mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

旧ユーゴスラビア4カ国の旅<プリトヴィッツェ湖畔国立公園散策2>

2018年05月27日 | 旅行記
 今日は、前回に引き続きプリトヴィッツェ湖畔国立公園からお伝えします。

<Mugiko>
 ミルカ・トルニナという滝は、クリアチア出身の歌手が愛した滝で、ミラノヴァツという湖からカヴノヴァツという湖に流れ落ちる階段状の滝なのね。
 小ぶりに滝だけれども、遊歩道から手が届くようなところにあって本当に美しいわ。
 
 <遊歩道から手が届きそうな滝>


 <小さな滝がつながっている>


<Mugio>
 ところが、写真の滝は、ミルカ・トルニナという滝ではなく、場所もカヴノヴァツという湖からカルジェロヴァツという滝に落ちる滝なのさ。
<Mgiko>
 そうなの?勘違いしているの?
 それにしても、ミラノヴァツ湖の下流の「下湖群」には、先ほど説明したカヴノヴァツ湖、カルジェロヴァツ湖など小ぶりの湖が並んでいて本当に美しいわ!
 皆さんに全部ご覧いただけないのが残念だわ。
<Mugio>
 この滝の先には、君が先ほど説明していたミラノヴァツ湖があり、その右脇の遊歩道を歩いて行くと、これまた素晴らしい景色が広がっていたネ。
 公園に寄付したクロアチアの歌手が愛したというミルカ・トルニナという滝は、この湖の上流にあるということだ。

 <ミラノヴァツ湖>


 <ミラノヴァツ湖の小舟>


 <ミルカ・トルニナ滝>


 <同じくミルカ・トルニナ滝>


<Mugiko>
 小舟が浮かぶ光景は、本当に美しいわね。「お天気が悪い。」という話があったけれど、こういう光景には雨の方が似合っているのかも知れないわ。
<Mugio>
 上の写真は、ミラノヴァツ湖から見えた景色で、滝の上流には「コズィヤク」という大きな滝があるそうだ。
 次にご覧いただくのは、ミラノヴァツ湖の案内看板のようで、これをよると、コースを見る順番は、上流から下流の順になっているかも知れないね。

 <ミラノヴァツ湖の案内看板>


 <エメラルドグリーンのミラノヴァツ湖>


 <雨のミラノヴァツ湖>


 <ミルノヴァチュキ滝>


<Mugiko>
 湖の途中に看板があるのだから、そんなことはないと思うわ。看板には何と書いてあるの?
<Mugio>
 上段に「MILANOVAC JEZERO」、下段に「524m n/m 3ha 18mdub」とあるけれど、上段は、「ミラノヴァツ湖」という意味で、下段は、「高低と面積」だろうか?
<Mugiko>
 ミラノヴァツ湖を過ぎると、行き先の看板があったけれど、「コズィヤク」という湖とミラノヴァツ湖の間にミラノヴァチュキという滝があるみたいね。この滝の先を右方向に進んでいくと、カフェやお土産屋がある船着き場に着くみたいね。

 <船が描かれている方向に>


 <コズィヤク湖の船着き場>


<Mugio>
 コズィヤク湖のボート遊覧は、12時20分から12時40分ぐらいまでの20分間ぐらいだったけれど、雨に煙って見晴らしは、あまり良よくなかったな。

 <コズィヤク湖遊覧>


 <コズィヤク湖の船着き場>


<Mugiko>
 船着き場の写真は、遊覧から帰ってきたときのもので、これから昼食の予定になっているわ。
 午後からは、上湖群の見学があるのでとても楽しみだわね。


 <本日は、これにして終了です。次回もプリトヴィッツェ湖畔国立公園の続きをお伝えします。それでは、これにて失礼します。>

旧ユーゴスラビア4カ国の旅<プリトヴィッツェ国立公園散策>

2018年05月22日 | 旅行記
 今日は、旅行9日目に訪れたプリトヴィッツェ国立公園散策をお伝えします。
 この公園は、ドヴロブニクとともにこの旅のハイライトとなる素晴らしい景観がまっていました。

<Mugiko>
 今日(2010年5月31日)は、ドヴロブニクとともに今回の旅で最も期待していたプリトヴィッツェ湖畔国立公園の見学だけれど、お天気が悪いわね。
<Mugio>
 そうだね。でも、毎日、晴れというわけにはいかないよ。
 早速、「ゴスヴィツァの朝から」をレポートするよ。
 ホテルのアンテ(Ante)は、前のページに掲載したように、外観は日本のアパートのような感じで「どうかな?」と思ったけれど、部屋の大きさが前日のサラエボのホテルイタリアより狭いが、「十分な広さで設備も近代的、今までで最高!のホテル」という評価だね。
<Mugiko>
 話は変わるけれど、昨日、Aさんから渡された本日の出発前の予定ですが、モーニンググコールが7時00分、荷物回収はなし、朝食が6時30分、出発6時45分となっているので遅れないように気をつけないとね。
<Mugio>
 気持ちが良いのでホテルの周りを散策してみようかと思ったけれど、時間がないので明日にしようか!

 <ホテルの朝食>


<Mugiko>
 見た目が良くないけれど、味の方はどうなの?
<Mugio>
 イヤ=!ハム、ソーセージ、ゆで卵パンがそれぞれ一個ずつ割り当てられているという感じだったので、味の方まで気が回らなかったよ。
<Mugiko>
 ホテル出発は、予定通り8時45分だったけれど、ゴスヴィツァからプリトヴィッツェまで68㎞、約1時間という予定だけれど、実際には30分ぐらい遅れて10時15分頃に到着したわね。
<Mugio>
 天気が「雨」というより「大雨」という降り方だったのでまいったね。

 <公園の建物>


 <公園の配置図>


<Mugiko>
 プリトヴィッツェ湖畔国立公園は、大小6つの湖と92の滝がある国立公園で、1979年に世界遺産に登録されたそうよ。
 見所としては、エメラルドグリーンの二つの川が合流する地点の滝ヴェリキ・スラップ付近から上流に向かって標高639mの湖までの階段状の滝が結んでいる場所のようだけれど、どのように進んだらいいのかしら?
<Mugio>
 歩き方としては、二つの入口とバス停があるということだね。私たちは、二つの入口のうち東側の入口1から公園に入ったみたいだね。また。見学の方法としては、広い公園を歩いたり、エコロジーバスや遊覧船を利用することもできるということだ。
<Mugiko>
 入口1は、コズィヤク湖という中心にある大きな湖から下流の地域で「下湖群」と言われる場所から見学するそうよ。こちらには、最大の見所ヴェリキ・スラップなどコズィヤク湖から流れる段上の滝が続いているそうね。
 そして、公園西側の標高の高いエリアを「上湖群」と呼ぶそうね。こちらは、入口2から入るみたいで、穏やかな湖にベールのように美しく流れ落ちる滝が多いという話だわ。
<Mugio>
 ということは、私たちは、下流から見学したということだね。とはいっても、歩き始めたときは、高いところから降りていくという感じだったな。

 <湖に向かって下る>


 <エメラルドグリーンの湖>


<Mugiko>
 お天気が良ければ、この美しい景色を十分堪能できたはずだから本当に残念ね。
<Mugio>
 ところで、最初の見所はヴェリキ・スラップという滝で、カルジェロヴァツという湖とその下流にあるノヴァコヴィツァ・ブロッドという湖の間にある遊歩道を歩いて滝を目指したということだね。

 <カルジェロヴァツ湖>


 <雨中の遊歩道を歩く>


<Mugiko>
 ところで、湖が大きく見え始めたところから遊歩道にくるまで10分間ぐらいだったから案外、近いのね。滝までは、ここから5~6分というところかしら?
<Mugio>
 ここからは、下湖群の織りなす数々の自然美に見とれてしまいそうだから、黙って写真を撮影することにするよ。

 <多くの魚影が>


 <湖と地形の案内板>


<Mugiko>
 などと言ってる舌の根も乾かないうちに説明しそうね!それに、ハイライトのヴェリキ・スラップという滝が写っていないわよ。
<Mugio>
 申し訳ない。滝に着く前に遊歩道か湖を泳ぐ魚の群れが見えたり、「NOVAKOVICA BROD JEZERO」と「504mr/n 0.3ha 45mdub」という表示がある案内板があったりしたので、そちらに目がいってしまったよ。

 <ヴェリキ・スラップ前>


 <雨が恨めしいな!>


<Mugiko>
 それにしても、まるで「ねずみ男」みたいな格好ね。
<Mugio>
 あまり笑わせるなよ。この滝の見学が終わると、次は「ミルカ・トルニナ」という滝のそばを通りました。


 <以上で本日のブログ記事は終了です。次回は、プリトヴィッツェ国立公園散策の続きをお伝えします。ではまた!>

旧ユーゴスラビア4カ国の旅<サラエボの市内散策の続き2>

2018年05月11日 | 旅行記
 前回に引き続きサラエボ市内散策の「カジ・フスレブ・ベグ・ジャーミヤ」のところからお伝えします。

 <カジ・フスレブ・ベグ・ジャーミヤ>


<Mugio>
 このモスクは、サラエボで最大のモスクで、オスマン帝国のボスニアの知事カジ・フスレブ・ベグによって1530年に建てられたそうだ。
<Mugiko>
 モスクの前には、衝立がある女性用と男性用の簡易礼拝堂があるはずだけれども・・・・
 また、近くには彼の名前を付したバザールがあるはずだけれど、残念ながら訪問しませんでした。
<Mugio>
 でも、ここには、カジ・フスレブ・ベグの墓があり、また、モスクと同年代に建てられたというフェルハディア通りに建つ時計塔も見られたよ。

 <細長い時計塔>


 <カジ・フスレブ・ベグの墓>


 <モスクの正面と礼拝堂の一部>


<Mugiko>
 撮影していないと思っていた簡易礼拝堂が一部でも写っていて良かったわ。
 このモスクの見学が終わると、フェルハディア通りを西に進んで、新市街地にある「サラエボ大聖堂に向かっていったはず」ね。
<Mugio>
 何だか奥歯に物が挟まったような言い方だけれど、興奮するものが見えたからそうなったんだよね。
 このモスクからミリャツカ川の方向を見たら、なんと!狙撃があったラテン橋に面した建物が見えたのさ。
<Mugiko>
 あなたが横道の方向にカメラを向けているのを見て、「サラエボ大聖堂に向かっていったはず」という言葉で皮肉ったけれど、ラテン橋を撮影していたなんて思わなかったわ。
<Mugio>
 ピンク色の壁の建物の先に1階が黄色の建物が見えるけれど、この建物が狙撃事件の現場みたいだね。
<Mugiko>
 ということは、道路の突き当たりがラテン橋ということね。
 それにしても、撮影していない!と悔やんでいた場所が2つも見つかったのだから超ラッキーね。
<Mugio>
 さて、ここからはカジ・フスレブ・ベグ・ベジスタン(BEZISTAN)というバザールの前を通って「イエスの聖心大聖堂」といわれるカトリック大聖堂に向かいました。

 <フェルハディア通り>


 <BEZISTANという文字がある建物>


<Mugiko>
 カジ・フスレブ・ベグ・ジャーミヤを西に進んでいくと、先ほどのバザールや16世紀の建造の、礼拝堂の上の大きなドームとその前の3つの小さいドームが印象的なフェルハディア・ジャーミヤ(Ferhadija dzamija)というモスク、さらに右方向にユダヤ人博物館という旧シナゴーグが見えたはずだけれど、写真などが全く残っていなかったわ。
 事前の勉強不足を再認識したわね。

 <カトリック大聖堂>


<Mugio>
 といような見所が過ぎると、銀行、旅行会社などといった洋風の近代的な建物がある並んでいる先に「カトリック大聖堂」が建っていました。
 この大聖堂は、ボスニアヘルツェゴビナで最大で、ヨシップヴァンツァシュという建築家がパリのノートルダム大聖堂をモデルにしてデザインしたゴシック様式の大聖堂で1889年に完成したそうだね。
<Mugiko>
 大聖堂の見学が終了すると、青果市場を見てフリータイムになっているけれど、私たちは、旧市街に戻ってトルコのバザールようなところを見学してからAEROPLANというレストランで昼食をいただきました。

 <ボスニアシチュー>


 <アップルパイ>


<Mugiko>
 昼食が終わると、クネクネ道を通って次の宿泊地クロアチアのゴスピツァに向かいました。その間の距離がどのくらいなのか分からないけれど、2度ほどトイレタイムを取りました。
<Mugio>
 レストランを出発した時刻が13時ぐらいでしたが、Aさんの記録では一度目のトイレタイムがKopcicというところで、2度目がボスニアヘルツェゴビナとクロアチアの国境Strmicaというところになっている。
<Mugiko>
 あなたのメモにも2度のトイレタイムという記述があり、一度目が「周りに何もない!」、二度目が「国境」となっていいるわね。
 その感想も「バスでの移動が長い!」となってなっていたわ。
<Mugio>
 長くても仕方がないよ。何しろ、ゴスピツァまで100㎞、約6時間30分の距離の予定だっただからね。

 <ゴスピツァのホテル>


<Mugiko>
 ホテル到着が20時30分というのは、「順調」といえるのかも知れないわね。
 途中、クロアチアのKninという街を通過してディナルアルプスを山越えしたという記録が残っているけれど、ここを通過するのが長かったのかしら?
<Mugio>
 ところで、どうしてゴスピツァという街に宿泊したのか分からないけれど、この街から次の訪問地プリトヴィッツェが近いからじゃないの?
<Mugiko>
 まぁ、詮索はそのくらいにして話題をホテルでの夕食にしましょう!
<Mugio>
 そうだね。ホテルの建物や設備などの評価は、疲れたから明日にして・・・
 夕食の味は、野菜スープ、肉料理(豚、鶏、ソーセージ、ジャガイモ)とも今までで最高!でした。
 写真は4枚あるけれど、スープと肉の2枚だけにしておきます。

 <野菜スープ>


 <肉料理>





 <本日の記事はこれにて終了です。次回は、旅行9日目に訪問し、そのあまりにも美しい光景に感動したプリトヴィッツェ湖群国立公園散策です。>

旧ユーゴスラビア4カ国の旅<サラエボの市内散策の続き>

2018年05月08日 | 旅行記
 前回は、スナイパー通りやサラエボのミリャツカ川に関する記事でしたが、今日は、そのうちの国立図書館のところからの続きをお話しします。

<Mugio>
 私たちは、この橋からガイドのエルビーダさんの案内で職人街があるバスチャルシャ地区に向かったが、途中には土産物の店が並んでいたね。


 <遠方にバスチャルシスカ・ジャーミヤ>


 <土産物店が並ぶ路地>


 <金物の店>


<Mugiko>
 サラエボは、オリエンタルな雰囲気が漂っているけれど、イスラム教、カトリック、東方正教、ユダヤ教の施設が並ぶ多民族、多宗教、多文化が入り混じった都市なのね!
<Mugio>
 バスチャルシスカ・ジャーミヤは、バスチャルシャ広場に面して建っているモスクだけれども、このモスクは開放的ではないということだったね。
<Mugiko>
 そうらしいけれど、広場の雰囲気が分かれば「良し」としましょう。

 <バスチャルシャ広場>


 <広場のセベリ>


 <右側にモスク>


 <広場に集まる鳩の群れ>


<Mugio>
 バスチャルシャ広場は、君が言うようにオリエンタルな雰囲気が漂っていて、好奇心を誘われるね。
 ところで、「広場のセベリ」というのは、水飲み場のようだね。
 ここから路地を通って一軒だけ残っているというキャラバンサライから「カジ・フスレヴ・ジャーミヤ」というイスラム教のモスクに向かいました。
<Mugiko>
 その前に、誰かさんが邪魔をしている大きなセビリの写真があるはずだけれど・・・

 <水飲み場の前でハイ!ポーズ>


<Mugio>
 僕の汚い顔より君の美しい顔の方がいいかなとも思ったけれど、止めておくよ。 
 さて、ジャーミヤに向かう途中には、先ほど話が出ていたキャラバンサライ(隊商宿)がありました。

 <キャラバンサライの中庭>


<Mugiko>
 サラエボには、アジアとアドリア海の交易が盛んだったころ、キャラバンサライが500もあったそうね。
 写真のキャラバンサライは、一軒だけ残ったものだけれど、1階は宿屋としてではなくカフェとして、2階はレンタルオフィスとして使われているそうよ。
 私たちは、この中庭を通ってカジ・フスレヴ・ジャーミヤ(Gazi Husrev-begova dzamija)というイスラム教のモスクに向かったのね。


 <以上で、本日の記事は終了です。次回もサラエボ市内散策の続きで、カジ・フスレヴ・ジャーミヤの記事からお伝えします。>

旧ユーゴスラビア4カ国の旅<サラエボ市内観光>

2018年05月06日 | 旅行記
 朝方、寒かったのですが、午後からは日差しがまぶしくて「暑い!」と思わず叫んでしまいました。

 さて、旧ユーゴスラビア4カ国の旅ですが、昨日、約束しましたように「サラエボ散策」をお伝えします。

<Mugiko>
 早速、「サラエボの朝から」をレポートするのでしょう。
<Mugio>
 そうだね。まず、このホテルITALIAだけれど、「道路を挟んで3階部分で旧館と新館がつながっている。あちこちに故障しているところがある。」というAさんの説明があったけれど、部屋が広いので「びっくり!」という印象が強く残ったよ。
<Mugiko>
 あなたの遊び心が騒いだの?つながっている廊下を通って、新館の様子を見に行ったでしょう!
 ところで、昨夜、Aさんに「次の旅行先としてどこがおすすめか?」などという質問をしていたわね。
<Mugio>
 横浜のOさんとともにAさんの話を聞いたのさ。こちらから「九寨溝、エジプト、トルコ、マチュピチュはどうか?」という話になって、Aさんの答えは、エジプト、トルコが良い、また、サハラ砂漠がある??もおすすめ!というものだったよ。
<Mugiko>
 今日は午前中、サラエボ市内を観光して昼食後、次の宿泊地ゴスピツァという街に向かう予定になっているわ。
 7時00分にモーニングコールがあって、8時00分にスーツケース廊下搬出、6時30分に昼食(3Fレストラン)、9時00分出発となっているから時間的には余裕がありそうね。
<Mugio>
 その朝食だけれど、僕としたことが撮影していなかったよ。
 それはともかく、サラエボ市内観光のため予定通り9時00分に出発したけれど、見所の市街地までバスで30分もかかったので、ホテルから結構、」距離があるみたいだね。
<Mugiko>
 ホテルITALIAの場所を地図で確認すると、「近い!」という感じがするけれど、案外、距離があるのかも知れないわ。
<Mugio>
 サラエボには、「スナイパー通り」という物騒な名前の通りがあり、92年の4月から96年の2月にかけてボスニアヘルツェゴビナのセルビア人(セルビア共和国軍とユーゴスラビア人民軍)によって包囲され銃撃された「サラエボの包囲」という痛ましい出来事(一般市民の死者12千人とその4倍の死傷者)があった、という話を聞いたことがあるよ。
<Mugiko>
 この通りにある建物には、セルビア人スナイパーがいて、動くものは何でも狙撃されたというから、本当に怖い話ね。
<Mugio>
 「民族浄化」という考え方が、こうした悲劇を生んだようで、その背景には民族と宗教の対立があるように感じられるね。
<Mugiko>
 私たちも、そのスナイパー通りを通ったはずなんだけれども・・・・
<Mugio>
 仕方がないから、ホテルから市街地に行くまでに見えた光景をレポートしておくよ。

 <サラエボ郊外>


 <オリンピックの聖火台>


<Mugiko>
 一枚目の写真は、9時10分頃撮影したものだけれど、この通りがスナイパー通りなのかは分からないわ。また、2枚目の写真は、ユーゴスラビア時代に開催された冬季オリンピックのスタジアムだそうよ。
<Mugio>
 スナイパー通りを東に向かって進んでいくと、通りが二つに分かれるけれど、ミリャツカ川(Miljacka River)沿いの道には、第一次世界大戦の引き金になった「サラエボ事件」の現場があるんだけれど、残念ながら撮影していなかったな!
<Mugiko>
 この建物の壁には「MUZEJ]の文字があり、写真とともに解説文が添えられているそうだから、撮影しなかったのは、本当に残念だったわね。
 「サラエボ事件」というのは、1914年6月28日に起こった事件で、ボスニア出身のセルビア人カブリロ・プリツィブ(Gavrilo Princip)がオーストリアハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナント夫妻をピストルで狙撃して殺害したという事件ね。
<Mugio>
このように去れ簿という街は、大きな出来事があった都市なのだから、もっと勉強してから訪問すべきだったと後継しているよ。

 <工事中の国立図書館>


 <ミリャツカ川からの光景>


<Mugiko>
 そうね!「MUZEJ」という文字がある建物は、サラエボの橋では一番古いといわれている「ラテン」という橋の曲がり角に建っていて、ここが狙撃の現場のようね。
 私たちも、ここを訪れているはずだけれど、下の写真に写っている橋は、ラテン橋ではないみたいね。
<Mugio>
 そうなのさ!2枚の写真を撮影した場所は、「SeherーCehajina」という橋のようだから、ラテン橋よりもずっと東ということのようだね。
<Mugiko>
 国立図書館は、オーストリアハンガリー帝国時代に市庁舎として建てられ、後に国立図書館になったそうよ。そして、1992年のセルビア軍の砲撃で全焼したけれど、2014年に修復が完了するそうね。


 <今日は、長くなりましたので、この辺で筆を置きます。次回もサラエボ市内観光です。>