mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

トルコ一周とカッパドキアの旅

2024年05月12日 | 旅行記
 ▲ イスタンブール旧市街歴史地区散策(自由散策の続き)
 街並を楽しみながら歩いて行きますと、やがて、27日に見学したエジシャン・バザールの前に到着しました。

<Mugiko>
 何という名前の広場なのか知らないけれど、名物の「シミット」というパンを売っていたり、近くに「鳩のモスク」と言われるイェミ・ジャミイがあるところね。


  <これも名物の?>


  <イェニ・ジャミイ>

<Mugio>
 この広場をゆっくり歩きながらガラタ橋に向かったのですが、広場付近の「リュステム・パジャ・ジャミイ」や「スレイマニエ・ジャミイ」新市街のガラタ塔などが見える景色を楽しみました。


  <階段を行き交う人々>


  <金角湾がみえてきた!>

<Mugiko>
 こうして、やっとサバサンドを販売している船にたどり着いたのですが、金ぴかというか豪華絢爛というのか?サバサンドを販売している船の豪華さに驚いてしまいました。
 しかも、そこから見える光景が、遠くにガラタ塔が一望できる美しい世界が広がっているのだから本当に旅心をくすぐります。

 
  <サバサンド販売の小舟>

 
  <豪華客船?>

<Mugio>
 私たちは、この小舟でサバサンドを買ってその場でいただき始めたのですが、その時に事件が起きました。
 なんと!かみさんがいすに座った瞬間、「するする」と陶器の夫婦茶碗が包んだレジ袋が、かみさんの膝から滑り落ちてしまったのです。
<Mugiko>
 事件!などと大げさなことを言わないで!拾い上げたら片方が割れてしまったので、仕方がないから廃棄しただけのことでしょう。
<Mugio>
 片方だけでも持って行けば!と思ったけれども、縁起が悪い!と考えたのだろうね。
 これで、トルコの旅も終了かな?と思ったら、先ほどの広場に戻って「リュステム・パジャ・ジャミイ」の中を見学するそうです。
<Mugkio>
 このモスクは、知る人ぞ知る隠れた名所のようですから、イスタンブールに行ったら必見のところだという人もいるわ。
 S子さんには、最後もで面倒見ていただいて本当に有り難いわ。


  <リュステム・パジャ・ジャミイ>

  <リュステム・パジャ・ジャミイの入口>

<Mugio>
 リュステム・パジャというのは、16世紀のオスマン帝国の大宰相のことらしいが、こういう歴史的なことよりも、ニューズウィーク誌で「ヨーロッパで最も美しい歴史的モスク」と評されるほどのもだというから、それを見学できるのだから本当にラッキーだね。

<Mugiko>
 何がそれほど美しいのか?といえば、イズニックタイルという青を基調としたタイルで、その中にトマトレッドや珊瑚の赤と呼ばれるタイルだと言います。
 何はともあれ、私が懸命に撮影したタイルの数々をご覧ください。


  <青と赤の植物の細かい文様>

  <代表的なチューリップタイル>

  <トルコブルーの数々>

  <青を基調に赤の中に白を配置>

  <チューリップの赤が美しい>

  <目が覚めるような青>

<Mugiko>
 本当に良いものを見せていただいたわ。
<Mugio>
 さあ、これで今度の旅が終了です。
 これからアタテュルク空港に行って、日本に帰りますよ。
 18時30分発のトルコ航空TK050便で成田空港に向かいます。
 飛行時間が11時間15分ですから成田空港到着は、明日(30日)の11時45分となっています。
  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トルコ一周とカッパドキアの旅

2022年09月05日 | 旅行記
 先日に引き続き「トルコ一周とカッパドキア」から旅行最終日に訪れた「イスタンブール旧市街歴史地区散策」からをお伝えします。

<Mugio>
 おはよう!今日は楽しかったトルコの旅行が終わり、日本に帰国する日です。
 朝食やホテルの勝手な評価を申し上げる「イスタンブールの朝」からお伝えしたいところですが、その必要はなさそうです。

<Mugiko>
 そうよ!今日はトルコの建国記念日よ。
 このような日に帰国するのも何かの縁かもしれないわ。そんな日に最後の旅の思い出ができそうよ。
 午前中、S子さんが地下宮殿やオリエント急行の終着駅スィルゲジなどに案内してくださるというからラッキーだわ。

<Mugio>
 最後の日まで何かとお世話様です。
 ところで、お天気が気になって部屋から外を眺めたら「雨模様」でしたが、早速、トラムに乗って地下宮殿に向かいました。


<あいにくの雨模様>


<トラム初体験>

<Mugiko>
 いきなり、トラムの話だけれども、昨日お邪魔したブルーモスクやアヤソフィア近くの駅スルタナーメットまでいって、そこからイェレバタン地下貯水池と地下宮殿に向かいました。


 <トラムを降りて>


<地下宮殿に向かう>

<Mugio>
 地下宮殿の入り口の建物は、撮影していないが、何の変哲もない小屋のため、案内してしていただかないと見逃してしまいそうです。
 その入り口を入ると、地下に下りる階段があり、赤茶けた暗い空間が広がっていました。
 巨大な柱が無数に連なる古代ローマ帝国の宮殿のようであるため、地下宮殿と呼ばれているが、実際は地下貯水地です。

<Mugiko>
 貯水池の内部は、高さ9m、長さ143m、幅65mで336本の大理石柱が天井を支えているそうね。


<石柱の貯水池>


<悠々と泳ぐ魚たち>

<Mugio>
 このような施設が3~4世紀に機能していて、6世紀に再建されたというのだから驚いてしまうね。
 都市基盤として水源を確保しようとして整備しただろうと思うけれども、どこから水を引いてきたのだろうか?

<Mugiko>
 何でも、20kmも離れた北郊外のブルグラードという森から土管や水道管を使って供給されたということのようね。
 そのときに魚たちも一緒に運ばれたということかしら?

<Mugio>
 ここの見所は、ライトアップされた上下逆さまの「メドゥーサの頭部」を土台に使った柱だそうだね。

<Mugiko>
 このうち、涙の柱は、柱に手のひらを当て親指を中心に一回転させると願いを叶えてくれるというので、観光客に人気だそうね。


<ライトアップされた涙の柱>

<Mugio>
 メドゥサの頭部は、涙の柱のところを進んで階段を数段降りると、柱の台座として使われているところに着くけれども、「これはいったい何なのだ!?」と驚いてしまったよ。

<Mugiko>
 1985年の修復の時に底にたまった泥をさらったところ、二本の柱の土台に使われていたメドゥサの頭部が二つ見つかったそうで、その意味は「魔除け」という説と、ただ単に「土台としての据わりがよかった」という説に分かれているそうよ。


<横向きのメドゥサ>


<逆さまのメドゥサ>

<Mugio>
 「横向きのメドゥサ」は、首を左に曲げて見ると、目と鼻の位置がわかると思うよ。

<Mugiko>
 ここからは、街をぶらぶらしながら、オリエント急行の終着駅スィルケジに向かいました。
 途中、陶器の店で「甥夫婦に夫婦茶碗を土産にしたい!」と丁度よいものがあったので購入したのですが、後ほど事件が起こりました。


<カラフルな品物が並ぶ陶器店>


 <このような大皿も>

<Mugio>
 地下宮殿からは、400~500mでスィルケジ駅に着きましたが、ここは、オリエント急行の終着駅として有名だそうだ。
 ウキペディアによれば、「オリエント急行は、国際寝台車会社(ワゴン・リ)により西ヨーロッパとバルカン半島を結ぶ列車として18883年に運行が始められ、1888年にはコンスイタンティノープル(現イスタンブール)まで直行した。」と説明している。

<Mugiko>
 オリエント急行を有名にしたのは、1974年制作のイギリス映画「オリエント急行殺人事件」で、アガサ・クリスティの「オリエント急行殺人」を映画化した作品だと記憶にあるわ。
 豪華なキャストが話題になったシドニー・ルメット監督によるミステリー映画だったわね。

<Mugio>
 ストーリーは、イスタンブールで事件を解決した私立探偵エルキュール・ポアロは、新しい事件のためオリエント急行で急遽、ロンドンに向かうことになった。

<Mugiko>
 というストーリーで始まる映画だけれども、26歳頃の僕は映画どころではんばかったな。


<スィルケジ駅のホーム>


<駅の外観>

<Mugiko>
 ここで12時を過ぎてしまいましたので、昼食にイスタンブール名物の「サバサンド」をいただくために「ガラタ橋」のたもと付近に向かいました。


<イスタンブールのスーパーマーケット>


<靴磨きの人々>


<銃を持つ警察官>


<雑貨店>

<Mugio>
 この4枚の画像は、スィルケジ駅からガラタ橋までに見えた光景だけれど、歩いているとイスタンブールを彩る多面的な光景が垣間見られて興味深かったね。

 <ここで本日の記事を終了しますが、次はイスタンブールの自由散策の続きを掲載したいと思います。>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トルコ一周とカッパドキア

2022年08月30日 | 旅行記
 前回の「トルコ一周とカッパドキア」の投稿は、2020年の7月でした。
 そのときに、次回もアヤソフィアからお伝えしますと申し上げました。
 私たち夫婦の会がモザイク画の話でしたので、本日は、その続きを申し上げます。


<キリストのモザイク画>

<Mugiko>
 その代わりのように、イエスとマリアのモザイク画が置かれているけれど、どういうことなのか理解できません、

<Mugio>
 私たちが見落としたのか?代わりにレプリカを展示しているということでしょうか?


<聖母マリアのモザイク画>

<Mugiko>
 これ以外にギャラリーの突き当たりの壁には、窓を挟んで二つのモザイク画が並んでいたわ。
 奥の右側に「キリストを抱いた聖母マリア」、左側に「キリストを囲むモノマコスⅣ世とゾエ」の」モザイク画だそうよ。

<Mugio>
 「キリストを抱いた聖母マリア」は、マリアに抱かれたキリスト中心に左右に皇帝コムネノスⅡ世とハンガリー出身のイレーネが描かれているそうだ。


<キリスト抱いた聖母マリア>


<キリストを囲むモノマコスⅣ世とゾエ>

<Mugiko>
 「キリストを囲むモノマコスⅣ世とゾエ」は、キリストを中心に右の女帝ゾエと左に3番目の夫であるコンスタンチン・モノマコスⅣ世を描いたものだそうね。

<Mugio>
 マリアのモザイク画の前で君がFさんと記念撮影してアヤソフィアから「さようなら」をしたのですが、出口の通路に「聖母子に聖堂を捧げるコスティニアス帝」などが描かれているモザイク画がありました。


<聖母子に世道などを捧げる帝>

<Mugiko>
 左側が聖堂を捧げるコンスタンティニアス帝、右側がコンスタンティノープルを捧げるコンスタンティヌス帝だそうよ。

<Mugio>
 キリスト教の権威とこれに見合う大きな贈り物に驚いてしまうよ!
 ところで、これでトルコのの観光が終了して明日、帰国だよね。
 「帰りたくない!」という気持ちが強いけれども、仕方がないか!最後の夕食を楽しむことにしようか。












<料理の数々>

<Mugiko>
 この最後の晩餐は、ボスポラス海峡を望む「Dahill」というレストランでいただいたのですが、名残惜しさのためか美しい夜景を楽しむという余裕はありませんでした。
 皆さんで乾杯しながら和やかに楽しんだ次第です。
 メニューは、魚のスープ、前菜とサラダ、2種類の魚料理、フルーツなどです。

<この続きは旅行12日目ト13日目のイスタンブール旧市街歴史地区デの自由散策ヲお伝えします。>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トルコ一周とカッパドキアの旅<イスタンブールのアヤソフィア聖堂>

2020年07月19日 | 旅行記
 昨日に引き続きイスタンブール旧市街歴史地区散策からのアヤソフィア聖堂についてお伝えします。

<Mugio>
 ハレムを出ると、辺りは暗くなっていました。と思ったのは小生の勘違いでした。時刻が14時ぐらいでしたから、暗くなっているはずがありませんよネ。

 <ハレム見学を終了して>


 <同じく周辺の光景>


<Mugiko>
 この後はアヤソフィアに向かいました。
 ビザンティン建築のの最高傑作といわれるアヤソフィア大聖堂は、537年にユスティニアヌスという皇帝が完成させたギリシャ正教の聖堂だったそうね。
<Mugio>
 その後、1453年にオスマントルコの侵略によりコンスタンティノープルが陥落し、メフメト2世という王様(スルタン)は、アヤソフィアをモスクに転用したそうだ。この時に大聖堂に隣接する総主教館は破壊され、十字架が取り外され、メッカの方向を示す窪みであるミフラブが加えられたということだ。
<Mugiko>
 しかし、内部の改修は必要最小限にとどめられ、後になってモザイクも漆喰で塗り込められ、改修や補強がなされたものの、現在の聖堂は、基本的にビザンティン時代のままになっているというから「ほっと」するわね。
 まず、ピンク色が特徴の美しい外観を掲載しましょうか!

<アヤソフィア聖堂>


<Mugio>
 何だか僕が中を撮影できなかった言い訳に「美しい外観」などと言ってもらったようだね。本当にありがとう。
 されでも、何枚か撮影できたので、ご安心ください。
 まず、入場した入口付近の様子です。

 <アヤソフィアの入口>


 <建物の中からの入口>


<Mugiko>
 アヤソフィアの歴史などは、先ほどから話が出ているから、中に入ったら何を重点的に見るのかが大切ね?
<Mugio>
 まず、「直径31mという巨大なドームは、天国を思わせ、壁のモザイク画はランプの光に金色に輝いている。」というからイヤでも目に入ると思うね。
 でも、暗くて上手く撮影できなかったので、2階のギャラリーから撮影したもので我慢するしかないようです。

 <2階のギャラリーから>


 <1階は真っ暗!>


<Mugiko>
 でも、よかった点もあるわ。1階の正面には、キリスト教会からジャミイに改修されたときに作った金色に輝く「ミフラブ」が少し右にずれているが分かるわ。
<Mugio>
 2階には入口に左奥に螺旋階段があるので、そこを通るとテラスになっていた。ここでは1階を見下ろすほか、漆喰を施した見事なモザイク画を見ることができたよ。
 モザイク画は、皇帝像、聖母子像などで、アヤソフィアの大きな見どころとなっている。
<Mugiko>
 話が2階のモザイク画に進んでしまったけれど、モザイク画といえば、入口の正面に皇帝の門があり、その上部に「キリストに跪く皇帝レオンⅥ世」のモザイク画があるはずよ。

 <キリストに跪く皇帝レオンⅥ世>


<Mugio>
 それにしても、我ながら腕が悪い!と思うね。
 でも、よく見てください。
 中央にキリスト、その左右の丸い枠にマリアと大天使ガブリエルが描かれているのが分かるよね。
<Mugiko>
 問題は、キリストに跪く(ひざまずく)皇帝レオンⅥ世だけれど、よく見ると、左側に跪いている人間が描かれているようにも見えるわ。
<Mugio>
 そう言われても仕方ないか!
 話を2階のギャラリーに戻して、2階南の壁には、キリストとマリア、洗礼者ヨハネが描かれた壁画(ディーシス・誓願図)があるはずだけれど、見当たらなかったな。
<Mugiko>
 その代わりのように、イエスとマリアのモザイク画が置かれていたけれど、どういうことなのか理解できません。
<Mugio>
 私たちが見落とした?あるいは、代わりにレプリカを展示している、ということでしょうか?

 <記事の途中ですが、本日は、これにて失礼します。次回もアヤソフィアからお伝えします。>
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トルコ一周とカッパドキアの旅<イスタンブールのトプカプ宮殿>

2020年07月18日 | 旅行記
 昨日に引き続きイスタンブールの「トプカプ宮殿」についてレポートします。

<Mugiko>
 ハーレムは、第2庭園の「正義の塔」の下にあるという説明が多いけれど、正確には第3庭園との間にあると言った方がよいと思うわ。
<Mugio>
 第2庭園の「ディエアンの庭」から入場するようになっているから、そのように説明しているようだね。
 ハーレムに入るには、チケットが必要だけれど、グループで30分ごとに入場となっていて、トルコ語又は英語のガイドがつくという話だよ。

 <ハーレムの象徴「正義の塔」>


<Mugiko>
 私たちも入場することになっているはずよ。
 ところで、話が第3庭園にある見どころからハーレムになってしまったけれども、第2庭園との間にあるロココ様式の「幸福の門」の写真はあるの?
 それと、「宝物館」にも入場して、光り輝く宝石などを見学したいわ。
<Mugio>
 謁見室、図書館、異種展示室などは撮影しなかったけれど、幸福の門は、衣装店展示室の前あたりから撮影したものがあるよ。

 <幸福の門>


<Mugiko>
 宝物館は、衣装展示室の横に位置していて、「ダイヤモンド、ルビー、エメラルド、真珠のきらめきを黄金の輝きが包む。初め感嘆し、やがてはあきれかえるほど。」と説明しているわ。
<Mugio>
 そして、有名なのは「トプカプの短剣とスプーンのダイヤモンド。」とあるけれど、輝きに「あきれて!」記憶から消えてしまったヨ。
<Mugiko>
 その後は、幸福の門を通って第2庭園からハーレムに入りました。
 第2庭園には、ハーレムのほかに議会室や厨房が設けられているそうね。
<Mugio>
 での、何といっても、見どころは男子禁制のハーレムで、日本で言うと江戸時代の大奥といった感じかも知れないね。
<Mugiko>
 ハーレムは、スルタンの夫人、母、皇子、宦官、女奴隷たちが生活した外界とは完全に隔離された場所で、かっては400もの部屋があったそうね。
 また、スルタンの継承争いに敗れた皇子たちを幽閉した「鳥籠」と呼ばれる部屋もあったそうね。
<Mugio>
 入場すると、まず、ハーレムを警護する宦官の部屋があるはずだね。彼らは、エジプトから来た去勢された男性だというけれど・・・・

 <宦官の部屋が並ぶ>


<Mugiko>
 宦官の部屋は撮影していなかったけれど、女たちの部屋は撮影できたわね。
 女たちに部屋は、スルタンの母が住むところ、妻たちが住むところ、その他大勢の住むところに分かれているみたいね。

 <女たちの居住区>


 <女たちの部屋>


<Mugiko>
 ところで、これらの部屋には、美しいタイルの壁があったはずよ。

 <美しいタイルの壁>


 <同じく>


<Mugio>
 ハーレムには、このような美しい模様のタイルが多数あるので圧倒されてしまったね。
 こうした装飾に並々ならぬ興味がある君には毒だったかな?
 次に入った部屋は、帝王やスルタンの間といわれる絢爛豪華な部屋だ。
<Mugiko> 
 そこでは何をしていたかしら?皇帝の子供を作るため???
 単なる権力争いなのか?それとも、無理矢理つれて連れてこられて、そういう運命を負わされたのか?想像もできないけれど、なんだか悲しすぎるような気がするわ。

 <スルタンの広間>


 <同じく正面>


<Mugio>
 それにしても、部屋の中が暗いね!
<Mugiko>
 外部からの侵入や女奴隷たちの逃亡を防ぐため、窓という窓は鉄格子でふさがれていたそうだから、きっと妃からが部屋の中に入らないような造りになっているのよ。
<Mugio>
 次は、スルタン争いに敗れた皇子たちが閉じ込められたという「鳥籠」という部屋も覗いたけれど、ここもその扱いを反映するような暗い部屋だったね。

 <鳥籠(皇子)の間>


<Mugiko>
 15世紀以降のオスマン帝国では、王位継承者争いの当事者となった兄弟は、争いに決着がつくや否や、ことごとく粛正(処刑)されることが当たり前のように行われていたそうね。
<Mugio>
 怖い話だね。しかし、恐ろしい習慣は17世紀以降、宮殿内の鳥籠といわれる部屋に軟禁・監視する制度に変わったそうだ。

 <皇子の間のステンドグラス>


<Mugiko>
 でも、同じ兄弟でも、勝者と敗者では権力者として贅の限りを尽くす勝者と、狭い部屋に押し込められて常時監視されて軟禁包帯にある敗者では雲泥の差だと思うわ。
<Mugio>
 本当だね。どこの国の王朝でも同じような権力争いがあったと思うけれど、もしかしたら、私たちのような平凡な人生が人間として一番幸せかもしれないね。
 写真のステンドグラスは、その鳥籠の部屋の上部に並んであったけれど、何を意味しているのかね?
<Mugiko>
 このステンドグラスも美しいけれど、ハレムには、ため息が出るほど美しいタイルに描かれた文様があちこちにありました。

 <壁を飾るタイル>


 <同じく美しいタイル>


<Mugio>
 君は、こういうイスラム系の精密なものが好きだね。
 ところで、これらのタイルは「皇子の間」にあったものかね?
<Mugiko>
 それがよく分からないのよ。
 でも、ハレムのような場所にこのような素晴らしい作品があることが驚きね。


 <以上で、本日の記事は終了です。次回もイスタンブール旧市街歴史地区散策からアヤソフィア聖堂をお伝えします。>

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする