普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

少年に夢を与えよう・あゝ玉杯に花うけて

2011-02-09 15:15:30 | ちょっと良い話

 今は子どもが将来の夢を訊かれて「別に」と答え、草食系と言われる学生は大企業指向で折角、中小企業に求人があるのに見向きもしないで就職難に喘ぎ、企業は海外へ雄飛する人達を求めているのに、国内での安定した仕事を求めるというミスマッチ、国は科学技術向上のために外国留学を勧めているのに、就職に不利だとかで中国、韓国では増えている海外留学生が日本だけ減少しているそうです。
 そして引きこもりの青年が増えているのにその面倒を見る親達の高齢化が社会
問題になっている日本。
 何時までも果てるとも知れないデフレ、停滞している政治など世の中の所為にするのは簡単ですが、これでは日本の将来はどうなるのでしょう。
 こう言う時こそ少年の大きな夢を与える必要はないでしょうか。
  私の子どもころはそれこそ夢は「大臣か大将」と言われていました。 (もっとも当時の自分のことを考えると、貧乏人の伜の現実から。早く親達を楽にさせたいくらいの小さな夢しかありませんでしたが。)
 そのような少年達に夢を与え続けてきたのが小学校後半から中学校前半の少年を対象として出版された少年倶楽部(後に少年クラブの改名)
でした。 (当然少女向けには少女クラブがありました。)
 私の家は父がいまで言う契約社員、子どもが5人と言う貧乏人の子沢山の家庭で、雑誌など年に数回買って貰う程度で、後は友達のを借りて見るだけでしたが、それでも子ども心に大きな影響を与えられました。
 その中で大きな影響を与えてきたのは次のような小説やマンガでした。
  吉川英治『神州天馬侠』、佐藤紅緑『あゝ玉杯に花うけて』、『一直線』、『少年讃歌』、『少年連盟』、佐々木邦『苦心の学友』、山中峯太郎『敵中横断三百里』、『亜細亜の曙』 (当時国士、壮士と言う人達がアジアで活躍していた世相を反映したもの)、高垣眸『快傑黒頭巾』、平田晋策『新戦艦高千穂』(空中戦艦)、江戸川乱歩『怪人二十面相』、マンガの田河水泡『のらくろ』(野良犬が軍隊に入り失敗しながらの出世物語)、島田啓三『冒険ダン吉』 (南洋で酋長となって活躍)、川内康範『月光仮面』
 一目見てお判りのように少年に夢を与えるものばかりです。
 特に少年たちに理想を説く小説を書き続けて多くの少年に夢を与え続けた(作詞家で詩人のサトウハチローさん、作家の佐藤愛子さんの父親の)佐藤紅緑
さんの小説です。
  その中でネット上でも一番多く紹介されている、そして私が一番感銘を受けた『あゝ玉杯に花うけて 
』の概要を紹介します。
 これに就いてはご奇特な方もおられるもので、全文をテキストの形でネット上に出されているのでこれを参考にしました。 (もしご興味のある方がおられましたら是非通読をお勧めいたします。)
・主人公の千三(せんぞう)あだ名チビ公は母親とともに同居している伯父の豆腐屋を助けて売り歩いて家計を助けている。
・学校でも悪いことばかりする阪井巌と言う悪(わる)が、千三の豆腐を盗んだり彼を苛めたりしている。
・その千三をいつも助けているのが小学校時代の友達の光一とその親だ。
・光一の誕生日に招ばれた千三がお土産の折り詰めを巌に奪われうえ、負傷させられた。
・怒った伯父が巌の父の助役に抗議の行き、相手を傷つけ逮捕され、刑務所にいれられた。
・巌は試験のカンニングで協力をしなかったといって、光一の額に怪我させた。巌は停学になったが自主的に退学した。
・間もなく全校生徒から慕われている校長が転勤になった。それは巌の父の坂井が裏で手を回したという噂が立った。
・町会議員の選挙で出所した千三の伯父が坂井反対の旗を振った。かねがねの坂井のあくどいやり方で評判の悪い坂井が落選した。
・選挙後、一部の議員と阪井とがぐるになって、道路の修繕費をごまかして選挙費用に使ったという噂が立ち、息子の巌の耳にも入った
・坂井がある夜急に出ていったので、巌も心配で尾行した。そして坂井の行動に疑問を持っていた千三の伯父もそれにつづいた。
・坂井は役所に忍び込み着服の証拠書類を燃やし役所に火をつけて逃げた。巌はその火を消そうとし、それを心配した坂井が戻って二人とも火に包まれたのを、千三の伯父が助けだした。
・坂井は放火は千三の伯父だといったが、誰も信じるものはなかったが、事件は有耶無耶で片づいた。そして巌は今まで従っていた「力は総て」の父親の教えが間違っているのに気付いた。
・坂井親子は土地を離れた。
・光一は千三に父親が学費を補助するからと言って学校に戻るように勧めたが、千三は自分で生きる道を選んだ。
・千三は伯父の勧めに従い、月謝の制定がない、五円もあれば五十銭もある、米や豆やいもなどを持ってくるものもあると言う黙々塾に入り、ユニークな教師の教えを受けた。
・黙々塾と中学の野球と、地域上げての弁論大会の話
 その間にタイトルの「あゝ玉杯に花うけて」の歌詞が散りばめられ、所々に読者諸君と筆者のお説経が入っているのが変わっています。
 そして最後の記述です。
読者諸君、回数にかぎりあり、この物語はこれにて擱筆します。もし諸君が人々の消息を知りたければ六年前に一高の寮舎にありし人について聞くがよい。青木千三と柳光一はどの室の窓からその元気のいい顔をだしてどんな声で玉杯をうたったか。それから一年おくれて入校した生蕃とあだなのつく阪井巌という青年が非常な勉強をもって首席で大学にはいったことも同時に聞くがいい。

 このような若い人達を奮い立たせ、夢を持たせるような小説は時代遅れだと言う人も居るかも知れませんが、前に書いたように、何時までも果てるとも知れないデフレ、停滞している政治、そして何もかも他人の所為にしている、今こそこのこのような読み物が必要な気がしています。

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2 コメント

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今では (八目山人)
2011-02-10 18:07:53
良い話ですね。私も「路傍の石」の映画を観て感銘を受けましたが、あれはあの時代なら何処にでもあった本当の話だったので感銘を受けたのであって、あの貧しさは今は無くなってしまいました。

それを今テレビなどでは、ネットカフェ難民などと言って一生懸命に貧しさを煽っている。もうあんな貧しさなど何処にも無いのに。
今、テレビが持ち上げるのは裏で何をやっているのかわからないスポーツマンと芸能人、これでは立派な人は出てこない。
欧米も同じかも。

しかし日本の千数百年に亘る歴史の中には良い話は一杯ある。
それを今風にして小さい子供に話していけば何とか成ると思うんだが。左翼が嫌がる。
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The opening of Japan (noga)
2011-02-15 13:15:03
宇宙の成り立ち、古代文明の有様、外国の実情などを知る場合にも、我々は英語を使わなくてはならない。
外国人が我々日本人を理解する場合にも、英語を通して行われている。かな・漢字を通して理解されているわけではない。
だから、英語は、我々にとって単なる一外国語ではなく、とりわけ重要な国際語というにふさわしい情報交換の手段となっている。

英語圏に行けば、片言の英語でも通じる。暮らしてゆける。
完全な英語でなくても、英語環境がととのっているから通用するのである。
英語環境がととのっていれば、そのうちに、英語も上達する。

我が国においては、どんなに英語が堪能であっても就職先に困る。
それは、人々が英語を使わないからである。これでは、暮らしがなりたたない。

日本の学校で6年間英語の授業を受けてもまず話せるようにならないのは、英語環境がととのはないからである。
一歩学校の外に出ると英語を使わないのでは、せっかく習った英語も錆ついてしまう。
日々の学習努力も賽の河原の石積みとなっている。

日本の学生のために英語環境を整えることが、語学力を増すことにつながると考えられる。
それには、英語を我が国の第二公用語にするのがよい。
国民も政治指導者も、英語の使用を日本人のあるべき姿と考えることが大切である。

国際社会において、我が国を代表する政治家にも英語の堪能さが見られない。
日本語のみを使用する社会において、実用にならない言語の学習は空しいばかりである。それにもかかわらず、我が国においては英語教育に名を借りた序列争いばかりが激しく行われている。
英語の学習を民間に奨励するだけでは充分ではなく、英語を習得したことに対する国家の強力な報奨(incentive)が必要であります。
英語を実用の言語とする政治指導者のさきを見据えた努力が大切です。
たとえば、公務員採用試験に英語の能力にすぐれた人物に優遇処置を施すなどの法的裏づけなどが効果的でありましょう。

英米人には、手先・目先の事柄に神経を集中する特技は得られないようである。かれ等は、生涯、歌詠みにはなれないでしょう。
日本人には、英語を使って考えることはきわめて難しい。しかし、これは不可能ではない。全員ではないが、知識人には為せばなる学習であると私は考えています。
わが国民の作る細工物は出来栄えが良い。なおその上、英米流の哲学にも良き理解を示す民族となれば、未来の日本人は鬼に金棒ということになるでしょう。
だから、英語を我が国の第二の公用語とすることには大きな意義があります。実現の暁には、我が国民のみならず、世界の人々に対しても大きな未来が開けることと考えられます。

一見我が国は教育大国を目指しているようであるが、大人の教育はない。つまり、子供が大人になるための教育はない。
我が国においては、教育といえば子供の教育のことを指している。目先・手先のことのみを述べる人は、子供のようである。
大人には考える教育が必要です。一人一人に哲学が必要です。
現実と非現実の間に区別を置くことなく語る人の内容には意味がない。だから、日本の知識人には価値がない。

「感情的にならず、理性的になれ」と国民に訴える指導者がいない。
「国民の感情に反する、、、、、」と言うのでは、主張の論拠にならないが、それのみを言う。
感性 (現実) あって理性 (非現実) なし。我が国は、一億総歌詠みの国にとどまっている。

大学生は入学しても、キャンパスで4年間遊んで過ごすことになる。
無哲学・能天気の大学生は、平和ボケ・太平の眠りの中にいる。
「入学を易しく、卒業を難しく」というような教育方針は現状を観察すれば空しい限りである。

日本人は、国連中心主義が好きなようだ。
国連の議場で世界の人々を説得するためには、自己の言葉が冴えわたる必要がある。
議論のできない人があえて国連中心主義を唱えるのは、自己の他力本願を表明するための手段ということになるのであろうか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

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