mugifumi日誌

海外旅行の体験などのほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

グラナダの歴史

2009年05月30日 | 旅行記

 スペイン南部のグラナダは、アルハンブラ宮殿があるところとして有名ですが、その歴史もかなり古いようです。

 紀元前8世紀からイベリア人が居住してたそうです。

 なお、イベリア人というのは、先史、古代からイベリア半島に住んでいた西インドヨーロッパ人であると説明されていますが、どうもよく分かりません。

 話を歴史に戻していただいて、紀元前193年にローマの支配下に入り、その後、紀元5世紀から西ゴート王国の支配下に入ったそうです。

 西ゴート王国というのは、415年から711年にかけてフランス南部とイベリア半島のを支配したカトリックが国教のゲルマン王国だそうです。

 そうはいっても、ここで、次の疑問が湧いてきます。そうです、今度は「ゲルマン」とは何か?ということですが、これを調べてみますと、「ドイツ北部、デンマーク南部などに居住していたインド・ヨーロッパ系を祖先とする人々」とされ、現在は、「ドイツ、オーストリア、オランダ、スウェーデン、ノルウェー、デンマークなどに住む人々を指す」ようです。

 ここでも、インドという言葉が出てきますし、小生などにはヨーロッパの人々は皆、同じに見えてしまいます。

 まぁ、ゲルマン人というのは、ドイツを中心としたヨーロッパ北部の人々という理解でよいのでしょうか?

 なお、

 イギリス人・・・・・アングロサクソン人

 ベルギー人・・・・フランデレン人

 フランス人・・・・・アルザス人

 イタリア人・・・・・南ティロル人

 などとされていますが、これらの人々は、いずれもインド・ヨーロッパ系を祖先とする人々であり、長い歴史の中で部族の集合離散、異民族との混血を繰り返しており、古代の純粋なゲルマン人とは言えないとされています。

 まぁ、分かりやすくいえば、ヨーロッパにおいては、何人というのは、あまり意味がないと言うことでしょうか?

 その後の歴史は、711年にウマイヤ朝(イスラム教)のターリングの軍がイベリア半島に上陸して、同年にグラナダも占領して、1492年にレコンキスタ(再征服)が行われるまでの780年間、イスラムの支配が続いたことになります。

 なお、イスラムに追われた西ゴート王国は、アストゥリアス地方(フランスに近い地方?)でレオン王国や、その後のカスティーリャ王国を建国することになります。

 などといって、分かったようなことを言ってますが、本当は、よく分からない!とういうのが正直なところです。

 でも、キリスト教とイスラム教が共に王国を築いてグラナダを支配したことは、よく理解できました。

 そして、そういう歴史があるからこそ、イスラムとキリストが融合した文化遺産が残っているのだと思います。

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スペイン:グラナダ(アルハンブラ宮殿)

2009年05月26日 | 旅行記

 皆さん、お早うございます。

 今日は、久しぶりに、このブログの主題である海外旅行についてお伝えします。

 アルハンブラ宮殿は、皆さん、ご存じのようにスペインの代表的な世界遺産です。

 小生は、スペインに08年の8月に旅行しましたが、HPにありますように「熱い!」という強い印象があり、そのことがスペイン旅行を「期待したほどではなかった。」と思わせたのかも知れません。

 スペインを色で言いますと、「黒」で、どうも印象が暗いのですが、アルハンブラ宮殿は例外でした。

 緑の公園に包まれた宮殿で、「アルハンブラは本当に美しい!スペインに来てよかった。」という感慨を持ったことを鮮明に覚えております。

 そして、その紹介ですが、またもやNHKさんにお世話になりたいと思います。

 NHKの世界遺産「アルハンブラ宮殿」では、グラナダやアルハンブラ宮殿を次のように説明しています。

 スペイン南部アンダルシア地方のグラナダは、8世紀から800年間、イベリア半島を支配したイスラム勢力の終焉の地です。キリスト教によるレコンキスタ(国土回復運動、再征服)によって覇権を奪われていったイスラムの王国が、丘の上に築いたのがアルハンブラ宮殿。イスラム建築の最高峰と呼ばれ、滅び行く王国の最後の栄華を伝える宮殿です。

 「シリーズ世界遺産100」では、宮殿のイスラム風建築や美しい装飾がイスラムの人々の強い思いから造られたことを紹介します。壁はアスベスク模様で覆われ、天蓋には夜に輝く満天の星が表されています。中庭には、砂漠のオアシスが表現された造りになっており、そこには常に水が溢れていました。砂漠の民、イスラムの人々にとって水は命の象徴であり、水が溢れる宮殿は、地上の楽園だったのです。中庭に張られた池には水面に建物が映り込み、ゆらめいています。その様はまるで砂漠に現れる蜃気楼のようで、アルハンブラ宮殿の幻想的な美しさを際立たせています。

 また、同じくNHK探検ロマン世界遺産では、アルハンブラ宮殿でについて次のように解説しています。

 細長い大理石の数々、壁や天井を埋め尽くすアラベスク模様、絶え間なく流れる中庭の水・・・・・。

 となり、これを全部、読んでいただくとアルハンブラ宮殿の内容が分かるのですが、直接、見ていただきましょう。

 と思ったて調べましたら、この番組は3月に終了しているようです。

 「これは、まいったな!まぁ、仕方がないか。」という独り言が出てしまいました。

 そして、肝心な小生の感想ですが、探検ロマンの表現のほうがあっているような気がしています。

 さて、そうなりますと、続きの文章が必要ですが・・・・

 

 スペインのアルハンブラ宮殿は、他のヨーロッパ建築物にはない繊細な美しさにあふれています。それは、この宮殿がイスラムの叡智と技術によって築かれたからです。宮殿は、現存するイスラム建築の最高峰といわれています。

 8世紀初頭からイベリア半島を支配していたイスラムは、その版図をキリスト教徒に追われ、最後に残ったのがグラナダ王国でした。1,238年に建設が始まった宮殿は、260年間に渡ってキリスト教徒を退けた堅固な城塞であり、王族が暮らす豪華な館でもありました。その華やかさは、キリスト教国の支配者達も魅了し、1,492年にグラナダ王国を滅亡させた後も破壊せずに残しました。その直後、・・・・

 と続くのですが、これでは分かりませんね。

 写真と小生の勝手な解説を付けているHPを早く完成(まだ着手もしていませんが。)して、それを見て貰うしかありません。

 豚インフルエンザや北朝鮮の核実験が気になって「海外旅行」などと暢気なことを言っている場合ではない!と小生の心が囁いています。

 

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時価会計

2009年05月24日 | 社会・経済

 最近、自分のホームページのトップ写真を更新していますが、今日からカンボジアのタ・ブロームという寺院の異様な写真を掲載しました。

 何処が異様か?ガジュマルの一種が寺院の屋根などを覆い、人類の文明を飲み込もうとしているように見えるからです。

 自然の力に畏敬の念を抱いてしまいますが、皆さんも是非、現地へ行って見て下さい。

 ところで、今日は、企業会計の中で今日的課題についてお話したいと思います。

 先日、小生の家に銀行の方が来たのですが、その時に「時価会計」の話しが出ました。

 今回の世界同時不況は、アメリカのサブプライム・ローンがきっかけとなりましたが、それまでの企業は、好調な消費にも支えられて大幅な黒字を計上していたと思います。

 さらに、一種のマネーゲームである株や為替取引でも大幅な「もうけ」を計上していたのです。

 世界には、利益を求めて投機資金が暴れ回っていますが、その中心地は、もちろん、アメリカだと思います。

 ノーベル賞ものの頭脳を使って投資信託などの金融商品の仕組みを作りだしているとされていますが、小生が勝手に想像していることですが・・・

 その仕組みなどは、どうでも良いことで、高度な金融工学というテクニックを使って作る金融商品の仕組みは、投資をしていただくための「マジック」や「お呪い」のようなものではないでしょうか?

 まぁ、それはそれとして、現在の日本の財務会計では、いつからこうした証券取引で「売っていない」のに損金や益金を計上するようになったのでしょうか?

 どういう話しかと言いますと、mugifumi社が株取引で儲けようとして年度の途中でA社の株を10万株、1,000円で購入したとします。金額では1億円投資をしたことになります。

 そして、決算日である3月31日まで売却せずにこの株を持っていました。

 さぁ、ここからが問題です。

 この日(3月31日)の相場でA社の株は、1,200円で取り引きされました。

 この場合、mugifumi社の決算に表示すべきA社の株は、いくらに表示すべきでしょうか?

 1億円のまま?それとも1.2億円でしょうか?

 そもそも企業会計における資産の評価には、どのようなものがあるのでしょうか?

 「取得原価」つまり、買った額で表示する方法、低価法といってその時の時価と取得価格を比較して低い方の額で表示する方法、それと、問題となっている「時価会計」といわれてる時価で表示する方法があると思います。

 昔の企業会計では、取得原価主義でした。つまり、売却しない限り「損」も「益」も、でないという考え方です。

 企業会計を法律論で見ますと、企業の経営活動により発生する債権債務は、法律行為により成立するはずですから、債権債務が確定していないのに「損」や「益」を表示するのは「おかしい」ということになります。

 従って、この取得原価主義が法律による権利義務を最も適格に表現していることになります。

 小生は、この伝統的な考え方が好きですが、例えば、投資した株価がなどが半分になっている場合、これを決算に表示して株主や取引先などに的確な情報を提供すべきで、「取得原価主義はおかしい!」という批判は多いにあると思います。

 確かに、「損」が出ている場合は、「YES」かもしれません。でも、「益」が出ている場合には、その必要はないと思います。仮に「益」を計上して、そこから配当をした場合、現金化していない益(有価証券という資産)から現金を払うことになります。

 そして、決算後、サブプライム・ローンのように相場が急落して評価額が半分になってしまったような場合、配当した現金は、企業自身の足を食べるという「たこ配当」になってしまうのではないでしょうか?

 今日は、いささか疲れてきました。この続きは、次回、お伝えします。

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人事評価

2009年05月23日 | 社会・経済

 あなたは「出世の基」は何だと思いますか?今日は、いきなりサラリーマンの一番の関心事である「出世」の話をしたいと思います。

 小生は、この3月に退職しましたが、その職場の人事を見ていますと、トップ(社長や副社長、人事部長など)の好みが伝わってきます。

 好みの第一、というと誤解だと言われそうですが、人事評価の基準といった方が良いのかな?それは「気配り」ではないかと思ってしまいます。

 もちろん、組織を運営していく上で「気配り」は、とても大切なことで、この能力がある方を適切に評価する必要があります。

 ただ、問題は「気配り」は、目的ではなく「手段」や「手続き」であるという点です。

 話が見えない?そうですね。事業を例に取れば、社員がするお客さんへの「気配り」は収入を増やすという「目的」のためには、とても大切な手段であるということになります。

 入口での「お早うございます。」、商品を買っていただいた際の「有り難うございます」の挨拶に始まり、高齢者や障害者への配慮など、相手の立場になって考え、行動する「気配り」は、会社にとっては、とても大切なことで会社の存続を左右するぐらい重要なことだと思います。

 でも、小生は、これを次のように考えています。

 気配りは、「会社の発展」という目的のため欠かせないことであるが、そこがぎこちなく見えたりすると、挨拶などが本心から自分(客)に向けられたものではないように見えてしまうのではないか?

 そして、性格的に「挨拶」や「言葉」での対応が苦手な社員もいます。

 その意味で、お客さんへの気配り「訓練」や「研修」が大切ですが、その基本は、「社員の温かい心」という「人間性」から発したものが重要である、と教えるべきでないでしょうか。

 話が人事から人間性というとんでもない話しに離れてしまいましたが、大きな組織になりますと、その「気配り」が社内で発揮され、それが人事評価の上で過大に評価されることをよく見かけます。

 悪く言えば、上司や権限を持っている人間、さらには強面の客などとの接触を通じた「事前説明」や「ごますり」ですが、能力や実績もある人の中には、こういう「気配り」ができない人が大勢います。

 そして、それは、こういう人から見ると、「あんな口先ばかりで、ろくに仕事もできないやつが何故、偉くなるんだ!」などと反発することになります。

 こうした事態は、組織としては、大きなマイナス要因となるのですが、こうした人達は、大体がサイレントマジョリティなものでから、人事当局は気づかないことが多いのかも知れません。

 人事評価の第2点目は、「説明力」とでも言ったらよいのでしょうか、分かりやすくいいますと、「口八丁、手八丁」の人が好評価される傾向があるという点です。

 何処かの宗教団体ではありませんが「ああいえば、こういう。」というように何でも受け答えができる人がいますが、それ自体が一つの能力であるといえるかも知れません。

 しかし、問題は、人事評価において「気配り」と同じ問題が起こりうることです。

 組織全体が同じ目標である場合は、「実績」がものをいいますので、その懸念は少ないのかも知れませんが、組織目標がまったく違う分野だったり、業績を数字で表せない組織の場合には、多いにその懸念が残ります。

 「気配り」と「説明力」そして、「仕事の成果」は、サラリーマンの大切な道具ですが、経営者は、これ以外に、仕事への「取り組み姿勢」、的確な「判断力」さらに「企画力」や「優れた人間性」などを総合的に評価して欲しいものです。

 「仕事ができて、発想や人間性豊かな人」などというスーパーマンはいない!といわれそうですね。

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大相撲

2009年05月21日 | スポーツ

 昨日、相撲を見に両国の国技館に行って来ました。

 イヤー、面白いものですね!と言いたいところですが、多いに疲れてしまいました。

 四角い鉄棒に囲まれた小さな座敷(たたみ2畳くらい?)に座布団が4つ置かれており、そこに座って見学すのですが、体が大きくなった現代人には、4時間もここにいるのは、苦痛そのものです。

 この小さな空間を借りて「相撲」を見る権利が1万円とは、ちょっと「ぼろもうけ」ではありませんか?相撲協会さん!

 おまけに、大きな写真撮影しようと土俵に近づいていったら、警備のお姉さんから「立ち止まらないで下さい。」と制止されてしまいました。

 相撲の人気を回復するのでしたら、年寄りのファンを大事にすべきで、そのためには、枡席はやめて、すべて椅子席にするなど年寄りが入りやすい配慮が必要ではないでしょうか?

 あんな遠いところからでは、力士の顔も分からず、お尻と膝の痛みに懸命に堪えがら見ているのですから「もう行きたくない!」というのが正直な感想です。

 それと、みやげを売る職員?、呼び出しのような服装をした客の案内役?、土俵上の呼び出し人(役割は、土俵を清めたり、懸賞金の幕を持って土俵で披露する、力士の呼び出しなど?)、行司などを見ていますと、その人数の多さに「相撲という事業は、大変な人件費産業なんだ!」と感じました。

 特に、客の案内をしている人達は、人数が多すぎると思います。

 でも、この人達には、桟敷といわれる土俵から最も近い枡席客からは「ご祝儀」が出るそうですから、歴史と伝統の大相撲は、私達、一般の常識とは違うルールがあるということでしょうか?

 まぁ、テレビで見ていては感づかないことが見えて、さらに、生の横綱の土俵入りなどが見られたのですが、小生は、自宅で「チビリ、チビリ」と一杯やりながら、楽しんだ方がよいと思います。

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