mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

旧ユーゴスラビア4カ国の旅<ボスニアヘルツェゴビナのモスタル>

2018年04月27日 | 旅行記
 前回は、クロアチアのドブロヴニクからボスニアヘルツェゴビナのモスタルに向かう様子を記事にしました。
 今日は、モスタル到着からの模様をお伝えします。

 <フランシスコ教会>


<Mugio>
 ずいぶんとノッポの建物だね。
<Mugiko>
 ボスニアヘルツェゴビナのモスタルは、15世紀のオスマン朝の時代からの歴史があり、幾多の変遷を経てユーゴスラビア社会主義連邦共和国になったそうね。そして、1992年にボスニアヘルツェゴビナが共和国から独立を宣言すると、モスタルは、ユーゴスラビア連邦軍の攻撃を受け、モスタルの象徴であった石橋(スタール・モスト)も93年11月に破壊されてしまったそうよ。
<Mugio>
 戦争は、本当に怖いね。
 駐車場付近にあるフランシスコ教会もこの内戦で破棄されて、2003年に再建されたというから建物は新しく綺麗に見えるはずだね。
<Mugiko>
 街の北にある一般の駐車場からスタール・モストなどがある旧市街までは約1㎞だけれど、私たちは、ネレトヴァ川を挟んで東側のマーシャル・チトー(marsala Tita)という通りではなく、西側を歩いてスタールモストまでいったみたいね。

 <銃弾の跡>


 <破壊された建物>


 <旧市街を目指して歩く>


 <スタールモストに近づく>


<Mugio>
 一番下の写真「スタールモストに近づく」のところからは、数分で見所の石橋スタール・モストに到着したね。
 だけれど、この橋の周辺でネレトヴァ川を挟みイスラム教徒とクロアチア人がロケット砲や迫撃砲などで戦ったボスニア紛争の激戦地だっというから驚きだね。
<Mugiko>
 橋の袂に「DON’FORGET‘93」と刻まれた石が置かれていたけれど、それを祈念するように橋と周辺が2005年に世界遺産に登録されたということね。
 紛争の平和合意後、橋の東側がムスリム地区、西側がキリスト教地区に分離されたので、東側にはイスラム教のモスクが、西側にはキリスト教の教会が建てられたようね。
<Mugio>
 だから、橋の上から東側を眺めると、エメラルドグリーンのネレトヴァ川の右側にはモスクのミナレットが聳えているのか!

 <スタール・モストと周辺>


 <スタール・モスト>


<Mugiko>
 平和の象徴のような橋だけれども、「美しい!橋」という形容の方がぴったりだと思うわ。


 <以上で本日の記事は終了です。次回は、モスタル散策とサラエボに向かう様子をお伝えします。それでは、これにて失礼します。>


旧ユーゴスラビア4カ国の旅<ドブロヴニクからボスニアヘルツェゴビナのモスタル>

2018年04月23日 | 旅行記
<Mugiko>
 おはよう!Aさん(添乗員)の天気予報では、ドブロヴニクもモスタルも、そして、今夜の宿泊地サラエボも雨だというけれど、明るいような気がするのは私だけでしょうか?
<Mugio>
 残念ながら、ドブロヴニクは雨で風もあります。天気が良くなるようなお祈りでもしたいところですね。
 さて、今日はいつものように「ドブロヴニクの朝」からお伝えしましょう。
 ホテルは、昨日と同じドブロヴニクのインポータンヌリゾート ネプチューンですから、その評価を申し上げる必要はないのですが・・・
<Mugiko>
 が、・・・昨日何も言わなかったので、「いいたい!」という顔をしているわよ。
<Mugio>
 お許しが出たので申し上げます。このホテルは、名前の通りリゾート用のホテルのようで、海を望むポールなども整備されていました。私たちの部屋は、414号室で海が見えるバルコニーがついていました。
<Mugiko>
 あら!意外と好評かじゃないの?と思ったけれど、これから評価が下がる言葉が待っているの?
<Mugio>
 このホテルは、ドブロヴニクの旧市街のヒレ門からバスで15分くらいで、切り立った断崖に建っているホテルですから、「海の眺望は良いが、ゅうしが胃からは遠い!」といえます。
 また、大きなホテルの割にはエレベータが狭いし、部屋にはバスタブはなくてシャワーのみ、朝食会場が別棟で分かりにくいなどの欠点はありますが、部屋からの眺望や食事の量、質とも良好で、肝心な部屋の面積も悪くはありません。
<Mugiko>
 という言葉を引き取って、次は私から出発前の約束事を申し上げます。
 まず、モーニングコールですが、6時00分、荷物回収が7時15分、朝食(T階レストラン)6時30分から、ロビー集合・出発が8時00分です。
<Mugio>
 それでは早速、朝食の模様を!と思いましたが、朝の6時ごろ部屋から外を眺めていましたら、大型の船が海を悠然と動いていましたので、朝食と併せてご覧いただきましょう。

 <ホテル前を康応する豪華客船>


 <朝食・・・食べ過ぎですよ!>


<Mugiko>
 こうしてドブロヴニクに別れを告げて、アドリア海沿いの国境の町ネイムを超えて、ボスニアヘルツェゴビナのモスタルに向かいました。
 ドブロヴニクからモスタルまでは約140㎞、2時間30分と「旅のしおり」には表示されていますが、実際には何時頃到着するのでしょうか?
<Mugio>
 そんなに長くバスに乗っていられないので、9時10分頃ネイムでWC休憩と買い物をしました。
 ネイムには、26日からスプリットからコルチュラ島を訪問したときに立ち寄ったけれど、この道路沿いでネイムだけがボスニアヘルツェゴビナ領だから国境が入り組んでいてややこしいね。
<Mugiko>
 その後は再びクロアチア領に入って20㎞ぐらいかな?地図でいうと、Opuzenという表示の方向(右折)に走り、クロアチア側はMetkovic、ボスニアヘルツェゴビナ側はGadeiaという街で、10時10分ごろ再再度国境を越えてモスタルに向かったのね。
<Mugio>
 そんな感じでモスタルに着いたのですが、その間の光景を示す適切な写真が見当たらないんだよ。

 <ネイム到着前の景色(8時55分)>


 <国境手前の景色(10時3分)>


<Mugiko>
 こうして、ホテルを出発してから3時間30分という長いバスの旅でしたが、モスタルには11時30分頃到着したのです。そして、駐車場から歩いてフランシスコ教会、そして、旧市街の石畳を歩いてネレトヴァ川の石橋「スタイリー・モスト」に向かったのね。


 <中途半端ですが、本日は、モスタルの旧市街に向かうところまでをお伝えしました。次回は、モスタルの旧市街についてお伝えします。>

旧ユーゴスラビア4カ国の旅<モンテネグロのコトルからクロアチアのドブロヴニクに戻る>

2018年04月21日 | 旅行記
 旧ユーゴスラビア4カ国の旅も旅行6日目にさしかかり、モンテネグロのコトルから戻るところです。

<Mugiko>
 「コトルの城壁を登って赤い屋根が連なる旧市街とコトル湾の絶景が見られる。」という話だから頑張らなくちゃ!
<Mugio>
 でも、時間が30分間だけ、というから「ゆっくり」はできないようだよ。12時50分にはバスに戻ってレストランに向かうという予定なっているからね。

 <海と山、旧市街地の赤い屋根>


 <赤い屋根が美しいコトル旧市街>


<Mugiko>
 限られた時間の中でコトルの美しさを十分堪能できたわね。
 また、旧市街とコトル湾をバックにツアーの皆さんや添乗員のAさんとの記念写真も撮影できたので、大満足ね。
<Mugio>
 昼食は、店の前に置いてあった赤い花が印象的なレストランDOBROTSKIで「サラダ」「黒鯛のグリル」をいただくことになっているそうだ。

 <レストラン前の赤い花>


 <料理の数々>


 <タイの焼き物?>


 <これは?>


<Mugiko>
 味の評価はしないの?
<Mugio>
 覚えていないのさ!
<Mugiko>
 さて、食事の後はバスでコトル湾沿いに走り、国境を越えてドブロヴニクに戻るそうよ。
 予定では、「ドブロヴニクの自由散策」となっているけれど、「もう一度、旧市街を回って教会の中でも見るのかな?」などと考えていたら「うとうと」と眠くなっちゃったわ。バスに乗ってから1時間30分ぐらいたっていたかしら?ドライバーのマリオさんの好意でドブロヴニクの美しい写真が撮影できるという場所に案内するという車内放送があったわね。
 お陰様でドブロヴニクの美しい光景を再び見ることができたわね。

 <ドブロヴニク旧市街>


 <南方向には島が浮かんでいた>


<Mugio>
 本当にありがたい話だね。ちょっと霞んでいたけれども、お陰様でとても良い記念写真が撮影できたよ。
<Mugiko>
 あなたは、こういう遠景が好きなようね。私も嫌いじゃないけれど、ここの足下に「ひっそり」と咲いていた草花に目がいってしまったわ。

 <咲き乱れる草花>

 <ドブロヴニクを彩る>


<Mugio>
 ここからは、ドブロヴニクのヒレ門に向かいました。そして、自由行動!だから、皆さん、思い思いに行動するすのかな?と思いきや、全員が旧港からロクルム島周辺をめぐる遊覧船に乗ることにしたのだから面白いものだね。
<Mugiko>
 ロクルム島は、旧市街に約700mの沖合にある美しいビーチを持つリゾート地になっているそうね。島は、古い歴史があって、ベネディクト会修道院跡や植物園など見所が多い島だという話ね。

 <ロクルム島>


 <島に近づくと>


<Mugio>
 とはいっても、島には上陸しなかったね。ところで、「とっておき南イタリア、シチリア島」の旅で聞いたヌーディストがいるという島は、ロクルム島のことかね?
<Mugiko>
 夏には、レストランやカフェもオープンするらしいけれど、この季節には無人島であるためヌーディストはおろか人影がまったくなかったわね。

 <遊覧船から見えるドブロヴニク>


<Mugiko>
 このロクルム島は、コトルから戻るときに見せていただいたドブロヴニクの光景の中に海に浮いていた島だわね。
 ところで、無人島という話は分かるけれど、どこにビーチがあるのかしら?
<Mugio>
 本当だね。
 この時期は、海から見えるドブロヴニクの美しい光景に目がいってしまうネ。
 お腹がすいてきたよ。ホテルに戻って19時からのバイキングが楽しみだな!


 <以上で、本日の記事は終了です。次は、「ドブロヴニクからボスニアヘルツェゴビナのモスタル」をお伝えします。それでは、これにて失礼します。>

旧ユーゴスラビア4カ国の旅<モンテネグロのコトル散策>

2018年04月18日 | 旅行記
 今日は久しぶりに雨が降りましたので、一安心です。
 畑もカラカラで作物が枯れてしまうのではないか?と心配していたからです。
 それにしても、今年のお天気は気まぐれで「寒いのか?暑いのか」はっきりしませんが、地球の温暖化の影響でしょうか?春があっという間に訪れてしまい、すぐに真夏がやってきそうな感じです。体調を崩さないように気をつけたいものです。

 さて、旧ユーゴスラビア4カ国の旅ですが、今日は、モンテネグロのコトル散策をお伝えします。

<Mugiko>
 コトルの現地ガイドさんは、MRジュローさんというイケメンです。
<Mugio>
 ガイドさんもいいけれど、入口で出迎えてくれた君好みの大きな人形と「時計塔、武器広場」に目が行っちゃったな。
<Mugiko>
 あら!やいているの?

 <出迎える人形>


 <入口付近>


<Mugio>
 下の写真が、武器広場に近いところだと思うけれど、時計塔が見当たらないね。
<Mugiko>
 そうでしょうね。あなたは、下ばかりを見ていたから肝心な時計塔を疎かにしちゃったのよ。私がちゃんと撮影しておきました。

 <大きな時計塔>


 <時計塔の下に集合?>


<Mugio>
 本当にありがとう!お陰様で時計塔がどんなものなのか分かるようになったよ。
<Mugiko>
 下の写真を見ると、皆さんの前に四角錘形の石のようなものがあるけれど、面白そうね。
<Mugio>
 ところが、これは重しがっちゃいけないものらしいよ。この時計塔は、1602年の制作で、その後の地震(1667年)で落下したものだというからね。時刻は11時48分頃を示していたから、正確に時を刻んでいる、ということだね。
<Mugiko>
 時計塔の次は「ピマの館」といわれる貴族の館に向かったのね。
 私は、「この緑っぽい建物は何だろうか?」と思ったわ。
 でも、コトルには、ピマの館以外にベスクツァ、ドラゴ、ヴラキイェンなどといった多くの貴族の館があるというから、こうした館を見て回るのも面白いと思うわ。

 <ピマの館>


<Mugio>
 残念ながら、私たちが訪ねた館は、「ピマの館(Palate Pima)」だけだったな!もっと勉強してから旅行しないといけないね。
<Mugiko>
 本当ね!これらの館がどんな歴史を持っているのか分からないけれど、写真だけでもとっておけばよかったわ。
<Mugio>
 後で写真を丹念に見ていたら、その一部がわずかに写っている館もあったので、その場面で紹介するよ。
 ピマの館の南側の通路を東に向かうと、この街を代表する教会である聖トリプン大聖堂(Katedrala sv. Tripuna)がある広場に出ました。
<Mugiko>
 コトルは、ローマカトリック文化圏と東方正教文化圏の境界にあり、街には両方の教会が建っているという話ね。
<Mugio>
 聖トリプン大聖堂は、ロマネスク様式の建物で、ローマカトリックに属しているそうだ。塔以外の外観は、1160年の創建当時の姿をとどめているけれど、内部は二度の地震の後に改修されたため新しい教会だ、という話だね。

 <聖トリプン大聖堂>


<Mugiko>
 テントが張ってあるところが広場になっているのね。面白いのは、右と左の鐘楼の形が違うし、もしかしたら高さも違うのかしら?
<Mugio>
 35mと33mになっているらしいよ。
 ところで、写真の左端に赤い屋根がかろうじて写っているけれど、この建物が先ほど話題になった「ドラゴの館」だそうだ。
<Mugiko>
 この大聖堂前の広場には、撮影していないのが残念だけれど、「歴史博物館」もあるのよ。
<Mugio>
 聖トリプン大聖堂の見学が終わると、北方向にジュクルダ川近くにある「聖ルカ教会」と「聖ニコラ教会」に案内されました。

 <聖ニコラ教会>


 <聖ニコラ教会・聖ルカ教会>


 <スヴェダ・ニコラ広場>


<Mugiko>
 良く分からないのだけれど、二番目の写真に写っている広場から一番上の写真の聖ニコラ教会に向かって歩いたはずだから、掲載順序が逆でしょう!また、3番目の写真は、聖ニコラ教会から広場を撮影したものでしょう。
<Mugio>
 その通りだけれども、聖ルカを正面から撮影した写真がないのさ。仕方がないから、先に撮影した写真<聖ニコラ教会・聖ルカ教会>で楕円形の建物が見える聖ルカ教会を見てほしかったのさ。
<Mugiko>
 分かったわ。北側の大きな建物の聖ニコラ教会は、1909年に建てられた東方正教教会で漁師の守護聖人を祀っているそうね。
 そして、小さい方の聖ルカ教会は、1195年にカトリック教会として建てられ、その後、正教会として使われるようになったそうよ。(二つともセルビア正教)

 <グルボニアの館>


<Mugio>
 ここの見学が終了すると、フリータイムになったので、コトルの特徴ともなっている城壁を登ることになったが、ここの城壁は規模が大きいという話だね。
<Mugiko>
 城壁の入口は二つあって、私たちは、北側の入口から入ったみたいね。
 旧市街の背後の山に沿って築かれた城壁は、高さが最高で20m、長さは4.5㎞もあるというから、全部回るのは大変だわ。
<Mugio>
 そんな時間はないと思うけれど、頂上から眺める旧市街とコトル湾の光景は、素晴らしいもの!だというから楽しみだね。
<Mugiko>
 話は変わりますが、城壁の地図の看板が下がっている上の写真の建物は、「グルボニアの館」というそうね。



 <以上で本日の記事は終了です。次回は、コトル散策からドブロヴニクに戻る時の模様をお伝えします。それではこれにて失礼します。>


旧ユーゴスラビア4カ国の旅<ドブロヴニクからモンテネグロの「コトル」へ>

2018年04月10日 | 旅行記
<Mugiko>
 今日は、お隣の国モンテネグロのコトルを見学して、午後からはドブロヴニクに戻って「自由散策」となっているけれど、戻ってからどこを見ればいいのかしら?
<Mugio>
 それも考えなければとは思うが・・・、その出発前の予定だけれど、ホテルネプチューンに連泊だからスーツケースの整理と廊下への搬出がないので楽ちんだね。モーニングコールが7時00分、朝食が6時30分、ロビー集合・出発が8時30分だから時間の余裕がありそうだもの。
<Mugiko>
 あら!今日は、いつものような「〇〇の朝」という記事はないの?

 <朝からこんな美しい景色が!>


 <朝から大盛り?>


<Mugio>
 今朝は、昨日と同じホテルだから朝食の写真は遠慮しようと考えて、何か良いものがないか探したのさ。そうしたら、朝7時に部屋からご覧のような素晴らしい景色が撮影できたんだ。
<Mugiko>
 それなのに、恥ずかしくもなく、「大盛り」の朝食を掲載したの?
<Mugio>
 嫌みは言わないでよ。
 ところで、バスは、予定通り8時30分過ぎに出発してモンテネグロのコトルに向かったけれど・・・
<Mugiko>
 何かあったの?
<Mugio>
 15分ぐらい走ったところでバスを止めていただいて、高台からドブロヴニクのパノラマ写真タイムをとってくれたのさ。Aさんに感謝感激雨霰だね!
 本当は、2010年にスルジ山のロープウエイが復旧すると聞いていたけれど、私たちが訪問したときには開通していなかったみたいだね。

 <海と島と船>


 <こちらが本命のドブロヴニク>


<Mugiko>
 私たち、船に縁があるのかしら?
<Mugio>
 ホテルからの写真は、僕が撮影したものだけれど、君の方が腕が良いのか?素晴らしい景色の様子が伝わってくるね。下の写真も同じ場所から撮影したもので、こうして並べると、おもしろいものが撮影できたと思うね。
<Mugiko>
 ここを9時頃に出発して、約1時間バスに揺られて国境近くのガソリンスタンドでWC休憩になったけれど、この先あたりからコトル湾が陸地に食い込むなど複雑な地形になっているのね。
 そのため、カメナリ(Kamenari)という港からレベティン(Lepetane)という港までフェリーに乗って湾をショートカットするそうよ。
<Mugio>
 言葉だと分かりにくいから、コトル湾を描いたマップを掲載しようか!(このブログ記事には掲載できないようです。)
<Mugiko>
 この地図では、左側の陸地に「Bijeta」、その先に緑色で「E65」という表示があるけれど、この間に「カメナリ」という港があるの?
<Mugio>
 そういうことだね。そして、その対岸にレベティンという港がある。この部分を拡大するとLepetaneという表示が現れ、もう少し拡大するとKamenariという表示も現れるので、目をこらして確認してみてください。
<Mugiko>
 私たちは、ここをフェリーで通過してコトル(Kotor)に向かったということね。
 でも、帰路はショートカットしないで道路のみを使うということみたいよ。

 <WC休憩のガソリンスタンド>


 <カメナリ港とカーフェリー>


<Mugio>
 カメナリ港からフェリーに乗った時刻は、10時45分ぐらいで、レベティン港に着いたのが何時だったのか分からないけれど、11時40分にはコトルに到着していたね。
<Mugiko>
 つまり、フェリーに乗ってから約1時間ということね。それで、海峡を渡る様子などは撮影していないの?

 <砕ける波しぶき>


 <駐車場から歩く>


<Mugio>
 船上で撮影した「二人で、はい!ポーズ」の写真もあるけれど、それは遠慮したよ。
 ところで、これから、世界遺産の街コトルを見学すると思うと、わくわくするね。
<Mugiko>
 地球の歩き方に「モンテネグロ西部、アドリア海沿岸のボカ・コトルスカ(Boka Kotorska)と呼ばれる地域は、複雑に入り組んだ湾を形成しており、コトルは、その湾の最も奥に位置している。複雑な海岸線と険しい山々に囲まれた天然の要塞の地であることに加え、背後の山に沿って城壁が築かれるなど、堅固な要塞都市として栄えた。」と書いてあるけれど、これからもコトルというところの地形が想像できるわね。
<Mugio>
 その通りで「駐車場から歩く」の写真のように背後から山が迫っている様子が分かるね。
 私たちは、まず、「海の門」を通って旧市街地に入ることにした。
 海の門に到着する前に左側に川が流れていて、この川に沿って城壁と城塞が築かれていたのが見えたが、この川は、シュクレダ川というらしいね。
 ということは、私たちは、コトル旧市街の北側を歩いてきたということのようだね。

 <シュクレダ川と城壁>


 <旧市街の「海の門」に向かう>


<Mugiko>
 ねえ、ねえ、モンテネグロの意味は、「黒い山」ということらしいけれど、上の写真のようにコトルの背後にそびえる山々は、まさにそんな感じがするわ。
<Mugio>
 そうだね!海の門をくぐると、「二つの人形」が出迎えてくれて、その先には「時計塔」と「武器広場」が広がっていたね。


 <以上で、「ドブロヴニクからモンテネグロのコトルへ」の記事を終了します。次回は、「モンテネグロのコトル散策」です。それでは、これにて失礼します。>