畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

投票に!

2012-12-15 18:53:29 | 食、農への思い

12月15日(土)  いちじ 

雨が降ったりやんだりの一日。出荷作業を終わらせてから、寺の事務作業。

明日は16日。憂鬱な日になるだろう。我が家の東京新聞でも、脱原発は、選挙の大きな争点になっていないと報道されている。「未来の党」の結成で、いくらかは、全国的な脱原発派の集約が出来るかと、期待した。しかし、結果は、そうはなっていない。というより、原発の在り方よりも、景気であり、国家の在り方を争点にしている。マスコミもそうなのだろう。日本全体が、物の豊かさ、経済的豊かさ、国としての強さ、個々の豊かさより全体の豊かさ強さを求める、そんな流れを強めているようだ。

この選挙は、個々の人間を大事にすると云う政治か、国家の威信や強さを求める政治かの選択になっていると思うのに、その点について、あまり掘り下げた報道がなされていないと思う。今の自民党と、公明党が、同じであるはずが無いのに、その点はもやもやの中で、民主か、自公かとの選択を押しつけられ、嫌気がさす部分が、より国家主義的な維新に流れる状況になっている。原発問題や、子育て問題などの、国家より個を大事にする政治の選択肢をぼやけさせている。その原因は、この何年も、常識では考えられないほどの、個人バッシング=小沢たたきで、小沢の係わる所は、信用できないと云う世論を作った勢力にあると思う。それは、国家の支配機構である検察を中心にする官僚組織、新聞、テレビなどのマスコミ機関、それに同調し、批判を受けない側に身を寄せる、政治屋や大衆。

でも、しようがない。世の大勢が、そうなり、再び、自民党中心の、個より組織、個より国家を中心にする政治を選択するのだから。それを求める巨大な力の勝利だろう。確かに、この3年確かに、でたらめだった。しかし、変化を求めるなら、少しは、我慢も忍耐も必要だったのに。それが出来なかった、国民の敗北。そして、再び、より強力な国家主義政治にカムバックさせる。

さあ、16日、どうしよう。最善が無いなら、よりベターに。よりベターが無いなら、少しはましな所に。ましすらなければ、絶対嫌でない所に。そんな選択でも、投票しろという。

国家の威信のために国防軍を作る。軍隊や原子爆弾があれば拉致は起きなかった。こんな国家主義がまかり通る政治は、拒否しなくてはならない。幸い、少しはましな所はある。

さあ! 投票に

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×10プロジェクト

2012-12-05 18:46:33 | 食、農への思い

12月5日(水)   ときどき 

晴天だったが、寒い一日だった。午前中は、出荷作業で、作業場で腰かけての作業なので、なおさら身に浸みる。午後は、花畑。夏秋野菜の片付け。アーチ、ネットを撤去して片づける。

所で、gooニュースに江川紹子が、今回の総選挙について、寄稿していた。ちょっと興味が湧いて、読んでみた。前半は、衆院選についてであり、まあ、そんなものだろうと思うような内容だった。で、2ページめを開くと。

 最高裁裁判官の国民審査についてであった。「×10プロジェクト」に参加しませんかとあった。最高裁裁判官10人に「×」をつけるからだと云う。これには全く同感だ。

私自身、今まで、投票所に出かけた時は、この投票用紙には、すべて、無条件で、「×」を付けて、投票箱に入れてきた。国民による審査と言いながら、×印以外は、信任とすると云うやり方が気に入らなかったからだ。

しかし、それ以前に、最高裁の裁判官は、司法という分野での、国家権力機構で、今の体制を支えているにすぎないと思うからだ。三権分立だの、司法の独立性だのと、きれいごとを言ってはいるが、現実は、政治行政の補完物としての機能しか果たしていない。

今までの歴史を見れば明らかだ。原発裁判においても、ことごとく、住民側敗訴。住民訴訟において、住民の主張を認めたことがどれほどあるか。早い段階で、住民の主張を認めていれば、防げたことがどれほどあるか。どうにもならなくなってから、行政の敗訴を判断しても、すでに多くの住民は犠牲になってしまってからだ。多くの冤罪事件もそうだ。一票の格差についても、政治の責任でもあるが、最高裁判断が甘いから、政治の場でなめられているとしか思えない。

3.11の原発事故の責任のかなりの部分は、司法の側にもある。

「×10プロジェクト」  大賛成。その指止まる。

皆さんはどう思いますか。

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裸のフクシマ

2012-12-04 18:35:53 | 食、農への思い

11月4日(火)   のち  いちじ 

午前中はほぼ雨。一時、明るくなり、このまま上がるのかと思うが、再び降ってきた。そして、夕方暗くなってからも、一雨。風呂を沸かす薪のコンテナを、あわてて薪小屋に片付ける始末。

午前中は、歯医者の予約が入ってもいたので、何もしない。午後は、サトイモの整理に2時間ぐらい。

福島の、川内村で、3.11以後の福島を綴った、「裸のフクシマ」の著者「たくき よしみつ」氏のブログを読む。この所なにやかやで、半年ぶり位だ。考えさせられることが多い。

12月16日に向けて、何か出来るのか、何かやるのか、16日にどうすればよいのかもわからない。少しはヒントをもらえるかと、開いては見たのだが、さてどうなのだろう。

「裸のフクシマ」  昨年10月、講談社から出版されています。読んでみる価値は、十分あると思います。

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一茶

2012-07-02 18:39:40 | 食、農への思い

7月2日(月)   いちじ 

今回の雨も、関東の梅雨雨。たいした雨量にはならないが、ときどき、弱い雨をパラパラさせる。そんな空もようが、昨晩から、午前中まで続く。外仕事をするつもりなら、できないことはない程度の、パラパラだったが、やらなかった。

私たち、もともといい加減な質だと思うが、歳を重ねるにつけ、頻繁に、酷くもなってくる。

電話がかかる。「今日、荷物が着く日でなかった?」 「あっ!ごめんなさい。よていひょうにかきわすれてしまっていた。来週送るから許して」 

そんな応対が増えてきた。我が家の発送形態はさまざま。毎週もあれば、隔週から月一まで。しかも、水曜、土曜の発送だから、10通り以上に及ぶ。出荷担当の連れ合いが、月初めに、一月分の予定表を作る。五十音順の顧客リストから拾い出して行くが、記録漏れが出ることもある。チェックするのにどうすればよいだろうと思案していた。出荷形態をグループ分けして、リストを作り、最後にチェックすれば、拾い忘れも減るだろうと、そのリストを作る。止めたり、新たに加わった人もいたりで、改訂版顧客リストを作り、それをグループ分けする。

作業場仕事で、玄米出荷用の石抜きをまとめてやっておく。水曜出荷の米の精米。

ひょんなことに、突然のめり込むこともある性格なのか。長続きはあまりしないが。昨晩は、のんびりしたこともあり、季語を検索してみた。そして、ひょいとアクセスしてみた先が、「季語と歳時記の会」(きごさい)のホームペイジ。

ここにもあった。「雨休」。そして、一茶の句として、

「草よりも人のはかなき雨祝ひ」  よくわからないけど、(旱で、草も今にも枯れんばかりだけれど、農民の方がもっとぐったりしている)とでもいう意味なのかなあ。そして、雨祝いは、明日への少しばかりの喜びなのかな。もう少し、古文を勉強しておけばよかった。

もう一つ疑問。雨休の季節だが、「絶滅寸前、、」では、晩夏。「きごさい」では、仲夏。この一月の違いはなんだろう。前者は愛媛と西日本。後者は新潟と北陸。この地域差なのだろうか。

いずれにしても、梅雨入り後、立秋までの二月ほど、西日本は、降れば大雨も多い。東は、それほどの大雨はない。さすれば、「お酒は大好き」な、著者さんは、「四日目の雨休」を楽しみつつも、もう四日目かと、いささかげんなりしてくるのも、分からなくはない。

この所、無理して頭をひねっているので、私もいささかぐったりだ。明日からは、ちょっと濡れるぐらいなら、しっかり農作業と行こう。

 

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勘違い

2012-07-01 17:41:19 | 食、農への思い

7月1日(日) 

予定通り、午前中は、宮畑のロータリー耕。こちらは、花畑や秀畑とは異なり、強粘土質で、しかも石も多い畑土で、作業はしにくい。その上、草の種類も、イネ科の草など、土壌の豊かさを感じさせない草が多い。土や草を細断するには、回数を増やして耕すことになる。午前中いっぱいかけて、ていねいに作業する。

梅雨の中休みに、程よい土壌水分の所で、耕し、草の処理が終わり気分がよい。だからという訳ではないが、午後は、休日とする。農機具店の展示会に行き、刈払機を購入。今使っている機械は、10年以上使っているが、使い勝手はとてもよい。さすがに古くなり、ときどきトラブルがあり、キャブの清掃をすることも増えた。が、なによりも、エンジンが大きく、機械も大きいので、重い。背負い式で、ランドセルのように背中に背負って作業するのだが、この歳になると、重さが肩に食い込み、半日作業では、腕肩の痛みを強く感じるようになった。同じ背負い式でも、軽量タイプを注文してくる。

所で、6月29日の「雨休」。とんでもない勘違いをしていた。

かもたんさん、『絶滅寸前季語辞典』ありがとうございました。ちょくちょくとページを繰りさせていただきます。

それで、早速に「雨休」を調べてみたら、なーんだと云うことに。何だ、そのままの意味なのかと納得。私は、梅雨時の、雨がお休みをする時、梅雨の中休み状態を、表現することかと思った。しかし、雨で仕事を休む日の意。しかも、農村の風習ということで、雨乞いをして、雨が降ってくれたと、仕事を休み、祝う行事とのこと。とんだ勘違いだった。でも、著者の句、「もう四日目の雨休とはなれり」をちゃんと読んでいれば、私の理解が、勘違いということは、分かったはず。

がしかし、勘違いをしてしまった悔しさの、腹いせを一言。著者さんも、勘違いなのでは。

著者は、やっと雨に恵まれた「雨休」という季語は、(嬉しくもほっとした気分があふれている。)と説明している。そして続けて、(が、しかし、待ち望んだ雨であろうが、長く続いている雨であろうが、雨が降りゃ休むしかないのが農作業ではないのか、と思ったりする私って、根っから皮肉屋なのか。)として、前述の句である。

お答えすれば、「いいえ、皮肉屋ではありません。農業を知らないだけです。」

農村では、よほどの大雨続きとか、台風の暴風雨の時以外は、「四日目の雨休」なんてことはあり得ないと思いますよ。

私にとっては、畑一面の雑草を、鋤きこむことができた、この梅雨の晴れ間に、大いに感謝です。

 

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夏ミカン

2012-06-24 06:50:37 | 食、農への思い

6月23日(土)  

仏事の合間の日常。気持ちが乗らない。

夏ミカンが欲しいと云う人がいる、というので、知人の田んぼの脇にある柑橘の木、実が取られるのを見たことないので、尋ねてみる。夏ミカンだと思う。奥の方のは、親父が植えた甘夏だが。という。それならと、譲ってくれと頼む。こんな、酸っぱいミカンを欲しい人もいるのかと、快諾してくれた。そのミカンを採りに行き、箱詰めして送る。

温暖の地として、柑橘類は、いろいろと栽培されている。温州ミカンも多い。夏柑も多く、古くからの家の庭木としても、良く見かける。その多くは、今では、甘夏柑だと思う。「カワノ」という品種らしく、これは、カワノだから食えるよ、という会話をたびたび聞く。昔からの夏ミカンでなく、苗を植えた、甘夏なんだよ、ということらしい。その昔は、酸っぱい夏ミカンも食べたのだろうが、ある時期から、農協を通して、新品種の甘みの強い夏柑として、入れ替わったのだろう。昔からの夏柑の木は切り捨てられた。だから、ほぼすべての夏柑は「カワノ」だ。その「カワノ」も、今では、あまり食べられることなく、実を付けたまま夏を迎え、自然に木から落ちて、幹の周りにオレンジ色のハンドボールのように転がっている光景をよく目にする。

秀畑の草刈。ニワトリの餌の引き取りが夕方あったりして、なんとなく、細切れ、だらだら仕事が続いたような、合間の一日だった。

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連鎖

2012-06-14 19:49:32 | 食、農への思い

6月14日(木) 

晴天。湿度も少ないようで、さわやか。風が吹くと涼しくも感ずる。気持ちよい一日。

午前中は、鴨の卵の田んぼの草刈。午後は、花畑。畑の進入路や回りの畔の草刈を、モアでする。その後は、この晴天を逃さずと、ジャガイモの収穫。5時半過ぎに痛い腰を伸ばしながら、帰路に着く。

昨日の鴨の卵。午前中の草刈の時に見たら、タマゴは一個もなかった。親鳥が、別の所に巣を作り、運んでゆくわけはない、と思う。きっと、他の動物が、食べてしまったのだろう。タヌキか、猿か、猪か、それとも、カラスやトンビか。ヘビが飲みこんだとも考えられる。

鴨にはかわいそうだが、この十いくつかの、生まれることのなかった命は、他の命を生かすことになった。むだにならずに済んだ訳だ。いや、そのままその場で、朽ちてしまうとしても、微生物の命につながるとか、草やコケに吸われ養分となるだろう。前に、草刈作業で、ヘビやカエルを切り殺すと云ったが、そうした死体も、トビやカラスが食べているのをよく見る。

命はこうして、繋がってゆくのだな、と思う。それにしても、農業とは、命を奪う業である。

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ノンアルコールビール

2012-06-02 19:45:27 | 食、農への思い

6月2日(土)   いちじ 

昨晩のこと。ビールを飲みながらの、遅い夕飯も終わり、食卓を片づける。最後に、もう一缶、缶ビールを飲んでから、布団に入ろうかと、冷蔵庫を開ける。ひょいと手に取った缶。あれっと思う。少々酔いは回っているとはいえ、缶のデザインが、ちょと違う気がする。「ノンアルコール」との文字が目に飛び込んでくる。座卓の脇で、横になっている連れ合いに、声をかける。

「間違えて飲んだでしょう」  「えっ、道理で、何時もより眠いと思った」

最近の連れ合い、アルコールが入ると、頭痛が起きやすいと、アルコールは控え気味にしている。その代わり、ノンアルコールビールを各メーカー買って来ては、味見している。そして、今のは、ビール缶のデザインとごく似ていると、問題にもなったのではないかの、ビールメーカーのものを、冷やしている。

それにしても、ビールと、ノンアルコールの違いも判らずに飲む連れ合いには、感心というか、呆れると云うか。そして、もう一つ分からないのが、ノンアルコールビールを飲むと云う気持ちが判らない。

私は、ビールはおいしいと思うから飲むのだが、同時に、アルコールであり、酔い心地を味わいたいから飲む、のでもある。アルコールが無いなら、お茶でも、ウーロン茶でも、飲まなくとも、どちらでもよい。私にとって、アルコールがあるから、酔うがゆえに、ストレスを溜めることなく、新しい日を迎えることができるのだ。酔わないのなら、飲む意味は、七、八割がた無くなる。それほどに、私にとってのアルコールは大切なものだ。その一つが、ビールであるのだが、続きは明日に。

今日も、ほぼ一日、刈払機による草刈。一つの地区の、60aほどは、草刈完了。その地区は、明日、共同作業の草刈だ。その前に、自分の耕作田周囲の草刈をやっておきたかったが、予定完了。気分良く飲める。

 

 

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野菜高騰

2012-01-13 19:32:14 | 食、農への思い

1月13日(金)  

カラカラの状態は、まだ当分続きそうだ。週間予報で、傘マークが出ていて、喜んだのも、糠喜びになりそう。傘マークは無くなった。頼まれた、道普請も終わった。畑の進入路のグチャグチャになる個所も、ダストを敷いて補修した。少しばかり残ったダストを、今日は庭に敷いた。雨が降ると水溜りになる個所も、少しは改善されるだろう。

午後は、花畑に行き、まだ畑に残っていた、ジャガイモの収穫を終わらせた。雨が降る前にと、思っていた作業は、すべて終わった。乾ききっていたから、作業は順調だった。もう何時降ってくれてもよいのに、雨になりそうもない。

寒さの方も、しばらく続きそうだ、ニュースは、野菜の高騰を報道している。さもありなんと思う。秋の暖かさで、冬野菜の生育が早まった。そこに、師走の寒波だ。それがいまだ続いている。だから、野菜の生育が遅れている。ちょうど、谷間に落ち込んだ状態だ。

我が家の野菜も、生育が悪い。しかし、小さいなりに食べてもらっている。しかし、一般流通野菜は、こんなときでも、規格が適用される。消費者も、規格外は敬遠する。見た目の悪いものは、購入しない。

道の駅に、野菜やミカンを出している友人が行っていた。見た目の悪いものは、売れ残る。ミカンも、少しでも青みがかったものを、混ざっているものは売れ残る。その辺の心理をつかんで、徹底的に選別して、きれいなものだけを袋詰めすると、少々高くても、最初に売れる。他の生産者は、そこまでやっていないから、俺のは、ほとんど完売だ。撥ねミカンは出るが、そこまでやった方が、はるかに、売り上げは上がるよ。

消費者の、この心理がある限り、高騰と、無駄(豊作処分)の繰り返しは続く。

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「心の汚染」

2011-11-19 18:46:21 | 食、農への思い

11月19日(土)  

明け方には弱かった雨も、しだいに強くなり、今は、横殴りの雨が、雨戸を強く叩いている。こんな天気なので、出荷作業を手伝う。午前中に、作業を終わらす。

東京新聞の文化欄。本来は、夕刊の欄なのだろうが、夕刊配達なしの区域なので、朝刊の特報面に載っている。15日、16日と2日分けて、掲載された、(原発「警戒区域」の隣で)に、考えさせられた。と同時に、作者に興味を持った。私には、初めて聞く名前だったが、彼の簡単なプロフィールにも、関心を持った。一つは、原子力問題をテーマにした小説で新人賞を取っていたこと。一つは、福島市生まれの作家が、新潟県中越地震で、川口町の家を失い、川内村に移住した、ということ。川口町は、私が生まれ育った、堀之内町のすぐ隣の町。中越地震の時には、大きな被害があり、山間部では、離村せざるを得ない地域があったはずのところ。そんなことも、ひかれた理由でもあったと思う。

外の本降をよいことに、パソコンの前に座り込んだ、。検索する。いくつかの小説も書いているし、パソコン関係の実用書的(見ていないのでよくは判らないが)著述もあり、音楽家でもあり、作曲演奏もしていることを知る。そして、「阿武隈日記」、「阿武隈裏日記」というブログを発信していることを知る。早速に、アクセス。福島第一原発から、25kmほどの所の住まいで、震災にあい、住まいも被害があっただろうが、原発事故と、その後の、東電や、国政府の対応のいい加減さに振り回される。その様を綴る3月の日々の記録を、臨場感を持って見せてもらった。ほとんど、椅子を立つことなく、数時間は、引き込まれていた。

さて、

東京新聞に戻るが、原発「警戒区域」の隣で、は、ぜひ読んでみていただきたい。

  

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