フランスの週刊誌「シャルリーエブド」がイスラム教徒によって戦後仏最悪のテロに襲われ12人の犠牲者が出た。その直接原因はイスラム
教の開祖であるムハンマドを風刺画として報道したからである。事実、ムハンマドの批判はイスラム教徒にとって厳禁事項である。知らな
かったではすまない問題でもある。それは世界の平和を乱す根本問題の一つであり、
面白ければいい、という簡単な問題ではない。さらに思想信条の自由の範疇を逸脱することでもある。風刺画は増悪をあおるヘイトスピーチ
と同種のもので、世界的な規制が必要である。
しかし、今回のイスラム教徒の残虐行為のテロが容認されることではない。しかし、その直接原因がムハンマドの風刺画にあるのであるか
ら「自由」の定義を再考せざるを得ないのではなかろうか。今日発行された週刊誌「シャルリーエブド」の一面に新たな風刺画とこれまで掲
載されたすべての風刺画が掲載されたと報じられている。火に油をかけるようなもので、イスラム教徒によるテロが新たにフランスのどこか
で発生する可能性があるのではないかと心配している。世界中が自由と侮辱を混同している。
イスラム世界では自由と民主主義という世界のレジームに反している面を否定できない。
したがって世界の平和に反するような一面を批判し、世界平和に通うずる提言を主張するのは人類として自由である。例えば、女性蔑視とい
う男尊女卑、選挙制度、教育、少年兵などが問題として民主国家から批判されている。これらを表面から批判するのは自由の範疇に属するも
のとして許容されるべきであろう。しかし、ムハンマドというイスラム教の開祖を風刺画などで侮辱することは、イスラム世界そのものを侮
辱するもので許容されることでは断じてない。それは世界の平和を乱すものであり、テロに通ずることだからである。
ムハンマドは慈愛に満ちた宗教者である。イスラム教だけでなく、世界中の邪悪でないあらゆる宗教を侮辱する行為を規制し、禁
止する流れを国連で検討すべきであると考える。