mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

歌舞伎役者をなぜ屋号で呼ぶのか

2010年08月19日 | うんちく・小ネタ

 最近、歌舞伎役者がもてはやされています。

 先日も結婚の話題が日本中に広がりましたが、歌舞伎役者のことをなぜ屋号で呼ぶのか不思議でなりませんでした。

 小生は歌舞伎を直接、見たことはありませんが、テレビなどを見ますと、観客が「ナリタヤ!」とか「オトワヤ!」という声を発しています。

 こういう声を聞きますと「まるで、商売人ではないか!一体どういうことなのか?」不思議でなりませんでした。

 そこで調べてみました。どうやら、これには江戸時代の身分制度が関係しているようです。

 皆さんご存じのように江戸時代には、士農工商という良民と、その下の階層のと呼ばれる人達がいたのです。

 役者は、もともと河原乞食といわれる身分だったのですが、あるとき、役者は良民かかが問題になったそうです。

 幕府はいろいろと協議して、役者は良民であると判断したそうです。この時の役者は小大名顔負けの経済力を持っていたそうですから、これが良民と判断した材料になったのかも知れませんね。

 こうなると、役者は当然、大喜びです。それまで良民だかだかわからないまま、劇場付近にかたまって住んでいたのを、天下御免の良民だぞというので競って表通りに住み始めたのです。

  江戸時代の法律では、表通りは商家でなくてはならなかったので、団十郎、幸四郎、菊五郎などといった人達はお手のものの化粧品屋を開いたというのです。

 化粧品屋の他、小間物屋、薬屋を開いた役者もいたということですが、商いには屋号がつきものですから、あっという間に、歌舞伎役者の間で屋号で呼ぶことが流行ったということです。

 その名残がいまに残っていることではないでしょうか?

 よく調べた?「つい誰かに話したくなる雑学の本」から引用しました。

 

 

 


流れに棹さす

2010年08月14日 | うんちく・小ネタ

  先ほど、このブログを書いていましたら、姪とその子ども3人がわが家を訪ねてきましたので、中断しました。

 内容は、朝日新聞の記事、「無理なローン家失う」に対する小生の独断と偏見を書いたものでしたが、その記事が何処かに消えてしまいました。

 せっかくの力作が!と思うと残念なのですが、もう一度書くのは無理なようです。

 そこで、言葉の使い方について伝えたいと思います。

 皆さんは「流れに棹さす」という言葉をご存じでしょうか?

 言葉のイメージとしては、船に乗っている人が棒などを川底に刺して流れに逆らっている様子を指しているようですが、本当の意味は違うようです。

 「棹さす」とは、棹を川底に突き立てて、船が前に進むようにすること。つまり、流れに沿って進む、流されるという意味ですので、先ほどの解釈と正反対のことです。

 流されないように抵抗するという意味に解釈しては、有名な漱石の「草枕」の冒頭の一節の意味が不明になってしまうことになります。

 「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。」

 棹さすの意味を「人情に逆らうと、情に流される」という誠に意味不明のことを言っていることになるからです。

 漱石は「人情を大切にすると、結局、情に流されてしまう。だからこの世は住みにくい」と嘆いているからです。

 それにしても、漱石は良いことを言いますね。

 「情に流されてばかり」の小生などは、この言葉を聞いて「そうだよね!」と納得してしまいました。

 ところで、今日の晩酌は?もちろん、日本酒ですよね。

 そんなことを考えていましたら、八代亜紀さんが歌っていました舟歌が頭に浮かんできました。

 ♪♪♪ お酒はぬるめの燗がいい 魚はあぶったイカでいい ♪♪♪

 とてもいい詞ですね、小生の大好きな阿久 悠さんの作詞です。