旅路(ON A JOURNEY)

風に吹かれて此処彼処。
好奇心の赴く儘、
気の向く儘。
男はやとよ、
何処へ行く。

松陰 象山 東湖

2008年11月22日 21時28分00秒 | Weblog
津和野の「森鴎外記念館」、萩の「松陰神社」、松山の「子規記念館」を訪ねたのちに、ふと思った。わたしは松陰、鴎外や子規について、その固有名詞以外にいったい何を知っているのであろうかと。

子規についていうと、かれの俳句論を読んだことはないし、句集についても岩波文庫の一冊を持っているに過ぎない。それこそ微熱を感じそうな句集であった。(現在、所在不明である。)「柿食えば・・・」とか「春や昔・・・」等の余りにポピュラーな句については知っている。かって、松山に10年余り在住したというのに句集に興味をを惹かれたためしはない。

鴎外については、過去、代表作の2作や3作は読んだ。ところが、学生時代のわたしにとっては語彙が余りに難解で、漢文を読んでいるような味気なさが先に走って、読み切るのが精一杯という惨状であった。最近「高瀬舟」を読んだ。ようやく鴎外の力量が測れるようになった。

松陰は、門下から維新の志士たちを輩出した教育家らしいというイメージでのみ捉えていた。小学生の頃、萩に2年足らず居住した。そのころから吉田松陰という名は聞かされていた。松陰神社という神社まで建てられている。しかし。祭られている理由がいまだに解らない。ようやく理由をネットで知らべてみる気になった。

松陰は1830年生まれで1859年に斬首刑に処せられている。10歳にして藩主に山鹿流兵学を講じたというから、かなりの早熟であったに違いない。しかし、最近になってわたしが儒学の素養を身につけるにつけ、ようやく、その代表作「講孟箚記」は単なる孟子の注釈書の域を出ないことを知ることになる。何たる奥手!

当面は、吉田松陰、佐久間象山、水戸学・藤田東湖の思想的相関に好奇心をそそられている。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

松陰神社(萩)

松陰神社
所在地 山口県萩市椿東松本1537
主祭神 吉田寅次郎藤原矩方命(吉田松陰)
社格等 県社
創建 明治23年(1890年)

明治23年(1890年)、松陰の実家・杉家の邸内に土蔵造りの小祠を建て、松陰が愛用していた赤間硯を神体として祀ったのが当社の創建である。明治40年、萩城内にあった鎮守・宮崎八幡の拝殿を移築して本殿とし、同時に県社に列格した。現在のの社殿は昭和30年に新しく建てられたものである。創建当時の土蔵造りの旧社殿は松下村塾での門人を祭る摂社・松門神社となっている。

境内には松下村塾の遺構・松陰幽囚の旧宅・吉田松陰歴史館などがある。萩市で学問の神として最も尊敬を集める神社であり、正月には多くの初詣客が訪れる。