Do you remember rock'n' roll radio?

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ドキュメンタリー映画偽装

2014-03-05 23:57:24 | ニュース
ウクライナ情勢が緊迫してるってことで急落した株式相場も、
その緊張も緩和したってことで、今日などは大幅アップになっておりますね。
いつものことですが、株式相場ってもんは、いい気なものですね。


さて今日は、PC遠隔操作事件で拘留されていた片山氏が保釈されました。
ま、保釈に至るまでまたいろいろと駆け引きがあったようなのですが、
相当に検察側が抵抗したのでしょうかね。

まあ、片山氏をクロとできる証拠がなんにもないのですから、
もっと早く保釈されてもよかったのですけどね。

とはいえ、自分も片山氏が犯人でないと確信してるワケではありませんけど、
コレという証拠がないのですし、検察側の態度も多いに不信ですし。

そういった意味では、保釈を「許可」って言い方が気に入りませんけども。
なんか、しょうがねえから「許可」なんだよと、検察なのかマスコミなのか、
高いところから偉そうに言ってるカンジがするのですよね。


さて、あまり大マスコミでは報じられてないようですが。

311の被災地を舞台にしたドキュメンタリー映画でヤラセがあったとのことです。


 震災記録映画「ガレキとラジオ」でやらせ ラジオ聴くふり

 東日本大震災の被災地、宮城県南三陸町のラジオ局に密着した
 ドキュメンタリー映画「ガレキとラジオ」に、「やらせ」があったことが分かった。
 娘と孫を津波で失った女性がラジオに励まされる場面が描かれるが、
 実際はラジオを聴いていなかった。女性は制作者の求めに応じて
 演技をしてしまったことに罪悪感を抱き、苦しんでいる。

 映画は大手広告会社の博報堂が企画制作。
 同社社員の梅村太郎氏が監督し、俳優の役所広司氏がナレーションを担当した。
 震災直後に開局した臨時災害ラジオ局のスタッフと、
 放送で元気づけられる被災者らを描いた。

 関係者によると、やらせを強いられたのは同町の仮設住宅に暮らす70代の女性。
 梅村監督らに対し、女性は当初、「そんな気持ちになれない」と出演を断った。
 だが、撮影班が何度か訪ねるうちに出演を承諾したという。

 最初は娘と孫について取材を受けていたが、
 数回目の撮影中、女性はラジオを聴くよう求められた。
 普段聴いていないことを伝え、女性は「大丈夫なの」と尋ねたが、
 撮影班は「聴いてるふりをしてください」と指示したという。

 だが近くの複数の住民によると、
 この仮設周辺は災害ラジオ局の電波が届いていなかった。
 映画に登場するラジカセを撮影班が用意し、
 ラジオではなく地元中学生の合唱のCDを聴かされた。
 撮影中にラジオを聴く機会はなかったという。

 さらに撮影班は事前に女性にせりふを細かく指示。
 「いつも聴いている」「音がないと寂しい」などと言わせたという。

 映画は2013年春から秋まで全国25館で公開され、
 その後も市民らの自主上映会が50カ所以上で続く。
 女性は映画が評判になるにつれて罪悪感を覚えるようになり、
 「映画を見た人に申し訳ない」と話しているという。

 梅村監督は朝日新聞の取材に、女性宅ではラジオの電波が入らないことや、
 撮影班がラジカセを持ち込んだことを認め、
 「(ラジオ放送として)CDで聴いてもらう演出はした。
 CDで聴いてもらって、ラジオとの接点がゼロではないと思った。
 それも広い意味でリスナーだと考えた」と説明した。
 また、ラジオ局が町でイベントをする場面で、ボランティアを
 「(ラジオ局の)リーダーが東京から呼び寄せた」
 とのナレーションが入っているが、実際には制作側が集めたことを認めた。


ま、いくらドキュメンタリー映画、なんつったって映画なんですし、
そりゃ多少の恣意的な演出というか絵作りはあるでしょう。
そんなに目くじら立てなくとも、とも思いますが、

なんたって311の被災地のドキュメンタリーですからねえ。

そうでなくとも、この作品が、被災地の完全実録!
なぁんてのがウリだとしたらヤラセと言われてもしょうがありませんかね。


まあ、それなりに評価を受けてる作品のようですので、
完全ドキュメント、とはいかなくとも、ドキュメンタリー風作品、
ということにしておけば、こんな批判もなかったのじゃないかと思いますが。

問題のシーンについては「再現」ってことでね、
イメージ映像ということにしとけば波風立たずに済んだのではないかと。

いや、でもそれじゃ、広告の世界で言う「シズル感」が出ませんね。
これは「演出」ではなく「リアル」だという「設定」が必要だったのですよ。

でないと、観る側も感情移入しないでしょう?


まぁしかし、何より涙と感動の物語作りにおいて、
被災地を利用したってのが心情的に許せないところですね。

制作側は製作中にそんな意図がなく、作品上の演出だったんだとしても、
視聴者や何より被災者の心情までも利用してしまっっていることに変わりはなく、
それは罪深いものです。

被災地を売れるネタとしか見てない、と思われてもしょうがありません。
広告会社に限らないことですけども。

復興への努力も被災者の涙も、偽装されてネタにされるのです。
そしてそんな悲しみや苦しみを共有するつもりで国民は消費するのです。


この作品でナレーションを担当した役所広司さんによると、
映画の企画に賛同したから、ボランティアで参加したのだとか。

彼の憤りは自身のブログでこんだけぶっちゃけてます。


 映画「ガレキとラジオ」

 3月5日早朝、事務所スタッフからドキュメンタリー映画「ガレキとラジオ」の
 撮影の際に「ヤラセ」の演出があったという記事が新聞に掲載されています、
 という連絡が入りました。記事を読んで愕然としました。

 この映画のナレーションの依頼を受けたのは、
 まだ被災地で撮影が続いている時期の事でした。
 完成したこの映画を劇場公開し、その収益金は南三陸町に寄付されるという企画でした。
 企画の内容と何よりも私も被災された皆さんの何らかの役に立てるかも知れない、
 と、喜んでボランティアで参加しました。
 自分自身、このような趣旨の作品に出会えたことを幸せに感じました。
 俳優という仕事をしていて良かったとも思いました。
 この映画を、支援の心を持って観て下さった観客の皆さんは、
 さぞ憤慨されていることでしょう。
 そしてご遺族のご遺体が見つからない苦しみに加え、
 ドキュメンタリーでやってはならない演出で出演された女性の方に、
 新たな苦しみを与えてしまったこの映画は、今後二度と上映されるべきものではありません。
 僕もこの映画作りに参加した人間として、とても悲しく思います。
 この映画にボランティアとして協力して下さった方は沢山いらっしゃると思います。
 長い時間を掛けて現地で車に寝泊まりして撮影を敢行したスタッフの苦労は、
 ドキュメンタリー映画でやってはならない演出で全てが無になってしまいました。
 真実の部分は多々あると思いますが、この「ヤラセ」の部分の演出を知っていて
 作品を完成させた制作側に、大きな責任があると思っています。

 この映画が世に出てしまったことが残念でなりません。
 この作品に参加した人間として、作り手側の志が高かったことは信じています。
 だからこそ、この作品の身の引き方として不足、欠点のないよう
 締めくくって頂きたいと心から思っています。


他にも作品作りに関わったボランティアはたくさんいるということで、
まあ、震災がテーマだからこそ、低コストで作れたワケなのですねえ。


で、この映画の公式サイトを覗いてみますと。


 南三陸町復興ドキュメンタリー「ガレキとラジオ」公式サイト


感動のコメントの嵐です。
いや、今やヤラセ批判の声も多いみたいですが。。

ところで、ほほう、葬儀屋さんがスポンサーなのですね?

いや、別にそれがどうこうってんじゃないですけど、
このテーマの映画にしては生々しすぎるような気もしますけどねえ。。


それはいいのですが、こうなってくると、
著名人のコメントページが痛々しいですねえ・・・


 著名人からの感想コメント


いかにも広告屋が考える企画ページなんですけど、
震災絡みですから著名人側も喜んで名前を貸してくれたのでしょう。


でもまぁ、これだけ感動して、ヒトに進めたい出来映えなんだったら、
ドキュメンタリー風の作品ってことで割り切って評価したってとも思いますが。

でもそれじゃ感動にはならないのだろうねえ。
そこは「ドキュメンタリー」を装い、そうした付加価値が伴わないことには、
たぶん消費者は感動してくれないのですね、ぶっちゃけ。


しかしまあ、先日は「現代のベートーベン」特別番組の件もあったことですし、
これで映画だろうがテレビだろうが新聞や雑誌だろうが、
いくらドキュメンタリーなんて言っていても、
実際は作り話の要素が少なからず必ずあって、
偽装実録なのだってのがよくわかったと思うので、
これからはそういう目で見ましょうね、賢い日本の消費者さん。


まったくそう思うとですよ、被災地復興のために東京オリンピック!
なんてのがいかに見え透いた詭弁か、わかりそうなもんですけども。