延岡市三輪(みわ)町にある農業用井堰です。 江戸時代は享保年間(おおよそ300年ほど前)に、時の延岡藩家老「藤江監物」が郡奉行の江尻喜多右衛門に命じて完成させたものです。
藤江監物は、まだ工事が完成していない1731年に家臣の策略によって親子4人(本人・長男・次男・三男)、日之影町舟の尾の牢屋に投獄されました。 長男が半年で病死、監物はその無惨に激怒して断食を続けほどなく牢死。
それでも工事は進み、藤江監物が亡くなってから3年後の1734年、ついに岩熊井堰が完成しました。これにより、水不足に苦しんでいた農民たちは救われ、延岡の農業は飛躍的に発展したそうです。 ちなみに米の収穫量は150石から755石に増えたそうです。
延岡地区の人達は約300年後の現在でも、命日の旧暦8月18日には、日之影町舟の尾の墓所に参拝し感謝の意を尽くしているそうです。
命をかけて人の為に尽くす、見習いたいものです。 (fuka)
魚を待っている「アオサギ」
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