mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

パリから行く小さな旅<ミレーの落穂ひろいの舞台となったシャイ村とバルビゾン>

2017年10月29日 | 旅行記
 今日は、パリから行く小さな旅の旅行三日目シャイとバルビゾンの模様をお伝えします。

 <7月18日(日)ミレーの落穂ひろいの舞台となった村シャイとバルビゾン、そしてフォンテーヌブロー城>
 この日は、朝9時の出発でホテルからバスに乗り込みパリを脱出するが、現地のガイド(50歳くらいの痩せた女性)がフランスを説明する際に日本と比較しながら、いかにフランスが素晴らしいかを強調していた。
 しかも、教えてやる!という感じで会話を聞いていて不愉快でならなかった。
 どうして自分の母国である日本の歴史がフランスに劣っているような説明をするのか、また、私たちがフランスのことを知らないことを馬鹿にするような話し方をするのか理解に苦しむばかりである。

 前回、パリに来た時にもバスの中にカメラを置いたまま降りてしまい、取りに戻ろうとしたら、現地ガイド(フランス語のような日本語を使う日本人男性)に「バスにはない!」の一点張りで遮られ、誠に不愉快な思いをしたが、これならフランス人ガイドの方がよっぽど良いのに!と思ったものである。

 今回の旅でも、ルーブル美術館へオプショナルツアーで参加した人の話で「小泉首相の批判などを聞かされたが、絵を見に来たのであって関係のない政治の話を聞かされ、何のために高い料金を払ったのか誠に不愉快であった」というような話を聞いたが、どうしてフランスにいる日本人ガイドは、このような態度をとるのか、場合によっては旅行代理店に投書しようかと思ったものである。

 などという不愉快な話は、このくらいにして、旅の楽しい思い出を記しましょう!
 まず、パリからシャイ村までの景色であるが、車窓から眺める景色は、右も左も一面の金世界である。(金が地面に転がっているということではありませんよ。)

 <金色、銀色?の麦畑>


 写真のように、道の両側には丘陵のようななだらかな土地が続いており、そこには金色ではなく、土色の麦畑が多少の例外(家畜用の緑のトウモロコシ)を除き、延々と続いているのである。例の彼女の説明によれば、フランスは小麦の生産が世界で5番目で、1位はアメリカではなく、中国だそうである。
 さて、バスの中ではこの間、多くの人が時差ボケと疲れでお休みでしたが、小生は興奮しているのか?ビデオカメラを回しながら首を右に左にと大忙しである。
 そうこうしているうちに、シャイ村に到着である。1台も車が置いていない駐車場でバスを降りて、古い時計台のような建物とその周辺を見学したのである。

 <時計台のような建物>


 <草花が咲き乱れる通路>


 人がいない寂しいところで、ミレー何を感じていたのか?小生のような凡人には理解できないが、落穂ひろいに出てくる彼が愛した「フランスの田舎の雰囲気を理解しろ!」ということかな思い、地名を確認しようとガイドに声をかけたら、何を聞いているのか!といわんばかりの態度で、
 彼女「シャイよ!」
 小生「はあー?どこですか?」
 彼女「シャイ!」
 小生大声で「シャイ!」
 という会話になったのであるが、その後がありました。
 バスに乗るや、彼女はマイクを取って「皆さん、日程表があるはずだから事前によく確認してください。」だって!
 小学生の修学旅行じゃあるまいし、ここで小生、またもカチンときた次第である。
 しかも、日程表を見ると載っていないじゃないか!
 「まあまあ、興奮しなさんな、旦那さん!」とかみさんの顔が笑っていました。

 ここからバスに揺られてしばらく行くと、ミレーが愛したという「バルビゾン村」に到着したのである。
 ここは、溢れるような緑の中に別荘地が並び、日本で言うと軽井沢といった感じである。
 バスから眺めていますと、役場あり、レストランあり、などと説明を受けましたが、撮影に夢中で残念ながらほとんど覚えておりません。
 
 <バルビゾン村>


 バスから降りたところは、フォンテーヌブローの森に続いているというが、ここから村の中心部に向かって散策となりました。
 村の中心部の道路は、対面交通ができないような狭いものでしたが、観光客が歩きやすいようになっている、ということでしょうか?
 ミレーの館の前で記念撮影ができたのですが、かみさんに叱られそうですのでカットしました。

 <ミレーの館の周辺>


 バルビゾンの見学が終わりましたので、フォンテーヌブローの森に行くのかな?と思ってましたら、森ではなくお城に向かったのです。


 <次の訪問先フォンテーヌブロー城については、次回にお伝えします。それではこれにて失礼します。>
 


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パリから行く小さな旅<出発からパリのホテル>

2017年10月27日 | 旅行記
 <2004年7月17日(土) 出発からパリのホテル>

 本日、パリに出発する予定であるが、朝食は成田空港で食べることにしていたので、時間の余裕がある、と思っていたら、かみさんは相変わらず、時間ぎりぎりまで家の中を「うろうろ、がさがさ」している。
 お陰で、駅に急いで歩く羽目になり、途中、切符を買う時間を考えて走ることになってしまった。
 あぁー、またも波瀾万丈の旅の始まりである。
 それでも、日暮里駅で予定のスカイライナーに乗ることができ、8時30分ぐらいに成田空港(空港第2ターミナル駅)に到着することができた。
 そして、朝食をいただくか!と考えていたら、目の前に「うどん そば」の店があり、かみさんはその店に一目散に突進する。
 いただいたものは忘れてしまったが、よく見るとこの店はセルフサービスで立ち食いそば屋と似た感じである。
 朝からガッカリしながら、空港に入り、指定のDカウンターで受付を済ませるが、説明をしてくれた女性が添乗員のようだ。
 この人、年のころは30代半ばから40歳くらいに見えるが、線が細く頼りない感じである。
 その後、AカウンターのANAにスーツケースを預けに行くが、空港はひどい混雑で歩きにくいほどである。
 途中、5万円を「ユーロ」への両替に銀行の窓口に並ぶが、ここも長蛇の列で時間がかかってしまう。
 そのため、すぐに出国審査を済ませて搭乗口に急ぐことになってしまった。
 一息ついて、出発時間が来たので、さあ!飛行機に乗ろうかと思ったら、ここでまたもやハプニング発生。
 何か異様な雰囲気に、ファーストクラスの搭乗口を見ていたら、どこかで見た顔がいるのである。
 誰だったかな?と考えていたら、横から愛妻が耳打ちする「小澤征爾よ!」。
 前回の旅行の「ウィーン」で小澤征爾の話を聞いていただけに驚きである。
 そうこうしているうちに、NH205便は、無事、成田空港を出発し、シベリアを経由して12時間弱でパリに到着したのである。

 <ANAの便でパリに向かう>
 

 <空港から乗車したバスから見えた光景>


 「やはり、ヨーロッパは遠いな!}と実感するが、この日は、現地時間で18時(日本時間翌日の午前1時)頃、空港を出てホテル(メルキュール パリ ベルシー)にチェックインするのみである。
 このホテル、パリの中心部から離れた財務省近くにあるが、非常に部屋が狭く、スーツケースを置くスペースを確保するのに一苦労である。
 このホテルに2泊する予定であるが、今後のホテルのグレードが上がっていくことを願うばかりである。

 <ホテルのの部屋から見えた光景>


 <部屋の様子>


 このホテルでの小生のつまらない苦労話が2つある。
 一つ目は、セイフティボックスの操作を誤り、ドアがかかった状態で閉まらなくなったという訳が分からない話である。
 とはいっても、そう難しい話ではない。ボックスの暗証番号を入力し、財布などを入れてクローズしたのであるが、念のため暗証番号を入力してオープンしようとしたら開かないのである。
 普通はここで従業員などを呼んで話が終わるのであるが、何回か試しているうちにドアが開いてくれたのである。
 ああー!よかったと胸をなで下ろして、再度、同じ番号を入力し、中に何もいれないでドアを開けたままクローズのスイッチを押してしまったのである。
 さあ!どうなったのか?と言うと、ドアについている二本の金具が左側に伸びてきて、ドアのカギがかかった状態でドアが閉まらないという誠に訳の分からない状態になってしまったのである。
 なぜ、そうしたのか?指が勝手に動いてしまった!としか言いようがないのだが・・・

 二つ目は、翌日、といっても暗いし、時間を現地時間(サマータイムなので7時間の時差)に合わせていないので何時なのか分からないが、タバコを吸いながら外の様子を見ようとホテルの周辺を散策したのである。
 ところで、ここで、またもや事件が発生したのである。
 素行の良くないフランス人に襲われた?違います。
 ホテルに戻り、中に入ろうとしたら、自動ドアが開かないのである。
 「これは参ったな!しょうがない、夜が明けるまで待つか?!」と腹を固めたら、中から従業員が駆けつけてきて開けてくれました。
 片言の英語でドアが開かない理由を聞いたら「セキュリティ」という言葉がありましたので、不審者が入らいようにしてあるということでしょうね。

 こういう二つの事件があり、おとなしくしていた方が良いと感じたので、部屋に戻り、身体がはみ出しそうな小さなベッドに横になり「うつら、うつら」していたら5時近くになっていました。
 「よし、これからパリを楽しむ旅が始まるぞ!」と気合を入れるために、シャワーを浴びることにしたのである。
 浴槽は深めで使いやすいが、ここで危うくウィーンの二の舞になるところであった。
 そう、湯船に沈めた身体を起こそうとして、またもや足が滑ったのである。
 幸い、お尻が湯船の底に当たった程度ですんだのであるが、己の重い身体と不注意に苦笑したものである。

 ところで、翌日の朝食は酷かったですね。

 <小学校の給食を思い出す朝食>


 なにしろ、バイキングだというのに9人ぐらいの定員の丸いテーブルに12~13人座らされ、普通、横向きに置く金属製の四角いお盆を縦に置いたのである。
 それに、バイキング(今の言葉ではビュッフ?)といいながら、食べ物は、ご覧のようにパンが2種類、ハム、ゆで卵(極端に黄身が少ない!)ぐらいで、野菜はなし、飲み物はジュースとコーヒー、その他に果物が少々である。
 これが豊富にあればまだ良いが、人数分ぐらいしかないのである。
 Bランクのホテルなんだ!と思ったら、同行の方が言うには「これからどんどんグレードが良くなる。」そうです。
 そう願いたいですネ。

 <次は、この日の観光先シャイとバルビゾンなどについてお伝えします。ではまた!>


 

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パリから行く小さな旅

2017年10月26日 | 旅行記
 ころのところ、鼻の中に何かできたようで痛みがあったり、原因不明の熱がでたり、指の皮が剥けるといった体調不良が続いていますが、年のせいで気にしすぎるのかも知れません。
 季節の変わり目には、こういう身体の動きがあるのかもしれませんね。

 さて、このブログでお伝えする次の旅行記ですが、2004年に旅行した「パリから行く小さな旅」にしたいと思います。
 自分でもいうのもなんですが、このころの旅行記は、面白おかしく書かれていて「わかりやすくて良いな!」と感じています。
 20004年といいますと、もう13年も前の話ですが、海外旅行に対する小生の意気込みというか感激が伝わってくる内容になったいるな!とも思います。

 今日は、まず、「パリから行く小さな旅」への小生の思いを書いた最初の部分からお伝えします。

 パリから行く小さな旅8<2004年7月17日(土)から24日(土)JTB>

 ヨーロッパは、海外旅行の中でも特に楽しいものである。
 歴史と伝統に彩られた街や、美しい自然などを見ていると、心が洗われるのである。
 私たちは、今回の旅が4回目のヨーロッパ旅行であるが、世界遺産であるモンサンミッシェルを見たいという望みを実現するためにJTBさんのこのコースを申し込んだのである。
 パリは二度目であるが、一度目はルーブル美術館、コンコルド広場、シャンゼリゼ通り、凱旋門、ノートルダム寺院以外は見ておらず、今回のの旅はパリを知る良い機会であったように思う。

  ・ バルビゾン村とフォンテーヌブロー城

<バルビゾン村>


<フォンテーヌブロー城>


  ・ シテ島(サント・シャペル、コンシェルジュリー、ノートルダム寺院)

<コンシェルジュリー>


  ・ モンサンミッシェル 

<モンサンミッシェル>


  ・ ベルサイユ宮殿とプチ・トリアノン
  ・ オルセー美術館
  ・ セーヌ川ディナークルーズ
  ・ モネの家

<モネの家>


 以上を見学したのであるが、勉強不足で自分に不満が残ろ旅であったが、どこも素晴らしく、「旅は良いものだ!」と再認識した次第である。
 また、オペラ座の位置や、地下鉄の乗り方など大変勉強になった。
 もう一度パリに行く機会があれば、「カールージュ」を使ってパリ市内を一周してみたいし、「モンマルトルの丘」に行って、無名の画家たちの作品を覗いてみたいとも思うのである。
 また、わが妻は、思う存分、買い物をしたいであろう。

 素晴らしき感動という人生の輝きを信じて、世界中を巡ってみたい二人である。

 <などと読み返してみますと、恥ずかしくもなく大げさなことを言い放っていますが、何が言いたいのかは分かりますよね?!本日は、この辺で失礼します。>
 
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タトラ山麓とスロバキア周遊の旅・最終回<ブラチスラバ旧市街散策の続き3>

2017年10月24日 | 旅行記
 22日に記事がブラヴネー広場の光景でしたが、尻切れトンになってしまいましたので、本日は、その続きをお伝えします。

<Mugiko>
 話が戻るようだけれど、ブラヴネー広場には、ギリシャ大使館とフランス大使館もあるということだけれども、撮影していないの?
 フランス大使館の前には、ナポレオンの像があって、前に来た時にはあなたとその像を入れた写真を撮影したのを思い出したわ。

 <旧市庁舎の中庭>


 <旧市庁舎の正面>


<Mgio>
 ギリシャ大使館は、日本大使館の隣に見える白い建物だよ。
 フランス大使館、日本大使館の斜め前の建物だけれど、撮影していなかったよ。
 ところで、上の2枚の写真は、旧市庁舎の中庭からの光景と旧市庁舎の正面だね。
<Mugiko>
 細長い建物の頭がちょん切れってしまった写真があるけれど、もっと良いものはないの?
 ところで、話をまたまた戻すけれど、工事中のピンクの建物、つまり大司教宮殿(Primacialny palac)だけれど、この建物は1777年から1781年にかけて建てられたブラチスラバで最も華麗な宮殿の一つだそうよ。もともとハンガリーのエステルゴムに置かれている大司教の冬の宮殿として建設され、ハンガリー王国時代には、王族が戴冠式の際にこの宮殿で盛大な晩餐会を催したともいわれているそうね。
<Mugio>
 これで、旧市街の散策を終了して、ホテルに戻って自由散策なっているけれど、僕たちは何をしようか?
<Mugiko>
 そうね?折角SJさんがスーパーに連れて行ってくれるのだから、是非、そちらに行きたいわ。
 お土産を買いたいのよ!
<Mugio>
 了解。ところで、ホテルに帰る途中にも面白い光景が見えたよ。
<Mugiko>
 面白いものって何?
<Mugio>
 旧市街には、通りや広場に多くの彫刻があって、これがとてもユニークなのさ。

 <通称「見つめる君」像>


 <同じポーズの像>


<Mugiko>
 マンホールから上半身を乗り出していて、本当に面白いブロンズ像ね。正式には「配管工の像(Scha instalatera)」というそうね。
 下の像もそれを真似ているようで、カメラを持っているのかしら?
 二つの像は並んで置いてあったわ。
<Mugio>
 君が前に言ってたようにフランス大使館の前にはナポレオン像、そして写真の二つのブロンズ像の近くには、「カメラを構えるパパラッチ像」がある。また、ほかにもユニークな像が街のあちこちにあるらしいよ。

 <パパラッチの方に触れるな!?>


<Mugiko>
 パパラッチが覗いている方向には、パパラッチという店があるのだから本当に面白いわね。
<Mugio>
 こういう光景を見ると、ブラチスラバ市民の遊び心が溢れていて愉快だね。
 次に、ブラヴネー広場からリバールスカ・ブラーナ通りをまっすぐ進むと、ホテル近くの細長い公園風のフヴィエズドスラヴォヴォ広場にでると、左側に国立劇場が立っているよ。
 それと、ホテル付近には雑貨を売る店もあって、これらの光景も楽しい旅の思い出になるね。

 <スロバキア国立劇場>


 <ホテルの前の雑貨店>


<Mugiko>
 何だかあなたの話にも「この旅が終わるんだ!」という寂しさが漂っているわね。
 さぁ、最後の晩餐の出かけましょうか!場所は、CAMOUFLAGEというレストランよ。
<Mugio>
 最後の晩餐か!メニューには、ベリコーリノチーズケーキの前菜、コンソメスープ、レバーの肉団子と野菜入り、子牛肉の蒸し煮 赤ワインソース、パンナコッタ 苺ソースかけ、となっているけれど、メニューを聞いても田舎者には何だかさっぱり分からないな!

 <チーズケーキ>


 <コンソメスープ>


 <子牛肉の蒸し煮>


 <パンナコッタ>


<Mugiko>
 SJさんの「皆様で楽しむ最後のお食事、旅の話に華を咲かせながら、とても盛り上がった夜でした。」という話がすべてを語っているようです。
 本当は、あなたの独断と偏見による味の評価が入るところだけれど、最後くらいは遠慮したら!


 <これで、長らくお伝えしてきた「タトラ山麓とスロバキア周遊の旅」の記事を終了します。それでは、次の旅行先でまたお会いしましょう!> 
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タトラ山麓とスロバキア周遊の旅<ブラチスラバ旧市街散策の続き2>

2017年10月22日 | 旅行記
 台風が近づいていますが、総選挙の投票率はどうなるのでしょうか?
 小生は、必ず選挙にはいってますが、今回は不在者投票にしました。

 さて、タトラ山麓とスロバキア周遊の旅ですが、今日は昨日の続き、ブラチスラバ旧市街の散策からをお伝えします。

<Mugiko>
 ミハエル門に着くまでに見えた面白いものって何?
<Mugio>
 そうだね!まず、ミハルスカー通りを進んでいくと見えてくる「リストの記念プレート」がある大学図書館(Univerzitna Kniznica)だね。
 そして、門の近くにあった東京やモスクワまでの表示板、門から見えたミハルスカー通りも面白いと思うな。

 <大学図書館の正面>


 <リストの記念プレート>


 <TOKYOなどへの距離>


 <門から見えるミハルスカー通り>


<Mugiko>
 ところで、これでは肝心なミハエル門の様子が分かりませんよ。
<Mugo>
 前の写真は、小さかったからどこがミハエル門なのか分からなったね。

 <ミハエル門がある建物>


 <ミハエル門>


<Mugiko>
 正面に青いタマネギ型の尖塔がある白い建物がみえるけれど、これがミハエル門?
<Mugio>
 そうなんだ。僕は、どこかの教会かな?と思ったよ。でも、近づくと確かに門があったんだ。
 この建物(門)は、18世紀にゴシック様式からバロック様式に改築されたもので、ミハエルが龍と戦う姿を表した銅像が先端を飾っているということだけれど、よく分からなったな。
 さて、ここからミハルスカー通りを戻ってブラヴネー広場(Hlavne namestie)に向かったが、長方形の広場の周りには日本大使館など興味をそそられる建物があるよ。

 <日本大使館>


 <大司教宮殿>


 <現在の市庁舎>


 <旧市庁舎の裏側>


<Mugiko>
 この4枚の光景は、皆、ブラヴネー広場にある建物なの?
<Mugio>
 そうだよ!といいたいところだけれど、旧市庁舎の横道を進むと、大司教宮殿が見えてきて、宮殿前の広場からは、現在の市庁舎や旧市庁舎(裏側)が並んでいたんだ。

 <雨がだいぶ強くなってきました。という言い訳をして本日はこれにて終了!にしたいと思います。ではまた、お会いしましょう> 
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