mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

トルコ一周とカッパドキアの旅<トロイ遺跡の続き>

2019年07月10日 | 旅行記
 前回に続きましてトロイ遺跡についてレポートしたいと思います。

<Mugiko>
 ハインリッヒ・シュリーマンは、仕事を辞めてから古代ギリシャの研究を続け、ヒサルクの丘に目をつけると、4才の1871年から発掘を開始しました。
 73年ついにⅡ市の層で黄金の首飾り、壺や杯などの多数の財宝を掘り当て、丘がトロイであることを証明、衝撃を与えました。シュリーマンは、これをプリアモス王の財宝としました。
 しかし、今ではⅥ市またはⅦ市が物語の舞台と考えられています。
<Mugio>
 などと二人で知ったかぶりをして説明していますが、これは全部、ウキペディアや「わがまま歩き」という旅行雑誌を読んで要約したものです。
 でも、これらの文章を読んでも理解できないところがたくさんあります。
<Mugiko>
 例えば、「Ⅱの層」とか「Ⅵ市」「7市」とは何でしょうか?
 そして、「プリモスの妻ソフィア」の写真のようなものが展示されていますが、シュリーマンは、彼女が身につけていた財宝が「Ⅱ市」の層から出土したものと勘違いしていて、本当はⅥ市またはⅦ市の層から出てきたものだということでしょうか?
<Mugio>
 「よく分からない!」ということがよく分かったネ。
 「なんとか市の層」というのは、「長い期間に町が重なって卵形にできあがったヒサルクの丘は丘の遺構は、時代ごとに9つの市に分けられている。」という説明があるので、トロイ遺跡には、長い歴史を示す遺構が9つの層に重なっている、ということのようだね。
<Mugio>
 参考に、9つに分類されている「市」を勉強したいところね。

 Ⅰ市 B.C3000年頃~ 初期青銅器の時代、石壁と長屋根の小集落が残る。
 Ⅱ市 B.C2800年頃~ 最初の繁栄期、城門、傾斜路などをもつ城塞都市。シュリーマンが財宝を発見したのはこの層。
 Ⅲ市~Ⅳ市 B.C2200年頃~ 詳細不明。停滞または緩やかな発展。異民族侵入?
 Ⅴ市 B.C1800年頃~ 繁栄期。塔を持つ城壁。宮殿らしい複数のメガロンのある城塞都市。mケナイとの交流を示す陶器など。
 Ⅵ市a B.C1280年頃~ 1200年頃火災と都市壊滅、トロイ戦争はこの時期か?
 Ⅶ市b B.C1200年頃~ 都市は引き継がれるが、衰退。廃墟が放置された。
 Ⅷ市 B.C700年頃~ ギリシャ入植者による城塞都市再建。大きな神殿などが建設され、町はイリオンと呼ばれた。ホメロスはこの頃の人。アレクサンドロスも訪   れた。
 Ⅸ市 B.C85年 ローマの攻撃による炎上。ローマによる再建で、劇場、浴槽などが造られた。5世紀の地震により放棄。

<Mugio>
 ということで、この遺跡を見学するために必要な予備知識は、頭に入ったと思うけれど、トロイ戦争の続きの「奥さんを奪い去った」後の話が面白そうだね。
<Mugiko>
 奥さんを奪い去られたスパルタ王メネラーオスは、兄でミュケナイ王のアガメムノーンに事件を告げ、かつ、オデュッセウスとともにトロイアに赴いてヘレネの引き渡しを求めた。しかし、パリスは、これを断固拒否したため、アガメムノーン、メネラーオス、オデュッセウスは、ヘレネ奪還とトロイア懲罰の遠征軍を組織した。ということよ。
 そして、神々も両派に分かれ、ヘラ、アテナ、ポセイドンがギリシャ側、アポロン、アルテミス、アプロディーテがトロイア側に味方した、というのだからいかにも神話だな!という感じがするわ。
<Mugio> 
 何だか良く分からない人物や神が登場してくるので、困ってしまうけれど、分かりやすくいえば、これで、ギリシャとトルコが戦争になったということだね。
<Mugiko>
 そういうことね。
 アガメムノーンを総大将とするアカイア軍(ギリシャ)は、総勢10万、総勢1168隻の大艦隊であった。遠征軍は、トロイア近郊の浜に上陸し、アキレウスの活躍もあって待ち構えたトロイア軍を撃退すると、浜に陣をひいた。
 トロイア軍は、強固な城壁を持つ市街に籠城し、両軍は海と町の中間に流れるスカマンドル海を挟んで対峙した。
 「イーリアス」の物語は、双方に犠牲を出しながら、9年が過ぎ、戦争が10年目に差し掛かった頃に始まる。
<Mugio>
 ホメロスが書いた「イーリアス」は、戦争が10年目に差し掛かったところを書いている、という意味だと思うけれど、ここで起こったことが「トロイア(トロイ)の木馬」として有名なんだよね。
<Mugiko>
 この戦争末期の状況については、「イーリアス」のほか「アイティオピス」や「アイアース」に語られている。
 トロイアの勇将ヘクロールとアカイアの英雄アキレウスの没後、戦争は膠着状態に陥った。
 しかし、アカイアの知将オデュッセウスは、巨大な木馬を造り、その内部に兵を潜ませるという作戦を考案し、これを実行した。
 この「トロイアの木馬の計」は、アポロンの神官ラオコオーンと王女カッサンドラに見抜かれていたが、ラオコーンは海蛇に絞殺され、カッサンドラの予言は誰も信じることができない定めになっていたので、トロイアの策略にかかり一夜で陥落した。
 という物語(叙事詩)みたいね。
<Mugio>
 長々と二人で説明したけれど、トロイ遺跡見学で最初に見えた大きな茶色の木馬は、その象徴ということか!
<Mugiko>
 これから遺跡を見学するけれども、9つの時代区分に沿って説明することはとても無理だから分かる範囲で努力しましょう。

 ≪城壁の塔付近≫


<Mugio>
 上の写真は、見学路の最初に見えてきた光景だから、Ⅵ市時代(B.C1280年ごろ~)の「城壁の塔」付近だね。
<Mugiko>
 でも、この写真よりも私が撮影したものの方が、東側の「東跡と城壁」がはっきり写っているわ!

 <東側の塔跡と城壁>


<Mugio>
 そうか!右側の通路を皆さんが歩いているところの左側の光景が「Ⅵ市時代の塔跡と城壁」だということか。
<Mugiko>
 「わがまま歩き」に書いてあるトロイ遺跡の地図を見ると、この「Ⅵ市時代の城壁や城門が遺跡全体をぐるりと囲んでいるように見えるわ。


 ≪以上で本日の記事は終了です。次回もトロイ遺跡を2としてお伝えします。≫