ローマは、世界遺産の宝庫みたいな都市で、掘れば何かが出てくるとも言われているようです。
そんな素晴らしい歴史と文化の街を訪問しながら、そのこ とに気づくのが遅すぎました。
でも、イタリアにはこれからも、そしてローマにも行けます。
などと自分を激励していますが、反省が足りませんね。
ところで、バチカンは、1929年、時の教皇ピウス11世がイタリアと条約を結んで独立した国だそうです。
その前にもローマ教皇領という独立国があったようですが、ここは、皆さん、ご存じのカトリック教徒の聖地としてあまりにも有名です。
この中で、サンピエトロ大聖堂は、324年、といいますから今から1680年くらい前にコンスタンティヌス帝がペトロ(キリストの最も忠実な使徒とされ、逆さ磔にされ、その遺体が現在のサンピエトロ大聖堂の真下に葬られた、とされています。)の墓上にあった旧大聖堂を120年かけて再建した建築物であるとされています。
大聖堂の正面には、楕円形のサンピエトロ広場、17世紀の芸術家ベルニーニが設計した円柱に支えられた楕円形の回廊などな見るべき歴史的な建造物が多数あります。
ところで、「お前が見たものは、どうなんだ?」と言われそうですが、この教会を外からじっくり見学する時間がなかったのです。
さて、この大聖堂はバチカン宮殿とも言われるくらいですから、「教皇」というのは、王様ないしは天皇みたいな存在なのでしょうね。
詩人ゲーテは、この広場とシスティーナ礼拝堂が好きだったされていますが、肝心のサンピエトロ大聖堂の中の様子ですが・・・・・
「身廊」といわれる廊下、側廊にある祭壇画やフレスコ画、ミケランジェロが設計した金色に輝く「天蓋」、ベルニーニ設計の「大天蓋」などなどがあるはずですが・・・・・写真に残っていないのです。(撮影禁止?)
さて、その次にゲーテが愛したという「システィーナ礼拝堂」ですが、写真は残っていませんが、いった記憶があります。
ここは、16世紀初頭といいますから、今から400年くらい前になりますが、その時の教皇、ユリウス2世とレオ10世の時代にルネサンス運動が起きたようです。そして、ローマがその中心地となったとされています。
まぁ、今で言うところの改革でしょうか?ユリウス2世と、この跡を継いだレオ10世人は、芸術家を愛して、そのために歴史に残る天才芸術家が出現しております。
そう、皆さん、ご存じの「ミケランジェロ」「ブラマンテ」「ラファエロ」であります。
中でも、ミケランジェロが残したシスティーナ礼拝堂の「天地創造」は、バチカンの至宝とされていますが、世界の宝といった方が良いと思います。
また、「お前は見たのか?」と言われそうですが、確かに記憶に残っています。
天井を埋め尽くす宗教画を首が痛くなるのを堪えながら、「凄いな!」を連発しながら見ました。
「そんなに貴重で重要なものだ!ということを意識していたのか?」といわれそうですが、無我夢中ですよ。
ところで、ラファエロは、レオ10世に可愛がられたようで、彼も天才だったのでしょうね。「署名の間」や「コンスタンティヌスの間」などのラファエロの作品が飾ってある間には「アテネの学童」などがあります。
それにしても、宗教と権力そして、芸術文化というテーマは、現代にも通じる永遠のテーマなのだ、と感じたものであります。
今日は、これにて失礼します。
今日の写真は、わが家の「夏みかん」です。