mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

中欧ロマン紀行:スロバキアの首都ブラチスラバ

2008年05月24日 | 旅行記

 春が過ぎて、「風薫る5月」と言いたいところですが、じめじめとした「梅雨」が近づいてきました。

 年を取ると、時間が早く過ぎると感じますが、どうしてなのでしょうか?最近、年金問題が聞こえなくなってきましたので、どうしたことかと思っていましたら、今度は、「後期高齢者健康保険」?だそうです。まぁ、政治家が考えたことかどうか分かりませんが、医療費が大幅に増加するから75歳以上の方にも保険料の一部を負担して貰いましょう!ということが事の始まり、なのでしょうが、よく分からない制度ですね。また、名前が良くありませんね。小生などは、このネーミングを初めて聞いたときは、呆れました。「後期」があるのなら、「前期」がありますよね。

 保険というのは、「お互いに支えあう」という考え方が基本にあると思います。

 今、基礎年金の財源に全額税方式という話が持ち上がっていますが、小生は大胆な提案をいたします。

 年金は、加入を任意にして、全額、保険料(積み立て方式)でまかない、健康保険は、人間の命に関わる問題であるから、全額、税(消費税は反対)でまかなう。

 と言うものであるが、いかがですか?とんでもない!とお叱りを頂戴しそうそうですね。でも、健康はお金より大切なはずですが・・・・・

 さて、スロバキアですが、首都をご存じですか?答は、「ブラチスラバ」なのですが、小生なども、誠に失礼ながら、ここを訪問するまでは知らなかったのです。

 私達は、「チェコスロバキア」と言った方がなじみ深い気がするのですが、こんなこといいますと、またまた、お叱りを頂戴しそうですね。

 チェコとの連邦を解消して独立したのが1993年ですから、もう15年が経過していることになります。

 そのチェコスロバキアも、第一次世界大戦後、オーストリア・ハンガリー帝国からチェコと合併する形で独立したのですから、そんなに古い話ではないのですね。

 それまでは、約1,000年間に渡ってハンガリー王国の支配下にあったと言うのですから、チェコよりもハンガリーの影響が強く残っているのだと思います。

 面積が約48千平方キロで人口が約5百40万人、公用語はスロバキア語、通貨はスロバキア・コルナです。

 この国の歴史は、よく分からない、というのが正直な感想ですが、古代では、ケルト人が先住民で、1世紀ごろゲルマン人が支配し、5~6世紀ごろにスラブ人が移住して、大モラビア帝国を創り上げたとされています。

 その後、10世紀になるとマジャール人の侵入を受け、ハンガリー王国が成立すると、ここは北部ハンガリーと呼ばれ、ハンガリーの一部として扱われるようになったそうです。

 さらに、オスマン帝国がハンガリーに侵入すると、ブラチスラバにハンガリーの首都が移転したため、マジャール人が増加し、もともといたスラブ人の反感が高まったそうです。

 こんな、にわか勉強では、スロバキアの先住民は何人なのか?小生には、さっぱり理解できません。

 それでは、きょうはこの辺で失礼します。


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1 コメント

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とても魅力的な記事でした。 (添え状)
2014-08-23 07:41:54
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
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