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岡山市議会議員/おにきのぞみの虹色通信

〈いのち・みどり・平和〉を大切にする
 政治や暮らしをつくっていきたい。

3月20日 京都に研修「山脇東洋と被差別部落」

2013-03-20 | おにき日記





 京都市への部落史研修に参加をしました。テーマは「山脇東洋と被差別」です。

 写真は、「山𦚰東洋観臓之地」記念碑(中京区)です。山𦚰東洋(1705~62)は江戸時代のお医者さんです。『解体新書』(1774年)の杉田玄白はよく知られていますが、山𦚰は杉田にさかのぼること17年前の1754年。京都所司代の許可を得て六角獄舎で処刑された屈嘉(くつか/男の囚人)の死体解剖に立ち会い、観臓(臓器の観察)を行い、『蔵志』(1759年)を記しました。
 杉田玄白らの時と同様に、東洋の観臓についても、解剖を執行し、説明をしたのは、キヨメ役であった被差別の人ではないかと考えられます。
 碑のある場所は、刑死人の解剖を行なった六角牢獄の跡です。今は、マンション敷地の一角となっています。

 そして、誓願寺墓地(中京区)にある山𦚰東洋夫妻のお墓(右側)と解剖供養碑(左端)にお参りをしました。供養碑には、検体となった14名の戒名が刻まれています。観臓から一ヶ月後、屈嘉(利剣夢覚信士)の慰霊祭が誓願寺で行われ、解屍者の供養碑が建立されました。供養碑は2004年9月に再建され、旧供養碑は修復、保存処理が行われ京都大学総合博物館に寄贈されているということです。
 
 碑に“日本近代医学のあけぼの”とあります。杉田玄白らが解剖に立ち会った「小塚原刑場跡・回向院」にも記念のレリーフがありますが、どちらにも“あけぼの”を支えた被差別の人たちのことは書かれていません。私自身も山𦚰東洋についての学びは今日が第一歩。被差別の人たちの技術や文化etcが築いてきた営みを、さらに学び、伝えていきたいと思います。

   *        *        *

 さて写真は、京都にご一緒した母と同年代の方からの差し入れです。自家製ジャムが美味しいサンドイッチと炊き込み御飯。ほっこりしますね。遠方にでかけるとなると、母も夫の母も、いろんな食べ物をもたせてくれますが、こんな温かさを私も本来はもっていたんだけど…、もっていたいですね。





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