mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

オーシャンズ

2010年01月31日 | 映画

 今日は久しぶりに映画でも見に行こうか?という夫婦の合意が成立しましたので、これから出かけてきたいと思います。

 小生は、今評判の「アバター」を3Dで見たいと思うのですが、どうも違うものになりそうです。

 実はこの映画は、前に予告編を見ており、小生は「次はこれだな!」と思って「ワクワク」しながら空を飛ぶ半人間みたいな人間がでてくる画面を眺めていました。こんな「素晴らしい映像はない!」という心境だったのですが、かみさんは「気持ちが悪い!」という評価(というより、この種の映画がすきではない?)でした。

 まぁ、そんなことで今日見る映画は「オーシャンズ」という映画に落ち着きそうです。

 この映画は、次のような内容になっています。(ワーナーマイカルさんの劇場案内)

 未体験の感動を約束する、未だかってないネイチャー・ドキメンタリー

 画期的な映像システム(猛スピードで泳ぐ魚たちをまったくブレずに撮影できる、世界に一台しかないステディカム)を駆使して、北極海から南極海、珊瑚礁に彩られる美しい海に、冷たい氷で覆われた海など、世界各地にいる生物たちの姿をとらえる。猛スピードで泳ぎ、ジャンプするイルカ、ゆったりと海の底へ沈んでいくマンタ。光のない海底にまで、そこで生きている命は存在している。

 構想10年、撮影期間4年、使用したフィルムは470時間ーーー『WATARIDORI』で観るものを魅了したジャック・ペラン(『ニュー・シネマ・パラダイス』や『コーラス』の名優として知られている)が、世界中の海を取材したネイチャー・ドキメンタリー。世界50カ所で、100種類以上もの海洋生物を撮影。超一流のカメラマンたちが奇跡の一瞬をとらえるために、執念と努力を重ねた末に撮影された映像の数々が映し出される。本作のための開発された最新の撮影技術を駆使してとらえられた決定的な瞬間は美しく、そして驚異的だ。特にステディカムのスピーディーな映像は、まるで魚になったような臨場感で楽しませてくれる。

 というものです。

 アバターもいいと思いますが、この「オーシャンズ」もそれ以上に素晴らしいかもしれません。

 実際はどうだったか、楽しみに待っていただきたいと思います。


海外旅行:行ってみたいところ

2010年01月30日 | 旅行記

 今年の海外旅行の予定は?と聞かれますと、1月6日のブログでお伝えしたとおりです。

 ということですと、面白くも何ともないのですが、6日のブルグでお伝えした小生の気持ちは変わっていません。

 ところで、最近、ペルーのマチュピチュで大雨が降って、鉄道と道路が不通となって、日本人も含めて大勢の観光客がマチュピチュに取り残されたそうです。報道を見ていますと、ヘリで脱出しているそうですが、一時はかなり時間がかかるということでしたが、無事、全員がクスコなでに戻ることが出来たようです。

 日本で帰りを待っているご家族の皆さんは「ホット」されたのではないでしょうか。

 でも、小生が見ているパンフでは、クスコという街?は、マチュピチュより標高がかなり高いことから、クスコへ脱出したという話は、小生のうろ覚えで間違っているのかもしれませんね。

 ちなみに、マチュピチュは2,460㍍、クスコは3,400㍍、チチカカ湖は3,812㍍、地上絵で有名なナスカは588㍍だそうです。

 マチュピチュやクスコ、プーノ(標高3,800㍍)というところに宿泊するそうですから、凄い旅ですが、とても魅力的な旅ができそうです。

 南イタリア・シチリア島の旅でご一緒した方の話ですと、軽飛行機でナスカの地上絵を見たそうですが、この飛行機に酔ってしまった(気持ちが悪くなってしまった)ということでした。      

 でも、パンフを見ていると、ブラジルとアルゼンチンにまたがるイグアスの滝などに行くコースもあり、そんなマイナス面を考慮しても余りあるほど魅力的な旅が出来そうです。

 なぜ、こういう話をするかといいますと、事故のニュース以前に「トルコ」や「クロアチア」をやめて「思い切ってペルーなどの南米周遊の旅に行こうか!」と話していたからです。

 そして、二人で話し合った結果、今年は「クロアチア」と「中国:九賽溝」に行くことにしました。

 来年(2011年)は、そうなると「南米かトルコ」となりそうですが、またまた迷いそうです。

 さらに、小生の頭の中には、これ以外に通常のツアーでは訪れない「美しい自然と調和した中世の街並みが静かに息づいている」ところ(フランスやイタリア、スペインなど)をじっくり見たいという気持があります。

 また、ローマやウィーン、パリなど一カ所の街だけを「じっくり」楽しむコースも魅力的ですね。

 ついでに、一つの国を余すところなく周遊するという旅も悪くありませんね。

 「それもこれも、みんなヨーロッパではないか!」といわれそうですが、これから行きたいところは、HPに掲載していますので是非、ご覧下さい。

 http://www.geocities.jp/sinainaruike/jiko-syoukai2.html

  本日は、これにて失礼します。 

 


般若心経6

2010年01月29日 | 本と雑誌

 般若心経も終わりに近づいてきました。

 今日は最後の「故知(こーちー)」からはじめます。

 故知(こーちー) 般若波羅密多(はんにゃーはーらーみーたー) 是大神呪(ぜーだいじんしゅー) 是大明呪(ぜーだいみょうしゅー) 是無上呪(ぜーむーじょうしゅー) 是無等等呪(ぜーむーとうどうしゅー) 能除一切苦(のうじょーいっさいくー) 真実不虚(しんじつぶーこー) 故説般若波羅密多呪(こーせつはんにゃーはーらーみーたーしゅー) 即説呪日羯諦羯諦波羅羯諦(そくせつしゅーわつぎゃーていぎゃーていはーらーぎゃーてい) 波羅僧羯諦(はらそうぎゃーてい) 菩提薩婆訶(ぼーじーそわかー)

 般若心経(はんにゃーしんぎょう)

 ということで、これにて般若心経を終わりにします。

 といいたいところですが、芳彦(ほうげん)氏の現代語訳があります。

 「もうお分かりでしょう。このような考え方、感性を身につけるのに、素晴らしい呪文があります。

 それは、ギャーテー・ギャーテー・ハーラーギャーテー・ハラソーギャーテー・ボージー・ソワカという真言です。」

 「さあ、般若の心は実践あるのみ(心をそうじしていきましょう)。」

 

 

 と訳していますが、「なーんだ!最後はよく分からない呪文か?」という気持を抱きました。      

 般若心経を勝手に要約すれば、次のようなことでしょうか?

 観音さまのように物事やその働きを心静かに観察する智慧を使って、そこから共通の法則を見つけ出すと、心が自由自在になれる。それは、素晴らしい心の広がりを持ち、充足感に満ち満ちたどしっりしたものである。このような考え方、感性を身につける呪文が「ぎゃーてー」以下の真言である。

 ということで、毎日、毎日、心静かに物事やその働きを観察する智慧(諸行無常?)は使いたいものですが、なかなか「ギャーテー」とは言えないでしょうね。

 でも、よく考えますと、「ギャーテー」という真言を唱えることが大事ではなく「物事にこだわらないための心の大そうじ」が大事なんだと思い直しました。皆さんはどのように感じたでしょうか。

 これにて名取芳彦(ほうげん)さんが書いた本(般若心経、「心の大そうじ」)による記事は、ひとまず終了いたします。


般若心経5

2010年01月28日 | 本と雑誌

 昨日に続いて般若心経の現代語訳と小生の独り言をお伝えします。

 まず、今日お伝えするお経は(昨日の続き)

 菩提薩堹(ぼーだいさつたー) 依般若波羅密多(えーはんにゃーはーらーみーたー) 故心無罣礙(こーしんむーけーげー) 無罣礙故無有空怖(むーけーげーこーむーうーくーふー) 遠離一切顚倒夢想(おんりーいっさいてんどうむーそう) 究竟涅槃(くーきょうねーはん) 三世諸仏(さんぜーしょーぶつ) 依般若波羅密多故(えーはんにゃーはーらーみーたーこー) 得阿退耨多(とくあーのくたー) 羅三藐三菩提(らーさんみゃくさんぼーだい)

 とありますが、それにしてもこの漢字がなかなか表示されません。「竟」という字は、「ひっきょう」と打って表示されましたが、先生が表示したかなは、「ぎょう」としてありましたので、調べても調べても表示されませんでした。本当に根気がいる作業ですね。でも、漢字を探していて面白いことに気づきました。漢字の意味が何となくなく分かって来るのです。

 まぁ、それはそれとして、現代語訳は、次のようです。

 「仏さまたちは皆、物事やその働きを心静かに観察する智慧を使って、そこから共通の法則を見つけだしました。それを見つけ出すと、心が自由自在になれるのです。何かを怖がることもなくなり、現実を無視して「こうであったらいいのになあ」などと夢見るようなこともなくなります。それはそれは素晴らしい心の広がりを持ち、充足感に満ち満ちたどっしりしたものです。」

 というものですが、物事や働きの共通の法則を見つけられない小生などは、心が自由自在ではないということですね。昨日の続きからすれば、その原因は、「何かにこだわっている」からということになるのでしょうか。

 また、現実を無視して「こうであったらいいのになあ」という思いを抱くことが度々あるのですが、仏の心(素晴らしい心の広がり)に到達することは、とても出来ないということでしょうね。

 では、今日はこの辺で。  


般若心経4

2010年01月27日 | 本と雑誌

 般若心経も4回目となりました。「続々々」というタイトルでも良いのかな?なんて思いますが、どういう表現がよいのでしょうか?

 さて、本論を続けます。

 無無明(むーむーみょう) 亦無無明尽(やくむーむーみょうじん) 乃至無老死(ないしーむーろうしー) 亦無老死尽(やくむーろうしーじん) 無苦集滅道(むーくーじゅうめつどう) 無智亦無得(むーちーやくむーとく) 以無所得故(いーむーしょーとつこー)

 この経に対する「名取芳彦(ほうげん)流」現代語訳は、

 「よく人は年は取りたくないと言いますが、年を取るというのはある意味では成長するということ、死にたくないとい言いますが、それは死んだ後のことがわからないからでしょう。生まれる前と死んだ後に行くところは同じだから安心していいのです。元いた場所に帰るということなのです。

 私たちはいろいろなことにこだわり過ぎるからいけないのです。こだわるということは、そこにじっとしているということです。じっとしていたのでは他の素晴らしい世界を知ることもできません。心を自由自在にしていきましょう。」

 小生などは、「年は取りたくない」という気持は、まだ薄いと思いますので、今のところ「気が若い!」ということでしょうか。でも、「成長」はしていないようです。

 また、「死にたくない」に関しては、それほど意識したことがありませんが、「行くところが同じだから安心しろ」という話は、「生きている」現世は、生まれる前と死んだ後に行くところと違うということになります。

 小生は、現世に執着する人間で、しかも、生まれる前と死んだ後の世界がどのようなものか理解できないものですから、この説明では安心できないのですが、いかがでしょうか。

 さらに、「いろいろなことにこだわるな」と言われても、なかなかそれが出来ないのが人間ではないでしょうか。

 では、こだわる物は何か?ということになりますが、「愛情」「お金」「名誉・地位」「仕事」などなどだと思います。

 小生などは、海外旅行や園芸、おいしい食べ物などということになりますが、全て自分のためのものであって、社会的に何の役にも立たないものばかりで、誠にお恥ずかしい限りです。

 今日は、かみさんが友達と東京に遊びに行きました。

 小生も、これから「美味いもの」でも食べに行きたいと思いますが、「美味しいものにこだわる」のは「食べ物がない世界中の貧しい人達」からみれば、とんでもない話で、それは、般若心経の教えに背くということでしょうか?

 まぁ、それほど「こだわって」はいませんが、豊かな国に生きていることへの感謝の気持ちだけは持ちたいものです。