mugifumi日誌

海外旅行の体験などのほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

チェコ:チェスキー・クルムロフ

2008年05月25日 | 旅行記

 昨日は、スロバキアのことを報告しましたが、その中で、チェコとスロバキアが連邦を解体し、2つの国家が誕生した話をしました。

 このことをビロード離婚、というそうです。チェコスロバキアの社会主義政権が倒れて民主化が達成された時に、流血を免れたことから「滑らかな布」のような革命という意味で、「ビロード革命」と言ったそうです。

 チェコとスロバキアが離婚する際にも流血騒ぎがなかったことから、連邦を解消して、分離することを人間にたとえて「離婚」と言ったのでしょう。

 もともと、一緒になりたいと思って連邦を組織した国ではなく、1992年の連邦議会で、経済改革の進め方や連邦の将来像について意見が対立し、連邦の解体になったようです。

 それでも、両国の関係は、政治的にも経済的にもうまくいっているようで、特に、両国がEUに加盟してからはパスポートやビザがなくても自由に両国間を移動できるようになったそうです。

 まぁ、夫婦がお互いの考え方や財布の中身を覗いて、喧嘩して別れたが、別れて相手を冷静に見たら、その立場や良さが分かってきた、と言うところでしょうか?

 でも、再婚はないようですよ。

 さて、次は、あの感動的な美しさの街、チェスキー・クルムロフを紹介したいと思います。

 その幻想的な美しさについては、小生のホームページ「中欧4カ国の旅の(4)チェスキー・クルムロフhttp://www.geocities.jp/sinainaruike/sub7-4.html」をご覧下さい。

 チェスキークルムロフは、で、お城を中心とした優れた建築物と文化財で有名なチェコの南ボヘミア州の小さな世界遺産の街であります。

 街の中心部をモルダウ川という美しい流れがあったと記憶していますが、クルムロフの意味が「川の湾曲部の湿地帯」ということだそうですから、「なるほど」とうなずいたものです。

 この街の歴史も複雑で、神聖ローマ帝国領ボヘミア王国の時代からオーストリア・ハンガリー帝国時代を経てチェコスロバキア領となっています。

 問題は、神聖ローマ帝国時代から続いたドイツ系住民とチェコ系住民の融和が、オーストリア・ハンガリー帝国時代からおかしくなったことであります。

 学校教育などでドイツ系とチェコ系を分離するなど民族主義の主張が強まり、さらに、第一次世界大戦でオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊するとチェコスロバキア領となったため、多数を占めていたドイツ系の住民の不満が高まったようであります。

 そして、これに乗じたようにナチス・ドイツがチェスキー・クルムロフを含むボヘミアのドイツ語圏地域の併合を強行した、そうです。

 さらに、第2次世界大戦で、ドイツが敗戦すると、チェスキー・クルムロフは、チェコスロバキアに復帰し、その結果、ドイツ系住民は、市民権と私有財産を没収され、故郷からの追放、という誠に無慈悲な政策が行われた結果、ドイツ人、チェコ人の共存の時代は、終わってしまったのです。

 その後は、ソ連による共産党の時代に入るのですが、その話は、プラハのところでしたいと思います。

 今日は、世界遺産の美しい街、チェスキー・クルムロフについてお伝えしました。

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中欧ロマン紀行:スロバキアの首都ブラチスラバ

2008年05月24日 | 旅行記

 春が過ぎて、「風薫る5月」と言いたいところですが、じめじめとした「梅雨」が近づいてきました。

 年を取ると、時間が早く過ぎると感じますが、どうしてなのでしょうか?最近、年金問題が聞こえなくなってきましたので、どうしたことかと思っていましたら、今度は、「後期高齢者健康保険」?だそうです。まぁ、政治家が考えたことかどうか分かりませんが、医療費が大幅に増加するから75歳以上の方にも保険料の一部を負担して貰いましょう!ということが事の始まり、なのでしょうが、よく分からない制度ですね。また、名前が良くありませんね。小生などは、このネーミングを初めて聞いたときは、呆れました。「後期」があるのなら、「前期」がありますよね。

 保険というのは、「お互いに支えあう」という考え方が基本にあると思います。

 今、基礎年金の財源に全額税方式という話が持ち上がっていますが、小生は大胆な提案をいたします。

 年金は、加入を任意にして、全額、保険料(積み立て方式)でまかない、健康保険は、人間の命に関わる問題であるから、全額、税(消費税は反対)でまかなう。

 と言うものであるが、いかがですか?とんでもない!とお叱りを頂戴しそうそうですね。でも、健康はお金より大切なはずですが・・・・・

 さて、スロバキアですが、首都をご存じですか?答は、「ブラチスラバ」なのですが、小生なども、誠に失礼ながら、ここを訪問するまでは知らなかったのです。

 私達は、「チェコスロバキア」と言った方がなじみ深い気がするのですが、こんなこといいますと、またまた、お叱りを頂戴しそうですね。

 チェコとの連邦を解消して独立したのが1993年ですから、もう15年が経過していることになります。

 そのチェコスロバキアも、第一次世界大戦後、オーストリア・ハンガリー帝国からチェコと合併する形で独立したのですから、そんなに古い話ではないのですね。

 それまでは、約1,000年間に渡ってハンガリー王国の支配下にあったと言うのですから、チェコよりもハンガリーの影響が強く残っているのだと思います。

 面積が約48千平方キロで人口が約5百40万人、公用語はスロバキア語、通貨はスロバキア・コルナです。

 この国の歴史は、よく分からない、というのが正直な感想ですが、古代では、ケルト人が先住民で、1世紀ごろゲルマン人が支配し、5~6世紀ごろにスラブ人が移住して、大モラビア帝国を創り上げたとされています。

 その後、10世紀になるとマジャール人の侵入を受け、ハンガリー王国が成立すると、ここは北部ハンガリーと呼ばれ、ハンガリーの一部として扱われるようになったそうです。

 さらに、オスマン帝国がハンガリーに侵入すると、ブラチスラバにハンガリーの首都が移転したため、マジャール人が増加し、もともといたスラブ人の反感が高まったそうです。

 こんな、にわか勉強では、スロバキアの先住民は何人なのか?小生には、さっぱり理解できません。

 それでは、きょうはこの辺で失礼します。

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映画:最高の人生の見つけ方

2008年05月18日 | 映画

 最近、映画にはまっています。昨日は、タイトルの「最高の人生の見つけ方」先週は「紀元前一万年」をワーナーマイカルで見てしまいました。

 そして、その前の週には、あの「相棒」をみました。どれも、劇場の大画面でみるためか、迫力があり、淀川長治ではありませんが、「映画って、本当に面白い」ものなんですね。おっと、このセリフは、淀川さんではなく、水野さんでしたね。

 そんなことより、中身を知りたいですか?「相棒」は、テレビの番組でおなじみですが、皆さん、ご覧になったことがありますか?映画の内容は、テレビと同じで水谷豊と寺脇康文が扮する警視庁特命係の「杉下右京」と「亀山薫」が活躍する連続殺人事件での犯人探しです。

 テーマとしては、海外危険地域への渡航をめぐる小泉政権時代に流行った「自己責任論」と自己責任を負わされた(実は濡れ衣だったのですが・・・)家族の悲劇と怒り、チェスゲームなどなどです。

 何のことなのか分からない?そうでしょうね。是非、映画館でご覧下さい。

 さて、次に「紀元前一万年」ですが、こちらは、映画の内容としては、「イマイチ」でした。山の高地に住んでいる主人公が愛する人をさらわれて、取り返しに行くというもので、その過程で、マンモスや虎?、大きな鳥がでてきます。人類がいくつかの部族に分かれていて、主人公の部族には、占い師のような「おばーさん」がでてきたりします。

 動物の映像は迫力があり、また、紀元前一万年の動物や人類の争いの様子が描かれてはいますが、なにか物足りなさを感じました。

 やはり、小生は「生臭い」人間のせいか、昨日、見た「最高の人生の見つけ方」が面白かったと思います。

 何の繋がりもないないモーガン・フリーマン扮する自動車整備工のカーターと、大金持ちのエドワード(ジャック・ニコルソン)がともに余命半年の末期ガンと診断され、同じ病室で治療を受けるのですが、カーターは、死ぬ前にやっておきたいことをリストとしてメモするのです。

 エドワードは、たまたま床に落ちたメモを拾って見て、メモの内容を実行しようとカーターに迫るのです。

 メモの内容は、スカイダイビング、レーシングカーの運転、ヒマラヤ登山、ピラミッド、タージマハル見学などですが、メモを書いたカーターは、できないことを書いたのではないでしょうか?(やっておきたかった、という後悔の念?)

 もちろん、二人は、これを実行するのですが、このいわば、「旅」を通じてそれぞれが心から求めていたのは何なのか、人生にとって一番大切なこととは?というテーマだと思います。

 末期ガンと余命という重い設定で、暗くなりがちですが、人間にとって何が大切なものなのか、それは「友情」と「家族愛」であると感づかされる内容でした。

 カーターが亡くなった時のエドワードの言葉(弔辞)や、ラストシーンの雪山(エベレスト?)への二人の納骨?を見ていますと涙と何とも言い難い人間の有り様をみているようでした。

 皆さんも、自分の余命が分かったらどうしますか?小生などは、映画の二人のようにしたいのですが、病気と死の恐怖で病院のベッドでのたうち回っているのではないかと思います。

 今日は、映画鑑賞についてのレポートでした。

 

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ブタペスト:漁夫の砦

2008年05月11日 | 旅行記

 前回は、小生の腰痛についてお伝えしましたが、今日は、ブタペストの建物の中で、印象に残ったマーチャーシュ聖堂と漁夫の砦についてお話したいと思います。

 中欧ロマン紀行のパンフには、「漁夫の砦を見学」となっていましたが、ここを訪れる前の小生の感じとしては、「海でもあるのかな?」と思っておりました。

 しかし、実際にって見ますと、実に印象的な施設でした。

 あえて、ここを施設という言葉を使いましたが、小振りの見晴台と言うべき丸い尖塔がいくつか並んで立っており、心に残る美しい光景でした。

 中世のブタペストでは、ドナウ川での漁業が盛んだったそうで、漁業協同組合がブタ城内にあったことから、組合員は、平時には漁業に従事し、敵が押し寄せてきたときには、ブタ城を守ったとされています。

 しかし、この砦が戦争に実際に使われたことはなさそうです。

 この美しい施設は、1895年から7年の歳月をかけて建設されたそうで、7つの尖塔があります。

 何故、7つかと言えば、ハンガリーを建国したマジャール人の部族が7つあるからだそうです。

 また、尖塔の一角には、それぞれの部族の長の像が建てられているそうです。

 残念ながら、小生は、像の確認はしなかったのですが・・・

 さて、次に、漁夫の砦と同じ敷地にある「マーチャーシュ聖堂」ですが、ここはハンガーリーが王制の時代には、波乱に満ちた王位継承を見守り続けてきた聖堂であります。

 この聖堂は、1255年にベーラ4世と言う方によって着工された聖堂で、正式には「聖母マリア聖堂」というそうです。

 しかし、1479年にマーチャーシュ1世が大改築をしたことからマーチャーシュという通称になっています。

 このマーチャーシュ1世という方は、1458年に国王になっています。

 大変、有能で経済や芸術、建築などを振興したそうですが、この方が国王になるにあたって、一悶着あったそうです。

 初代国王がローマ教皇から送られた「聖王冠」が問題になったようでして、これがないと戴冠式が行えなかったのです。

 この聖王冠は、国王よりも上位の権力の象徴だったことから、王座を狙う者たちから略奪や隠蔽工作に使われたというのです。

 マーチャーシュ1世が国王になった時には、このような内部の抗争はなっかた思いますが、聖王冠が1440年代のハプスブルク家との抗争でドイツ国王に渡っていたことから戴冠式が行えなかったというのです。

 今日は、ハンガリー、ブタペストの漁夫の砦などについてのレポートでした。

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腰痛

2008年05月08日 | 旅行記

 今日の夜中の地震、ビックリでしたね。午前1時を過ぎていた思いますが、大きな揺れの前にも小さな揺れがあったのをご存じですか?大きな被害がなくて、本当に良かったと思います。

 ところで、連休は、皆さん、いかがお過ごしだったでしょうか?小生は、畑作業が忙しくてパソコンに向かう時間が取れずに、ブログの連載ができなっかことが残念でなりません。

 などといって言い訳していますが、何でも「続ける」ということは大変なことなのだと実感しています。

 さて、その畑の忙しさですが、4月の連休には野菜の苗を買い求めていくつかのホームセンターなどに行って来ました。

 しかし、どの店の苗も何か小さくて心許ない、という感じでした。それでも、「とまと」という農家相手の店で豚ぷんなどの肥料とともに唐辛子、黒スイカ、レタスなどを買ってきました。

 でも、これでは、足りませんので、5月3日にナス、キュウリ、トマト、ゴーヤ、サツマイモなどを専門店みたいな店で買って、5日に4月に購入した分もあわせて植え付けしたのです。

 畑の作業としては、肥料と石灰を土と混ぜながら鍬で畝を作るもので、足腰を使う作業でしたが、無事、植え付けが完了しました。

 何だ、簡単ではないか!と思われるでしょうが、この他に野菜苗が倒れないように支柱を立てたり、水やりなどを行いましたので、結構、体力を使うものなのです。

 でも、小生は、「いやいや」やっているのでなく、野菜が育っていくのが楽しくて、「るんるん」気分でやっているので、ご安心下さい。

 今、植え付けたものが、目の前で育つわけはない!その通りですが、前にもお伝えしたように、青森六片ニンニクや、白と赤のタマネギ、ラッキョウ、イチゴなどの秋植えの野菜達と3月に植えたジャガイモの育ち具合がとても楽しみなのです。

 この日の作業時間は、3時間ぐらいだったと思いますが、作業終了の充実感と収穫時の歓びを考えますと、疲れも吹っ飛んでしまいそうでした。

 そして、次に植え付けるもののことを考えていたのですが、その作物は、「ピーナッツ」「ダイズ」「枝豆」であります。

 この3種類は、畑に直接、種を蒔くのではなく、ポリポットで発芽させて、ある程度大きくなってから畑に植え付ける予定にしています。

 思いついたら、その日に実行、という方法もありますが、少々疲れましたので、この日は、これで作業を終了したのです。

 そして、翌日の6日の午前中に畑の土をポリポットに詰める作業を始めたのですが、ここで、本日のタイトルである「痛い痛い」腰痛に襲われたのです。

 前屈みなりながらの作業で、「腰が疲れるな!」と感じていたのですが、ポットが20ケくらい入った容器を持ち上げた途端でした。歩こうとするのですが、腰が言うことを聞いてくれません。「しまった、やってしまった!」と後悔しても後の祭りです。

 といいますのも、小生は、4~5年くらい前には、頻繁に腰痛に悩まされていたからであります。

 畑から家までは車(軽ジープ)で5分くらいですが、なんとか家にたどり着いて、家内に湿布薬を貼って貰いました。

 いつもと違うのは、しばらくおとなしく横になっていたら、症状が軽くなってきたのです。

 「これなら明日は仕事にいけるな。」と淡い期待を抱いたのでありますが、残念ながら、翌日の朝、目が覚めてみますと、腰が材木の板のように堅く感じられ、なんとか歩けますが、痛みもあり、とても仕事にいける状態ではありませんでした。

 やむなく休暇を取って、整形外科の先生にお世話になってきました、と言いたいのですが、止めました。

 腰に太い注射を「ぶすり」としてもらうと良くなるのですが、その痛いこと、そして、運動不足のお説教などを考えると、どうもその気になれません。

 それに、前回に比べて症状も軽いし、などと言い訳しながらマッサージのお世話になることにしたのです。

 腰に違和感があり、少し歩きにくいのですが、お陰様で、ブログで報告できるまでに快復しました。

 今日は、腰痛という誠に不甲斐ないレポートでした。

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