mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

トルコ一周とカッパドキアの旅(トロイ遺跡)

2017年05月28日 | 旅行記
 今日は午前中、畑作業をして疲れてしまいました。
 この時期にどんな作業があるのか?やりたい作業が一杯あるのですが、中でも、大豆苗の植え替えが気がかりでした。
 ところで、皆さんはビールのお供に「枝豆」をいただくと思うのですが、小生などは、この豆を見ますと「日本人でよかったな!」と思います。
 小生は、この枝豆を畑に植えているのですが、枝豆は先ほど申し上げた「大豆」と同じではないのか?と思いませんか?
 そうなのですが、枝豆は大豆が若いうちに収穫するもの?という理解をしていますが、大豆は、さやについた豆を収穫しないで秋までそのまま放置しておき、さやの中の豆が固くなったもの、ということでしょうか?
 ところが、枝豆にする種と大豆にする種の種類が違うことはご存知でしょうか?要は、大豆にもいくつか種類がある、ということですね。
 ホームセンターなどで芽出しをした大豆の苗を見かけますが、これは枝豆の苗がほとんどです。ですから、商品名も「枝豆」と表示してあります。

 などと知ったかぶりを申し上げておりましたら、肝心なトロイ遺跡についてレポートすることを忘れるところでした。
 トロイ遺跡については、HPで執筆中ですが、昨日申し上げましたようにBC1280年ごろの「トロイ戦争」のことと、BC700年ごろにこの戦争のことを書いた「ホメロス」の叙事詩のことが気になります。
 そこで、今日は「トロイ戦争」についてHPでどう書いているかをお伝えしたいと思います。

<Mugiko>
 トロイ遺跡は、日本では誰もが知っている有名な遺跡だけれど、あなたの第一印象は?
<Mugio>
 それがね?入場口の手前にある大きな「トロイの木馬」が目に焼き付いて「これは面白そう!」と期待が膨らんだのだけれど・・・
<Mugiko>
 その言い方は「ご期待!」ではなく、「残念!」という意味?

 <トロイの木馬>


 <遺跡の入口周辺>


<Mugio>
 この目に焼き付いた、というのがよくなかったね。
 なぜ、ここに木馬が置いてあるのか?というと「トロイ戦争に因んで建てられた」という説明があるけれど、僕には「ここが世界遺産のトロイ遺跡ですよ!」と観光客にアピールする為じゃないかと思うんだよ。
<Mugiko>
 あら、まあ!随分と悪口を並べたわね。
 ところで、「トロイ戦争」というのは、どういう戦いなの?
<Mugio>
 それが調べてみると、聞いたこともないような話なのさ。
 ウキペディアによれば、「トロイア戦争は、小アジアのトロイアに対して、ミューケナイ(ミケナイ)を中心とするアカイア人の遠征軍が行ったギリシャ神話上の戦争」と説明している。
<Mugiko>
 あなたのよく分からない言葉を勝手に翻訳すると「トロイア」は「トロイ」のことで、「ミューケナイ」とは、ギリシャのペロポネス地方、「アカイア人」とは、「ギリシャ人」のことのようね。
<Mugio>
 トロイ戦争は、BC8世紀の人で古代ギリシャの叙事詩「イーリアス」、「オデュッセイア」の作者とされている「ホメロス」によって描かれているそうだ。
 トロイ戦争を描いた叙事詩には、このほかに「キュブリア」「アイテオピス」、「イーリオスの陥落」などからなる一大叙事詩環があるということだ。
<Mugiko>
 一大叙事詩環とは何かしら?
<Mugio>
 さあ!よく分からないな。
<Mugiko>
 トロイ戦争の起因は、このうちの「キュプリアに次のように描かれているそうよ。
 大神ゼウスは、増えすぎた人口を調整するためにテミス(秩序の女神)と試案を重ね、遂に大戦を起こして人類の大半を死に至らしめる決意を固めた。
 オリンポスでは、人間のフティア王ペレウスと海の神テティスの結婚式があったが、この結婚式にはすべての神々が招かれたにもかかわらず、争いの神エリスだけは招かれなかった。
 怒ったエリスは、「不死の庭園の黄金のリンゴを最も美しい女神に捧げる。」と叫んで神々の座へ投げ入れた。
 金のリンゴの所有をめぐってゼウスの妻ヘラ、ゼウスの娘アテナ、美の女神アプロディーテの三女神に激しい対立が起こり、ゼウスは、このリンゴが誰にふさわしいのかトロイ王プリアモスの息子パリス王子に判定を委ねた。
<Mugio>
 さあ!それからどうなった?!
<Mugiko>
 三女神は、それぞれ最も美しい装いを凝らしてパリスの前に立ったが、なおかつ、ヘラは世界を支配する力を、アテナはいかなる戦争にも勝利する力を、アプロディーテは世界一の美女を与える約束をした。アフロディーテが約束した美女とは、スパルタ(古代ギリシャ時代の都市国家)王メネラーオスの王妃ヘレネだった。
<Mugio>
 それで、パリスはどの提案を選んだのかな?
<Mugkio>
 パリスは、その若さによって富と権力を措いて愛を選び、アプロディーテの誘いによってヘレネを奪い去った。パリスの妹トロイアの王女カッサンドラは、この事件が国を亡ぼすことになると予言したが、アポロンの呪いによって聞き入れられなかった。
<Mugio>
 なるほど!これが実話なのか、神話なのか知らないが、面白い話だね。
 それにしても、人の奥さんを奪い去る、というのはまずいよね。
 これは、戦争になるよ。
<Mugiko>
 話が長くなって疲れてきたので、遺跡の入場口やその周辺の光景を掲載して一休みしましょうか。

<木馬の右方向に入口>
 

 <トロイ遺跡の入場口付近>


 <入場口の左方向にある植物>


 <同じく左方向の通路>

 
 <ということで、この続きは、トルコに関するHPの執筆が完了してからお伝えしたいと思います。本日はこれにて失礼いたします。>

 

トルコ一周とカッパドキアの旅

2017年05月27日 | 旅行記
 毎日、畑に大豆を植えることができないで、気をもんでいますが、そのお陰で「Mugifumi夫婦の海外旅行」の執筆が進んでいます。
 現在、2010年に訪問した「トルコ一周とカッパドキアの旅」を執筆していて、旅行8日目(13日間の旅です。)の「トロイ遺跡」に差し掛かっています。

 トロイ遺跡は、エジプトのピラミッドなどとともに学校で学習したからでしょうか?名前は聞いたことがあったのです。
 そして、実際に訪問したのですが、ここがどうして世界遺産に登録されたのか?理解できませんでした。
 といいますのも、小さな丘陵のようなところに「ガラクタのような岩などが転がっている。」という表現がぴったりのような光景が広がっていたからです。
 だから、「なあんだ、がっかり!だな」などとと思いながら見学したことを思い出します。

 ところが、旅行記を書いていますと、そんなことを思ってはいけない素晴らしい遺跡だったことが分かったのです。
 何しろ、その歴史を見ますと、BC3000年~ごろからはじまっているというのですから驚きです。
 「長い期間に町が重なって卵型に出来上がったヒサルクの丘の遺構は、時代ごとに9つの市に分けられていて」、この遺構が「トロイ」だというのが大勢だそうです。
 なぜ、このように奥歯にものが挟まったような言い方になるかといいますと、これまでの発掘からは、それを明確に証拠立てる、土地や王の名を記した碑文などはいっさい見つかっていない、からだそうです。

 さて、その9つの市(時代?)は、次のように分類されています。
 Ⅰ(1)市 B.C3000年ごろ~ 初期青銅器時代。石壁と長屋のような集落小屋が残る。
 Ⅱ(2)市 B.C2800年ごろ~ 最初の繁栄期。城門、傾斜路などを持つ城塞都市。シュリーマンが財宝を発掘したのはこの層。
 Ⅲ(3)~Ⅳ(4)市 B.C2200年ごろ~ 詳細不詳。停滞またはゆるやかな発展。異民族侵入?
 Ⅴ(5)市 B.C1800年ごろ~ 繁栄期。塔を持つ城壁、宮殿らしい複数のメガロンのある城塞都市。ミケナイとの交流を示す陶器など。
 Ⅵ(6)市a B.C1280年ごろ~ 1200年頃、火災と都市壊滅。トロイ戦争はこの時期か。
 Ⅶ(7)市b B.C1200年ごろ~ 都市は引き継がれるが衰退。廃墟が放置された。
 Ⅷ(8)市 B.C700年ごろ~ ギリシャ人入植者による城塞都市再建。大きな神殿などが建設され、町はイリオンと呼ばれた。ホメロスはこのころの人。アレクサンドロスも訪れた。
 Ⅸ(9)市 B.C85年、ローマの攻撃による炎上。ローマによる再建で、劇場、浴場などが造られた。5世紀末の地震により放棄。

 小生が、ここでなぜトロイ遺跡の歴史を申し上げたのかといいますと、この分類に従って遺跡を見学したからではありません。
 6のB.C1280年ごろにある「トロイ戦争」という記述が気になるからです。
 そして、この「トロイ戦争」を描いたのが8のB.C700年ごろにある「ホメロス」という人なのです。

 そこで、小生は、ホームページの旅行記にこの「トロイ戦争」のことを記事にしてみたい!と悪戦苦闘しながら執筆をすすめています。
 このブログでもそこのところを例によって夫婦の会話形式で記事にしてみたいと思ったのですが、時間がなくなってきました。

 <トロイの木馬> 


 <入口付近の植物>


 <入口付近に猫が!>


 
 トロイ遺跡の木馬などの写真を掲載して、これにて失礼します。
 トロイ戦争とホメロスについては、次の機会にお伝えします。
 

スロバキア周遊の旅<ヘルヴァルトウの聖フランシス・アシス教会>

2017年05月23日 | 旅行記
 今日は、ボドルジャルの聖ミカエル大天使教会の見学を終えて、次に向かったヘルヴルトウ村の聖フランシス・アシス教会の様子をお伝えします。

<Mugio>
 ところで、ボドルジャルの聖ミカエル大天使教会からヘルヴルトウ村の聖フランシス・アシス教会までは、1時間強の旅だったけれど、その間の面白い光景は特になかったな。
 ただ一枚、黄葉の中に牛が遊んでいる光景が撮影できたので、それを掲載してみたいね。

 <牛が楽しそうに見える>


 <楽しい?!>


<Mugio>
 牛がいたところは、聖フランシス・アシス教会到着の30分ぐらい前だから、両教会の中間地点のようなところだね。
 ところで、聖フランシス・アシス教会には、予定どおり到着したけれど、この教会の第一印象は、樹木に覆われた黒い建物から何かが出てきそうな雰囲気でした。
<Mugiko>
 まるで、お化けでも出てきそうな言い方ね。
 教会の全体像や内部の様子、夕闇迫る時刻(17時30分過ぎ)の灯りがこぼれる光景などをじっくり見れば、教会のすばらしさが分かるはずよ。

 <聖フランシス・アシス教会>


 <教会の横顔(正面)>


 <教会の内部>


 <祭壇とイコン画>


 <イコン画の数々>


<Mugio>
 この教会が「ローマ・カトリック教会だから祭壇や壁画がこうなっている!」などという説明は僕にはできないが、木造教会の柔らかさと東方系の教会らしいイコン画の美しさは十分伝わってきたね。
<Mugiko>
 Sさんがこの教会のことを「床は石造りで、木造教会の中では珍しい形でしたが、1665年に描かれたとされる希少な壁画には、エデンの園におけるアダムとイブや、聖ゲオルギオスのドラゴン退治、最後の晩餐などが描かれていました。」と詳細な説明をしていたわよ。
 ところで、先ほど、「灯りがこぼれる光景」などと洒落たことを言ってたわね。その写真はないの?

 <洒落てはいない!?・・・帰り際に「パチリ」>


 <灯りが窓からこぼれている!>


<Mugio>
 ちょっと暗いけれど、雰囲気はわかるよね。
 1740分ごろ教会に「さようなら!」を告げて宿泊地のレヴォチャに向かったのですが、到着は19時を過ぎていました。
<Mugiko>
 夕食は、レヴォチャのホテル「U LEVA」ですが、私たちは、このホテルには泊まりませんでした。正確には、私たちを含めて5人が別のホテルに宿泊したのです。
<Mugio>
 5人は何か悪いことでもしたのか?申し込みが遅かったメンバー4人とSさんが隣のホテル「アルカーダ」に宿泊しただけのことです。
 なお、伝え聞いた話を総合しますと、私たちが宿泊したホテルの方が使いやすかったようです。

 <イタリア風トマトスープ>


 <ピリ辛サラダポレンタ添え>


 <チョコとバニラアイス>


<Mugiko>
 メインのポレンタ添えという料理が何だかよく分からないけれど、手前に揚げ物のような見えるから、ポテトコロッケのカレー風料理かしら?
<Mugio>
 全然違うね!何しろ、料理名が「インゲン、マッシュルームとトマトのピリ辛サラダ ポレンタ添え」となっているんだ。
 「ポレンタ」というのは、北イタリアを代表する食べ物で、トウモロコシの粉を沸騰したお湯やだし汁で煮込んで作るものらしいネ。
<Mugiko>
 要は、「よく分からない!}ということね。
 肝心なお味は、ABC評価ですべてBだったから悪くはなさそうね。


 <本日のレポートはこれにて終了します。さようなら!さようなら!>


スロバキア周遊の旅<世界遺産カルパチア山脈の木造教会群>

2017年05月21日 | 旅行記
 前回は、赤が美しい街バルデヨフをお伝えしました。
 今日は、旅行4日目(2011.10.14)に訪問したカルパチア山脈の木造教会群についてお伝えします。

<Mugiko>
 東スロバキア博物館には入場できなかったけれど、代わりに世界遺産になっているラドミロバの木造教会を見学できたのだから「ついている!」と思ったわ。
 ところで、世界遺産の登録名は「カルパチ山脈の木造教会群」となっているけれど、教会はいくつあるの?
<Mugio>
 2008年に登録された教会群は、次の8つの教会群から構成されている、ということだよ。(在スロバキア日本国大使館HP)
 A 聖フランシス・アシス教会
   15世紀に設立されたローマ・カトリック教会で、スロバキアで最も古い木造教会の一つ。
   所在地:ヘルヴァトウ バルジョヨフ群
 B 諸聖霊教会
   ゴシック様式のローマ・カトリック教会で、15世紀後半に原形が造られたのち、17世紀にルネッサンス様式に改築された。
   所在地:トゥヴルドシーン トルニー・クビーン郡
 C 福音派教会
   1699年に建てられた福音派教会です。
   所在地:レシュティニ ドルニー・クビーン郡
 D フロンセクの木造教会
   1726年に建てられた福音派の木造教会です。
   所在地:フロンセク バンスカー・ビストリツァ郡
 E ケジュマロクの福音派教会
   1717年に建てられた福音派教会で、金属部品は一切使用せず作られたいます。
   所在地:ケジュマロク ケジュマロク郡
 F 聖ニコラス主教教会
   1720年から1730年に建てられたキリスト正教の教会です。
   所在地:ルスカー ソブランツェ郡
 G 聖ニコラス教会
   1658年に建てられたギリシャ正教の教会で、2004年の夏に再建されました。
   所在地:ボドルジャル スヴィドニーク郡
 H 聖ミカエル大天使教会
   1742年に釘を一本も使わず建てられたギリシャ正教の教会です。
   所在地:ボドルジャル スヴィドニーク郡
 
 このうち、私たちが訪問した教会は、ADHの3つの教会で、今日はHnoミカエル大天使教会とAの聖フランシス・アシス教会の2か所の教会を見学することになっているよ。
<Mugiko>
 まず、Sさんのメモでは「ラドミロバの大天使ミハエル協会」と書いてあったHの聖ミカエル大天使教会に向かいました。
 ヨーロッパの観光といいますと、教会が思い浮かび、そして、それは、パリやローマなどの大きな教会ですが、これほど素朴で木の温もりが感じられる教会があるとは思いもしませんでした。

 <バルデヨフ近郊>


 <トイレ休憩のガソリンスタンド>


 <教会付近の光景>


<Mugiko>
 ところで、上の写真は教会とは関係のないように思えるけれど、またまた「イタズラ心」が湧いてきたの?
 私がまじめに教会の話をしているのに困ったものだわ。
<Mugio>
 そうじゃないのさ。写真の撮影場所は上に書いてある通りだけれども、どれも教会に行くまでに見えた光景で、見るもの聞くものが「スロバキアだ!」と思うと楽しいじゃないか!
<Mgiko>
 何だか分からない理屈をこねているけれども、話を聖ミカエル大天使教会に戻しましょう。

 <聖ミカエル大天使教会>


 <教会の右側の光景>


 <樹木の方向から>


<Mugio>
 教会の中身は先ほどの説明の通りだけれど、この写真を見れば君が言ったように木造教会の素朴さや温かさが伝わってくるね。
 教会の中も見学して、東方系の教会らしい素朴なイコン画があったけれど、残念ながら撮影禁止だった。
<Mugiko>
 それでも、諦めきれないように敷地の中を撮影していたけれど、何かあったの?

 <教会の墓地>


 <同じく>


<Mugio>
 ご覧のように敷地には墓地があったのさ。ほかの木造教会でも教会の敷地に墓地があったから、これが普通なんだろうね。花が植えてあって静かな雰囲気が印象的だったね。
 次に向かったのは、最初から予定されていたヘルバトロフ村の木造教会で、具体的には先ほど申し上げたAの聖フランシス・アシス教会です。
<Mugiko>
 それにしても、地名や教会の読み方が微妙に違うので戸惑ってしまうわね。例えば、旅行社からいただいた日程表では、地名が「ヘルバトロフ村」となっているのに、あなたの説明では「ヘルヴァルトウ」で、Sさんのメモでは「ヘルバルトフ」となっているのよ。
<Mugio>
 読み方だから仕方がないのさ。
 ところで、聖ミカエル大天使教会からヘルヴァルトウの聖フランシス・アシス教会までは、1時間強の旅だったけれど、その間「これ!」といった面白い光景がなかったね。
 でも、聖フランシス・アシス教会到着の30分ぐらい前のところで「黄葉の中に牛」みたいな写真が撮影できたので、これを載せようかと思うんだ。

 <この「黄葉と牛」の写真は、次回にレポートします。本日はこれにて失礼します。>

スロバキア周遊の旅<世界遺産バルデヨフ>

2017年05月18日 | 旅行記
 前回は、バルデヨフの市庁舎の模様までをお伝えしました。
 今日は、バルデヨフでの昼食の様子とパンフレットに使われているバルデヨフ市街保護区についてお伝えします。

 <野菜サラダ>


 <ズッキーニなどのパスタ>


 <アップルシュトルーデル>


<Mugiko>
 うわぁ!見るからにおいしそうね!あなたの味の評価は?
<Mugio>
 野菜サラダは、彩も良くて種類も豊富だね。文句なしのA評価だ。パスタは、ズッキーニとトマトのペンネパスタということだが、これはB評価。アップルシュトルーデルは、久しぶりに美味しいデザートをいただいた、というA評価です。
<Mugiko>
 食事の後は、メインの聖エギディウス教会の見学だけれど、事前の勉強不足で内部の写真を撮影しなかった、というチョンボがあったわ。
 ゴシック様式の美しい細工が施されているという祭壇は、その数が14と世界一多い教会で、キリストの誕生について描かれた高さ16mの主祭壇は見ごたえがある、という話だから写真がないのが本当に残念ね。
<Mugio>
 そう攻めなさんなよ。その代わりということではないけれども、寒い中を教会の塔(頂上)を目指して老体に鞭打って人一人がやっと通れるような狭い階段(石段と木製階段)を183段も登ったのですよ。
<Mugiko>
 そうね!特に、石段は150段くらいで段差も結構あったから「きつかった」けれど、お陰でパステルカラーの本当に美しい街並みを見ることができたわ。

 <これぞ!世界遺産バルデヨフの市街保護区>


<Mugiko>
 広場中央の建物が先ほどから話題になっている旧市庁舎(博物館)ね。
 この街のことを知らない人がこの写真を見れば、「オレンジ色のパステルカラーの家々が並ぶ!」という言葉が真実なんだ!と感じてもらえるわ。
<Mugio>
 これ以外にも美しい光景が写っているから掲載しておくよ。

 <周囲の光景>


 <同じく周囲の光景>


 <同じく>


 <同じく>


 <同じく>

 
<近代的な建物も>


<Mugiko>
 こういう素晴らしい光景を見ていると、世界には「知られていない名所」がまだまだたくさんある!と実感するわ。
 などと自分の言葉に酔いしれていないで、次の訪問地、ポーランドとの国境付近ラドミロバにある世界遺産の木造教会にまいりましょうか!
 東スロバキア博物館(コシュチェ)に入場できなかった代わりとして案内してくださるそうよ。

 <次の訪問地、世界遺産カルパチア山脈の木造教会群(ラドミロバ、ヘルバルトフ)については、次回お伝えします。>

 それでは、これにて!