mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

タトラ山麓とスロバキア周遊の旅<ブラチスラバ城>

2017年10月19日 | 旅行記
 昨日、タマネギの苗を植えてきました。
 もしかしたら、植え付け時期が半月ぐらい早いのかもしれませんが、気が短い性格なものですから、何でも「早め、早め」になってしまいます。
 苗は、その前に日に購入したのですが、もう少し大きくなったものを植えた方が育ちが良いと思います。
 何本ぐらい植えたのか?大体200本ですが、もやしの半分ぐらいの太さの苗を一本、一本植え付けていくのですから疲れてしまいます。
 元々、腰痛持ちの小生ですが、植え付けている途中に腰が痛くてまいりました。
 200本も植えて食べきれない?と思いますよね。でも、順調に育つのは、半分に満たないことが多いのです。去年などは、最初に植えた分は、全滅という状態でした。
 栽培のコツは、購入してきた苗の根が活着するかどうかだと思うのですが、水やりが足りないのかな?と考えています。

 さて、タマネギ談義はこのくらいにして、タトラ山麓とスロバキア周遊の旅の続きをレポートしたいと思います。
 前回は、ブラチスラバに近づいてきたところまでをレポートしましたので、今日はブラチスラバ城に到着したところからお伝えします。

<Mugiko> 
 前にこのお城に来た、という記憶が全くないのよ。お城の入口の右側にある建物が国会議事堂だということも知らなかったわ。
<Mugio>
 僕は、「前に来た時も門の左側を歩いた!」ということが鮮やかに蘇ってきたよ。この門を抜けると、左側に赤い屋根の低い建物、そしてその裏手に「ひっくり返したテーブル」などといわれる四隅の赤い塔が印象的な建物が見えてくるよ。

 <城の中から見た門>


 <燦然と輝くブラチスラバ城>


 <同じく城の側面>


<Mugiko>
 燦然と輝くブラチスラバ城の光景は、よく覚えているわ。
 この城は、12世紀にはすでにロマネスク様式の石造りのものがあり、その後、15世紀(1430年代)にゴシック様式の要塞に改築され、さらに、オスマン帝国の侵攻に備えて防備が強化され、17世紀(1630年代)の改築で4つの塔が付け加えられた、という歴史があるそうね。
<Mugio>
 よく勉強したね。さらに付け加えると、16世紀にはブラチスラバがハンガリー王国の首都になったので、この城はその象徴なっていた、ということだ。18世紀にはハプスブルク家の女帝マリア・テレジアの居城にもなっていたそうだ。
<Mugiko>
 ところで、この城はドナウ川の畔の小高い丘にあるので、中門のようなところからドナウ川とブラチスラバの美しい街並みが見えるわ。

 <城の中門>


 <中門の上にある彫刻>


 <陽光に煌くドナウ川>


<Mugio>
 この展望台からの景色は、本当に美しいネ。
 城の周りは良く整備された公園のようになっていて、右方向に進んでいくと、前面には旧市街が広がっていて、聖マルティン教会などが一望できるよ。
<Mugiko>
 先ほど見えたドナウ川を右に見ながら、展望台の坂道を右方向に進んでいくと、聖マルティン教会などの旧市街が見えてくる。そして、最後はブラチスラバ城を右手に見ながら帰る、ということだね。

 <ブラチスラバ城を見上げる>


 <聖マルティン教会などが見える旧市街>


 <遠方には近代的なビルなどの新市街>


 <ブラチスラバ城の横顔>


<Mugiko>
 この公園のようなコースを歩いて行くと、ブラチスラバ城ばかりではなく、ドナウ川や歴史的な旧市街など美しい光景を十分見るとことができたわ。
<Mugio>
 ところで、お城には案内看板があったり、観光用の赤い乗り物が走っていたりしたね。

 <城の案内看板>


 <赤い乗り物>


<Mugiko>
 さぁ!この後はお待ちかねの昼食よ。
<Mugio>
 SHANGHAIというレストランで中華料理をいただくだそうだよ。


 <以上がブラチスラバ城の模様です。本日のブログはこれにて終了です。ではまた!>