mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

金魚の死

2010年03月26日 | ペット

 わが家では、3年前くらいから小生の希望で金魚を飼い始めました。

 町中のペットショップで買ったのですが、その店の無愛想なおばちゃんに似て、金魚も無愛想ではないかと思ったものでした。でも、それは小生の変な思いこみで、決してそいう金魚たちではありませんでした。

 「ありませんでいた」などと過去形で書きますと、タイトルにあるように全部が死んでしまったようですが、5匹のうち、1匹が死んだのです。

 かみさんは、5匹の名前を付けて可愛がっていましたので、さぞ、「ガッカリ」しているのではないかと思ったのですが、覚悟をしていたのか、わが家の庭に穴を掘って線香をあげて静かに別れをしていました。

 でも、よくよく考えてみますと、おかしなものです。人間は、毎日、他のの生物を食べていきおり、特に、魚は「マグロ」で大騒ぎしたように「日本人の食文化だ!」などといって欧米人を非難しながら、食べているのです。

 小生などは、調査捕鯨を妨害する欧米人に対して、「欧米が同じほ乳類でかわいそうだという感情論でくるのなら、日本は、牛、豚などもほ乳類で可愛そうだから食べることを禁止すべきだ!」とかみさんに息巻いたことがあります。息巻かれたかみさんは「ニヤニヤ」するばかりでしたが・・・

 それはともかく、魚を毎日、「美味しい、美味しい」と食べている人間が、自分が飼っている金魚が死ぬと、悲しい気持になるのですから自己矛盾もいいところだ、ということになります。

 そして、死んだことが自分の責任のように金魚に「ご免ね。」と謝ってしまいました。

 人間は、自己矛盾だらけの生き物だということなのかも知れませんね。

 その意味で、日本人が食べる前に「頂きます」と言って食物の有り難さを感謝するのは、とても良いことだと思います。

 小生の「頂きます」の理解が違いますか?

 今日はわが家の金魚が死んでために食べ物について考えることになりました。