普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

親の要求で悲鳴を上げる教師

2007-07-28 07:40:45 | 教育問題

7月27日、NHKの九州向けで「親の要求で悲鳴」の放送があった。

そこでは困った親の新しい例として、
・不登校中の子供が行ったゲーム代を支払え。
・子供が朝寝坊なので学校から毎朝モーニング・コールをしろ。
・学校で怪我した子供を病院に連れていったところ、親らかその病院が家から遠すぎるのでとタクシー代を学校に請求してきた。
・親同志が仲が悪いのでその子達の席替えをしろ。

<<モンスターペアレンツの問題点>>
これらの問題に対してモンスターペアレンツ(理不尽な父兄)でも書いたが今日は年代ごとに問題点を整理してみた。

但し、教育環境の変化については地域によっても人によっても違いがあり、しかも素人が書くのだから、不正確かも知れない記事と承知の上で定性的に見て頂きたい。

<戦前>
教師は聖職と言われ、医師や弁護士などと同様またはそれ以上の尊敬を受けていた。
多くの家庭は貧しくかつ、多くの子供を抱えているので教育はまったく学校任せだった。
家庭内や社会の長幼の序が護られており、年上または目上の人達からの日本古来の価値観や仏教の教えなど子供達への躾けはほぼ行き届いていた。

勿論良い事ばかりでなく世の中は次第に軍国主義の道を歩いていた。

<終戦直後>
米国と日本の教育環境の違いを無視した民主主義を基調とする教育を導入された。
[日本と米国の教育環境比較]
米国:
・訴訟社会と言う民主主義の基本である権利主張に対してブレーキがある。
・フロンティア・スピリットを基調とする価値観や、キリスト教の教えに基づく家庭でのしつけがある程度出来ていた。

日本:
・訴訟など日本の文化に馴染まないので、権利行使の主張のし放題になりやすい。
・武士道の否定は否定は致し方ないとしても、日本古来の価値観の軽視または無視、否定するものまで現れた。
・神道の否定は当時は致し方ないとしても、仏教関係者までもが自信を無くしてしまった。
・それでも多く国民は昔の価値観をまだ信じていたが、敗戦のショックで学校で民主主義を習ってきた子供たちに、それを教えるのに迫力がなかった。
・それで教育は学校中心。
・権利重視、義務、責任の軽視または無視で、権利は追求するもの、義務と責任は人が負うべきものと言う考え方が一人歩きする素地ができた。

<戦後から1990年代まで>
[学校]
1947年 日教組設立、「教え子を再び戦場に送るな」を標語に文部省と対立
1950年~1999年 日教組は国旗掲揚と国歌斉唱に対して否定的な立場
1958年 組織率:86.3%
1961年 全国統一学力テスト実施への反対
1965年 歴史教科書問題をめぐった裁判
・教育の独立の名のもとに学校と言う密閉空間での生徒の純粋培養
・自主的な学校運営の名のもとの日教組の学校支配(日教組の方針反対者への「吊るし上げ」)
・教師は聖職者でなくて労働者と主張(聖職者の名での国からの搾取反対?)
・一番のお客である筈の生徒の方を全く向いていない
・家庭にとって生徒は人質と言う考えが広まる
・中学校教師から小学校の学力低下の問題点提起はするが小学校教師への攻撃なし、それをクラスの生徒数削減と言う教師の労力提言の目的に利用
・日教組に率いられた教師管理のためのレポート提出など戦前とは比較にならない仕事が増えてきた。
・学校管理の強化などから学校管理者へ教育委員会へのパッシングが始まった。
・学力低下そこのけの日教組などの政治活動への反発から教師のパッシングが始まった。
・社会的な訓練や家庭での躾けの出来ない子供が増えてきた。
・学級破壊などの一部学校での教育環境の荒廃が始まる。

[学校を取り巻く環境]
・学校教育の民主主義教育をそのまま鵜呑みにする父兄が出てきた。
逆にその行き過ぎを指摘し日本古来の良い点を教える人が自信喪失で迫力に乏しかった。・それで、権利は追求するもの、義務と責任は人が負うべきものと間違った民主主義を信じた生徒が出てきた。
・その生徒達が終戦後から1990年代の約40数年の間に、親になり子供を持ち、その子がまた親になると言う世代交代(と言う名の家庭教育環境の劣化)が進み始めた。
・経済の拡大と共に核家族化、少子化が進み始め、少年社会の縮小、消滅が始まった。
・異状に子供の教育に関心を持つ親、反対にそれを学校任せにする親が出始めた。
・塾の増加

<1990年以後から現在まで>>
[学校]

1991年 日教組の多くの組合員や一部の単位労働組の離脱し始める
1994年 日教組は文部省(現在の文部科学省)と協調路線をとることに決定し、文部省と和解した
1995年 隔週土曜日を休業日
1977年~1989年 学習内容、授業時数の削減。
2002年 完全学校週5日制の実施。日教組の提案の「総合的な学習の時間」の新設。
2004年 国際的な学力比較調査で日本の点数低下が問題となる。
2005年 文部科学省による学習指導要領の見直しを中央教育審議会に要請。
2006年 日教組組織率:28.8%

[学校]
・日教組と文部省(現在の文部科学省)と協調路線で、日教組は永年の懸案の土曜日全休を獲得、学力低下の問題を「総合的な学習」にすり替えしまった。
・当然の様に様々な教育改革が提言され、教師はその変化に悩まされ始めた。
・教師の質の向上だけをの提言によって教師間の連携プレイの減少など益々悪化する教育
・学校のコミュニティーへの開放が言われ出した。
・所謂モンスター・ペアレントの発生→神経系統の病気に悩む教師の増加。
・社会のルールを知らない教師が出始めた。

[学校を取り巻く環境]
 ・権利は追求するもの、義務と責任は人が負うべきものと間違った民主主義を信じる一部の家庭の世代交代が3世代まで進んだ。
・学校はサービス機関だと言う考えが進み始め、良くないサービスにクレームを付けるのは当然だと思う父兄が出てきた。

<<モンスター・ペアレントの対策>>
前記の「親の要求で悲鳴」のテレビでは、モンスター・ペアレントの対策として、父兄会がその対策に乗り出した例を報じていた。
たしかに父兄会ならその名の通り父兄の立場にたっているので、いくら判らない親でも彼らの意見をひねて受け取ることはないと思うので名案だと思うが、クレームで教師をノイローゼにしたり退職まで追い込むモンスターに対してどれだけ納得させるかは疑問だ。

やはり文科省が考えているクレームの対応を外部の専門家に任せる「外部委託」か、私が「モンスターペアレンツ(理不尽な父兄)」で書いた様な教育委員会に専門の対応者を設けて分からず屋を論破し、教育する方法の方がより現実的だと思う。

前のテレビで教師をサービス提供者と割り切って如何にお客さん(教師にとって本当のお客さんは生徒である筈だが、ここでは父兄)に、にこにこと気持ち良く接するかのトレーニングをしていたのを見たがこれでは、モンスターのような分からず屋を益々つけあがらせるだけだと思う。

基本的には、このような分からず屋の親が何故出てきたかを探求し、それが私の言う様に教育にあるとすれば、教育の方針を見直さなければ永遠に分からず屋の親が出てくることになると思う。


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2 コメント

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実務面 (soune)
2007-07-28 13:11:14
いつも拝見しております。

実務面で考えれば、鉄は熱い内に打て。小学校入学時点で保護者及び生徒を徹底的に教育するしか無いと思います。
対人能力の高い教師をここに配置し、学校全体、自治体、教育委員会等の共通理解があれば何とかなるとは思うのですが。
教師一人に任せて知らん振りではまず不可能でしょうね。

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さすが!明快な整理ですね (50歳のバカ親世代です)
2007-07-28 15:46:02
戦後教育どこかおかしい?そう疑問を持っていましたがブログを拝見し、時系列によく整理されていてこちらの頭も整理できます。モンスターペアレントとんでもない輩ですが、現にあちこち問題となり社会現象化しているとはまいります。そのために社会コストをかけなくてはならないとは残念な世の中です。教育関係者受難時代とばかり言ってはおれませんね。

一方で、総理が戦後教育の見直し!と訴えても果たして実現するの?と懐疑的になってしまいます。片や日教組、片や日の丸というシンボリックなものに矮小化するマスコミにも辟易しますし、政治の退廃が社会の退廃に向かっていき、その傾向への歯止めはかかっていないと見受けます。

話は飛躍するかもしれませんが、昭和の大戦について我々世代は詳しいことを教育されていません。戦争の悲惨さ、原爆の悲惨さと非核への取り組みなどはひと通り習った記憶はありますが、なぜ太平洋戦争は起こったのか、交戦論、戦争回避論、国際関係と各国の利害・・・時の事情はそれなりにあっての戦争突入であったろうし、戦争遂行にあたり日本は行き過ぎた行為があったのかなかったのか、
原爆投下ほど当時の戦争にあって行き過ぎた行為はなかろうが・・・史実に基づいた授業を受けてみたいし、議論してみたい。こんな試みはいかがでしょうか?

タブーへの挑戦、この混沌から脱却するためには必要ではないでしょうか?私は60年前の戦争がまだ続いていると思っています。軍事支配こそ表面化していませんが、身も心もアメリカ偏重の骨抜きの国になってしまいました。アメリカの呪縛から開放されてこそ独立でしょう。日教組自身も戦後60年間『戦争否定』一本で歩んできたのではないでしょうか?日本らしさ、日本の文化や伝統を守る継承する教育こそ重要であることに気付いていなかったのでしょう。国(政治や官僚)や教師(労働者)が骨抜きになり退廃をもたらした?当事者たちで果たして改革できるのでしょうか?

憲法論議についても大いに関連してまいります。


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