昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

終戦の日に想う

2014-08-15 09:53:34 | じゃこしか爺さんの想い出話
                不法にも 故郷追われし 悲しみは
               消えず只ただ ロスケが憎し


      
          終戦記念日は今年で六九回目、色々なことが再び想い出されて
       悲しみがよみがえります。
        先ず不法にも一方的に条約を破って、しかも終戦間際に侵攻して
       来たソ連軍への憎しみは、この先何年経っても私から消えることは
       無いでしょう。        
        戦争が終わった直後の混乱時に命を奪われた私の父と級友と、
       更に友人の親父さん方の死は、明らかに戦争が終わった後のことで
       その他多くの避難民が亡くなられております。 
        そしてまた少年団員だった私たちが、任務を終えて山奥へ避難する
       途中、突然現れたソ連機の機銃掃射を受け、じゃが芋畑に身を隠して
       難を逃れたのも、戦後の事だったおです。   
        
       それらの悲しみが癒えぬ内に、着の身着のまま まさに
       裸同様で故郷樺太を追われたのです。
        我が家の苦しみと悲しみ、父の行方不明と長兄のシベリヤ抑留、
       それによる母の若死になど全ては、ソ連軍の不法な侵攻によって
       始まったのです。
        ですから私は引き揚げ後の家計のために、13才で家族と離れて
       農家の手伝いに出、その後15歳の時親戚の世話で美唄の炭砿に
       就職したのでした。
             
        因みに私の学歴は小卒です。但しその後働きながら夜間高校へ
       通いました。

        そんな訳で、私の悲しみ憎しみは未だに消えないのです。