旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

なぜゆえに私には「あのようにきらめくような青春」がなかったのか。

2008年12月19日 23時04分10秒 | Weblog
喫茶店のカウンターやウエイターを渡り歩くうちに、カンナの削り屑のようにペラペラと燃えるような毎日の生活に嫌気がさした。土方や肉体労働を少しやったのち大学の先輩が経営する塾の講師になった。小学校の3年から中学の3年までの7学年の算数・数学それに国語を教えた。着任時の塾生総数50名が1年後には100名を超えた。算数・数学はともかく苦手な国語の方は塾生たちから教えられることの方が多かった。熱気が溢れるような教室が誇らしかった。

1年ほどたったある日、塾長夫妻が高校生に英語を教えている女性とわたしを食事に招待してくれた。当時わたしは塾で数度見かけたことがあるその女性に好感をもっていた。食事ののち縁日の夜店を4人で歩いた。先を行く夫妻の後をふたりは歩いた。振り返りながら奥さんが「あなたとは違っておとなしい娘さんだから、あなたの方から話かけてあげてね。」としきりにふたりの様子を窺う。

津田塾の英文科に通う学生であると聞いたことがある。横顔に化粧気はない。色白な細身の女性である。清楚な女性と居ると妙に緊張する。白いブラウスにグレーのスカートをまとった彼女に何を話しかけていいのか解らない。自分でも消化できていない法哲学に関わる難しい話を夢中になって話した。なにしろ食事の際のビールとワインですっかり酔っていた。彼女はわたしの戯言に最後まで付き合ってくれた。

翌日、奥さんから「お付き合いをしている女性はいるの?」といきなり聞かれた。返答に躊躇した。半同棲中ではあるが別れたくてしようがない女性がいた。それでも「わたしがみる限り、あの先生、あなたに興味を持っているらしいのよ。」と言われると小躍りしたいような心境だった。東京に来てからというもの、こちらが好感をもつことがあっても女性から好感をもたれた記憶というものがない。

「まじめに付き合う気があるのなら正式に紹介するわよ。」と奥さんは張り切っている。ところが当方は正式に紹介されるほど立派な学生ではない。そして「ご家族も東京在住で、いいご家庭のようよ。」と奥さんから言われると、津田塾の彼女の属性に怖気づいた。わたしにはそういう女性と交際できるほど立派な人間ではないという負い目があった。わたしは「付き合っている女性がいます。」と答えた。その夏、彼女は塾を辞めた。

その昔、中学の時に2級下の女生徒から口説かれた。「私の家族といっしょに海に行こう。」という誘いを受けたり、わたしのことを思うたびに名前を書いていたらノートがわたしの名前でいっぱいになったと、そのノートを見せられて正直わたしは怖気づいた。好感をもたれるとわたしはそんなに熱を入れられるほどの男の子じゃない。わたしよりりっぱな男の子は5万と居る。だからおのずと彼女が思ってくれるほどの男の子としての役割を果たせそうにないように思われてくるのである。要は自信がなかったということになりそうだ。

テレビや映画の恋愛ものを見るにつけ、恋愛相談を受けるにつけ思わず叫びたくなる。「なぜゆえに、私にはあのようにきらめくような青春がなかったのか!」と。もちろん原因はわかっている。情けない話であるが、恋沙汰に限らず、いまだに女性というものを理解できないで火傷ばかり負っている。だから、こと女性問題に関して少々大げさに言うと身も心も傷だらけである。

かって知り合いの女性から「もてないことを売りにしている。」と揶揄されたことがある。とんでもない話じゃないかと思う。もてるかもてないかくらい本人が一番よく知っている。不肖はやと、この世に生まれ落ちてからこの方、女性から口説かれたことは2度しかない。1度目は中学生の時、2度目は?。恋多き壮年はやとは「梅雨時の田んぼ」、そのココロは「ふられっぱなし」なのである。嗚呼・・・。

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