mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

トルコ一周とカッパドキアの旅<イスタンブールの新市街、ドルマバフチェ宮殿)

2020年03月25日 | 旅行記
 昨日に引き続き、トルコ一周とカッパドキアの旅からイスタンブールの新市街にあるドルマバフチェ宮殿を訪れた模様をお伝えします。

<Mugiko>
 ハーズィネは、門の両側の壁が赤茶けた色になっているのが特徴で、ここでも皆さんが盛んにシャッターを切っていたわ。
<Mugio>
 僕はここからビデオ撮影に切り替えたけれど、この門の先には池が特徴の「セラムルク」という庭園がありました。

 <ハーズィネ門>


<Mugiko>
 上の写真には奥に皇帝の門も写っているわね。
<Mugio>
 ビデオの動画で撮影したものを帰国してから静止画に焼き直したものもあるけれど、同じ構図だったよ。

 <セラムルク公園>


 <公園の左方向>


<Mugiko>
 先ほどの門の写真は、進む方向の逆の光景だけれど、上の二枚が正面に建物が見えるから、これが前方向ということね。
<Mugio>
 この庭園の庭には、池や芝生の中に動物の彫刻があって美しさに花を添えていました。

 <池の中央に鳥の彫刻>

 
 <ライオンの親子>


<Mugiko>
 これらの光景を楽しみながら歩いて行きますと、正面に大きな建物が目に飛び込んできました。これが宮殿ですが、大きすぎてカメラに収まりません。
 また、左側には皇帝の門に似ている「サルタナト」という門がありました。

 <ドルマバフチェ宮殿>


 <サルタナト門>


<Mugio>
 さあ、これから中に入って見学ですが、どんな光景が待っているのでしょうか?
 なにしろ、「天井の高さが35mの大ホールには、ヴィクトリア女王からの贈り物、重さ4.5トンのシャンデリアが吊されている。床に敷かれたヘレケ産の手織りの絨毯は、4455㎡、壁には600点を超える名画、各部屋の調度品も贅を尽くしたものだ。」というから本当に楽しみだね!
<Mugiko>
 でも、パリやウイーンで贅を尽くした宮殿を見ているので、あまり期待しない方が良いのかも知れないわよ。
 それに撮影禁止だから・・・

 <宮殿の入口>


<Mugio>
 そうだね。自分で撮影できないので、とても残念だよ。見どころの大使の間やアタテュルクの部屋などはウキペディアなどの写真を参考にするしかなさそうだね。

<Mugiko>
 宮殿の内部は、男性向けの空間と女性向けの空間(ハレム)に2分割され、ハレムには多くの侍女や宦官も勤務していたそうね。
 初代大統領スタファ・ケマル・アタテュルクは、ハレムだった居室で勤務し、そこで没したという話を聞いたわ。
<Mugio>
 中を約40分間見学して、外に出て海側(ボスポラス海峡)に向かうと、「セラムルク」という門が見えてきてけれど、ここに桟橋を整備して宮殿から公道に出ずに船でイスタンブール市内を自由に行き来できるようにした、というから驚きだね。

 <セラムルク門>


 <警備の兵士>


 <ここにもライオン>


<Mugiko>
 こうして宮殿の見学が終わりましたので、バスに乗って同じ新市街にあるホテルに向かうのかしら?
 と思っていたら、近くの桟橋から船に乗ってボスポラス海峡クルーズの予定が組まれていました。
<Mugio>
 クルーズは、明日の夕刻に予定されていたはずだよ。 


 <本日の記事はこれにて終了です。次回は、ボラポラス海峡クルーズをお伝えします。

トルコ一周とカッパドキアの旅<イスタンブールの新市街>

2020年03月24日 | 旅行記
 昨日、このブログの記事が完成しましたので、「よっし!」と思っていましたが、画像を右周りに修正して元の記事に戻ろうとしたら、記事がすべて消えてしまいました。元に戻そうと努力したのですが、ダメでした。
 本日は、こうしたことがないように祈るばかりです。

 ということで、昨日お伝えしようとしたイスタンブールのドルマバフチェ宮殿の模様をお伝えします。
 まず、その前にエジシャンバザール前の広場からです。

<Mugiko> 
 こうして旧市街のエジシャンバザールで昼食が終わりましたので、再びバザールを覗いたり、バザール前の広場から、見える街並みの様子を楽しみました。
<Mugio>
 説明を聞いても何だか良く分からなかったな!!!

 <エジシャンバザール>


 <何を売っているのか?>


<Mugiko>
 良く分からないのは、何を売っているのか?ではなく、広場の話でしょう。
<Mugio>
 それがね!見えた景色の話ではなく、またまた食べ物の話になりそうで困ったものだね。

 <名物の???パン>


<Mugiko>
 良く分からないのは、建物などのことかと思ったけれど、違うのね。このパンは、「シミット」といってごま付のドーナツ型のパンだそうよ。

 <イェミ・ジャミイ>


<Mugio> 
 この建物は、旧市街と新市街を結ぶガラタ橋の方向に建っていたイェミ・ジャミイ(1663年建造)です。
 別名「鳩のモスク」ともいわれていますが、建物の周りに鳩が群がっているかな?
<Mugiko>
 内装は、赤のモザイクスタイルの装飾でブルーモスクに比肩しうる素晴らしいものだと伺いました。
<Mugio>
 建物の場所は「エジシャンバザールの隣にある」というものですが、近くにはこのジャミイ以外に二つのジャミイがありました。
 そして、ここからは、新市街のガラタ塔が遠方に見えていました。
<Mugiko>
 だから、こっちを見たり、あっちを見たりと忙しかったのね。
 単に、「首をぐるりと回しているだけ!」だと思っていたけれど、周囲に何があるのかよく分かったわね。

 <遠方に見えるガラタ橋>


 <この彫刻は何を表現しているの?>


<Mugio>
 首の体操をしたいたわけではないけれど、自慢できる話でもないさ。

 <リュステム・パシャ・ジャミイ>


 <イェミ・ジャミイの正面>


<Mugiko>
 先ほど話をしていた「二つのジャミイ」というのは、写真に写っている「リュステム・パシャ・ジャミイ」と「スレイマニエ・ジャミイ」のことね。
 スレイマニエ・ジャミイは、1557年完成のモスクで、オスマン建築の最高傑作の一つといわれているそうね。
<Mugio>
 そうらしいけれど、広場からちょっと離れているうえに訪問していないので見逃してしまったのさ。
<Mugiko>
 リュステム・パジャ・ジャミイは、オスマン帝国のスレイマン1世の時代に建造(1561年から1563年)されたモスクで、商店街の二階に建てられている、ということです。
<Mugio>
 ということは、僕たちがお邪魔した店の二階ということになるの!
<Mugiko>
 などと暢気なことを言ってますが、すぐにバスの乗って新市街のドルマバクチェ宮殿に向かいました。

 <雨のガラタ橋>


 <ドルマバクチェ宮殿>


<Mugio>
 いやー!あっという間に出発したので、本当に驚いたよ。
 でも、そのお陰で14時30分前にはドルマバフチェ宮殿に着くことができました。
 入口の右側に聳える建物は、宮殿の「時計塔」です。
<Mugiko>
 奥に見えている宮殿の入口「皇帝の門」の前では、私たち歓迎するように子供たちが踊っていました。

 <皇帝の門前での子供たち>

 
 <皇帝の門>


<Mugio>
 私たちが歓迎されているようで本当に嬉しいものだね。
<Mugiko>
 ところで、入場する前に「宮殿の説明がしたい!」と顔に書いてあるわよ。
 この宮殿は、イスタンブールの新市街の北東ペシクタシュ地区のボルポラス海峡に面した埋め立て地に建っているそうよ。
<Mugio>
 ドルマバフチェとは、「埋め立てられた庭」という意味だそうだ。
 オスマン帝国のメフメト2世によって造成された庭園に、1843年にアブデュルメジト1世の命で従来あった木造宮殿を取り壊して建てられた宮殿で、1843年着工、1856年完成となっている。以降、1922年に最後の皇帝メフメト6世が退去するまでトプカプ宮殿にかわってオスマン帝国の宮殿として利用されたという歴史的建物だね。
<Mugiko>
 宮殿の面積45千㎡、部屋数285、ホール数46、浴場(ハマム)6、トイレ68となっているから規模の大きさが分かるわね。
<Mugio>
 トルコ共和国の初期には、大統領の執務所として使われ、初代大統領スタファ・ケマル・アタテュルクは、この宮殿のハレムだった居室で執務し、そこで没していて、現在も「アタテュルクの部屋」として、その時のまま保管され公開されているそうだ。

 <ドルマバフチェ・ジャミイ>

 
<Mugiko>
 ちょっとボケているけれど、この建物は、宮殿に関係しているの?
<Mugio>
 宮殿入り口の手前にある「ドルマバフチェ・ジャミイ」だね。
<Mugiko>
 このモスクは、アブデュルメジト1世の皇太后ベズミ・アルミが1855年に建てたバロック様式のモスクだそうね。
<Mugio>
 訪問したときには気づかなかった建物で、帰るときに撮影したので、紹介する順番が逆になってしまったよ。
 「皇帝の門の前にある」といえば、先ほど胴体が切れていた時計塔があるが、これももう一度ご覧いただきましょう。

 <時計塔>


<Mugiko>
 なるほどネ!
 おかしなことをいうな?と思ったら、時計塔の向こうに世界で最も細いといわれるドルマバフチェ・ジャミイの2本のミナレット(尖塔)を見なさい!といいたいわけ?
<Mugio>
 まぁ、それもあるけれども、時計塔の説明をしていなかったからね。
 このバロック調の時計塔は、オスマン朝の末期にオリエント急行でシルケジ駅からヨーロッパに亡命した第34代スルタン、アルデュルハミド2世が1895年に建造した建物だそうだ。
 こういう話を聞くと、歴史というものをもっと勉強しなければいけないな!と思ったよ。
<Mugiko>
 さあ!宮殿に入りましょう。
 皇帝の門をくぐると、次に「ハーズィネ」という門がありました。


 <以上で、本日の記事は終了です。次回もドルマバフチェ宮殿からお伝えします。それではこれにて失礼します。>

トルコ一周とカッパドキアの旅<プルサの朝>

2020年03月13日 | 旅行記
 前回に引き続きトルコ一周とカッパドキアの旅から旅行10日目の「プルサの朝」からお伝えします。

<Mugiko>
 おはよう!今日はイスタンブールに向けて出発だけれど、これでトルコの旅が終わりに近づいてきた!という感じがするわ。
<Mugio>
 残念なのか、それとも日本に帰れる!と喜んでいるのかよく分からない言い方だね。
 さて、早速、「プルサの朝」からをお伝えします。
<Mugiko>
 ホテルの様子は昨日レポートしたから、まず、出発までの予定を申し上げます。
 もう起きていますが、モーニングコールが6時00分です。そして、朝食が6時30分、スーツケース搬出が7時30分、ロビー集合・出発が8時00分となっています。
<Mugio>
 出発後の予定は、午前中が「カーフェリーでヤロワからマルマラ海を渡り、イスタンブールに入る」ことになっています。
 そして、イスタンブールの新市街地で昼食後、「ドラマバフチェ宮殿」を見学して、スイスホテル・ザ・ボスフォラスに宿泊となっています。

 <彩り豊かな朝食>


<Mugiko>
 朝食はプルサのホテル、キャラバンサライ・テルマルだけれども、人が多くてとても混雑していたわ。
<Mugio>
 7時過ぎぐらいの時刻なのに、どうして混んでいたのかな?
 席が見つからず、ナイフとフォークを持ちながら「キョロキョロ」と困ってしまったね。
 料理の味がよかっただけに残念だったね。
<Mugiko>
 ホテルを予定通り出発してヤロヴァ(Yalova)という港町に向かいました。プルサからは道路でもイスタンブールに行けるようですが、アルマラ海を渡っていくコースが一般的なようです。
<Mugio>
 まあ、船というのは、美しい景色が望める上に異国情緒も味わえる、という意味ではとても良い交通手段だと思うな。
<Mugiko>
 などと知ったかぶりをしていますが、イスタンブールの何という桟橋に向かうのかなど細かいことはわからないようです。

 <ホテル出発直後のプルサ>


 <ヤロヴァ港>


<Mugio>
 おい、おい!早速、亭主の悪口かい?まあ、その通りだから反論できないけれど・・・・・
 さて、朝靄に包まれたような天気でしたが、船は十兆にイスタンブールの旧市街にあるイエニカブという桟橋に向かっているようであります。

 <マルマラ海を渡って>


 <船の中でトルコの人々と談笑>


<Mugiko>
 プルサのホテルを出発して約1時間30分でヤロヴァ港>について、その後、今日の主な訪問先となっている新市街にあるドルマバクチェ宮殿にむかうことになっているようだネ。

 <どんより曇ったイスタンブール郊外>


 <下船後のトイレタイム>


<Mugiko>
 それならばヤロヴァ港からは、新市街のカラキョイという桟橋に向かうフェリーもあるようだから、わざわざ遠い旧市街のイェニカブ桟橋に向かったのが理解できないわ。
<Mugio>
 それは、その前に旧市街にあるエジシャンバザールという市場にあるレストランで昼食をいただくことになっているからじゃないの?
 まあ、どこをどう走ったのか分からないけれど、エジシャンバザールに到着するまでに見えた光景を撮影しておきたいね。

 <高速道路沿いのマンション群?>


 <ボスフォラス海峡?>


<Mugiko>
 こうして、バスは12時10分過ぎにエジシャンバザールに到着しました。

 <日本でおなじみ>


 <肉?それともチーズの店?>

 
 <香辛料の山盛り>


 <ナッツなど>


<Mugio>
 このバザールは、かってはエジプトなど北アフリカの香辛料やハーブを扱うバザールだったそうだね。現在は土産物店、貴金属店などもあるけれども、ご覧のように香辛料の他、チーズ、ナッツ、ピクルスからキャビア、カラスミまで食料品の店が並んでいたね。
<Mugiko>
 昼食は、バザールの2Fにある「Babi Hayat」というモスクをイメージした内装のレストランでいただくことになっているけれども、ツアー客用の店みたいで混雑していたね。

 <レストランの様子>


 <昼食のサラダ>


 <トルコ風ミートボール>


<Mugio>
 メニューは、サラダ、キョフテ(トルコ風ミートボール)などですが、味の方は残念なが記憶に残っていません。
<Mugiko>
 ところで、あなたは、イスタンブールの地形を勘違いしているようね。
 昨日、ヤロヴァからイスタンブールにフェリーで向かったけれど、フェリーが向かったのは、ヨーロッパ側であってアジア側ではないのよ。
 ヨーロッパ側とアジア側の区分けというのは、マルマラ海と黒海を結ぶボスフォラス海峡の西側(ヨーロッパ側)か、東側(アジア側)かによって分かれているのよ。
 また、ヨーロッパ側に旧市街と新市街があって、その区分けは金角湾(Goldn Horn)という湾で分けられているのよ。
 その北側が新市街で、南側が旧市街ということね。
<Mugio>
 流石は僕の奥さんだね。僕の勘違いを的確にご指摘いただき、本当にありがとうございます。

 
 <本日のブログの記事は、これにて終了します。次回は、エジシャンバザール前の広場や新市街にあるドルマバフツェ宮殿についてお伝えしたいと思います。それではこれにて失礼します。>

トルコ一周とカッパドキアの旅<プルサのイェシル・テュルベ>

2020年03月04日 | 旅行記
 前回に続き、トルコ一周とカッパドキアの旅からプルサのイェシル・テュルベをお伝えします。

<Mugiko>
 イェシル・テュルベは、メフメット1世の廟で八角形の建物だそうよ。
 外壁を覆う青の美しいタイルは、「19世紀の改修時に加えられたもので、内部のミフラブや柩の装飾、外部窓の上の飾り文字などが見事!」という説明があったわ。
<Mugio>
 「廟」といえば、日本流にいえば、「お寺」や「お墓」のことだろう?

 <青が美しいイェシル・テュルベ>


 <近隣の光景>


<Mugiko>
 メフメット1世は、オスマン帝国の第5代皇帝(在位1413~1421)だった人で、分裂した帝国を再建し、短い治世の中で国家の再建に注力した皇帝として評価されているそうよ。

 <メフメット1世の柩>


 <ミフラブ?>


<Mugio>
 内部の撮影は照明が明るく、また、ビデオ撮影だったこともあり、画像が鮮明ではないけれども、何とか記録に残すことができたよ。
<Mugiko>
 ミフラブは、日本語では「聖龕(せいがん)」と言うらしいわね。モスクのキブラ壁に設置された窪み状の設備のことらしいけれど、キブラ壁などという言葉が出てきて私たちには良く分からないわね。「龕(がん)」という漢字も「仏像などを収めるために設けた窪み」という意味らしいけれど、この漢字も初めて見たわ。
<Mugio>
 カメラのフラッシュで光っていて「窪み」があるのか分からないわね。
 ところで、外壁の青が特徴のように説明されているけれど、建物の中も青と金色の壁が「ぐるり」と室内を囲んでいたね。

 <青と金色の装飾>


 <青い壁>


<Mugiko>
 イェシル・テュルベの見学が終了して周囲を歩きはじめると、カラフルな家が並び、トルコの子供たちが見学にきていたのでしょうか?私たちと記念撮影をすることができました。

 <カラフルな家々が並ぶ>


 <子供たちと記念撮影>


<Mugio>
 ここからは、シルクバザールに向かいました。
 プルサは、かって絹の町として知られ、現在も絹織物の伝統が受け継がれています。
 古くから繭や絹の取引が行われたケンヴァンサライ、コザ・ハヌ(絹の館)やエミル・ハヌなどの店には、彩り豊かなシルクが並んでいます。
<Mugiko>
 私たちが訪問したのは、このうちのコザ・ハヌで、ウル・ジャミイという町の中心ジャミイの隣にあります。
 コザ・ハヌ(KOZA HANI)は、プルサの専門店街で一番有名なところで、建てられたのは、オスマントルコが首都をおいていた15世紀ごろです。
 最初は、キャラバンサライ(隊商宿)として使われていたという建物は、2階建ての四角い回廊になっています。
<Mugio>
 この建物に行く前に、服装などがぶら下がっている店が並んでいる小路を歩きました。
 そして、「ここは一体何だろうか?」などと興味津々で辺りをキョロキョロしながら皆さんについていきました。

 <コザ・ハヌ手前の店>


 <商店街とコザ・ハヌの門>


<Mugiko>
 見上げるような大きな門をくぐると、そこには明るく開けた中庭があり、コーヒーやチャイなどを楽しむ人々の姿がありました。

 <中庭の建物>


 <中庭でくつろぐ人々>


<Mugio>
 この後は、2回の四角い回廊に沿って女性が大好きな店を見て回りました。
<Mugiko>
 トルコの女性が頭を覆うスカーフ、マフラー、ストールなどの店がズラリと並んでいます。鮮やかな色とデザインですから何度見ても飽きません!

 <絹製品が並ぶ店>


 <回廊の様子>


<Mugio>
 そうですか!でも、いい加減、勘弁して欲しいものです。
 さあ、今夜はプルサのキャラバンサライ、テルマル(KERVANSARAY TERMAL HOTEL)で夕食だよ。
<Mugiko>
 また食べ物の話・・・・・!?
 結局、回廊を一周して、階段近くの最初に入った店でツアー仲間のTさんにご助言をいただきながらスカーフを買ってしまいました。
 お値段は、30トルコリラものを5つ、10トルコリラのものを2つの計7つで170トルコリラです。
<Mugio>
 1トルコリラが約60円ですから「約1万円のお買い物」ということになります。
<Mugiko>
 バザール見学を終了して、ホテルには16時過ぎに到着しました。

 <キャラバンサライ・テルマル>


 <ホテルの部屋>


<Mugio>
 夕食は19時にロビー集合となっていますが、待ち時間を利用して、かみさんは懇意になったTさんとホテルの0階にあるプールに泳ぎにいってしまいました。
 水着を持ってきていた!なんて知らなかったな!

 <夕食>


 <同じく>


<Mugiko>
 あなたの趣味は夕食?
 美味しそうだけれども、コメントはないの?
<Mugio>
 申し訳ない!どこかの政治家ではありませんが、味のことは記憶にありません。
 しかし、食後に皆さんと会話を交わした楽しいひとときのことは、鮮明に覚えております。

 <以上で、本日の記事は終了です。次回はプルサからカーフェリーでイスタンブールに向かった様子などをお伝えします。ではまた!>