mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

そうだ、京都へ行こう!の続き2

2018年11月23日 | 旅行記
 前回は比叡山延暦寺の模様をお伝えしましした。
 今日は、その後に訪れた大原周辺、特に小生が「行ってみたいな!」と思っていました、三千院についてお伝えします。
 なぜ行ってみたいと思っていたのか?ですが、ディーク・エイセスが歌っていました「京都大原三千院」ではじまる歌のメロディと歌詞が浮かんできたからです。
 小生は、この歌を聞くたびに三千院とは「恋に疲れた女が一人」訪ねるところなのかな?と思っていたからです。
 皆さんはこの歌の曲名をご存じですか?
 「女ひとり」という歌で、作詞永六輔、作曲いずみたく、となっています。
 ここで、この美しい歌の詩を確認したいと思います。

 京都大原三千院
 恋に疲れた女が一人
 結城に潮風(しおぜ)のすがきの帯が
 池の水面に揺れていた
 京都大原三千院
 恋に疲れた女が一人

 となっていますが、三千院は一番の歌詞で、二番は「栂尾(とがのお)高山寺」、三番は「嵐山大覚寺」となっています。
 三千院がどんなところなのか皆さんご存じだと思いますが、自分の勉強のためにメモを記したいと思います。
 三千院は、最澄が比叡山(滋賀県大津市坂本本町4220)に根本中堂を造営したときに建てたお堂をここ(京都市左京区大原来迎院町540)に移したものです。往生極楽院内部には定朝作の「阿弥陀三尊像(国宝)」が安置されています。
 などといってますが、もう少し観光客が少なければ「恋に疲れた女が一人」舞台として誠に相応しいところだと感じました。
 まぁ、つまらない感想はこれくらいにして、あとは小生が勝手に撮影した写真をご覧いただきながら三千院の雰囲気を味わっていただきたいと思います。

 <坂道をバス停から歩く>

 
 <同じく>


 <三千院の正面>


 <三千院の中>


 <同じく建物から外を見学>


 <三千院の庭を散策>


 <同じく>


 <通路を散策>


 <灯籠?>


 <中央の彫り物は>


 <歌のように池もありました>


 こうして振り返ってみますと、その美しさが蘇ってきますが、日本らしい美しさに「うっとり」となってしまいました。
 この童地蔵があるところから紫陽花苑、金色不動堂、観音堂などを見学したのですが、バスに帰る時間を気にしていましたので、早めに切り上げて隣の「実光院」を訪ねました。
 実光院意外に近くには宝泉院や勝林院、又、バス停から見ると反対方向になる寂光院がありますので、もう少し時間をかけて見学したいものです。
 このブログの記事も実光院を掲載しないなど慌ただしいものになってしまいましたが、「京都はいいな!」と感じた旅になりました。

 本日は、これにて終了とさせていただきたいと思います。


そうだ京都に行こう!の続き

2018年11月21日 | 旅行記
 前回は、京都の東福寺の紅葉をお伝えしました。
 今日は13日に訪れました「比叡山延暦寺」と「三千院」を中心とした大原周辺についてお伝えしたいと思います。
 延暦寺は滋賀県との境にあり、また、大原周辺も同じ方向です。私たちは、この二つの地域を巡るバスツアーに参加して見学しました。

 まず、京都駅前に9時20分に定期観光バス乗り場に集合して延暦寺に向かいました。50人乗りぐらいの大型バスでしたが、満員でしたから驚いてしまいました。
 最初に延暦寺のバス停からの様子をご覧ください。

 <バス停に到着して延暦寺に向かう>


 <同じく通路の様子>


 <通路の両側に高僧の絵画?>


 この通路を過ぎますと、やがて大講堂とその前を通って鐘撞き堂があり、下りの通路を下りますと、総合案内所が右側に見えてきます。

 <大講堂>


 <同じく大講堂>


 <案内所や根本中堂に向かう通路>


 <鐘撞き堂>


 比叡山は、京都市内より高い場所にあることから紅葉が見頃となっていましたが、小生の関心が紅葉よりも「山間に佇む日本仏教の聖地」といわれる延暦寺にあったものですから「紅葉が綺麗だ!」などという感想をもつことはありませんでした。
 さて、総合案内所の前には「根本中堂」の標識があり、その小道を下る感じで歩きました。
 根本中堂は、ちょうど工事中で建物全体がシートのようなもので覆われており、中堂という建物の撮影ができませんでした。

 <右側に根本中堂の標識>


 <比叡山延暦寺の説明看板>


 この看板には、最澄により開かれた天台宗総本山で、法然、日蓮、親鸞、道元など高僧を輩出した。根本中堂を中心とした東塔をはじめ、西塔、横川の3つの区域に分かれていることなどが書かれていました。
 さて、根本中堂の中ですが、撮影禁止でした。靴を脱いで案内された建物の中心には大きな仏像がどっしりと佇んでいました。まず、埼玉のお寺のお坊さんでしょうか?暗い中で人生のあり方みたいな話をされていました。その後、その大きな仏像に祈願などをしながら見学して、工事の足場になっている?通路を通って帰路につきました。
 外側に撮影はOKでしたから、いくつかご覧いただきたいと思います。

 <工事中の根本中堂>


 <このような美しいところも!>


 根本中堂を出ますと、目の前に段差が大きい階段があり、そこには「文殊楼」という建物がありました。

 <文殊楼への階段>


 <文殊楼の正面>


 <谷崎潤一郎の「二人の稚児より」の看板>


 なぜ、ここに谷崎潤一郎の看板があるのか分かりませんが、文殊楼の石段を舞台に「浮き世への憧れと道心の間で揺れ動いた学僧二人」を描いた小説があるからでしょうか?

 私たちは、ここから帰路についたのですが、鐘撞き堂で鐘をつくことができました。


 <本日の記事は、これにて終了です。次回は大原周辺についてお伝えしたいと思います。>

そうだ京都に行こう!

2018年11月18日 | 旅行記
 昨日は京都に到着した12日の午後に訪問した三十三間堂についてお伝えしました。
 そして、その後、紅葉が美しい!といわれる東福寺を訪れました。
 東福寺は、京都駅からJR線で行くのが普通のコースですが、私たちは三十三間堂から市営バス(240円均一)で向かいました。
 万寿寺というお寺の近くのバス停から歩くコースは、駅からのコースよりもほんの少し短かったようです。
 まず、周辺の様子をご覧ください。細い通路?ですが、南にむかって左に左に曲がりながら歩いて行きますと10分ぐらいで到着しました。

 <東福寺周辺の光景>


 <同じく周辺の景色>


 そして、左側を通行するようにを指示する警備員に導かれるように木々の向こうの通天橋を眺めることができる臥雲橋を通過しますと、東福寺に到着しました。

 <臥雲橋から見える通天橋方向の紅葉>


 <同じく>


 <同じく拡大画面>


 <東福寺の入口付近>


 この写真の入口付近を進んで行きますと、左方向の通天橋の受付がありましたので料金を払って早速、紅葉しているもみじを眺めながら散策が始まりました。
 入口の係の方の話ですと、ちょっぴり早いようですが、美しい光景が広がっていました。この紅葉が植えられている園内は、細長い通路で結ばれており、起伏があることもあり散策を十分楽しめました。

 <通天橋の紅葉の様子>


 この写真が入口付近ですが、少し雨が降ってきました。
 しかし、もう説明はいらないと思いますので、美しい紅葉のようすをご覧ください。

 <東福寺の紅葉>


 <同じく>


 <同じく>


 通天橋から見えた紅葉の様子もありますので、これも掲載します。

 <東福寺の紅葉>


 <同じく>


 それではこれにて本日の記事は終了したいと思います。
 
 
 

紅葉の京都に行ってきました!

2018年11月17日 | 旅行記
 昨年も12月に訪問しましたが、今年も紅葉と伝統文化が見たくて12日から14日までの3日間、大急ぎで京都の名所に行ってきました。
 ところが、見たいところが多すぎて行く前にどこに行こうか?とさんざん迷ってしまいました。
 その結果、12日には午後から国宝の「蓮華王院三十三間堂」と紅葉の「東福寺」をじっくり見ることにしました。
 このうち、「三十三間堂」は、国宝の仏像が全部揃っている!という好日でしたから本当にラッキーでした。
 もちろん三十三間堂を見学するのは初めてではありませんでしたが、「日本の文化財はなんと素晴らしいのだ!」と感嘆したものです。

 さて、その説明ですが、パンフレットの説明文を引用します。

 「中央の巨像(中尊)を中心に左右に各500体(国宝)、合計1001体がご本尊、正しくは「十一面千手千眼観世音(じゅういちめんせんじゅせんげんかんぜおん)」といい、当院の像は檜材の「寄木造り」で、頭上の11の顔と40種の手に表現されろ。中尊(国宝)は、大仏師湛慶(運慶の長男)82歳の時の造像で鎌倉期(建長6年)の名作と評価される。等身立像の中、124体はお堂創建時の平安期のもので、他の800余体は鎌倉期の再建の折に約16年をかけて復興された。」
 
 となっています。この説明文の表題のような言葉が「無限の慈悲・千体の観音立像」となっていますが、その歴史や名前の由来などもこのパンフレットに書いてあります。
 
 内部は撮影禁止ですから映像でご覧いただくことはできませんので、建物の外観だけでも見たいものですよね。


 <蓮華王院三十三間堂>


 <同じく>


 <方向を変えて>


 <同じく>

 
 <いいですね!> 


 さて、次は、三十三間堂からバスに乗って紅葉が美しい!と評判の「東福寺」に向かいました。
 実はここには、去年もお邪魔したのですが12月(初旬)であったことと紅葉を見ることができる時刻の16時を過ぎていたことから建物の外観だけを「ちょっぴり」見学しただけでした。
 東福寺の紅葉は「ちょっと早いかな!?」という感じでしたが、今回はじっくり見学することができました。
 東福寺見学後は、ホテルにチェックインして、この日の予定は終了しました。
 明日は、比叡山と三千院を中心とした大原周辺ですが、こちらは滋賀県との境にある高い地形にあることから今回の目的の紅葉見学にピッタリのようです。

 それでは、早速、東福寺見学の模様などをお伝えしたいところですが、準備が整い次第お伝えしたいと思います。
 本日はこれにて失礼したします。

中欧ロマン紀行<ウィーンからプラハ(チェスキー・クルムロフ)>

2018年11月01日 | 旅行記
 今日の記事は、旅行5日目にウイーンからチェコのプラハに向かいましたが、その途中、チェスキー・クルムロフという世界遺産の街を見学したところからです。

 今日は、朝5時30分にモーニングコールがあり、スーツケースの廊下搬出が6時20分、出発が7時25分と強行軍のスケジュールでしたが、小生は毎日、肩の痛み夜2回ぐらい目が覚め、朝もモーニングコールがある前に目が覚めていましたので、苦痛ではありませんでした。

 こうして、予定通りプラハを目指して出発したのですが、プラハまでの距離が長く365キロもあるのです。
 しかも、途中から雪が降り出して、辺り一面真っ白となりました。

 日本と違って、家が一軒もない光景が続きました。
 そして、その途中、世界遺産の美しい街「チェスキー・クルムロフ」によって、世界一美しい!といわれる小さな街を見学したのですが、雪に埋もれていてその美しさが一層際立っていました。

 <雪に埋もれたチェスキー・クルムロフ>

 <はいポーズ!>


 この二つの光景も十分美しいのですが、お城みたいなところから撮影した光景はまさに「メルヘン!」でした。

 <妖精が舞い落ちる街>


 ところで、この街はオーストリアなのか?添乗員さんにでも聞いてみようかな?(聞かなくても自分で「チェコ」だといってたよね。)
 話が変わりますが、帰宅してからかみさんと意見が分かれることがあります。それは、小生はこの街で昼食をしたときにホットワインをいただいたと思っていたのですが、どうやら小生の勘違いでした。

 まぁ、それはそれとして、妖精が舞い降りるような美しい街をできるだけ再現したいものです。

 <チェスキー・クルムロフの光景>

 <同じく>


 ところで、かみさんは、この街の広場でどいつのおばさん?から話しかけられ、チンプン・カンプンのようですが、適当に相づちをうってお相手をしていました。
 言葉尻から日本に行ったことがルような雰囲気でしたが、こういうハプニングは、意外と嬉しいものなんですね。

 ハプニングといえば、小生はイタリアのホテルでコーヒーを飲みながら休憩していましたが、時間を見計らって店を出ようと立ち上がりましたら「どうしてあなたは、夫人にコートを着せてやらないのか?」と詰問されたことを思い出しました。
 また、ハワイでは、歩道を歩いていましたら、反対方向からきた白人の老夫婦に抱きつくように囲まれ、「あなたの母か?」と聞かれたこともあります。年寄りを大切にするとか、親孝行という文化がない夫婦だったのでしょうか?

 <チェスキー・クルムロフのマルクト広場>


 さて、本題に戻っていただいて、上の写真はこの街のマルクト広場のようです。
 冬以外の季節では印象が違うと思いますが、買い求めたパンフレットあった写真はそれを物語るように本当に美しい光景でした。

 いろいろ申し上げましたが、ここチェスキー・クルムロフは、世界遺産に相応しい美しい街でした。この街のことが話題になりますと、二人とももう一度行きたいね!という結論になります。

 さて、ここから最後の訪問地チェコのプラハに向かうのですが、プラハまでは長いバスの旅で、やっとの思いでプラハに到着しました。
 プラハの第一印象は、静かで美しい!という感じでした。
 小生は、バスに揺られながら、「あぁー、ここが良くニュースで聞いたプラハなんだ!」、共産党時代のソ連の侵攻、いわゆる「プラハの春」という事件を思ったりしながら流れる景色に見とれていました。
 バスは地下道のようなところを通ったりしながら、かなりのスピードで走っていましたが、街全体の印象は、静かで美しいのですが、少し暗いという感じでした。

 さて、この日は、2003年の終わりの日でしたが、ディブロマットというアメリカンタイプのホテルに到着して「ほっと」したこともあり、日にちのことはすっかり忘れていました。
 そして、今夜の夕食は?と思いましたら、ホテルのレストランではなく、会議室みたいなところでの食事となりました。
 なんと表現したら良いのか?細長いテーブルに会い向かいなって座り、飲み物を注文すると、その後は一品ずつ料理が出てきました。
 
 その後、ホテルでカウントダウンパーティがあるので参加しないかと誘われましたが、私たちは遠慮するにしました。
 参加した若い女性グループは、大持てでドイツやイタリアのおじさんたちに胴上げのようなことをされたと聞きましたが、陽気な人たちがいるものですね。


 <これで本日の記事は終了です。次回は旅行6日目のプラハ市内観光です。それでは、これにて失礼します。>