mugifumi日誌

海外旅行の体験などのほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

チェコ:プラハの春5

2008年06月29日 | 旅行記

 今日は朝からシトシトといった感じで雨が降っています。

 昨日は午前中に歯医者に行くことになっていましたが、キャンセルしてしまいました。

 その理由は、天気がいいので遊びに行きたかった?いいえ、違います。

 天気予報を見ていましたら、日曜日は雨という予報だったからですが、これでは歯医者をキャンセルする理由が分かりませんよね。

 家内が近所の農家のおばさんから「ジャガイモを早く掘ったほうが良い」とアドバイスを受けていたものですから、やむなくキャンセルをして、ジャガイモ堀に行ったというのが理由です。

 天気は曇り時々晴れという感じで、あまり良くなかったのですが、半日ほどの作業でしたが、疲れました。

 そんなことより、ジャガイモのことですか?残念ながらあまり出来は良くなかったですね。それでも、大きな収穫箱が3つ必要なくらいの量が採れました。

08nenjaga2 粒が小さいのが気になるのですが、芽欠き作業が足りなかったようです。それと、肥料を施す時期が良くなかった、雨が多かったなどが原因でしょうか?

 量としては、二人でないと持ち上がらないくらいで、それが3箱でしたから60キロくらいでしょうか? 

 種類は三つで男爵、キタアカリ、メークインです。男爵とキタアカリはホクホク系で、メークインはしっとり系ですね。

 でも、新ジャガを茹でたものをバターでいただくと、その「ほくほく」感がたまりませんよ!

 ジャガイモの話が長くなってしまいましたが、本題のプラハの春についてお伝えします。

 前回は、1968年の5月の党中央委員会総会での動きまでお伝えしたと思いますが、こうした改革の波が自国にも波及しないかとハラハラしながら見ていたのポーランドなどの近隣諸国でした。

 そのため、軍事介入は8月にあったのですが、それまでにソ連を初めとするワルシャワ条約機構加盟国との会談が何回かあり、チェコスロバキアの改革に対する批判や、軍事演習を通じた政治的、心理的圧力を加えたのです。

 具体的には、1月にポーランドと東ドイツがソ連のブレジネフと会談して、社会主義が崩壊する懸念を伝え、2月にはチェコスロバキアで開催された革命式典で各国首脳は改革の機運を肌で感じることになったのです。

 さらに、3月には、ルーマニアを除く加盟国5カ国が旧東ドイツのドレスデンに集まり、議題とは関係のないチェコスロバキアに対する批判の会談をしています。

 批判の内容は、改革運動が反革命の兆候であり、共産党の役割が浸食されているというものだったそうです。

 まぁ、いろいろ言ったのでしょうが、各国とも独裁体制が壊れるのを恐れたのでしょうね。それは、自分たちの崩壊をも意味することですから、大変な危機意識があった思います。

 ということで、こういう会談はまだまだ続きます。5月には、モスクワでチェコスロバキアとソ連との会談があり、これを受ける形でワルシャワ条約機構加盟は、軍事演習の前倒しとチェコスロバキアの保守派への支援で合意するという動きがありました。

 そして、6月にはチェコスロバキアでワルシャワ条約機構軍の軍事演習が行われています。

 7月には、ソ連の主導で多国間会談が提案され、実際にワルシャワで開催されたのですが、肝心のチェコスロバキアが出席しないという異常な状態の中で協議が行われたのでした。

 ワルシャワ条約機構側は、この会談に出席するようハンガリーのカダールという人(元首相)に説得させるのですが、失敗に終わってしまいます。

 ところで、この会談では何をしたかといえば、チェコスロバキアに何を突きつけるかという話だったのでしょうね。

 各国は軍事介入を求めたそうですが、ソ連は、反革命勢力との戦いを全面支援するという趣旨の「共同書簡」の送付を決定したのです。

 何だかよく分からないのですが、「改革をやめなさい」とか「幹部を更迭しなさい」といえば良いと思うのですが、西側の批判などを考えてそこまでソ連としてはできないと判断したのでしょうか?

 その後、軍事介入には、チェコスロバキアの「要請」が必要であるというソ連首脳の考えを伝えたとされるスロバキア第一書記との極秘会談があったそうです。

 スロバキアの首脳は、改革に反対だった?のでしょうね。

 さて、これを受けてかどうか分かりませんが、チェコスロバキアの首脳とソ連との会談がチェルナというところで行われ、ソ連との「合意」があったされています。

 その合意内容ですか?それについては、次回にお伝えしたいと思います。

 きょうは、ジャガイモとプラハの春についてのレポートでした。

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プラハの春4

2008年06月22日 | 旅行記

 昨日、気になっていた大腸検査の予約に行って来ました。

 自分の身体のことなのに危機感が足りない!と反省しています。

 先日、NHKの「試して合点」という番組を見ていましが、改めてガン細胞の恐ろしさを見せつけられました。

 また、カミさんが先日、乳ガン検診を受けにいったのですが、これらのことが小生を病院へ足を向ける要因になったのかもしれません。

 ところで、今朝のテレビを見ていましたら、8チャンネルでは、元官僚が官僚の悪事を暴くような番組をやっていました。

 小生は、日曜日のこの時間は、いつも関口博さんの「サンデーモーニング」を見ていますので、チャンネルを廻してしまいました。

 その中で、気になったことは、石油と食料の大幅な値上げが地球規模で市民生活に大きく影響しているというニュースでした。

 コメンテーターは、金子さんという大学の教授、日本総研の寺島さん、写真家の浅利さん?などなどですが、いくつか気になる発言がありました。

 その一つは石油や食料の高騰の原因が投機資金にある、というものでその点は、小生も前にこのブログで紹介したことがありますので、目新しいことではありません。

 しかし、世界を暴れ回っている投機資金のうち、その4分の1くらいが日本の個人資産だという指摘です。これでは、日本は、自分で自分の首を絞めていることになってしまいます。

 世界の食糧輸出国が輸出を規制するようになっており、食糧自給率が39%の日本にとって国民の食料が不足すという事態にならないでしょうか?

 食料ばかりではなく、石油を含めた鉱物資源を大量に輸入して、工業製品を輸出して外貨を稼ぐ、という日本のスタイルが破綻しないとも限らないと感じてしまいます。

 そして、テレビ放映でのもう一つの気になったところは、世界の動きが大きく変動して「資本主義の限界が見えてきた」という趣旨の発言です。

 社会主義の計画経済が崩壊して何年経つのでしょうか?

 アメリカなどの過度の市場主義が貧富の差を拡大して、富裕層にたまった資金が世界の経済を混乱に陥れているとしたら、なんと、皮肉なことなのでしょう。

 アメリカなどでは、投機資金の規制が検討されているようですが、税金を逃れるためにケイマン島などに逃げている資金をうまく規制できるのでしょうか?

 こんな話をしていましたら、肝心な「プラハの春」が書けなくなってしまいそうです。

 前回は、行動綱領の話でしたので、これが採択された68年の4月の動きについてお話しします。

 行動綱領とともに、党や新内閣が再編され、そのメンバーには、終身刑になった人や経済改革派の学者などが入ったそうです。

 そして、行動綱領にあるように自由化を認めたものですから、共産党以外の政党や労働組合の動きが活発になったのですが、そうすると、これに反対する人々、つまり、ソ連支持派もソ連との接触を図るなど急進改革派に反対する人々も動き出したのです。

 5月の党中央委員会総会では、同盟諸国に配慮して、「右派修正主義の危険性」を強調しましたが、改革に反対、あるいは危惧を抱く中央委員や党員を再任しないことを意味する党大会を前倒しで9月に実施することを決定してしまったのです。

 こうして、チェコスロバキアは、改革に突き進んでいったのですが、こうした動きが自国でも起こらないかと、ハラハラしながら見ていたのがポーランドなどの近隣諸国でした。

 さて、今日は、午後から雨が降ってきそうで、早めに外出した方がよさそうです。

 ということで、今日は、この辺で失礼します。

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中欧の旅:チェコスロバキアとは関係のないラッキョウの話

2008年06月15日 | 旅行記

 今日は、ブログを書いている時間がありませんでした。

 朝から、昨日に続き畑作業です。作業内容は、草むしりもありますが、ラッキョウの収穫です。

 二畝で五キロから六キログラムのラッキョウが収穫できました。

 ラッキョウは、砂地で良いものができますので、小生のラッキョウは評価が高いのです。

 でも、去年、収穫した残りを丁寧に一本ずつ植えるのですが、肥料もあまり必要としませんし、連作ができるのが有り難い作物です。

 今年も来年の分を植え付けてしまいました。

 早すぎる!その通りですが、夏が終わる頃には、芽を出してくれますので、ずぼらな小生にはやむを得ないところです。

 ラッキョウの漬け方をご存じですか?まず、収穫したラッキョウの葉を畑で切り落とします。

 その前に、昨年、植え付けた親株一本に一〇本くらいのラッキョウがつきます。

 それを鍬などで掘り起こしていき、収穫するのですが、先ほどお話したように、細長い葉を鋸鎌などで切り落とす作業があります。

 これが結構、腰に負担がかかり途中で「一休み」ということになります。

 これが終わりますと、自宅へ持って帰って、根切りと皮むきを行います。

 ここで、注意すること!それは、剥いても剥いても中身がでてこないことです。

 「当たり前だ、猿ではないぞ!」と叱られそうですね。

 冗談は、このくらいにしまして、この根切りと皮むき作業が結構、きついものなのです。

 根切りがやっと終わったと思ったら、指の皮がむけてしまいました。

 これは、冗談ではなく、本当の話です。

 その後に、皮むきですが、これも一つ一つ丁寧に行う必要があります。

 段々、手の先が黒くなってきて、「ああぁ、まいったな!」と思うのですが、○○などと違い、擦っていたら綺麗に取れてしまいました。

 さて、手間をかけたこの作業が終了しますと、次はつけ込みです。

 用意するものは、水、砂糖(氷またはグラニュウ糖)、酢、それに唐辛子ですが、まず、塩で揉んで一晩寝かしておきます。

 そして、次が漬け汁づくりです。水と砂糖を泡立つまで煮込んで、冷えたところで、酢と唐辛子を食えます。

 後は、明日の作業になりますので、よく、レシピを見て作業するようにかみさんに頼んでおきました。

 ということで、チェコスロバキアの話は、次に機会に報告したいと思います。

 あぁ、そうそう、ホームページの更新をしました。同じく畑の話ですが、左上の「お知らせ」をクリックして下さい。

 では、これにて失礼いたします。 

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中欧の旅:プラハの春3

2008年06月14日 | インポート

 08nen32 さて、先週に引き続き、プラハの春について報告したいと思います。

 と、ペンを走らせていましたら、電話の音がけたたましくなっています。

 今日は、うちのカミさんがバスで東京見物に行っていますが、「帰りが遅くなるので、夕飯を友達を食べたい。」「ついては、小生は勝手に適当に食べてね!」という内容の電話でした。

 まったく女性は羨ましい限りですね。

 前の職場は、イオンに近いものですから、毎日のように昼食を一階のレストラン街に食べに行きました。

 そこで見かける光景ですが、ほとんどの女性が店の一番美味しそうなもの(値段も高い)を注文しているのです。

 しかも、なにやら楽しそうに談笑して、人生を謳歌している様子がわかるのです。

 こちとら、昼食にイオンのレストランでいただくことさえ、気が引けるものですから、お得な(リーズナブルともいう?)「ランチ」で我慢しています。

 「亭主は、元気で留守が良い。」という言葉がありましたが、まぁ、仕方ありませんか?

 話がトンでもない方に逸れてしまいました。

 プラハの春の続きですが、前回は1967の12月に開催された党中央委員会総会で、ノヴォトニーさんが批判され、翌年の1月に党第一書記を辞任したという話でした。

 そして、翌月の2月には、ノヴォトニーと懇意であった国防省の幹部、ヤン・シェイナという将軍がアメリカに亡命したのです。

 さらに、この将軍は、ミロスラス・マムラという将軍などと共謀してノヴォトニー体制を維持するためクーデターを計画していたことがばれてしまいます。

 でも、何か「ヘン」ですね。どうして社会主義政権を維持しようとクーデターまで計画した人がソ連ではなく、アメリカに亡命するのでしょうか?

 まぁ、社会主義という主義主張などより権力を握って安定した生活をしたいということでしょうか?

 さて、次の3月には、ソ連と関係が深い内相をはじめ、検事総長など幹部が相次いで辞職してしまったのです。

 ヴォトニーさんを見限った?それもあるかもしれませんが、それだけ国内世論が社会主義改革を支持していて、守旧派といわれる人々(ソ連の支持派)は、いやになってしまったのではないでしょうか?(小生の憶測です。)

 こうなっては、ヴォトニー体制は維持できませんので、大統領も辞任することになってしまったのです。

 後任には、第2次世界大戦の英雄とされているドヴィーク・スヴォボダさんが就任したそうです。

 などと知ったかぶりをしていますが、小生は、スヴォボダさんもノヴォトニーさんも見たことも聞いたこともありませんでした。

 さて、その後の4月の党中央委員会総会で大きな動きがありました。

 それは、新しい社会主義モデルといわれる「行動綱領」の採択と新内閣の顔ぶれです。

 行動綱領の内容は

 1 権限の一元的集中の是正

 2 粛正犠牲者の名誉回復

 3 連邦制導入によるスロバキア問題の解決

 4 市場機能の導入などの経済改革

 5 言論、芸術活動の自由化

 6 科学技術を通した西側との経済関係の強化

となっていました。

 党の権限集中を放棄することや言論の自由化は、社会主義体制の放棄に等しいと思いますし、経済改革の市場原理の導入は、資本主義そのものです。

 今なら、中国やベトナムが市場原理で経済を活性化させていますので、違和感はありませんが、当時としては、画期的な社会主義改革だったのでしょうね。

 話が長くなってしまいました。また、これから夕飯のことを考えていて、気が重くなってきました。

 プラハの春が尻切れトンボのようになってしまいましたが、今日、撮影してきたトマトを掲載して(写真じゃ、食べられない!と叱られそうですね。)これにて失礼します。 

 

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中欧の旅:チェコスロバキア

2008年06月08日 | 旅行記

 昨日は、チェコスロバキアの話から日本のことになってしまいましたが、社会主義国が目指した計画経済は、うまく機能しませんでした。

 現に、今の中国は政治体制は社会主義ですが、経済は、党の規制はあるものの市場原理という資本主義経済になってしまいました。

 ところで、ソ連が主導する東側の国々が次々と社会主義を放棄したときに問題となった中で、特徴的な出来事がありました。

 それは、社会主義政権のトップなどが人民が貧乏で苦労しているのに、豪華な生活をしていたことです。

 それを隠すために「個人崇拝」や「情報統制」「粛正」「思想教育」などが行われていたとすれば、大変な話です。

 でも、このようなことは軍事政権の国や、独裁的な民主主義国では今でも行われていると思います。

 話がプラハの春からそれてしまいましたので、元に戻っていただいて、スターリン批判から11年後の1967年にチェコスロバキアでは、著名な作家たちが党批判を行い、また、学生が寮の設備に関する抗議デモを行い、警察が鎮圧するという事態になりました。

 それに加えて、スロバキア共産党からノヴォトニーの国家運営に対する不満がでてきたのです。

 ノヴォトニーは、ソ連のブルジネフに助けを求めたようですが、国内問題だと冷たくあしらわれたようで、とうとうこの年の12月の党中央委員会総会で、批判を一身に浴びてしっまたそうです。

 自国での自分への批判をかわそうとソ連という親分の権威を使おうとしたのですが、うまくいかなかったということです。

 そして、とうとう翌年の1月に開催された総会でノヴォトニーは、党第一書記を離れ、第一書記にはスロバキアのアレクサンデル・ドゥブチェクという人が就任したそうです。

 そして、さらに3月に大統領を辞任することになるのですが、この間の出来事や4月の「行動綱領」についてお話ししないと、プラハの春の背景が理解できないと思います。

 しかし、昨日、今日と親戚の葬式があり、少々疲れました。

 この続きは後日、お伝えしたいと思います。

 

 

 

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