↑ 中嶋 豊氏の絵図
18日から3日間上田市街地の北側にそびえる里山(太郎山山系)を
山の絵地図でお世話になっている、かの中嶋豊氏のガイドで歩きました。
今回は太郎山山系にある山城をめぐる晩秋の里山歩きでした。
オンジアース企画・実施 参加者5名と中嶋氏、オンジアース社長
< コースの概略 >
1日目;米山城跡~砥石城~本城跡~桝形城跡~~~~陽泰寺~櫓門
2日目;太郎山表コース~太郎山~~虚空蔵山~~和合城跡など
3日目;坂城神社~葛尾城跡~坂城神社~ふるさと歴史館など
過去は1度、2013年11月3日に山岳会で2日目のコースを縦走し、ブログにも残していた。
その時は紅葉の山歩きを楽しんだだけで、山城のことは適当に流していた。
今回、中嶋さんから詳細な資料をいただき、現地で、生の声でガイドをしていただいた。
が・・ここに正確に記すことは無理と思われので、中嶋氏には失礼ながら・・
印象に残っていることだけを書くことにしたい。
18日;米山城跡~砥石城~本城跡~桝形城跡~~~~陽泰寺~櫓門
城門もどきか・・
「切岸」の説明をする中嶋氏
山を切って急な土手を作り、敵が攻めにくいようにしている場所
向こうにしたアルプスがうっすらと
村上義清公碑
砥石崩れによって武田軍を退散させた村上氏でたったが、翌年(1551年)真田幸隆によって砥石城は乗っ取られた。次の年には義清が拠域としていた葛尾城(坂城町)も武田方に陥ち、東信濃に威勢を誇っていた村上義清を頼って越後に逃れた・・
城郭にはいくつかの段差、切岸とか堀切があった
晩秋の林には乾いたアケビ
ナデシコが残っていた
矢竹の竹藪。戦いに使う弓矢に使われたので「矢竹」と呼ばれている
向こうにのろしを上げた山城があります
ここから富士山が見えるというのですが・・今日は霞んでます
泥を塗りつけているのは鹿か猪か・・
水が湧き出る場所はイノシシのヌタバになっている。
砥石は戸石とも
砥石に使われた岩
庚申塔、二十三夜塔、道祖神が祀られ、金剛寺集落の中心的な場所であった・・
洞源寺;南北朝時代の1332年海野氏22代兵庫頭幸則の開祖と伝えられる
上田市のマンホールは六文銭と
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