mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

トルコ一周とカッパドキアの旅<イスタンブール旧市街歴史地区散策>

2020年04月20日 | 旅行記
 コロナウイルスが蔓延してきて大変心配していますが、皆様のところはいかがでしょうか?
 本日は、トルコ一周とカッパドキアの旅からイスタンブール旧市街の散策の模様をお伝えします。

<Mugiko>
 おはよう!お天気はあまり良くないみたいね。
<Mugio>
 それでは早速、「イスタンブールの朝」という言葉で小生が説明しているホテルの評価ですが、今回は遠慮しておくことにしました。
<Mugiko>
 あら!珍しいわね。
 でも、初めての添乗でお世話になったS子さんへの慰労を兼ねた楽しいひとときがロビーであったので、評価などという無粋なことはやめておいた方が良いわね。

 <美味しそうな朝食>


<Mugio>
 そうだね。
 でも、さすがはワールドさんだね、明るくてとても良い印象を持ちました。
 また、朝食も美味しかったね。
 ところで、今日はモーニングコールが6時30分、朝食が6時00分から、ロビー集合・出発が8時30分となってるから、のんびり夫婦には結構きつい予定になっているね。
<Mugiko>
 観光の予定は、イスタンブール旧市街、歴史地区の見学となっていて、具体的には、午前中がブルーモスク、アヤソフィア寺院、トプカプ宮殿、昼食を挟んで午後からグランドバザール散策、そして夕刻にボスポラス海峡クルーズとなっているわ。
<Mugio>
 しかし、ボスポラス海峡クルーズは、昨日の夕刻に楽しんだから、この分は「なし」になり、また、混雑を避けて朝一番にグランドバザールを見学をするみたいだね。そしてブルーモスクを見てから昼食、午後からトプカプ宮殿、アヤソフィアの順に廻るそうだよ。
<Mugiko>
 グランドバザールなどがある歴史地区は、金角湾の南側いあるから私たちが宿泊しているホテルがある新市街からは、ガラタ橋を通っていくことになると思うけれど、グランドバザールには、橋を真っ直ぐ進んでトラムが走る通りを目指すのかしら?
<Mugio>
 地図を見ると、君のいうとおりなんだけれど、遠回りのブルーモスクやアヤソフィアに近いアンカラ通りやイェレバタン通りを通ってからグランドバザールに向かうみたいだね。

 <ブルーモスク>


 <ブルームスク周辺>


<Muiko>
 バスに乗って流れる景色を眺めていたら、ブルーモスクが目に入ってきたから驚いたわ。
 この周辺には、ブルーモスクのほかアヤソフィアやトプカプ宮殿などがあるので、観光の拠点みたいなところなのね。
<Mugio>
 お天気がイマイチなのが残念だけれど、トラムなどを見ながら約10分でグランドバザールに着いたよ。

  <「ドイツの泉」がある広場>


 <トラム(路面電車)>


<Mugiko>
 グランドバザールと呼んでいる市場は、トルコではカバル・チャルシュというらしいわ。かつては、奴隷も宝石もあらゆるものが取引されたけれど、現在はお土産屋の巨大な集まり、という話ね。
<Mugio>
 入口が10数カ所あるけれど、東のヌルオスマニエ門と西のベヤズィット門を利用するのが分かりやすいそうだ。この2つの門をつなぐパクチュラルパシャ通りの北側に小道が延びて店が広がっているから、よくこの通りを覚えていないと迷子になりそうだよ。

 <東のヌルオスマニエ門>


 <これぞグランドバザール>


<Mugio>
 私が楽しみにしていた市場だけれど、何か記念になるものを買いたいわ!
<Mugio>
 という君の希望で、入口の右側にある宝石商で時間を取られてしまい、、ほかの店を冷やかすことができなくなったよ。
<Mugiko>
 でも、そのお陰で迷い子にならずにすんだのだから、何事もプラス思考で考えないと・・・。

 <宝石商の様子>


<Mugio>
 業種ごとに店が集まり、その数が4400軒を超えているというから1時間ぐらいで見て回るのは無理!ということだね。
<Mugiko>
 それに、オリーブや石けん、チャイグラスなどは、外の店の方が安い!というから雰囲気に飲まれて購入しない方が賢明ね。
<Mugio>
 君はこの店で何か買ったの?
<Mugiko>
 それは内緒!
 ところで、バザール見学後の集合時刻になっても一人だけ戻ってこなかったので、「はらはら」したけれど、バスが駐車している場所を覚えていたのだから大したものね。
<Mugio> 
 君なら間違いなく迷子?
 ということで、グランドバザールからは、ブルーモスクに向かいました。


 <これにて本日の記事は終了です。次回は、ブルーモスク到着までの模様をお伝えします。それではこれにて失礼します。>

トルコ一周とカッパドキアの旅<ボラポラス海峡クルーズの続き3>

2020年04月14日 | 旅行記
 前日に引き続きボラポラス海峡クルーズからお伝えします。

<Mugiko>
 私たちの乗った船は、この辺りでUターンしてマルマラ海に向かってという感じかしら?
 そして、私たちが降りる桟橋は、イスタンブールの新市街地にある「スイスホテル・ザ・ボスフォラス」に近くで、乗船したドルマバクチェ宮殿付近の桟橋ということね。
<Mugio>
 そこのところが良く分からないけれども、下船するまでに見える景色も面白そうで、アジア側の景色も楽しみたいものだね。

 <クレリ陸軍士官学校>


 <ベイレルベイ宮殿>


<Mugiko>
 Uターンしてからまず目に入ってきたのが、横に細長い建物が特徴の「クレリ陸軍士官学校」だわ。海のそばに陸軍!というのも面白いけれど、地図の表示は「Military High School」となっていたの。
<Mugio>
 へー、そうなんだ。このハイスクールは、アジア側のベイレルベイ宮殿の上流にあったね。

 <ボラポラス大橋、アジア側>


<Mugiko>
 ベイレルベイ宮殿は、ボラポラス大橋の袂にあったわ。
 ヨーロッパ側にあるドルマバクチェ宮殿が、まさに王宮であるのに対して、この宮殿はスルタンの夏の宮殿として使われていたそうよ。
<Mugio>
 離宮とはいえ、王宮だからドルマバクチェ宮殿と同じように海側に正門と桟橋を備えていたと聞いたよ。
 内部はガイド付きのツアーでしか見学することができないが、国宝級の装飾品がいくつも並んでいて、当時の王族の優雅な生活を想像させる、ということだ。
<Mugiko>
 ボスポラス海峡クルーズの最後にボスポラス大橋をの写真を掲載したけれど、これは、ベイレルベイ宮殿の橋を挟んで反対側の光景を撮影したものね。これで、ヨーロッパ側とアジア側のボスポラス大橋付近の様子が分かるということかしら?
<Mugio>
 これからホテルにチェックインして夕食だね。ロビーと私たちの部屋をご覧いただきましょう。

 <ホテルのロビー>


 <私たちの部屋、707号室>


<Mugio>
 それにしても、このホテルには、ウエスト棟とイースト棟があり、ロビーはウエスト棟のエレベータ表示「9」、朝食はイースト棟の「7」だから厄介だね。
 私たちの部屋は、ウエスト棟の707号室だって!
<Mugiko>
 夕食もホテルでいただくと思ったでしょう?ところが、今日は外の日本食レストランでいただくことになっているそうよ。
<Mugio>
 そいつは楽しみだけれど、「味の方は大丈夫かな?」という疑念が当たったのか一口、いただいただけで「これはダメだ。」と思いました。

 <夕食>









<Mugiko>
 店の名前は「SUSHI BANCHI」で、メニューは「小鉢、刺身、サラダ、天ぷら盛り合わせ、ご飯、香の物、味噌汁、果物」と盛りだくさんだったわ。


 <本日の記事は、これにて終了です。次回は、翌日(旅行11日目)のイスタンブール旧市街歴史地区散策からグランド・バザールなどをお伝えします。それではこれにて失礼します。>



トルコ一周とカッパドキアの旅<ボスポラス海峡クルーズ2>

2020年04月13日 | 旅行記
 前回に引き続き「トルコ一周とカッパドキアの旅」からボスポラス海峡クルーズの続きをお伝えします。

<Mugiko>
 ボスポラス大橋を過ぎると、もう見るべきものはなくなってきたのかな?
<Mugio>
 そんなことはないと思うけれど、何があるのか知らないから次々と流れる景色に「うっとり!」していたのかも知れないね。

 <有名なディスコ>


 <海峡のヨーロッパ側の光景>


<Mugiko>
 「これはなんだ?あれは?」などと考えずに流れるままに景色を楽しむのも悪くはないわよ。
<Mugio>
 <有名なディスコ>は、フセインさんの説明が聞こえて、どういうところかが分かったけれど、船に揺られて「ただ、ぼーっ」と美しい光景を眺めているだけで楽しいものだね。
<Mugiko>
 まぁ、行かないところの話をしても仕方がないから、第二大橋までに見えた海峡沿いのカラフルな建物が並ぶ市街地などを撮影しておくよ。

 <白い船が浮かぶ船着き場>


 <シーフードレストラン>


 <海峡沿いの街並み>


 <美しい町並み>


<Mugiko>
 何だか良く分からない写真を皆さんにご覧いただいているようで誠に心苦しいのですが、ボスポラス海峡の流れや、海峡の両側に広がる景色は実に美しいものだから、」そんな心配は無用かもしれないわね。
<Mugio>
 次々に流れる景色に見とれていたら、1988年に日本の石川島播磨重工が建設したという第二ボスポラス大橋といわれるファティス大橋(総工費616億円、全長1510m)が見えてきたよ。
<Mugiko>
 この橋の手前には、左岸(ヨーロッパ側)に「ルーメリ・ヒサル」という要塞が、右岸(アジア側)に「アナドル・ヒサル」という要塞が見えるはずだわ。
<Mugio>
 ルーメル・ヒサルは、東ローマ帝国(330年建国)の首都であったコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)をオスマン帝国が攻撃するためにメフメット2世という王様が1452年に建造した要塞だそうだ。

 <ファティス大橋>


 <ルーメリ・ヒサル>


<Mugiko>
 コンスタンティノープルは、建国以来、強固な城壁の守りで知られ、東ローマ帝国の長い歴史を通じて外敵からの攻撃を度々はね返したというから、それを破るために築いた要塞ということになるのね。そして、ルーメル・ヒサルとバヤズット1世が築いたアナドル・ヒサルという対岸のアジア側の要塞の二つで、黒海から運んでくるコンスタンティノープルへの救援物資の船を大砲で挟み撃ちにした、というからすごいわね。
<Mugio>
 1453年にコンスタンティノープル奪取に並々ならぬ意欲を燃やすメフメット2世が10万のオスマン帝国軍を率いてコンスタンティノープルを包囲し、総攻撃によって同年に東ローマ帝国は滅亡したそうだね。
 二つの要塞は、こういう歴史を物語るけれども、アナドル・ヒサルの方は、残念ながら撮影していなかったっよ。


 <ここで、クルーズ船はUターンするのですが、その後の光景は次回にお伝えします。それではこれにて失礼します。>

トルコ一周とカッパドキアの旅<ボスポラス海峡クルーズ>

2020年04月13日 | 旅行記
 前回に引き続き「トルコ一周とカッパドキアの旅」からボスポラス海峡クルーズの続きをお伝えします。

<Mugiko>
 ボスポラス大橋を過ぎると、もう見るべきものはなくなってきたのかな?
<Mugio>
 そんなことはないと思うけれど、何があるのか知らないから次々と流れる景色に「うっとり!」していたのかも知れないね。

 <有名なディスコ>


 <海峡のヨーロッパ側の光景>


<Mugiko>
 「これはなんだ?あれは?」などと考えずに流れるままに景色を楽しむのも悪くはないわよ。
<Mugio>
 <有名なディスコ>は、フセインさんの説明が聞こえて、どういうところかが分かったけれど、船に揺られて「ただ、ぼーっ」と美しい光景を眺めているだけで楽しいものだね。
<Mugiko>
 まぁ、行かないところの話をしても仕方がないから、第二大橋までに見えた海峡沿いのカラフルな建物が並ぶ市街地などを撮影しておくよ。

 <白い船が浮かぶ船着き場>


 <シーフードレストラン>


 <海峡沿いの街並み>


 <美しい町並み>


<Mugiko>
 何だか良く分からない写真を皆さんにご覧いただいているようで誠に心苦しいのですが、ボスポラス海峡の流れや、海峡の両側に広がる景色は実に美しいものだから、」そんな心配は無用かもしれないわね。
<Mugio>
 次々に流れる景色に見とれていたら、1988年に日本の石川島播磨重工が建設したという第二ボスポラス大橋といわれるファティス大橋(総工費616億円、全長1510m)が見えてきたよ。
<Mugiko>
 この橋の手前には、左岸(ヨーロッパ側)に「ルーメリ・ヒサル」という要塞が、右岸(アジア側)に「アナドル・ヒサル」という要塞が見えるはずだわ。
<Mugio>
 ルーメル・ヒサルは、東ローマ帝国(330年建国)の首都であったコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)をオスマン帝国が攻撃するためにメフメット2世という王様が1452年に建造した要塞だそうだ。

 <ファティス大橋>


 <ルーメリ・ヒサル>


<Mugiko>
 コンスタンティノープルは、建国以来、強固な城壁の守りで知られ、東ローマ帝国の長い歴史を通じて外敵からの攻撃を度々はね返したというから、それを破るために築いた要塞ということになるのね。そして、ルーメル・ヒサルとバヤズット1世が築いたアナドル・ヒサルという対岸のアジア側の要塞の二つで、黒海から運んでくるコンスタンティノープルへの救援物資の船を大砲で挟み撃ちにした、というからすごいわね。
<Mugio>
 1453年にコンスタンティノープル奪取に並々ならぬ意欲を燃やすメフメット2世が10万のオスマン帝国軍を率いてコンスタンティノープルを包囲し、総攻撃によって同年に東ローマ帝国は滅亡したそうだね。
 二つの要塞は、こういう歴史を物語るけれども、アナドル・ヒサルの方は、残念ながら撮影していなかったっよ。


 <ここで、クルーズ船はUターンするのですが、その後の光景は次回にお伝えします。それではこれにて失礼します。>

トルコ一周とカッパドキアの旅<ボラポラス海峡クルーズの続き>

2020年04月11日 | 旅行記
 前回に引き続きボラポラス海峡クルーズをお伝えします。

 <美しい街並み>


 <小舟とジャミイ>


 <オルタキョイ・ジャミイ>


<Mugiko>
 この建物(オルタキョイ・ジャミイ)は、第31代スルタン、アプトゥル・メジト1世の母の命により1852年に建造されたモスクで、設計者はドルマバクチェ宮殿を手がけたアルメニアのニコゴス・バラヤンという人だそうよ。
<Mugio>
 アルメニアはトルコの東隣の国だから、こういうことでも繋がりがあるんだね。

 <オルタキョイ・ジャミイの右側>


<Mugiko>
 オルタキョイ・ジャミイの右側には、ボスポラス大橋があるけれど、橋との間に見えた光景が上の写真で、このうち、茶色の建物は「The Marmara Esma Sultan」というほてるみたいね。
<Mugio>>
 ほー!よく分かったね。もしかしたら、歴史的な建物かも知れないね。
<Mugiko>
 ここを過ぎると、やがてトルコ共和国建国50周年を記念して1973年にイギリスの会社によって建設された全長1560mのボスポラス大橋(ボアズィチ橋)が見えてきます。
 次の写真は、いずれも右側(ヨーロッパ側)の光景を撮影したものですが、美しい橋として地元で人気の橋だそうです。

 <ボスポラス大橋前の光景>


 <ボスポラス大橋>


<Mugio>
 大橋手前の黄色の建物は、もしかしたら大金持ちの別荘かも知れないね。現地ガイドのフセインさんがそのような説明をしていたような気がするんだ。
<Mugiko>
 「地球の歩き方」にも「両岸には優雅な住宅の間にヤルと呼ばれる古い木造の別荘も見られる」と説明しているから、このた建物も優雅な住宅かも知れないわね。


 <本日の記事はここまでです。次回もボスポラス海峡クルーズなどをお伝えします。それではこれにて失礼します。>