ねもばーばのはっぴーらいふ

バーバの山歩き、花めぐり

11月18日~;中嶋豊と歩く山城ハイキング その1

2020年11月21日 | 山歩き

 

                              ↑ 中嶋 豊氏の絵図

18日から3日間上田市街地の北側にそびえる里山(太郎山山系)を

山の絵地図でお世話になっている、かの中嶋豊氏のガイドで歩きました。

今回は太郎山山系にある山城をめぐる晩秋の里山歩きでした。

 オンジアース企画・実施 参加者5名と中嶋氏、オンジアース社長

< コースの概略 >

1日目;米山城跡~砥石城~本城跡~桝形城跡~~~~陽泰寺~櫓門

2日目;太郎山表コース~太郎山~~虚空蔵山~~和合城跡など

3日目;坂城神社~葛尾城跡~坂城神社~ふるさと歴史館など

過去は1度、2013年11月3日に山岳会で2日目のコースを縦走し、ブログにも残していた。

その時は紅葉の山歩きを楽しんだだけで、山城のことは適当に流していた。

今回、中嶋さんから詳細な資料をいただき、現地で、生の声でガイドをしていただいた。

が・・ここに正確に記すことは無理と思われので、中嶋氏には失礼ながら・・

印象に残っていることだけを書くことにしたい。

 

18日;米山城跡~砥石城~本城跡~桝形城跡~~~~陽泰寺~櫓門

城門もどきか・・

 

   

  

「切岸」の説明をする中嶋氏

山を切って急な土手を作り、敵が攻めにくいようにしている場所

  

     

   向こうにしたアルプスがうっすらと

 

 

村上義清公碑  

砥石崩れによって武田軍を退散させた村上氏でたったが、翌年(1551年)真田幸隆によって砥石城は乗っ取られた。次の年には義清が拠域としていた葛尾城(坂城町)も武田方に陥ち、東信濃に威勢を誇っていた村上義清を頼って越後に逃れた・・

 

 

 

      

城郭にはいくつかの段差、切岸とか堀切があった

 

 晩秋の林には乾いたアケビ

   

      

      ナデシコが残っていた

         

    

 

     

    

 矢竹の竹藪。戦いに使う弓矢に使われたので「矢竹」と呼ばれている

 

 

向こうにのろしを上げた山城があります

 

 ここから富士山が見えるというのですが・・今日は霞んでます

 

泥を塗りつけているのは鹿か猪か・・

水が湧き出る場所はイノシシのヌタバになっている。

       

 

砥石は戸石とも

   砥石に使われた岩

 

 

 

庚申塔、二十三夜塔、道祖神が祀られ、金剛寺集落の中心的な場所であった・・

 

洞源寺;南北朝時代の1332年海野氏22代兵庫頭幸則の開祖と伝えられる

 

 

 

上田市のマンホールは六文銭と

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 11月20日;郷土力士御嶽海の1... | トップ | 11月19日;中嶋 豊と歩く山... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

山歩き」カテゴリの最新記事