mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

トルコ一周とカッパドキアの旅<アフィヨンのホテルから世界遺産パムッカレ観光へ>

2019年02月28日 | 旅行記
 今日は「トルコ一周とカッパドキアの旅」の旅行6日目のアフィヨンの朝からお伝えします。

 ◆ アフィヨンのホテルから世界遺産パムッカレ観光へ

<Mugiko>
 さぁ、今日は旅行6日目だから脂がのってきたわね。まず、アフィヨンの朝からをお伝えしましょう。
<Mugio>
 ウチの奥さんは何が言いたいのかな?
 モーニングコールは6時30分、朝食が7時00分、ロビー集合が8時00分、そして今夜の宿泊地がクサダシだからスーツケース搬出が7時15分となっているよ。
<Mugiko>
 とぼけちゃって!アフィヨンのホテル。イケバル・テルマや、朝食の評価などを伝えることになっているでしょう。
<Mugio>
 部屋のナンバーが417ということと、風呂のこと以外はメモが残っていないで、コメントしようがないのさ。

 <彩り豊かな朝食>


<Mugiko>
 ホテルのことは、昨夜、ハマムを十分堪能したので、もういうことはないと思ったけれど、朝食のことは忘れていなかったね。
<Mugio>
 味は、ハム、ソーセージがイマイチだったっけれど、ご覧のように野菜が豊富で美味しくいただきました。
<Mugiko>
 ところで、私は4時に目が覚めて「うとうと」していたら5時になったので、「起きなきゃ!」と思ったの。いつもの私らしくないことだったわ。
<Mugio>
 まぁ、そいうことはたまにあるものだよ。お陰で7時にスーツケースを廊下に出すことができたのだから良かったよ。
<Mugiko>
 今日は午前中、世界遺産のパムッカレを見学してから、昼食をいただいてクサダシというところに向かうことになっているけれど、どんなところかしら?
<Mugio>
 パムッカレは、青い白い塩のような岩に水が流れている光景が広がっていて、さらには、「ヒエラポリス」という古代遺跡があるそうだから大いに期待したいね。

<Mugiko>
 ホテルを予定通り8時に出発してパムッカレに向かったけれど、途中、バスからトルコの自然などを楽しみながら9時25分頃、ディナルという町でトイレ休憩となったわ。
<Mugio>
 コンヤとパムッカレの間を移動するツアーは、名物の蜂蜜ヨーグルトなどがいただけるディナルで休憩することが多いらしいね。

 <ザクロのみを搾って>


<Mugiko>
 何をしているのかしら?
<Mugio>
 店の人が、君が注文したザクロジュースをつくっているのさ。
<Mugiko>
 いただいたら、とっても美味しかったわ!
<Mugio>
 ところで、皆さんはそのヨーグルト蜂蜜を5トルコリラでいただいたようだが、我が家は「酸っぱいザクロ汁」にしたということだね。
<Mugiko>
 ディナルを9時40分頃に出発して、パムッカレに着いたのが11時過ぎぐらいだったかしら?

 <HAVLU BORNOZ?>


 <パムッカレお土産の笛>


<Mugio>
 横文字の看板が写っている写真は、10時50分ぐらいに撮影したものだから、パムッカレに到着する前に撮影したものだね。カラフルな服や自動販売機のようなものが置いてあって面白かったので、カメラのシャッターが勝手に動いた!という感じで撮影したものだけれど、看板に大きく書かれている「HAVLU BORNOZ」とは、どういう意味なんだろうか?
<Mugiko>
 パムッカレ(PAMUKKALE)とは、町の名前かしら?
<Mugio>
 ううん・・・それが良く分からないのさ。地球の歩き方では、街歩きとして「バスはデニズリからくる大通り沿いに停まる。ここがパムッカレの入口。バス例の右前方に白い石灰の台地が広がっていて、左側がパムッカレの街。」と説明しているから、そうだと思うけれど・・・
<Mugiko>
 奥歯に物が挟まったような言い方ね!
 パムッカレのことを調べると、「ヒエラポリスーパムッカレ」という世界遺産の説明になっているから、パムッカレという町のことがはっきりしない!ということね。
<Mugio>
 まあ、そういうことだけれど、あまり気にすることはないと思っているよ。
 さて、私たちは、大型バスでここに来たので、北の入口から野外劇場、石灰棚などの遺跡があるヒエラポリスという古代の都市を見学したようだね。

 <紀元前の都市遺跡ヒエラポリス>


 <紀元前5世紀建設のビザンツ門>


 <古代遺跡の数々>


 <南国の植物が!>


<Mugiko>
 笛のお土産屋から歩いて約30分間、このような古代遺跡の光景が広がっていたわ。ビザンツ門は、パムッカレとヒエラポリスへの入口になっているそうよ。
<Mugio>
 ヒエラポリス遺跡は、パムッカレの石灰段丘の一番上にあるそうだ。
 紀元前にヨーロッパを支配したアレクサンダー大王の死後、その部下の将軍たちは、占領した各地に王国を築いたが、その一つがトルコのエーゲ海沿い「ベルガモン」という王国らしいね。
 ヒエラポリスは、そのベルガモン王国時代(紀元前2世紀)に築かれた「聖なる都市(ギリシャ語でヒエラポリスという。)」で、ローマ帝国の温泉保養地として栄え、ローマ帝国時代の地震では復興されたが、1354年の大地震などで完全に廃墟と化したというから、写真に写って利宇光景は、1354年当時のままかも知れないね?
<Mugiko>
 でも、私たちは、古代遺跡のヒエラポリスよりも、その先にあるパムッカレの白い景色に目を奪われてしまったわね。
 あなたのメモにも、「パムッカレに11時過ぎに到着。フセインさんが「ヒエラポリス」とか「紀元前2世紀」などの話をするので、ここは、古代遺跡でもあるらしい。」とあるから私たちの関心が薄いことが分かるわね。
<Mugio>
 おい、おい!勝手に人のメモを引用するなよ。
<Mugiko>
 あなたのメモ、悪くはないわよ。「バスを降りてしばらく歩くが、古代の門柱や崩れかけている建物が見えた。その光景と南国の植物を見ながら進むと、あの棚田のような白い岩の景色が目に飛び込んできた。」というメモなどは、この時の様子を的確に表していて傑作ね。
<Mugio>
 パムッカレという町の中にヒエラポリスという場所がある、という理解で良いのか分からないが、ヒエラポリスには、見どころとして「石灰棚」、「考古学博物館」、「遺跡プール」、古代都市の遺構である「アポロン遺跡とプルトニオン」、「野外劇場」、「聖ピリポ殉教記念堂」、「ネクロイポリス」などがあるということだね。
<Mugiko>
 石灰棚に到着すると、「川のようなプール(遺跡プール)がある建物に12時30分に集合」ということで、石灰棚を自由に見学することになったのね。
 私たちは、この旅行で親しくなったKさんと3人で「白い恋人」と名付けたいような景色を存分に楽しんだわね。

 <石器棚を上から見学>


 <あの有名な白い恋人>


<Mugio>
 カメラが壊れたとはいえ、自由時間の1時間で石灰棚の中を歩き回りましたので、「3人の様子を掲載!」といいたいところですが、ご勘弁いただいて・・・
 その代わりに海のような白く青い絶景を2枚ほどご覧いただきましょう。
 ところで、参考までにお知らせします。
 上の写真の奥に家が並んでいますが、これがパムッカレの街並みですね。
<Mugiko>
 パムッカレは、「絹の宮殿」という意味を持つ温泉保養地で、昔からこのあたりが綿花の一大生産地であることによるらしいわよ。
 でも、絹の宮殿のことより、なぜ、このような白い棚田ができたのか?の方が興味があるわね。
<Mugio>
 それは、「1万年ほど前に、この辺り一帯に石灰質を豊富に含んだ温泉が湧き出て、長い間、台地の上部から流れ落ちて結晶し、台地全体を真っ白に覆ったことによる」という話だね。

 <まるで雪山のような石灰棚>


 <青白く輝く石灰棚>


<Mugiko>
 自由時間が終わると、私たちは予定通り12時30分に遺跡プールがある建物に向かったけれど、この建物の奥で驚く光景が待っていたの!
 それは、日本でいうと鯉が泳いでいるような川(プール)で泳いでいる人達がいたことなの!
 また、先ほど見学した石灰棚でも欧米の外国人が水浴びをしていたので、驚いたけれど、その様子が分かる写真を見ていただいたら?


 <以上で、本日の記事は終了です。次回は、パムッカレの続きとクサダシのホテルの様子をお伝えします。>


トルコ一周とカッパドキアの旅<メヴラーナ博物館>

2019年02月25日 | 旅行記
 本日はトルコ一周とカッパドキアの旅から旅行5日目に訪れましたメヴラーナ博物館の模様をお伝えします。

 その前に小生が平成30年分の確定申告にあたって、パソコンの操作で苦戦した話を申し上げたいと思います。
 小生は、毎年、確定申告をしていますが、その際に「寄付金」控除を申告するのに所得控除ではなく、税額控除を選んでいます。
 小生のような年金収入(雑所得)で収入が少額の場合には、税額控除の方が有利だからですが、その際には国税庁指定の計算書を添付することになっています。
 問題は、その計算書が「PDF」で作成されているのですが、これをプリントすべく「印刷」の指令を出しても小生が使っているEPSON EP807ABというプリンターは「うんともすんとも」いわないのです。
 もちろん、小生のパソコンにはPDFというソフトは入っていますので、国税庁のファイルが開いて画面を見ることはできるのです。
 しかし、何度「印刷」タブをクリックしても応答がないのです。
 そこで、ネットで原因を調べたのですが、同じような症状で苦しんでいる方がいて、その解決方法が示されていました。
 その方法に従い作業したのですが、解決の鍵となるPDFソフトを右クリックして出現する「文書のプロバディ」から「詳細設定」まではできるのですが、次の指示項目である「編集/環境設定」タブが見つかりません。仕方がないので、似ている「編集」タブをクリックして左側の「セキュリティ(拡張)」を選択したのですが、目標のタブである「起動時の保護モードを有効にする」が見当たらないのです。
 このタブを解除にすれば、印刷できるようになるというのですが、見つからないのですから、税額控除を諦めて所得控除にしようか?と考えました。
 でも、執念ですね。「PDF」というアプリケーションにもレベル?があるのではないかと考えたのです。
 そこで、小生のパソコンが使っているPDFを調べたのですが、「PDFⅩ」となっていました。これですと「起動時の保護モードを有効にする」タブは、上部にある「編集(E)」をクリックして、そこに現れる画面の一番下の項目「環境設定(N)」をクリックし、表示される画面の左側の「一般」をクリックすると、ページの一番下にこの文字が(M)として表示されています。
 このタブをこの作業で解除できるのですが、いわば「保護モードを無効」にするのですから警告が出ます。
 これに驚いて「止めといた方がいいかな?!」とも考えたのですが、思い切って無効にしましたら、印刷機が正常に作動してくれました。
 なぜ、保護モードにすると印刷機に指令が届かないのか?理解できないのですが、PDFは使うことがありませんので、しばらくこのままにしておきたいと思います。
  
 ということで、長々と税金とPDFの話を申し上げてしまいましたが、メヴラーナ博物館の模様をお伝えします。
 
 <メヴラーナ博物館>


 <博物館内の庭園>


<Mugiko>
 上の写真がメヴラーナ博物館だけれど、この撮影が終わったときにカメラを落としてしまったのよネ。
<Mugio>
 自分の不注意で落としてしまったのだから、何とも言えない悪い出来事だったけれど、「これから旅の思い出が撮影できなくなる!」と思うと、「どうしようか?」と狼狽えるばかりで肝心な博物館のことを忘れてしまったよ。
<Mugiko>
 ビデオとカメラの二つを同時に撮影していて、両方とも手で持っていたからじゃないの?
<Mugio>
 そうだね。これからは「カメラは首から提げるべき!」という良い教訓になったよ。
<Mugiko>
 それでも、下の写真のように博物館が写っているけれど、落としたカメラが動いたの?
<Mugio>
 これは、ビデオカメラ、つまり、動画を撮影するカメラで静止画を撮影したということさ。
 写真の出来具合は「まあまあ」だけれど、慣れないので半押しが不足していたのか?「ボケ」てしまった写真が多かったな!
<Mugiko>
 必要なら私のカメラを使っていいわよ。
<Mugio>
 ということで、この後、建物に入って説明を受けたのですが、折角の博物館見学が上の空になってしまいました。
<Mugiko>
 大丈夫よ。私から簡単に説明しておくわ。
 この博物館は、青緑色の美しい塔が特徴だけれど、元々は、旋回舞踏で知られるメヴラーナの創始者メヴラーナ・ルービの霊廟だったそうよ。
 彼は、1207年アフガニスタン生まれで、後にコンヤに移り、詩人・神秘主義的哲学者として、「この世は、すべて回転する」などといって信者たちを導いたみたいね。旋回舞踏は、そのために行っていたようね。
 それがなぜ博物館になったかといえば、トルコ建国の父アタテュルクが初代大統領に就任したとき、政教分離の政策から教団は解散、旋回舞踏は禁止、霊廟・モスクは博物館になったということのようね。
<Mugio>
 現在は、聖人たちの墓所、そして展示品として旋回舞踏に使われた衣装、楽器、コーランの写本などがあり、博物館として機能しているということだね。
<Mugio>
 さあ!次は今夜の宿泊地アフィヨンに向かうそうよ。

 <昼食会場のOzkan Dinleme Tesisteri>


 <サラダ>


 <トルコ風ビザ>


 <ベイティ ケバブ>


 <デザート>


<Mugiko>
 本日の昼食は、アフィヨン近郊のレストランですが、味の評価はいかがですか?
<Mugio>
 このレストランに着いた時刻が、13時を過ぎていたので、腹ペコペコだったからか?「普通」だな!と感じていたトルコ料理が、ここでは珍しく早食いになったのだから「美味しい!」ということだね。それに、品数も多くて、前菜やスープもあったからネ。
<Mugiko>
 このホテルは、アフィヨン近郊とはいっても、ホテルまでは1時間以上の距離があるからバスから見える景色を楽しみたいところだわね。
 でも、この景色を撮影したビデオカメラの写真がボケてしまっていたのだから、とても残念だったわ!
<Mugio>
 ということで、アフィヨンのホテル、イクバル・テルマル(IKBAL TERMAL)には15時15分頃到着しました。
<Mugiko>
 日程の余裕があって「楽ちん」ね。こういう配慮がワールド(航空サービス社)さんらしい!ということかしら?

 <アフィヨンのホテル>


 <部屋から見えた景色>


<Mugio>
 年寄りに対する配慮もあると思うけれど、このホテルでトルコのお風呂、ハマムを体験できるということのようだよ。その後、19時から1階のレストランで夕食の予定になっている。
<Mugiko>
 それは面白そうね。まず、部屋で水着に着替えて、バスローブを着けてL1階まで専用のエレベータに乗るそうよ。その後の話は、あなたのメモがとても面白いのでレポートしてくださいね。
<Mugio>
 お風呂の部屋に入って、まず、タオルなどをロッカーに預ける。そこを出ると、正面に温泉水の入ったお風呂、右側にサウナ、左側に垢すりと石けんなどを使って自分で洗う部屋がある。
 僕は、まず、北海道から参加したAさんがいたサウナに入ったけれど、そこには私たちのツアー仲間の3人が入ってきた。
 サウナは「熱い!」、熱源に水をかけると、蒸気となって熱さが最高潮に達する。
<Mugiko>
 その後は?
<Mugio>
 汗が出てきたので、中央のお風呂に入ることにした。神奈川県のSさんが先に入っていたので、お風呂の深さを教えてもらう。温度は熱くはないが、とにかく深い!160センチ強の僕だと、つま先をたてないと、顔が湯船につかりそうで不安になる。
<Mugiko>
 なるほどね。お風呂の形や面積は?
<Mugio>
 形はまん丸で、広さはどのくらいあるだろうか?お風呂には立って入るので、ゆっくり50人以上は入れそうである。お風呂の周りに二つの梯子のようなものがついているので、そこから中に入る。
<Mugiko>
 トルコのハマムを十分楽しんだようね。ところで、垢すりは有料で20分30TL(約1,800円)だそうね。
<Mugio>
 そうらしいね。でも、気持ちに余裕がなかったためか僕は頼まなかったよ。
 ところで、烏の行水ではないが、僕たち男性群は、約30分で出てきたけれど、君たち女性軍は、約1時間お風呂を楽しんだようだね。
<Mugiko>
 お風呂の次は、19時から1階のレストランで夕食よ。そしてその後、S子さんがスーパーマーケットに案内してくれるそうよ。

 <野菜が豊富な夕食>


 <アフィヨンの商店街>


<Mugio>
 夕食のコメントはありません。
<Mugiko>
 そう!珍しいことがあるものね。
 ところで、スーパには「水や地元の面白い土産物がないかな?」などと考えていましたが、ホテルの通用門を出ると、ネオンが輝いていたので、驚いてしまったわ。


 <本日の記事はこれにて終了です。次回は、旅行6日目のアフィヨンから世界遺産パムッカレに向かう様子などをお伝えします。>
 

トルコ一周とカッパドキアの旅<コンヤのアラアッデン・モスクなど>

2019年02月14日 | 旅行記
 しばらく筆が進みませんでしたが、トルコの旅の続きをお伝えします。
 このところ、持病の腰痛があって、近くの整体院で治療していましたが、「やっと!」回復してきましたので、こうして筆を執ることができるようになりました。
 でも、パソコンの作業は同じ姿勢ですから腰には良くないと思いますので、短めのレポートになりますが、ご容赦いただきたいと思います。

 ◆ コンヤのアラアッデン・モスク

<Mugiko>
 その優しい微笑みをご覧いただきましょうか?(何の話かは前回の記事をご覧ください。)
<Mugio>
 プライバシーに配慮して画像を修正しましたので、見づらくなってしまいましたが・・・

 <微笑みが素敵な管理人さん>


 <簡素な造りのジャミイ(モスク)>


<Mugiko>
 モスクの中は、イスラム教らしいブルーの色使いがとても素敵ね。
<Mugio>
 このモスクは、トルコらしい大きなドームがなく、「簡素なミナレットと質素な箱形の建物」という印象だね。
 1220年代のセルジューク朝のスルタン、カイクバード1世という王様によって建造され、今もモスクとして機能しているので礼拝中は入場できないそうだよ。

 <ローマ、ビザンティン様式の石柱>


 <ミフラーブの前にて>


 <ミフラーブのアラベスク文様>


<Mugiko>
 天蓋を支える42本の石柱の多くは、ローマ、ビザンティン建築の様式から流用したと聞いたけれど、写真に写っているものが、その石柱かしら?
<Mugio>
 そうだろうね。
 ところで、ミフラーブというのは、モスクのギブラ壁(カアバの方向を示す礼拝堂の内部正面の壁)に設置された窪み状の設備で、モスクは、そのギブラに礼拝するためものものだ!ということらしいよ。
<Mugiko>
 よく調べたと思うけれど、でも、良く理解できない話だわね。
<Mugio>
 ギブラとは、ムスリムが1日5回サラート(礼拝)を行う方向であり、現在のイスラム教では、メッカのマスジド・ハラームにあるカアバの方向だそうだ。
 ところで、ミフラーブの間近で女性陣が撮影しているが、金曜礼拝では、女性がミフラーブの間近でお祈りはできない!という話を聞きました。
<Mugiko>
 このモスクには9時過ぎに到着して、30分間ぐらいの見学でしたが、イスラム教の素朴な雰囲気を味わうことができました。
<Mugio>
 次はアラアッデンの丘(テベシ)の中を歩いて、モスクの裏側にある「インジェ・ミナーレ博物館」の方向に向かいました。

 <アラアッデンの丘を歩く>


 <インジェ・ミナーレ博物館>


<Mugiko>
 インジェ・ミナーレ博物館は、カラタイ神学校(博物館)と同じ時期(13世紀中頃)にヒサップ・アタという高官に建造された神学校で、細い尖塔を意味するインジェ・ミナーレが落雷で短くなったけれど、そのままの名前で呼ばれているそうね。
<Mugio>
 ということで、アラアッデンの丘の近くには、二つの博物館(神学校)があるけれど、中は見学しないでバスで「メブラーナ博物館」に向かいました。


 <以上で本日の記事を終了します。次回は、メブラーナ博物館の模様をお伝えします。>

トルコ一周とカッパドキアの旅<コンヤのアラアッデンモスクなど>

2019年02月07日 | 旅行記
 ◆ コンヤのメヴラーナ博物館、アラアッデン・モスク

<Mugiko>
 おはよう!コンヤの朝はいかが?
<Mugio>
 コンヤは、南アナトリアの内陸平原にあるコンヤ県の県都、セルジュク時代に王都として、また、交易の中枢として隆盛を誇り、秀麗な神学校やジャミィを残した、と君が説明していたね。
<Mugiko>
 朝から「今夜」の話?ところで、セルジュクというのは何ですか?
<Mugio>
 wikipediaによると、「セルジュク朝は、11世紀から12世紀にかけて現在のイラン、イラク、トルクメニスタンを中心に存在したイスラム王朝」だそうだ。
<Mugiko>
 広大な国家だわね。
 トルコが入っていないけれど、「セルジュク族のトルコ国家という意味から、かってはセルジュクやセルジュク・トルコ帝国、セルジュク朝トルコ帝国という言葉がしばしば用いられた。」というから、簡単に言えば「トルコの王朝」ということね。
<Mugio>
 さて、昨日、添乗員さんからメモをいただいた本日(2010年10月22日)の予定だけれど、モーニングコールが7時00分、朝食が6時30分から、スーツケース廊下搬出が7時45分、ロビー集合・出発が8時30分となっている。
<Mugiko>
 あなたが大好きなホテルの評価がないわよ。

 <彩り豊かな朝食>


<Mugio>
 リクソス・ホテル・コンヤは、「コンヤの郊外に建つ近代的なホテル!」といったところかな?
 朝食の味は、だんだん良くなる何とか?で「たべやすい」という評価だね。
<Mugiko>
 トルコ料理の悪口ばかりだった人が、どうしたの?
 それにしても、盛りつけが下手ね!
<Mugio>
 まあ、いいじゃないの!
 本日のメインの観光地は、メヴラーナ博物館だと思っていたら、アラアッデン・モスクを先に見学するそうだよ。
<Mugiko>
 コンヤの町歩きとしては、メヴラーナ通りが中心で、東側にメヴラーナ博物館、西側にアラアッデン・デベシという低い丘の公園があり、その間、1㎞足らずの中に見どころのすべてがある、ということだから迷うことはなさそうね。
<Mugio>
 アラアッデン・モスク(ジャミィ)は、西側のアラアッデン・デベシの中にあるそうだよ。
<Mugiko>
 ホテルを予定通り8時30分に出発して、モスクには9時前には到着したわ。郊外ではないホテルの方が良かったのでは?と思っていたけれど、異国情緒たっぷりの街の雰囲気が十分楽しめて大満足ね。
<Mugio>
 などと、のんびりしたことをいってますが、次の見学地のメヴラーナ博物館では事件が待っていました。
<Mugiko>
 あら!そうなの?でも、その話は博物館を訪れたときにレポートしてくださいね。

 <アラアッデンの丘に到着>


 <丸型のモスク>


<Mugio>
 了解!
 ところで、バスが到着したアラアッデンの丘は、メヴラーナ通りから続いているアラアッデン通りの突き当たりにあり、周囲を道路が丸く囲んでいて、丘の右側にアラアッデン・モスクが、また、丸い道路沿いにモノレールが走っていて、近くに「カタライ博物館」と「インジェミナーレ博物館」があるということだ。
<Mugio>
 バスが駐車したところがどこなのか?分からないけれど、バスを降りて直ぐにアラアッデンモスクの正面を撮影しているから、この博物館はカタライだと思うな。

 <遠方にアラアッデンモスクが>


 <歩道を歩く地元?の女性>


<Mugiko>
 「遠方にアラアッデンモスクが」の写真には、確かに円錐形の屋根などが見えるけれど、その手前の丸型の覆いがあるもの、そして、飛行機のようなものは何?
<Mugiko>
 それが良く分からないのさ。丸型の覆いがあるものは、「クルチ・アルスラーン宮殿の日干し煉瓦の壁(城壁)の残骸」だという説明があったようだよ。
<Mugiko>
 そんなことを言われても、まったく理解できないわね。
 1077年から1308年にかけてルーム・セルジュクという王朝があって、そのスルタンにクルチ・アルスラーン(1世1092年~1107年、2世1156年~1192年)という人物がいたから、その時代の宮殿の壁が残っているということかしら?
<Mugio>
 よく勉強したね!
 ところで、下の写真に地元の女性?が写っているけれど、政教分離のトルコでも、コンヤは宗教色が特に強い!というから、歩いている女性もベチェといわれる顔を覆っているものを被っているネ。
 それと、紙飛行機のようなものは、道路上にロープのようなものでつり下げられた旗のようなものだね。それが風でロープに巻き付いたようだ。

 <アラアッデンの丘の周りを走る路面電車>


 <アラアッデン・ジャミイ>


<Mugiko>
 こうして、私たちは、丘の周りを散策するようにアラアッデンモスクに向かったのです。
<Mugio>
 私たちは、北側、つまり裏側からモスクに入ったようだね。そこから正面の広場のような場所を廻って建物の中に入ったということだね。

 <アラアッデンモスク(ジャミイ)の入口付近>


 <同じく左方向の光景>


 <入口の看板>


<Mugiko>
 中に入ると、このモスクの管理人でしょうか?実直そうなお爺さんが微笑みながら私たちを迎えてくれました。


 <以上で本日の記事は終了です。次回は、アラアッデンモスクの中の様子とメヴラーナ博物館の模様をお伝えします。>

トルコ一周とカッパドキアの旅<アクアサライでの昼食など>

2019年02月06日 | 旅行記
 ◆ アクアサライでの昼食、スルタン・ハヌのキャラバンサライ

<Mugiko>
 アクアサライというところは、アンカラからカッパドキアに向かうときに立ち寄った塩の湖トゥズ湖の南東にあるみたいね。
 地図を見ると、カッパドキアからコンヤには真っ直ぐな道路が延びていて、その途中にアクアサライとスルタン・ハヌの地名が確認できたわ。
<Mugio>
 アクサライのレストランに着いたのが13時ジャストくらいだったから、カイマクル地下都市から1時間以上バスに揺られてことになるね。

 <アクアサライのレストラン>


 <スープ>


 <サラダ>


 <肉入りドルマ>


 <デザート>


<Mugiko>
 このレストランは、ガラスの引き戸のためか明るい雰囲気でとても良かったわ。
 味の方は、あなたに代わって評価すると、スープは「美味」だけれど、肉入りドルマは「イマイチ」というところかしら?
<Mugio>
 昼食が終わると、再びバスに揺られてレストランから45㎞ほどのスルタン・ハヌ(Sultan Hani)の「キャラバンサライ(隊商宿)」に向かいました。

 <キャラバンサライの入口>


 <キャラバンサライ前の駐車場>


<Mugiko>
 キャラバンサライというのは、「隊商宿」と訳されているけれど、「隊を組んで旅する商人の一団が宿泊する宿」という意味だそうね。
 それにしても、どうしてこんなに大きな壁で囲まれた施設を造ったのかしら?
<Mugio>
 それは、1200年代、交易による利益が大きい隊商には、常に盗賊などによる略奪の危険がつきまとっていたので、このような堅固な宿泊施設(隊商宿)を交易路の各所に造って安全を講じたということのようだね。
 このスルタンハヌのキャラバンサライも、同じ目的でアラアッディン・カイクルバード1世という方が1229年に築いたそうだよ。

 <屋根がある部分>


 <中にも門が!>


<Mugiko>
 内部は二つの区画に分かれ、夏用と冬用になっているというけれど、その区画が良く分からなかったわ。
<Mugio>
 「屋根がある部分」は、下の写真の門のような建物の右側に立っていたけれど、これが夏用に使っていた建物だろうか?
<Mugiko>
 夏用に使っていた建物は、「周囲を壁に囲まれたオープンな区域」で、「一つ一つの窪みが商人たちの台所、浴室、リビング、寝室などに使われた部屋になっている。」ということだけれど、写真からもそんな感じが伝わってくるわね。
<Mugio>
 自信はないけれど、そうだと思うね。
 「中にも門が!」の写真は、4つのアーチを持つ中庭の中心にある建物で、2階が礼拝堂になっているようだが、私たちは上っていないので確認できなかったね。

 <キャラバンサライの中>


 <中には子猫が!>


<Mugiko>
 「キャラバンサライの中」の写真の建物は、15mの高い天井と24本の太い列柱が並ぶホールで、いくつもの部屋に分かれていて、冬は、ここに宿泊していたみたいね。
<Mugio>
 ここは、中庭の奥にある建物で、まるで倉庫のような感じだね。
 ところで、隊商宿には3日間は無料で宿泊できたというから、時の権力者がいかに大切にしていたのか!ということだね。
<Mugiko>
 キャラバンサライを15時過ぎに「さようなら」して、次は先ほどから親父ギャグで話題になっている「今夜」の宿泊地「コンヤ」に向かいました。
<Mugio>
 砂漠の中を走っていたときに突然、近代的な建物が出現したので驚いちゃったよ!

 <はげ山?>


 <コンヤのノッポビル>


<Mugiko>
 緑が見えないから砂漠かも知れないわネ。でも、「はげ山」だなんて表現が下品ね。
<Mugio>
 まぁ、自分のことをいっているのだからご勘弁願いましょうか?それよりも、このノッポビルが今夜、宿泊する「リクソス・ホテル・コンヤ(Rixos Hotel Konya)」だそうだ。
<Mugiko>
 16時50分頃ホテルに着いたから「流石はワールドさんだけあって時間に余裕があるな!」と感じたわ。
 ところで、私たちの部屋から見えたコンヤの街並みとホテルの夕食をレポートして「本日はすべて終了」です。
<Mugio>
 おい、おい、そう先回りされては僕の出番がなくなっちゃうよ!

 <コンヤの街並み>


 <ビュッフェスタイルの夕食>


 <部屋の様子>


<Mugiko>
 食べ物の写真を見ると、あなたが自分の好みのものばかり食べているのが良く分かるわ。あなたの評価が「今までで最も食べやすい。」となっているのは、そのためではないの?
 ところで、コンヤという街の説明をしておくわね。
 コンヤは、西アナトリア内陸の平原にあるトルコ最大の面積を持つコンヤ県の県都で、セルジェク時代の王朝として、また、交易の中枢として隆盛を誇り、秀麗な神学校やジャミィを今に残しているそうね。
<Mugio>
 神秘教団の活動は、アタテュルクによって禁止されたが、コンヤ周辺の村から聖地を訪ねる保守的な人も多く、トルコの中でも、特に宗教色の強い街だから写真撮影などではそれなりの気配りが必要だそうだよ。
<Mugiko>
 コンヤの街にあるメヴラーナ博物館などを見学するのは、明日の午前中になっているわね。


 <以上で、本日の記事は終了です。次回は、コンヤのメヴラーナ博物館とアラアッデン・モスクの模様をお伝えします。>