mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

新・戦争論

2015年01月23日 | 本と雑誌
 今日は、久しぶりに本と雑誌の記事を書こうと思ったのですが、その中にイスラム教の問題が出ていました。
 イスラム国に日本人が拉致され、身代金を要求する報道があり、無事、解放されることを祈るばかり!です。
 そのイスラム教を理解する上で欠くことができないイスラム教の対立に関する記述が、池上彰さんと佐藤優さんが書いた本「新・戦争論」にでていました。
 それは、前から気になっていた「スンニ派」と「シーア派」の違いです。

 池上さんの記述では、アラブの春の後の問題を「シリアでは、アサド政権と反政府勢力の内戦により、死者は数十万人を超え、周辺国へ逃れた難民は、180万にのぼるます。バシャール・アル=アサド大統領の独裁に反対する民主化運動だったはずが、周辺国の思惑や反政府勢力の内部の抗争で複雑化してしまったのです。」と述べ、「もともとシリアでは、イスラム教シーア派系のアラウィ派のアサド一族が、国民の70%を占めるスンニ派の住民を抑圧する構造になっていました。」と説明しています。

 そして、イスラム教の対立の基本的知識として先ほど申し上げた「スンニ派」と「シーア派」について次のように説明しています。
 
 イスラム教は大きく「スンニ派」と「シーア派」に分かれます。それは、預言者ムハンマドが亡くなった後の後継者選びに端を発する対立です。
 ムハンマドの後継者はカリフと呼ばれ、預言者の代理人です。
 このカリフには、ムハンマドの血筋を引く者がなるべきだとという信者と、ムハンマドの信頼が厚く、信者からも信頼されている人を据えるべきだという信者とで意見が分  かれたのですが、当初の三代は血筋重視よりも、ムハンマドの信頼があったほうの後継者が続きました。
 四代目でようやくアリーというムハンマドのいとこであり、かつムハンマドの娘と結婚した男がカリフになった。その子供は、ムハンマドの血を引いていることになります。
 アリーとアリーの血を引くものこそがカリフにふさわしいと考える信者たちは、「アリーの党派」と呼ばれ、やがてただ「党派」と呼ばれるようになりました。党派のことを「シーア」と呼ぶため、シーア派と称されます。
 一方、結党にこだわらないでイスラムの慣習を守ればいいと考える信者たちは、「習慣(スンナ)派」と呼ばれました。日本や欧米のメディアではスンニ派という呼び方が定着しています。全世界のイスラム教信者の八五パーセントをスンニ派が占め、シーア派は一五パーセント、スンニ派の代表的な国がサウジアラビア、シー派の代表的な国がイランです。
 
 小生などは、不勉強で両派の違いを前から気にはなっていたのですが、この記述を見て「なるほど!」と思いました。

 さて、この本には、このイスラム問題のほかに序章から「日本は世界とズレている」から始まりますので驚いてしまいました。
 そして、第1章が「地球は危機に満ちている」、第2章が「まず民族と宗教を勉強しよう」と続き、小生が旅行先として関心がある「歴史で読み解く欧州の闇(第三章)」なっています。
 さらに、前述したイスラム教の問題を記述した「「イスラム国」で中東大混乱(第四章)」、「第五章日本人が気づかない朝鮮問題」、「第六章中国から尖閣を守る方法」、「第七章弱いオバマと分裂するアメリカ」と続きます。
 その後、第八章として「池上・佐藤流情報術5カ条」と「終章なぜ戦争論が必要か」を記述しています。

 小生にとっては、新鮮で驚くような内容で自分の勉強不足を思い知らされる本でした。

 今日の巻頭写真は、小生が大好きな我が家に咲いていたバラの花です。
 

英国周遊旅行

2015年01月22日 | 旅行記
 先日、クラブツーリズム社のお世話になって英国を訪問することをお伝えしました。
 そして、このツアー「英国大周遊15日間」のどこを見学するのかを記事にしましたが、尻切れトンボに終わってしまいました。
 今日は、その続きを記事にしたいと思います。

 ●スコットランドでは・・・
  ・スコットランドに計4泊、たっぷり充実のスコットランド観光

 のところはお伝えしましたので、北アイルランドのところからお話ししたいと思います。

 ●北アイルランドでは・・・
  ・北アイルランドの首都ベルファストに2連泊、スーペリアクラスのホテルに宿泊
  ・世界遺産ジャイアンツコーズウェイ散策
  ・首都ベルファスト観光も

 ●ウェールズでは・・・
  ・コンウィ市内観光を
  ・キングサリの花が美しいボドナンドガーデンに入場

 ●イングランドでは・・・
  ・湖水地方から南イングランド、ロンドンまでたっぷり周遊
  ・湖水地方ではウィンダミア湖クルーズと蒸気機関車乗車を
  ・可愛らしい町チェスターの散策や有名ミュージシャンゆかりのパープルも
  ・シェイクスピアが生まれたストラトフォード・アポン・エイポン散策
  ・人気の蜂蜜色の村コッツウォルズでは2つの村へ
  ・謎の残る世界遺産ストーンヘンジに入場
  ・南イングランドまで足を伸ばして絶景のセブンシスターズ、世界遺産カンタベリーも
  ・ロンドン市内では大英博物館に入場、日本語ガイドがご案内
  ・ロンドンの自由時間では、お買い物のお時間もご用意

 となっています。
 
 小生のこのツアーに対する評価としては、ロンドンでのビッグベンや、世界遺産ロンドン塔、同じく世界遺産エウストミンスター寺院がいずれも車窓観光になっていたり、また、ワールド航空サービス社の名園の草花を訪ねる旅のように、いわば「いいとこ取り」がないように思えます。
 しかし、折角、英国を訪問するのですから、できるだけ多くの観光地を見たいので、今回の旅が小生の希望にピッタリ合っていると思うのです。
 その意味ではスコットランドでゴルフの名門コース、セントアンドリュース見学が入っていないのが残念ですが、NHKの朝ドラ「まっさん」の舞台となっているスコットランドのウイスキー蒸留所に行くことができるのは喜ばしい限りです。。
 最後に楽しみな場所ですが、一番はコッツウォルズの蜂蜜色の村のバイブリーですが、英国はカントリーサイドが素晴らしい!という話を聞いたことがありますので、水と緑の湖水地方も楽しみにしています。
 
 今日の巻頭写真は、トルコのパムッカレです。

次の旅行先は「英国」

2015年01月16日 | 旅行記
 5月12日出発の「英国大周遊15日間」の旅に行くことにしました。
 スイスにしようかな?とも思ったのですが、「今年はイギリスが良いぞ!」という神様のお告げがあったものですから「英国の周遊の旅」を探していました。
 そうしましたら、多くの旅行会社で同種のツアーがあり迷ったのですが、、行き先や日程、費用などを考えてクラブツーリズム社にお世話になることにしました。
 催行人員が15名で、現在、私達を含めて13名の方が申し込んでいるそうですから、もうしばらくしますと催行決定!ということになりそうです。
 旅行期間が15日間と長いのですが、その分英国を構成するスコットランド、ウェールズ、北アイルランド、イングランドを巡る旅です。

 イングランドは、国名自体がブリテン及び北アイルランド連合王国といい、国の名前のどこにも民族の要素がない、同君連合(複数の君主国の君主が同一である体制)だそうです。(池上彰、佐藤優・・・新・戦争論<文春新書>)
 分かりやすく言えば、異なる国々が連合してイギリスという国を構成していると言えると思いますが、先のスコットランドの独立運動(選挙)のように、この国は、常に民族自決的な問題を孕んでいるそうです。
 旅行者としては、こうした問題を意識しながら、それぞれの自然、歴史、文化などに関心を持てばより充実した旅ができるのではないかと思います。

 さて、話を肝心なツアーの中身に戻しますが、まず、どういう順番で4つの旧国を巡るのかを申し上げます。
 最初に成田からロンドンに飛び、乗り継いで北アイルランドのブルファストに向かいます。
 そして、北アイルランドのラーンという港町から船でブリテン島に渡り、グラスゴーなどのスコットランドを巡り、イングランドの湖水地方からウェールズのコンウィを経て、再びイングランドに戻り、最後にロンドンに向かうというコースになっています。

 次に、このイギリスの旧4カ国のどこを見るのか?という肝心な点ですが、クラブツーリズムの案内には、次のように記されています。
 ●スコットランドでは・・・
 ・スコットランドに4泊 たっぷり充実のスコットランド観光
 ・エジンバラに2連泊 スーペリアクラスのホテルに宿泊!
 ・スコットランドの首都世界遺産エジンバラではエジンバラ城に入場
 ・風光明媚なローモンド湖や、ネッシーで有名なネス湖へ
  ネス湖遊覧もお楽しみ
 ・スコットランドが誇る庭園ドラモント庭園見学(5月出発以降)
 ・ウィスキー街道と古城街道のドライブへ
  ウィスキー街道ではウィスキー蒸留所へご案内
 そして、北アイルランドでは・・・となっているのですが、記事が少々長くなってきましたので、この続きは後日お伝えしたいと思います。

 巻頭写真は、スペインのアルハンブラ宮殿です。


モスタルの象徴スタリ・モスト

2015年01月09日 | 旅行記
 あれから何年経つのでしょう?
 小生のホームページ「mugufumi夫婦の海外旅行のプロフィール」で確認したら、2010年の10月ですから、もう4年が過ぎていました。
 何の話か?といいますと、ユーラシア旅行社の「EURASIA」2月号の記事を読んでこの地のことを思いだしたのです。
 2月号には、この国の象徴である美しい石橋の写真とともに、その悲しい歴史と民族の融和の話がでていたのです。

 どこの国のことを言っているのか?旧ユーゴスラビアの一つ、ボスニア・ヘルツェゴビナのことですが、こういう記事を見ますと、訪問した時の印象が鮮やかに蘇ってきます。
 この旅は、阪急交通社のツアーで、スロベニア、クロアチア、モンテネグロ、そしてボスニア・ヘルツェゴビナを12日間で訪ねるものでした。
 旧ユーゴと言いますと、ヨーロッパの火薬庫と言われた時代もありましので、訪問を躊躇することもあった思うのですが、実際に行ってみますと、どこの国も美しい自然や歴史的な街並などがあり、悲しく厳しい戦争を乗り越えてきた!という印象を強く持ったものです。
 旅行各社のPR雑誌などを見ますと、スロベニアのブレッド湖やボストイナ鍾乳洞、クロアチアのプリトビッツェ国立公園、ドブロブニク市街などを見学するコースが多く、いずれも「一見の価値あり!」と強調したいほどのもです。
 これに比べて、モスタルは地味だとは思うのですが、ユーラシア旅行社の記事のように民族の融和を象徴する石橋として見ますと、「ああ!そうか!」と感じてしまうのです。
 それは、「チトー大統領の死後、ユーゴスラビアは各地での内戦を経て解体。ボスニア・ヘルツェゴビナも92年から95年にかけてボスニャック人、クロアチア人、セルビア人の3民族が争い、その最中、93年11月9日にクロアチア系兵の迫撃砲弾によりスタリモスト(古い橋)は破壊されてしまう。戦争終結後、川底に沈んでいた壊れた石材を集め、破壊前の姿に復旧された。・・・04年6月23日に橋の修復が完了、7月23日にオープン、翌年には、多民族の和解と共生の象徴として世界遺産に登録された。」という記事に端的に表れていると思います。
 そして、「現在、主要三民族の代表が輪番で国家元首を務め、・・・毎年夏に行われるスタリ・モストからネレトバ川への飛び込みは、かってはボスニャック人のみの伝統だったが、09年に初めてクロアチア人も参加を果たした。岸から岸へ、スタリ・モストが架け直されたように、断絶していた人々が再び手と手をとりあい始めている。」と結んでいます。

 こういう記事を読むなど、もう少し勉強してから訪問すべきだったと後悔していますが、モスタルの橋をもう一度見てみたいものだと思ようになりました。
 巻頭写真は、その美しいモスタルです。
 

新年明けましておめでとうございます

2015年01月01日 | 旅行記
 皆様!新年明けましておめでとうございます。
 今朝はお屠蘇とおせち料理を頂いて「今年も無事、スタートしたな!」という気持ちです。
 昨年は政治、経済、芸術、文化、スポーツなどどの分野でも多くの心に残ることがありましたが、中でも忘れてはならないのは災害だと思います。
 個人的には、「何事もない平凡な日々であった。」と思うのですが、この平凡さが何にも代えがたい有り難いことなのだ自覚するようになりました。
 さて、その平凡な生活の中で楽しみにしている「海外旅行」ですが、昨年は秋にバルト三国に行ってきました。
 今年はどこに行こうか?と考えていますが、贅沢な悩みなのかも知れませんね。
 そこで、皆様にバルト三国を使った賀状を差し上げたいと思います。

 新年明けましておめでとうございます。
 新年早々、赤鼻のトナカイみたいな顔を見せて申し訳ありません。
 ここは、エストニアの首都タリンの旧市街です。
 昨年の10月に訪問したのですが、バルト海を挟んで隣がフィンランド、北海道より北ですから凍えるような寒さなのです。
 それにしても美しい光景ですよね!
 バルト三国は黄葉の季節ですから、美しく色づいた樹木と赤い中世の街並でもご覧頂きたかったところですが、二人の顔が美しくないものですから遠慮しました。
 相変わらずヨーロッパの聞いたことのないような国に行っている?
 しかし、バルト三国の中で最初に訪問したリトアニアのカナウスでは杉原千畝さんの人間愛溢れる勇気ある行動に涙しながら感激したものです。
 旅は、どこにいってもこのような新たな発見があり、人生を豊にしてくれる楽しいものだと思います。
 今年はスイスでハイジの世界を味わうか、それともイギリスが良いかな?
 このような暢気な二人ですが、今年もよろしくお願い申し上げます。

 とはいいましても、話が見えないかも知れませんね。
 巻頭写真にエストニアのタリン旧市街で見つけたユニークな案内板を掲載しましたが、二人が寒さに震えながらも写っている美しいタリンの写真があり、二人の醜い顔をご覧頂いても差し支えない親族などの皆様にはその写真を付けて賀状を差し上げたのです。