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オリンピックの、フィギュアスケートにまつわる戯れ言

2014-03-04 00:23:44 | フットボール・スポーツ
3日の予算委員会でしたかね。

アベちゃんがオリンピック招致スピーチの際の福島第一原発に関する
汚染水「アンダーコントロール」発言は「収束」ではないと認めたようですね。

オリンピックを招致するために、
他国の原発事故に関する不安を払拭するために言ったのだと。

要は、方便であったと、ウソつきましたと、いうことですね。

ま、みんなわかってたことですけれどもね。


モノは言いようってのもありますけど、だとしても、
「収束」ではないけれども、当局が状況を把握して対応する、
そういう意味での「コントロール」であると言ったところで、
ホントに今の政府が福島第一原発の事故を「コントロール」できてますかね?

やっぱり、オリンピックのために原発の事故でさえ
いいように利用されていたというふうに思えるのですがねえ、
そんなことでいいのでしょうか。


さて、ソチ・オリンピックが終わりパラリンピックの開催を迎えてますが。

ソチ・オリンピックで盛り上がったと言えばやっぱりフィギュアスケートですか。
羽生選手が金メダルを穫り、浅田選手が前日の失敗を払拭するフリーの演技。

ま、確かにあの失敗から立ち直っての完璧な演技は素晴らしかったのですが。

その、ミスを犯した演技で上位に大差をつけられたことで、
その時点において日本では浅田真央はメンタルが弱いとか採点がおかしいとか、
いう評価もあったようですが、さあ、どうだったのでしょうね。


しかし、なんでしょうかね、フィギュアスケートという競技への日本の熱狂ぶり、
そしてなんといっても、浅田真央への熱狂ぶりは。
単なるスポーツ選手として以上の存在感ですよ。

それはスポーツ選手としてだけにとどまらないものを背負わされているから、
とも思えますね。

サッカーの代表チーム等もそうですが、ナショナリズムの対象なのでしょうかね。


浅田真央の場合はライバル、まぁ、みんながライバルと言うからですけど、
キムヨナという世界一を争う同い年のライバルがいるというのはありますね。
そして日本人と韓国人であるという。

どちらもいいスケーターでいい演技をするよねと、
単純にそのことで納得すればいいようなものだと思いますが、
勝負となるとこれが面倒くさくなるようでして。

なんたって、韓国に負けられない日本の体現者、アイコンとして、
そして現実にその役目を、重圧を勝手に負わされてしまっているのです。

浅田真央もキムヨナもただのスケート選手なだけなのに、
フィギュアスケートを周囲が勝手に日本vs韓国の構図にしてしまうのです。

そして両選手はその構図を押し付けられ代理戦争をやらされ、
周囲は勝てば溜飲を下げるという、至極勝手なモノです。


これでは選手に対する尊敬がないと思うのですよね。

国民にとっては韓国に勝つための、もしくは、他の競技でもそうですが、
選手というのは、メダルを取るマシーンでしかないのだろうとさえ思われます。

勝ち負けもいいですが、メダルよりも競技を楽しみたいと自分は思うのですがね。


ところで、フィギュアスケートに関して、浅田真央vsキムヨナの構図において特に、
採点に関しての評価はどうなんだという疑問がつきまとうものですが。

キムヨナの得点が高いのはその表現力と良く言われます。
それに対し日本人は、浅田真央のほうが難易度の高いジャンプを
跳んでいるじゃないかと言うのですけれども。

いつからフィギュアスケートはジャンプ競技になったのですかね。

ジャンプは確かに採点の大きな要素なのでしょうが、
その世界観とか、物語を楽しむのがフィギュアスケートだと思うのですよね。

そういった意味で、自分の好みで言えば、
浅田真央よりキムヨナのほうが美しく魅せる演技をしていると思いますけど。

浅田真央のジャンプなどの技術が高いのはわかりますよ。
でも演技となるとなんか、ジャンプのための演技という気がするのですね。

その点、キムヨナほか今回のメダリストは、ジャンプとジャンプの間も
魅せることを怠らない、全体として物語のような世界観を実現してるなと。


だから、なんかですよ、日本人は特にジャンプ偏重で見ている気がするのです。
伊藤みどりの頃からなのでしょうかねえ?

でも荒川静香が金メダルを穫れたのは、特にジャンプが優れていたから、
というのではないと思うのですけど、何故なんでしょう。


こういう、フィギュアスケート女子における日本人のジャンプ偏重を見ていると、
まるで日本の電化製品みたいだなと思ったりもするのです。

どんだけジャンプが凄いか、という評価は、
ハードウェアのスペックでフィギアスケートを見ている気がするのです。

演技というよりも技をこなしてる、というカンジですかね。

多機能で高性能を誇り、仕様書のスペックは素晴らしい、
それだけにスペックに劣る相手に負けるのが理解できない、
それと同じような感覚を持つのです。

ダイソンの掃除機はデカイし重いしうるさいけど、
仕事はちゃんとするしシンプルでセクシーなんだよ、と言ったところで、
日本のメーカーは多機能・高性能・品質で勝っているはずだと言う。

あるいはアップルがiPhoneやiPadを作ると、
後で日本のメーカーは、あんなのウチにだって作れると言い出す。

なんかもう、勝つための戦略がハード偏重なんだなあと。
フィギュアスケートは採点競技なだけにかえってそうなのかもしれません。


さて、国民もね、今回あんだけ浅田真央に重圧をかけたってのが
十分わかったと思うのですが。

これがまた、4年後も真央ちゃんを見たい!頑張って欲しい!
とか、言ったりもしてるようですが、休む間もなく期待を押し付け、
わがままな重圧をかけようとするむきもあるようなのですが、
どうなってるんでしょうかねえ。
 
コメント
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