今週の法話

法華宗北海寺住職-二王院観成による仏教用語と法話集です。毎週水曜日に更新いたします。

即身成仏と現代

2011-02-20 14:34:14 | 幸福の追求
 子が親を殺し、親が子を殺す、あるいは人を殺してみたかった、という
若者まで現れた、これが現代社会である。さらには金ほしさに人を殺傷す
ることを何とも思わない風潮が漂っている。何ともさもしく恐ろしい世の
中である。このような社会状態を「末法」といっている。
 「末法」とは、ブッダ(紀元前463~383年。中村元・説)の死後
を「正法」(しょうぼう)、「像法」(ぞうぼう)、「末法」(まっぽう)
の3段階に分けた3番目の時期をいう。ブッダの死後500年間は、一生
懸命修行してブッダのような最高の人格者になろうとする僧がいる。この
時期を「正法」時代という。次の1000年間は、ブッダの教えは存在す
るが、真実の修行はおこなわれず、悟りを得る僧はいない時期を「像法」
といっている。1501年(西暦1117年)以降1万年間を「末法」と
云い、修行する僧もいず、ブッダの教えだけが残っている時期を云う。こ
の三時説には、四説ある。上記の他に正法1000年・像法500年説、
正法・像法各500年説、正法・像法各1000年説がある。末法はいず
れも1万年と共通している。末法には世の中は悪に染まる時期でもある。
まさに現代社会の風潮そのものである。
 その末法の世で救いをもたらせるのは、「南無妙法蓮華経」という題目
を唱えることによって得られる即身成仏だけである、と日蓮は説いている。
歴史上のブッダを哲学的に深化させた法華経こそ最上の教えである。その
根拠は、悪世穢土という娑婆世界であっても、完全無欠の宇宙の本体(本
事)と二分されるものではない。不一不二の世界である。すなわちこの身
このままで成仏しているのである。ただし、無感覚では救われない。宇宙
の本体同様、われわれ人間も永遠(無始無終)の生命体である、と自覚す
ることが肝要である。その最高の教えを説いている法華経を信じ、「南無
妙法蓮華経」という題目を唱えることによって、この身このままで成仏で
きる、と日蓮は説いている。すなわち、宇宙と同化することである。
 ただし、即身成仏だからといって、何でもしてもいい、とはならない。
ブッダは五戒を説いている。しかし、その中でも「人を殺すな」という戒
だけは守らなければならない、とも説いている。なぜなら、人を殺せば頭
を逆さにして地獄に落ちる、とブッダは説いており、日蓮も不殺生戒を守
るよう説いているからである。末法の世で他の4戒を守ることは困難だか
らである。
 病気になって手術する直前、意識が回復した直後、さらには死ぬ直前、
死後でもお題目さえ唱えれば救われる。声を出してでも、心の中ででも唱
えればいい。良いにつけ、悪いにつけ、いかなる時でもお題目を唱えれば
救われる。それを信じて信仰生活を送れば、いかなる時にも困ることはな
い。
 即身成仏という教えは、己の愚かさ、あさましさ等を卑下したり、罪悪
感にとらわれて生活するのではなく、お題目を唱えることによって、この
身このままで救われるという日蓮の説く即身成仏の教えを素直に信ずる人
達だけが真実の救いに目覚めることができる。末法、さらには人類の終末
のときでも唯一の救済の手段となる。それを信ずるべきだと考える。ただ
し、国法に触れれば、国法によって裁かれることを忘れてはならない。人
を殺さない生活を送り、できうる限り国法に触れず、お題目さえ唱えれば
必ず救われる、という教えである。