mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

トルコ一周とカッパドキアの旅<イスタンブールのアヤソフィア聖堂>

2020年07月19日 | 旅行記
 昨日に引き続きイスタンブール旧市街歴史地区散策からのアヤソフィア聖堂についてお伝えします。

<Mugio>
 ハレムを出ると、辺りは暗くなっていました。と思ったのは小生の勘違いでした。時刻が14時ぐらいでしたから、暗くなっているはずがありませんよネ。

 <ハレム見学を終了して>


 <同じく周辺の光景>


<Mugiko>
 この後はアヤソフィアに向かいました。
 ビザンティン建築のの最高傑作といわれるアヤソフィア大聖堂は、537年にユスティニアヌスという皇帝が完成させたギリシャ正教の聖堂だったそうね。
<Mugio>
 その後、1453年にオスマントルコの侵略によりコンスタンティノープルが陥落し、メフメト2世という王様(スルタン)は、アヤソフィアをモスクに転用したそうだ。この時に大聖堂に隣接する総主教館は破壊され、十字架が取り外され、メッカの方向を示す窪みであるミフラブが加えられたということだ。
<Mugiko>
 しかし、内部の改修は必要最小限にとどめられ、後になってモザイクも漆喰で塗り込められ、改修や補強がなされたものの、現在の聖堂は、基本的にビザンティン時代のままになっているというから「ほっと」するわね。
 まず、ピンク色が特徴の美しい外観を掲載しましょうか!

<アヤソフィア聖堂>


<Mugio>
 何だか僕が中を撮影できなかった言い訳に「美しい外観」などと言ってもらったようだね。本当にありがとう。
 されでも、何枚か撮影できたので、ご安心ください。
 まず、入場した入口付近の様子です。

 <アヤソフィアの入口>


 <建物の中からの入口>


<Mugiko>
 アヤソフィアの歴史などは、先ほどから話が出ているから、中に入ったら何を重点的に見るのかが大切ね?
<Mugio>
 まず、「直径31mという巨大なドームは、天国を思わせ、壁のモザイク画はランプの光に金色に輝いている。」というからイヤでも目に入ると思うね。
 でも、暗くて上手く撮影できなかったので、2階のギャラリーから撮影したもので我慢するしかないようです。

 <2階のギャラリーから>


 <1階は真っ暗!>


<Mugiko>
 でも、よかった点もあるわ。1階の正面には、キリスト教会からジャミイに改修されたときに作った金色に輝く「ミフラブ」が少し右にずれているが分かるわ。
<Mugio>
 2階には入口に左奥に螺旋階段があるので、そこを通るとテラスになっていた。ここでは1階を見下ろすほか、漆喰を施した見事なモザイク画を見ることができたよ。
 モザイク画は、皇帝像、聖母子像などで、アヤソフィアの大きな見どころとなっている。
<Mugiko>
 話が2階のモザイク画に進んでしまったけれど、モザイク画といえば、入口の正面に皇帝の門があり、その上部に「キリストに跪く皇帝レオンⅥ世」のモザイク画があるはずよ。

 <キリストに跪く皇帝レオンⅥ世>


<Mugio>
 それにしても、我ながら腕が悪い!と思うね。
 でも、よく見てください。
 中央にキリスト、その左右の丸い枠にマリアと大天使ガブリエルが描かれているのが分かるよね。
<Mugiko>
 問題は、キリストに跪く(ひざまずく)皇帝レオンⅥ世だけれど、よく見ると、左側に跪いている人間が描かれているようにも見えるわ。
<Mugio>
 そう言われても仕方ないか!
 話を2階のギャラリーに戻して、2階南の壁には、キリストとマリア、洗礼者ヨハネが描かれた壁画(ディーシス・誓願図)があるはずだけれど、見当たらなかったな。
<Mugiko>
 その代わりのように、イエスとマリアのモザイク画が置かれていたけれど、どういうことなのか理解できません。
<Mugio>
 私たちが見落とした?あるいは、代わりにレプリカを展示している、ということでしょうか?

 <記事の途中ですが、本日は、これにて失礼します。次回もアヤソフィアからお伝えします。>

トルコ一周とカッパドキアの旅<イスタンブールのトプカプ宮殿>

2020年07月18日 | 旅行記
 昨日に引き続きイスタンブールの「トプカプ宮殿」についてレポートします。

<Mugiko>
 ハーレムは、第2庭園の「正義の塔」の下にあるという説明が多いけれど、正確には第3庭園との間にあると言った方がよいと思うわ。
<Mugio>
 第2庭園の「ディエアンの庭」から入場するようになっているから、そのように説明しているようだね。
 ハーレムに入るには、チケットが必要だけれど、グループで30分ごとに入場となっていて、トルコ語又は英語のガイドがつくという話だよ。

 <ハーレムの象徴「正義の塔」>


<Mugiko>
 私たちも入場することになっているはずよ。
 ところで、話が第3庭園にある見どころからハーレムになってしまったけれども、第2庭園との間にあるロココ様式の「幸福の門」の写真はあるの?
 それと、「宝物館」にも入場して、光り輝く宝石などを見学したいわ。
<Mugio>
 謁見室、図書館、異種展示室などは撮影しなかったけれど、幸福の門は、衣装店展示室の前あたりから撮影したものがあるよ。

 <幸福の門>


<Mugiko>
 宝物館は、衣装展示室の横に位置していて、「ダイヤモンド、ルビー、エメラルド、真珠のきらめきを黄金の輝きが包む。初め感嘆し、やがてはあきれかえるほど。」と説明しているわ。
<Mugio>
 そして、有名なのは「トプカプの短剣とスプーンのダイヤモンド。」とあるけれど、輝きに「あきれて!」記憶から消えてしまったヨ。
<Mugiko>
 その後は、幸福の門を通って第2庭園からハーレムに入りました。
 第2庭園には、ハーレムのほかに議会室や厨房が設けられているそうね。
<Mugio>
 での、何といっても、見どころは男子禁制のハーレムで、日本で言うと江戸時代の大奥といった感じかも知れないね。
<Mugiko>
 ハーレムは、スルタンの夫人、母、皇子、宦官、女奴隷たちが生活した外界とは完全に隔離された場所で、かっては400もの部屋があったそうね。
 また、スルタンの継承争いに敗れた皇子たちを幽閉した「鳥籠」と呼ばれる部屋もあったそうね。
<Mugio>
 入場すると、まず、ハーレムを警護する宦官の部屋があるはずだね。彼らは、エジプトから来た去勢された男性だというけれど・・・・

 <宦官の部屋が並ぶ>


<Mugiko>
 宦官の部屋は撮影していなかったけれど、女たちの部屋は撮影できたわね。
 女たちに部屋は、スルタンの母が住むところ、妻たちが住むところ、その他大勢の住むところに分かれているみたいね。

 <女たちの居住区>


 <女たちの部屋>


<Mugiko>
 ところで、これらの部屋には、美しいタイルの壁があったはずよ。

 <美しいタイルの壁>


 <同じく>


<Mugio>
 ハーレムには、このような美しい模様のタイルが多数あるので圧倒されてしまったね。
 こうした装飾に並々ならぬ興味がある君には毒だったかな?
 次に入った部屋は、帝王やスルタンの間といわれる絢爛豪華な部屋だ。
<Mugiko> 
 そこでは何をしていたかしら?皇帝の子供を作るため???
 単なる権力争いなのか?それとも、無理矢理つれて連れてこられて、そういう運命を負わされたのか?想像もできないけれど、なんだか悲しすぎるような気がするわ。

 <スルタンの広間>


 <同じく正面>


<Mugio>
 それにしても、部屋の中が暗いね!
<Mugiko>
 外部からの侵入や女奴隷たちの逃亡を防ぐため、窓という窓は鉄格子でふさがれていたそうだから、きっと妃からが部屋の中に入らないような造りになっているのよ。
<Mugio>
 次は、スルタン争いに敗れた皇子たちが閉じ込められたという「鳥籠」という部屋も覗いたけれど、ここもその扱いを反映するような暗い部屋だったね。

 <鳥籠(皇子)の間>


<Mugiko>
 15世紀以降のオスマン帝国では、王位継承者争いの当事者となった兄弟は、争いに決着がつくや否や、ことごとく粛正(処刑)されることが当たり前のように行われていたそうね。
<Mugio>
 怖い話だね。しかし、恐ろしい習慣は17世紀以降、宮殿内の鳥籠といわれる部屋に軟禁・監視する制度に変わったそうだ。

 <皇子の間のステンドグラス>


<Mugiko>
 でも、同じ兄弟でも、勝者と敗者では権力者として贅の限りを尽くす勝者と、狭い部屋に押し込められて常時監視されて軟禁包帯にある敗者では雲泥の差だと思うわ。
<Mugio>
 本当だね。どこの国の王朝でも同じような権力争いがあったと思うけれど、もしかしたら、私たちのような平凡な人生が人間として一番幸せかもしれないね。
 写真のステンドグラスは、その鳥籠の部屋の上部に並んであったけれど、何を意味しているのかね?
<Mugiko>
 このステンドグラスも美しいけれど、ハレムには、ため息が出るほど美しいタイルに描かれた文様があちこちにありました。

 <壁を飾るタイル>


 <同じく美しいタイル>


<Mugio>
 君は、こういうイスラム系の精密なものが好きだね。
 ところで、これらのタイルは「皇子の間」にあったものかね?
<Mugiko>
 それがよく分からないのよ。
 でも、ハレムのような場所にこのような素晴らしい作品があることが驚きね。


 <以上で、本日の記事は終了です。次回もイスタンブール旧市街歴史地区散策からアヤソフィア聖堂をお伝えします。>


トルコ一周とカッパドキアの旅<イスタンブール旧市街歴史地区散策(トプカプ宮殿)>

2020年07月17日 | 旅行記
 昨日に引き続きイスタンブール旧市街歴史地区散策からトプカプ宮殿の記事をお伝えします。

<Mugiko>
 トプカプ宮殿は、勉強したところによると、15世紀中頃から19世紀中頃までオスマン帝国の君主が居住した宮殿で、旧市街に先端部分にあり、三方をボスポラス海峡、マルマラ海、金角湾に囲まれた丘にあるのね。
 また、宮殿の保存状態は良好で、現在は博物館として公開されているけれど、15世紀に建設されて以来、増改築を繰り返しており、現在見られる姿を保ち続けているわけではないっそうね。

 <儀礼の門>


<Mugio>
 などと宮殿の説明をしていますが、昼食をいただいたレストランは、宮殿の奥の第4庭園にあるので、すでに第1庭園から第4庭園までと、これらの庭園の前にある「皇帝の門」や「儀礼の門」、「幸福の門」などを通過していたんだね。
<Mugiko>
 ということは、あなたとしたことが「これらの門をまったく撮影していなかった。」ということね。
 昼食を済ましてからも、単に「うろうろ」しているだけにならないように注意しなければいけないわね。
 これからも、建物などがどんな歴史を持っているかなどの説明があると思うけれど、二人とも、見える光景に圧倒され説明を聞き逃しそうで心配だわ。
<Mugio>
 まあ、お手柔らかにお願いしますよ。写真がないので、ウキペディアを引用して歴史だけでも勉強しておきたいね。

 <ウキペディアの説明>
 メフメト2世が1460年に造営を開始し、1478年頃までに完成した。メフメト2世がここに居を定めてからは、1453年にコンスタンティノープルを征服して以来の宮殿が「旧宮殿」と呼ばれるようになったのに対して「新宮殿(サライ・ジェジードあるいはイェニ・サライ)」と呼ばれ、またイスタンブールで営まれた多くの宮殿のうちの正宮殿として「帝王の宮殿(サライ・ヒュマーユーン)」とも呼ばれた。現在使われているトプカプ宮殿の名は、19世紀にこの宮殿から皇帝が去った後、トプカプ宮殿の丘がある岬の先端にある「大砲の門(トルコ語:トプカプ)」に因んで呼ばれるようになった。宮殿は君主の住居であると同時に、オスマン帝国の行政の中心地として機能した。君主が主催するオスマン帝国の最高意思決定機関である御前会議は、宮殿の・・・・。

<Mugiko>
 まぁ、昼の目覚ましにはよいかも知れないけれど、長い文章ね。
 要約すると、「15世紀にオスマン帝国がコンスタンティノープルを征服し、メフメト2世という皇帝が帝王の宮殿を造営した。そして、宮殿は、君主の住居であるとともに行政の中心地として機能した。トプカプ宮殿という名前は、「大砲の門」を意味するトルコ語に因んでいる。」ということかしら?

 <第3庭園>


 <同じく第3庭園>


<Mugio>
 そういうことだね。ところで、上の写真は第4庭園にあるレストラン「コンヤル」を出て第3庭園(ツーリップ庭園)に入ったところのもので、同じところから撮影したものだネ。
<Mugiko>
 1番からではなく4番から説明いるようだけれど、だ4庭園の写真はないの?
<Mugio>
 第4庭園には、私たちが昼食をいただいたレストランのほか3つのキョシュキュ(あずまや)があるそうだよ。
<Mugiko>
 そうすると、多くの見どころがあるのは、第3庭園にあるということかしら?
<Mugio>
 第2庭園と第3庭園を結ぶ「幸福の門」や、幸福の門の前にある「謁見室」、その後ろの「アメフト3世に図書館」、その右側にある「スルタンの衣装展示室」「宝物館」のほか、左奥の「時計」「聖遺物」などがあるはずだね。

 <第3庭園の宝物館>


 <同じく謁見室>


<Mugiko>
 そういう言い方をするということは、撮影していないものが多数あるということ?
<Mugio>
 いやなこと平気でいうね。図星だから言い訳はできなけれど、撮影できたものだけでも掲載しておきたいね。


 <時間がなくなってきました。申し訳ありませんが、この続きは次回にお伝えしたいと思います>

トルコ一周とカッパドキアの旅<イスタンブール旧市街歴史地区散策(ブルーモスク)>

2020年07月16日 | 旅行記
 本日は、イスタンブールのブルーモスクを訪ねた時の模様をお伝えします。

<Mugiko>
 いよいよブルーモスクの中に入るのね。
<Mugio>
 イスタンブールといえば、何といっても「ブルーモスク」と「アヤソフィア」という二つの歴史的建造物だね。世界遺産に登録されている「イスタンブールの歴史地区」の中でも存在感があるからね。

 <ブルーモスク入り口>


 <同じく>


<Mugiko>
 ブルーモスクの正式な名称は、「スルタン・アフメット1世ジャミイ」というそうで、内部の装飾が青色を基調に塗り替えられた時期があって、そう呼ばれたそうね。
<Mugio>
 ところで、「モスク」といったり「ジャミイ」といったりしているけれど、違いはあるのかな?
<Mugiko>
 イスラム教の寺院「モスク」をトルコ語で「ジャミイ」というそうだから同じ意味だね。

 <威容を誇るブルーモスク>


<Mugio>
 ブルーモスクには、イスラム教の総本山メッカのモスクと同じく6本のミナレット(尖塔)が建っているけれど、カメラに収まらなかったね。
 こんなにすごいものを建立したのは、モスクの名称にもなっているアフメット1世という王様で1616年に完成したというから、もう400年も前の話なんだね。
<Mugiko>
 モスクの見学では、女性は肌が露出する服装をしてはいけないし、スカーフで髪を覆わなければならないという決まりがあり、また、ブルーモスクは、土足禁止なので靴をビニール袋に入れて入場したわ。
<Mugio>
 ジャミイに入ると、平面に大きな空間が広がっており、また、天井には巨大ドームが中心にあり、その周りに4つのドーム、ドームや壁の複数の窓には大きなステンドガラス、というように眩しいばかりの空間になっている。
<Mugiko>
 また、天井からつり下げられている照明が電気の灯りで絨毯の床を照らしていたわ。昔はきっと蝋燭だったと思うわ。

 <ブルーモスクの正面>


 <天井のドーム>


<Mugiko>
 ジャミイの見どころとしては、内部のドームやステンドグラスの美しさのほかにスルタンの霊廟や絨毯博物館などもあるという話を聞いたわ。

 <窓や壁のステンドグラス>


<Mugiko>
 このブルーモスクを見学する時間がわずか30分強というのは、もったいないと思ったわ。
 この後は昼食を挟んで「トプカプ宮殿」「アヤソフィア」を見学する予定になっているのね。
 ここには、歴史的建造物が並んでいるから、イスタンブールにきたら是非見ておくべきところだと思ったわ。
<Mugio>
 僕もそう思うよ。ここは、マルマラ海に面したヨーロッパ側の突き出たところにあって、地図で見ると分かりやすい場所だね。
 ところで、昼食に行くまでにスルタンアメフット公園などから見えたブルーモスクとアヤソフィを掲載しておくね。
<Mugiko>
 それって、もしかしたらアヤソフィアの美しい外観を撮影していなかった!という言い訳に使うつもり?
<Mugio>
 ばれたか?!

 <アヤソフィア>


 <ブルーモスク>


<Mugiko>
 雨が降っていたこともあるけれど、写真のできがイマイチだったわよ。
<Mugio>
 腕が悪い!といいたいのかい?
 まぁ、そのことは忘れて美味しいお昼ご飯を食べに行きましょう!
 場所は、トプカプ宮殿の中にあるKonyaliという店だそうだ。

 <アヤソフィアを横目で睨みながら>


 <キュフテ(トルコ風ミートブール ピラフ添え)>


<Mugiko>
 味の方は、「まったく分かりません!」という顔をしているわね。
<Mugio>
 昼食が終わると、宮殿の見学だね。

 <ということで、本日の記事はこれにて終了します。次回は、トプカプ宮殿を見学した模様をお伝えします。>

トルコ一周とカッパドキアの旅<イスタンブール旧市街歴史地区散策(ブルーモスクに向かう)

2020年07月05日 | 旅行記
 前回のグランドバザール見学に引き続きブルーモスクに向かった時の模様をお伝えします。

◆ イスタンブール旧市街歴史地区散策(ブルーモスク)

 <ドイツの泉>


 <テオドシウス1世のオベリスク>


<Mugiko>
 「ドイツの泉」は、友好の印として建てられたようだけれども、名前が「8角形の泉亭」とか「ウィルヘルム2世の泉」などとなっていて、何が何だか分からないわね。
<Mugio>
 ドイツの胃安住があるこの細長い広場は、「アト・メイダヌ(馬の広場)」というらしいけれど、これは古代ローマ時代のU字型の競技場跡(ヒッポドローム)で、「オベリスク」や「蛇の柱」などが建っていて面白かったよ。

 <トルコとイスラム美術館前の通り>


 <同じく>


<Mugiko>
 オベリスクというのは、神殿などに建てられた記念碑のことだけれど、ここのオベリスクは、蛇の柱を含めると3本あるということかしら?中でも、目立つのが「テオドシウス1世のオベリスク」で、ローマ皇帝によってエジプトのルクソールのカルナック神殿から運ばれたものというから凄いわね。
<Mugio>
 オベリスクといえば、パリのコンコルド広場にあったものを思い出すけれど、パリのものもエジプトから運んだということだろうね。
 美術館前の通りから見えるオベリスクは、10世紀頃に建造された「コンスタンティヌス7世のオベリスク」で、元々は金メッキした銅板で覆われていたが、その後の戦い(第4次十字軍)で黄金と勘違いしたのか略奪され、芯だけが残ったというものだ。

 <テオドシウス1世のオベリスク>


<Mugiko>
 「蛇の柱」は、撮影していないけれど、2本のオベリスクの間に金属の柱が「にょき」と出ていたので、「これは一体何だろうか?」と思ったわ。
 でも、紀元前479年にさかのぼるもので、絡みつく3匹の蛇の頭部に直径2Mもの巨大な金の斧がのっていたそうね。
 もう少し勉強しておけばよかったわ。


 <以上で、本日の記事は終了します。次回は、イスタンブール旧市街歴史地区の散策から「ブルーモスクの見学」をお伝えします。>