mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

ルーマニアのアルボーレ修道院

2017年03月26日 | 旅行記
 今日は20日の記事の続きをお伝えします。
 この日は、2012年10月29日、旅行14日目ですから日本への帰国の日が近づいてきましたが、この旅の見どころである世界遺産の「5つの修道院群」を訪れていて、修道院を飾る壁画に夢中だったため、帰国のことなどすっかり忘れていました。

 さて、最後に見学したアルボーレ修道院ですが、夕刻の16時25分に到着しました。
 この修道院は、スチャバ市から北西に約30㎞、グラフモールルイから北に約50㎞のところにありますが、交通の便が良くないためのか観光客が少ないようです。
 私達が到着した時にも人影が見当たりませんので「ひっそりしている」というのが第一印象でした。

 <静寂のアルボーレ修道院>

 
 <修道院の入口>


 <アルボーレ修道院の全体像>


 修道院は、上の写真のように道路沿いに塀がありました。また、入口は、焼きレンガ造りで、中に入りますと、「モルドヴァ公国の領主が建立した他の教会堂と比べて、貴族の一人に過ぎなかったアルボレ大将が建てたこの教会堂は小さく、装飾が控えめで、全体的に質素である。(政府観光局HP)」という建物が待っていました。
 この修道院については、地球の歩き方でも、「ほかに比べると規模が小さい。モルドヴァ公国の一貴族が創建した教会堂。完成は1503年。壁画は西側に良く残っており、緑を基調としたフレスコ画が周りの芝と調和して美しい。「聖人たちに生活」と「創世記」などがえがかれている。」と説明しています。

 これらの説明を理解しながら見学すれば、よかったのですが…それでも、ほかの修道院では撮影禁止であった教会堂の中を撮影できました。

 <修道院内部の正面>


 他の修道院でも、中に入って見学して壁やイコンに描かれた色鮮やかな絵に感嘆の声を発したのですが、撮影禁止になっていました。
 「修道院内部の正面」と記しました写真は、修道院の正面にあるイコンに描かれた絵画ですが、「色鮮やかで美しい!」ですよね。
 内部で撮影した写真は「これ1枚!」ではありませんので修道院の天井、ほかの壁画をご覧ください。

 <修道院の天井や壁に描かれた絵の数々>


 <同じく>


 <同じく「聖母とキリスト?」>


 さて、私たちが訪問した時は外壁を修復中でいたが、南側の外壁には、「創世記」や「聖人伝」「最後の審判」などが描かれています。

 <修復中の建物>


 <最後の審判>


 なお、西側の外壁には、下から「コンスタンティノープルの包囲」、真ん中に「聖母お生涯」、「モーゼの物語」など、上部には「イエスのエジプト逃亡」「幼児の虐殺」があり、まるで聖書の大型絵本のようになっている(政府観光局HP)、そうですが、事前勉強していなかったため、よく見てきませんでした。

 こうして、修道院見学が終了しますと、グラフモールルイのホテルに戻って夕食ですが、レストランで「驚き」が待っていました。

 何が待っていたのか?

<昼食をいただいてましたので、ブログの執筆を中断しました。>

 私たち夫婦は、のんびり屋なものですから、集合時間の18時30分ぎりぎりにレストランに向かいました。
 今日の夕食は、ビュッフェスタイルとなっていて、そこで地元の人たちが踊るフォークショーをあるという話でした。
 私たちが驚いたのは、このフォークショーではありませんでした。

 <フォークショー>


 <同じく>


 <同じく>


 お客は、私たちのグループだけでしたが、広い部屋には2つの細長いテーブルに椅子が用意されていました。
 のんびり夫婦が驚いたのは、ほとんどの皆さんが奥のテーブルの椅子に腰かけていたことです。
 「そんなこと驚きでも何でもない!お前たちがレストランに遅れていったから、手前のテーブルに座ることになったのだろう?!」という声が聞こえそうですね。
 その通りなのですが、23名のツアーメンバーのうち、私たちを含めて4名だけが奥の19名のテーブルと同じ長さのテーブルに座ったものですから、そのアンバランス感といったら何とも言えない悪い雰囲気なのです。
 なぜ、こういうことになるのか?といいますと、ツアーメンバーの中に一人だけ嫌われている女性がいて、その女性と同席になることを嫌った結果がアンバランスの原因だったからです。
 しかも、この時には、「mugifumiさんの席は、ここにあるわよ!」と奥のテーブルに席に誘われてしまったものですから、私たちも困惑してしまいました。
 なぜ、このような旅の汚点みたいな話をここで申し上げるのか?といいますと、翌日のブカレストまでの列車の旅で誰がこの方と同席になるのかという問題があったのです。

 その席の決め方は、あみだくじによったのですが、結果的には小生のかみさんが気を使い、我が夫婦が同席になるようにくじを引いたのには、驚いてしまいました。

 それにしても、ツアーという短期間でも自分の意見に固執したりして和を乱すことは、これだけで旅がつまらなくなってしまいますので、厳に慎むべきことだと感じたのですが、こういう経験は初めてでした。

 <ビュッフェスタイルの料理>


 <野菜中心?>


 これで10月29日の予定は終了です。
 明日は、「山岳地帯から平野部へと移り変わるルーマニアの秋景色を楽しむ。」という一日列車での移動ですから観光の予定はありません。

 ということで、次回は10月30日・旅行15日目のスチャバ駅からブカレスト駅までとインタコンチネンタルホテルの様子などをお伝えします。

 それでは、本日はこれにて失礼します。
 

ルーマニアのスチェヴィツァ修道院

2017年03月20日 | 旅行記
 昨日は、氷柱が下がるチェムリナ峠の様子をご覧いただきました。この峠から次の訪問地スチェヴィツァ修道院に向かいましたが、まず、修道院に到着した時の様子からお伝えします。
 
 <スチェヴィツァ修道院入口>

 
 <同じく入口付近>


 ご覧のように、一面、黄色の絨毯が敷き詰められていました。人気がないためか「ちょっぴり」物悲しい雰囲気ですが、修道院は、黄色の鮮やかな自然美に彩られていました。
 秋深き修道院の雰囲気をもう一枚ご覧ください。

 <同じく入口付近にて>


 政府観光局のホームページでは、「この修道院は、1582年から84年の間に建造されており、彩画を持った北モルドヴァの修道院の中で最も新しいが、最も優れているといわれている。」としているが、「残念ながら新しいためか、それとも建設様式が次世代のものとみなされたためか、世界遺産の選考の際、対象外となってしまった。」と説明しています。

 しかし、最も優れている修道院が「世界遺産に登録されない!」なんてあり得ないことです。2010年に登録されています。

 さて、この修道院の説明は、政府観光局のものが丁寧で分かりやすいのですが、長文であるため、小生が政府観光局の文章と地球の歩き方の文章を適当にアレンジして説明します。
 まず、門をくぐって最初に目に入る「天国の梯子」ですが、・・・・・・
 その前に修道院の全体像をご覧いただきましょう。

 <スチェヴィツァ修道院>


 <修道院の入口付近>


 ところで、「天使の梯子」という絵は、どのようなものなのでしょうか?「梯子」という言葉がヒントになるようです。
 小生は、勉強不足で修道院の知識がなかったものですから、「梯子が描かれている写真を撮影していなかった!」と思っていたのですが、ガイドさんの説明に従って写真も撮影していましたので、この場面が書かれている壁画を近づいて撮影していました。

 <右側に小鳥が飛んでいるような形の聖人が描かれている「天国の梯子」>


 修道院の壁画は、緑をベースに主に赤紫と青を中心に描かれており、金色が多用されていて、まさに「緑と光でつくられた歌」とたたえられている(政府観光局HP)そうです。
 そして、最も顕著な壁画が「貞操のはしご」で、厳正で徳を積んだものが天使に導かれて天国へのぼり、罪を犯した者が満足げに微笑む悪魔の手に入る様子が描かれている(同上)そうです。
 ところで、この政府観光局HPの「貞操のはしご」という言葉は、「天国の梯子」と書いたつもりが誤って「貞操」となってしまっただと思います。

 この絵以外にも特徴的な壁画ありますので、地球の歩き方を引用しながら見ていきたいと思います。

 <東面の聖人伝>


 東面には、聖人や天使たちが壁を埋め尽くしている「聖人伝」がありますが、上の写真の壁画がこれにあたるのでしょうか?
 また、南面にはダビデのエッサイに始まるキリストの系譜を描いた「エッサイの樹」があるはずですが、残念ながら撮影していなかったようです。 

 <入口のアーチ部分の絵>


 そして、西側の入口アーチをくぐったところには、「最後の審判」が描かれているはずですが、この外側の壁画ではないようです。

 この修道院にも小さな博物館があるようですが、気がつきませんでした。
 修道院の見学が終了しますと、5つめの「アルボーレ修道院」に向かいましたが、その途中、真っ黒な陶器を作っているという「マジナ村」に立ち寄りました。
 ここも予定にない見学でしたが、添乗員のTさんにご配慮いただいて本当にありがたいことです。

 <マジナ村の陶器づくり>


 <陶器の完成品>


 この後は、アルボーレ修道院に向かいましたが、その状況につきましては、次回お伝えしたいと思います。
 それでは、これにて失礼します。

 
 

ルーマニアのモルドヴィツァ修道院

2017年03月19日 | 旅行記

 先日、政府観光局のHPからモルドヴィツァ修道院の歴史などを記事にしましたが、今日はその続きをお伝えします。

 この修道院に対する小生の感想は、「祭壇とイコノシスタスも素晴らしいが、反対側の壁に描かれた大きな絵が美しい!」というものです。
 これは、もしかしたら、拝廊(教会堂を入ってすぐの間)の内壁にある「聖母の祈り」や、入り口の上に絵がかれている「聖母のやさしさ」のこともかもしれません。

 <モルドヴィツァ修道院の入口>


 <門手前にある黄色く色づいた樹木>


 天気はご覧のように小雨が降る天気でしたが、入口の右側にある樹木が見事に黄葉していました。その美しさに見とれて修道院のことを忘れてしまいそうですが、まず、修道院全体の写真をご覧いただきましょう。

 <モルドヴィツァ修道院>


 <同じく修道院>


 <見張り塔?>


 これらの写真は、いずれも修道院の入口から撮影したものですが、「見張り塔?」とコメントしたものは、入口の右方、奥に見える建物です。また、左奥に進んでいきますと、
修道院の円錐角の建物が右側に見えてきます。(<同じく修道院>とメモした写真)

 この左奥(南側)には、教会堂の入口があり、玄関廊といわれていますが、とても保存状態がよく、彩鮮やかな美しい絵が私たちを待っていました。
 また、中の絵は、それ以上に素晴らしいもので、まさに感動ものの絵でした。

 <彩り豊かな入口>


 次に、下の写真は、エフレンという司教の命令で1612年に建てられたルーマニア語で土小屋(clisarnita)と呼ばれる2階建ての建物です。

 <併設されている博物館>


 この建物は、修道士の住居と細密画の教室、また、美術品の倉庫としての機能を備えていたそうで、現在は博物館となっています。
 17~18世紀の貴重書のほか、モザイク美術やロシアの女帝エカテリーナの銀彫刻などを所蔵しています。(政府観光局HP)
 私たちは、残念ながら入場しませんでした。

 続いて、この修道院の特徴となっている「コンスタンティノープルがペルシャ人に包囲された」という歴史的な場面を描いた場面(626年)を描いた外壁の絵をご覧いただきましょう。

 <コンスタンティノープルの包囲の場面>


 次の写真も同じところを撮影したものですが、「バラ」を意識しすぎて肝心な壁画がボケてしまいました。

 <同じくコンスタンティノープルの包囲>


 写真の出来が悪いのはご勘弁いただいて、この壁の絵は、626年の「コンスタンティノープルの包囲の場面」のはずですが、1453年にコンスタンティノープルが異教徒のトルコ人に征服されたことを意識して描いているのでしょうか?負けているペルシャ人がトルコ人になっているというのです。

 さて、この修道院を12時20分に「サヨナラ」して、次の訪問地「スチェィツァ修道院」に向かいました。
 でも、その前にモルドヴィツァの「PENSIUNEA VALCAN」というレストランで昼食をいただきました。

 <レストランか見えた周辺の光景>


 <レストラン入口の看板>


 <伝統的ハンバーグポテト添え>


 <季節のフルーツ>


 <デザートのケーキ>


 このほかにラダウチ風というスープがあったのですが、生憎、撮影していませんでした。
 味は、辛口の評価が多い小生には珍しく、4品とも「うまい!」と感じました。
 このレストランでゆったり時間を過ごしてからスチェィツァ修道院に向かいましたが、途中、うっすらと雪が残るチャムルナという峠を越えるのですが、ここでトイレタイムでしたが、辺りは霧に包まれ、また、建物に氷柱が下がるような寒いけれど幻想的な光景を目にすることができました。

 <手には鉄砲?>


 <霧に包まれたチャムルナ峠>


 <幻想的ですね!>


 <冷たい氷柱>


 10月下旬ですからルーマニアでは「当たり前?!」かも知れませんが、幻想的な雰囲気でしたね。
 目的地のスチェィツァ修道院は、この峠から30分弱の距離だそうです。


 そのスチェィツァ修道院については、この次にお話ししたいと思います。
 本日は、これにて失礼します。

ルーマニア、ブコビナ地方のヴォロネツ修道院とモルドヴィツァ修道院

2017年03月17日 | 旅行記
 昨日は時間がなくて、ヴォロネツ修道院の記述を途中でやめてしまいました。
 今日も、お墓参りで出かけますので時間がないのですが、なんとかヴォロネツ修道院の続きを、そしてできれば次に訪問した「モルドヴィツァ修道院」について記事にしたいと思います。

 まず、ヴォロネツ修道院ですが、地球の歩き方という本に書かれていた「通常は西方に教会の入口があるが、この修道院には最後の審判を完全に描き切るため、入口がない。」という西方の様子をご覧ください。

 <中央が審判の判定人?>


 <「天国」の隣に描かれている聖人像>
 

 <これが天国?>


 <聖人像の隣に描かれている絵>


 上の4枚は、西方に描かれていた絵を撮影したものですが、<>の説明文みたいなものは、小生が勝手にコメントしたものですから、正しい!とは言えないかもしれません。
 などといいながら、勝手に想像して申し上げますと、「審判の判定人」は、イエスキリストでしょうか?
 でも、西方の絵が最後の審判を描いたものであることは、間違いありませんが、そもそも「最後の審判」とは何なのでしょうか?
 
 地球の歩き方よれば、「最後の審判」とは、生きている人々はもちろん、すべての死者も復活して生前の行いを神に裁かれる人類最後の日。神に選ばれたものは天国の門へ、罪業の深いものや異教徒は地獄へ、天使が奏でる楽器はルーマニアのプチューンで、地獄に落ちているのはここでもトルコ人である。

 という説明ですが、「最後の審判」に対するキリスト教の一般的な考え方を説明しているのかな?と思ったのですが、後段の楽器のところからは、ルーマニアの修道院の説明になっているようです。

 それにしても、こういうキリスト教の考え方は、一見、当然のように聞こえますが、小生は違和感を覚えます。
 神などは所詮、人間が作り出したものであり、もっと人間としての苦悩をどう救うのかという視点が宗教にはあって良いと思うからです。
 「罪業深き者こそ救われる!」という浄土真宗の「親鸞」の思想などと正反対のようで、日本の仏教の方が思想として優れていると思えてなりません。

 さて、この修道院を1時間ほど見学して、次の訪問地「モルドヴィツァ修道院」に向かいました。
 「モルドヴィツァ修道院」は、グラフモールルイから50㎞弱のところにありますが、ヴォロネツ修道院からはバスで約45分のところにありました。
 この修道院は、標高1109mのチュムルナという峠の近くにある修道院と同じ名前の村にあります。
 この村は、農家の伝統的な木材の家屋が並び、どこでも屋根付きの車輪巻型の井戸が見え、農家と井戸の彩が素晴らしく、修道院の見学がてら村も見学する価値があるそうです。

 話を修道院に戻します。
 この修道院は、シュテファン大公の息子、ペテウル・ラレシュ公が1542年に建てたものです。
 四方から教会堂を囲う高さ6m、厚さ1、2mの城壁があって、数本の見張り塔が要所に配置されています。
 また、壁画は16世紀に制作されており、、当時のモルドヴァ地方の日常生活を描写する場面が見られます。
 教会内部の身廊にある「キリスト磔刑像」は、壮絶なテーマと優れた表現力で、ルネサンスのイタリアにおける「十字架降下」などに遜色のないものとなっているそうです。
 外壁の絵画は、1537年に制作され、南側の絵は保存状態がよく626年のコンスタンティノープルがペルシャ人に包囲された戦闘場面が描かれています。(政府観光局HP)


 <残念ながら、時間がなくなってきました。>
 本日は、この辺で失礼します。
 

ルーマニアのブコビナ地方のヴォロネツ修道院

2017年03月16日 | 旅行記
 今日は、ルーマニアのブコビナ地方の5つの修道院群の中から2番目に訪れた「ヴォロネツ修道院」についてお伝えします。
 
 ヴォロネツ修道院は、グラ・フモルルイから8㎞南、国道から分かれる道に入ってヴォロネツ村を通過したところにあります。
 シュテファン大公の命で聖ギオルゲに捧げる尼僧院として1488年に完成したそうです。
 修道活動は、この地がハプスブルク帝国の配下におかれるまでの300年間続きました。
 その後、共産党政権が倒れる1990年までは活動していなかった時代が続きましたが、91年に活動を再開し、現代では、修道女たちが礼拝を中心として農作業、聖画製作の生活をしながら観光ガイドを行っています。(政府観光局HP)

 <ヴォロネツ修道院の入口>


 <入口付近の建物>


 この写真を見ますと、フモール修道院と似ていますが、トンガリ棒のような丸い建物があるのが違う点だと言えると思います。

 修道院の壁画ですが、地球の歩き方では、次のように説明しています。
 東側に「聖人伝」、南面には「エッサイの木」そして西側には「最後の審判」の絵が描かれている。通常、キリスト教の入口はすべてに西側に設けられている。東エルサレムに向かって際室があり、十字架が安置されるから、入口は西方を向く構造になっているのだ。しかし、ヴォロネツの聖堂入口は最後の審判を完全に描き切るため、西方にはない。

 ということは、「最後の審判」が描かれていた西方は、小生の記憶では「奥」でしたから左上写真に写っている壁画は、東方の「聖人伝」ということになるのでしょうか。

 <聖人が描かれている壁画>


 壁を大きく引き伸ばして写してみましたが、なるほど!聖人が描かれています。<よく分からない?>
 次に、「エッサイの木を!」といいたいところですが、撮影していませんでした。
 次に、かみさんとの記念撮影した西方の「最後の審判」をご覧いただきましょう!

 <修道院の西方の光景>


 <最後の審判>


 かみさんとのツーショットが見たい?残念ながらNO!です。
 代わりに西方の壁画をもう少しご覧いただきましょう!

 と思ったのですが、時間がなくなってきました。
 本日はこの辺で失礼します。