1番いい方法
なのである。その子はこれを契機に「どもる」まねを止めた。一般的には一度どもると
大人になってもなかなか直らないものである。自己嫌悪におちいる場合があると云う。
このことを教えてくれたのは父である。教えてもらっていてよかった、とつくづく思っ
たのである。それ以後、6人の子供達は一人も「どもった」話し方をする子は出なかった。
放映の中で、母親から再三なぐられた、という女性は、本人の将来を心配した母親の
愛のムチだったのではないかと推測している。怪我するほどの鉄拳制裁ではないと思わ
れる。母親が怒るのは、それなりの理由があるのではなかろうか。女性の「自分は正しい
のに」という自己中心的な考え方をいましめた結果ではなかろうか。母が怒るのは、それ
相当の理由があるはずである。
- NHKの表題がおかしい。「親を捨てても」という表題は間違っている。親の介
護で子が職業に専念できないのであれば、親を入所する福祉施設を推進すれば問題解決
できるはずである。その取り上げがたをせずに、「親を捨てても良いですか」という直接
的な問題提起の方法が間違っているのではなかろうか。
母親は子供を受胎したときから、生まれてくる子のために体を大事にするものである。
健康で良い子がうまれますようにと祈念し、実行するものである。父親も同じ心境である。
さらに生まれた後も大事に育てるものである。それが本当の両親の姿である。この親心は
世界中おなじである。また親は自分の死を前にすると、子の安寧を祈り死後の世界
に旅立つものである。これを「究竟憐愍(くきょうれんみん)の恩」と経典に説か
れている。「親を捨ててもいいですか」という表題だけが一人歩きして「親を捨てて
もいいんだ」という誤解を生み出す可能性がある。副題が付いているとはいえ慎重
にしてほしいと思っている。日本では「親孝行」という言葉自体が死語になっている
かのような現状ではあるが、世界中どこに行っても「親や老人を大切に」という考え
方は生きている。
最後に、「岸壁の母」という双葉百合子の歌謡曲がある。私の大好きな歌の一つで
ある。「もしかして戦地から我が子が帰って来るのではないかと思って、帰還船が舞
鶴港に着くたびに母親が迎えに出るが、我が子は帰ってこなかった」、という歌詞で
あるが、「岸壁の父」も何人かいたと云われている。我が子を思う心は父と母も同じ
である。