普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

台湾発展の基礎を作った日本・当時の外国紙が見た日本の台湾統治(2)

2009-06-25 16:34:33 | 情報、マスコミ

 いつもご訪問頂きまして有り難うございます。
 昨日の[日本人によって変身させれられた、未開の島台湾]の紹介の続きです。
 また悪文で読みにくいと思いますが、どうぞ最後までお付き合いください。

[鉄道網の整備]
・日本が台湾を領有したとき、(本格的な)鉄道というものはなかった、おかしん言い方だが、非常にひどく作られ、運営されていたために、殆ど使えない鉄道の断片はあった。乗車賃や運賃は毎日変わり、汽車は「都合の良い時」に走った。、
・台湾が基本的に何が必要かを理解していた日本人は、系統的に島の多くの地域で道路を作り始めた。最近の米国の報道によれば、1,000マイルの道が既に作られている。
 同時に日本政府は総合的な鉄道整備計画を建て、2、880万円を支出を提案している。 それは日本にとっては信じられない様な数字だ。
・既存の断片的な鉄道は完全に再建されている。そして新しい台湾縦貫鉄道の建設は両方のターミナルから同時にかつ精力的に始められている。1897年から1903年の間95マイルの鉄道が敷かれ、37の駅が建設され、210の貨車と客車、20の機関車が導入された。
・この期間の乗客数は4倍に、貨物数は10倍に増えた。その他に軽便鉄道も導入され、その内125マイルが数カ月間で敷設された。さらに52マイルが建設されるところだ。
・郵便・電信・電話もまた導入されて非常に成功した。1896年から1902年までに87の郵便局が全島に亙って開設され、1902年に1,328万の手紙と葉書と11万の小包33万の為替を取り扱った。
(電信、電話の具体例は省略)

[産業の開発]
・日本人が台湾に到着した時の現地の産業は非常に不満足なものだった。豊かな土地での科学的な耕作どころか詳細な耕作法さえ知られてなかった。土地の人達は他からの援助も受なしに自然の恵みに頼るだけだった。台湾は2~3毛作だったが、収穫は彼らの労力と比例しなかったし、収入は全く不十分なものだった。
・日本人によって持ち込まれ改善された方法で、米の生産高は1896年から1902年までてに10%上がった、茶の生産は同じ期間に5倍に、砂糖、薩摩芋、黍、ラミー、ジュート、「うこん」などの農産物の生産高も大きく伸びた。
・膨大な森林資源の利用も不十分だった。土地の人達が無駄なことをしている例を上げると、樟脳を木から抽出する業者は樟脳油は廃棄物として扱っていた。日本人の改革により、樟脳の生産高は1897年の153万斤から1903年の358万斤に上がり、樟脳油は同様に63万斤から260万斤にあがった。
・鉱業も同様に小手先で先見性のないやり方をしていたために、生産高は最小限に留まっていた。
 しかし辛抱強い指導や優しい説得によって、日本人は全ての産業での改善に成功した。 農場はより良い収穫を上げ、森林は科学的に利用され、何百万という樟脳の木が適地に植えられた。そして鉱業は最近の数年の間に大きな発展をした。

[銀行と通貨制度]
・台湾の貿易や産業の改善をするためには、明らかに銀行や通貨システムの改善の必要を生じた。従って島の中心的な銀行組織として台湾銀行が設立された、民間銀行(複数)も重要な地点(複数)に開かれた。
・郵便貯金銀行(文のまま、複数)もまた開かれ、非常に満足すべき成功を納めた。預金者の数は1896年の5,847人から1902年の41,145人に、預金額も1806年の22万8千円から1902年の76万3千円に増えた。
・台湾の通貨もまた改革された。台湾はかっては清国と全く同じに流通手段は貨幣でなく地金(bullion)だった。かさばる銅の地金はどの規模の商業取引でも使用出来なかった。この時代後れの通貨制度は日本の近代的なものに取って変わられた。

[経済の発展]
・日本は湯水のように台湾に金を注ぎこんだ。日本は黒砂糖、白砂糖、ガラス、製紙などの工場を建設し、多くの有能な行政官を派遣した。そして日本はその内にその進んだ政策の成果受け取るだろう。
・台湾が完全に平和になって僅か数年しかたっていない。然し既に達成した経済進歩は非常に素晴らしいものだ。住民の富裕度の上昇は、政府の業務と事業(アヘン専売、関税、種々の税金)から主に得られる一般歳入が、1986年の272万円から1903年に1,235万円のと言う様に、既に今まで殆ど10倍に増加した事実からも見られるだろう。 (一見、計算が合はないが多分、台湾領有時と比較して10倍の意味か?) (*注記:アヘン専売の目的)
・地方の経常歳入は主に土地、家屋、事業などからなるが、1898年に75万円から1902年には195万円と4年間に殆ど3倍になっている。一般歳入と地方の税金を併せて、これだけの素晴らしい結果を得るために、なんらの特別な困難を要しなかった。
 だから台湾の人口がその資源の開発と共に急激な増加をしたのは当然過ぎることだ。1897年の人口が245万だったのが、1903年には308万に増加した。

[私の意見]
 昨日と今日の記事を通じて見ると日本の台湾統治政策の礼賛ばかりで、明らかにNHKの第一回目のNHKスペシャル「アジアの"一等国"」の内容と全く違います。
 これを見ても戦後、シンガポールと共に、何故、日本の統治下にあった台湾が韓国が、日本についでに世界で素早く復興した理由が良く判ります。
 NHKは多方面からの抗議にたいして、番組全体をみれば公平な放送だと判ると言っているそうです。
 然し報道のあり方は、番組制作者の意図が聴取者に通じねば何も成りません
 NHKが公平な番組を意図して作って居たとしても、そう取られ無ければ、番組としては失敗作でしょう。
 それは第1回目と同じ政策方針で作っているとすれば、第2回目の「天皇と憲法」の放送への抗議が第1回目の抗議に比べて遥かに少ないの比べて見れば判ります。
   そしてネット情報によれば、今日8,300人によるNHKへの集団提訴が行われるそうです。
 その勝敗の行方は判りませんが、いずれにしてもNHKの信用低下は確実です。

 NHKはその失敗の反省をしているのでしょうか。
 NHKの返答としては全体として見れば判ると言うだけで、反省の様子は全くないようです
 この返事を第三者の立場からみれば、NHKは他人に言えない本当の意図を隠しているとしか思えませんが。
 先の心配をすれば限りがありませんが、今後予定されていると言う、韓国を取り扱う番組がまた問題を起こしそうな気がするのですが。

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*注記:アヘン専売の目的
  前日のエントリーで[アヘン常用の習慣の改善」の所は省略しましたが、日本政府はアヘンを使った人を処罰することを決めましたが、実際は弾力的な運用で土地の人達の習慣の急激的な変化を避けるためと、アヘン中毒者のためにアヘンの専売により確実にその使用の減少を図ったそうです。