ルンルンピアノ

ピアノ教室の子どもたちとの楽しい毎日。。。。。。

1179     小さな毛布

2008-11-18 16:01:14 | Weblog
※ 伊予三島駅付近には、昔ながらのこんな小さな旅館が多い。
  こういうひなびた旅館に、素泊まりで泊まってみたいなあ。
  クリック♪

きのうの天気予報どおり、朝からグッと冷え込んでいる。
夜に向けて、寒さはもっときびしくなるようだ。

チビが朝からやけにソワソワと歩き回っている。
なんだろうと思いソッと観察していると、どうも、となりの工事現場の人から食べ物をもらっている様子。
警戒心の強い犬のはずなのに、食に関してだけは別のようだ。

急な冷え込みのせいか、Nが腰が痛いと言い出し、お昼を済ませたあと宝乃湯へ。
待っているあいだ、久しぶりで女性週刊誌を読む。
小室関係の記事が多かったが、それによると、夫妻は細○数○の占いにゾッコンだったらしい。
ここ数年は何をするにも細○頼りだったというから・・・もしかして・・・・・あまり当たらないという事か???
ちなみに、小室○哉の手首には六星占術のイレズミまであるようだ。
温泉のあとはダイエーへ寄り、オデンの材料を買って帰宅。

夜は8時からHIROへ。
きょうはスポーツ紙が1紙しか無かったので普通の新聞を読む。
キリに包まれた奈良のシカ公園の写真に目が止まり、解説文を読んでいると
‘夜間から明け方にかけて最も気温が下がるのは、地表に蓄えられていた赤外線が空気中に発散されるため。
だから、地面近くの温度が1番低く、上へ行くに従って気温は上昇する’ というような事が書いてあった。
チビのことが思い出されNに言うと、「なら、小屋の位置を高くしようか」 とヘンなことを言い出す。
私は犬小屋の中に敷く物のことで相談したのに・・・
もしかすると、こんな高床式 でも思い描いたのだろうか。
確かにちょっとは暖かいかも知れないが、その代わりチビは毎回、階段かスロープで上り下りしなければならないだろう。
そのあと郵便局へ荷物を受け取りに行って帰宅。

チビに小さな毛布を敷いてやると、とっても気に入ってグッスリ寝ていた。


おわり
コメント (3)
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1178       お見舞い帰省

2008-11-18 08:29:18 | Weblog
※ アイスドリアンが気になってググってみると
  秋田の方が戦時中に南方で食べた「ドリアン」の食感をイメージして作られたアイスらしい。
それにしても、「ババヘラアイス」 「ドリアンアイス」 と
寒いイメージの秋田に名物アイスが多いというのもフシギな事実だ。
クリック♪


きのうのブログ。
愛媛母の症状が大分安定したとの事で、お見舞いに帰ることになる。
朝8時過ぎに家を出発。
途中の権現湖PAは深いキリに包まれていた。
ポルトフィーノ1着(!) のスポーツ紙を買う。
楽しみにしている瀬戸大橋からの景色も、きょうは薄ボンヤリとしか見えずつまらない。

11時半に愛媛到着。
病院へ行く前に腹ごしらえをしようという事になり、先日見つけたキング食堂へ行く。
ドアを開けるとプーンとオデンの香りが漂い、期待どおりの世界が広がった。
表面がツルッとした、昔の駅前食堂風のテーブル。
ひとつの背もたれを背中合わせに座る、頑丈そうな木枠にビニールシートを貼りつけた客車風ソファー。
中華そば、チャンポン、カレーライス、親子どんぶりなどと書かれたメニューが壁に貼りだされ
その下のガラスケースにはチラシ寿司、イナリなどの小さなパックが並べられ、上には黒電話が置かれている。
せまい店内には誰もいない。
1番奥まった隅っこの席に座ると、ちょっと小太りで人のよさそうなオバサンが 「いらっしゃーい」 と言いながら出てきた。

きょうは暑かったきねえと言いながら窓を閉め、「何にしましょ」 と聞かれ、迷わず 「オムライス」 と答える。
すると、「お客さん、ここは何で知りました?」 と、するどく聞かれる。
実は先日のお祭りで帰省した時にこの店を見つけて興味が沸き、帰宅後ネットで検索すると、誰かが ‘ここの名物はオムライス’ と書いてあったので注文してみたと答えた。
するとオバサンは非常に満足げな表情になり
「そうですか。 実はウチの息子は富○通に就職しててナンタラカンタラ・・・・・」 と口火を切ったあと
続けざまに色々な話を聞かせてくれた。
この食堂は昭和28年から続いており、今までにも、映画監督 (名前は忘れたが、大林宣彦の助手を勤めていた人) や、ネパールのカトリックの牧師さんなどが訪れているらしい。
「リッパな人たちはみんなその席に座るんよ」 と、私たちのテーブルを指す。
あと、三島高校の書道部が大会で2連覇の話題なども出るが、こういう時、「あ、ボクも三島高校の出身です」 などと、気軽に合いの手を入れないのがN流なのだ (だから盛り上がらない)
「長年こういう商売しよるとね、その人がなんの仕事してるか大体わかるんよ」
オバサンの誇りを傷つけぬよう、「じゃあ、この人の職業を当ててみてください」 と言うのはヤメておいた。
オムライス (福神漬けの代わりにウメボシが添えてある) やオデンは、いかにも愛媛らしい、こってりと甘辛い味付けでオイシかった。
本当はオバサンと記念写真を撮りたかったのだが、途中でお客さんが入ってきたのであきらめる。
次回はゼヒ中華そばに挑戦したい。

そのあと母の入院する病院へ。
病室は3人の相部屋で、母のベッドだけがカラだった。
Nが探しに行くと、(こういう時、私はジッと待ってる派で、Nはすぐに探しに行く派)
母はデイルームで、甥の竜也くんと一緒にテレビのサスペンスを見ていた。
点滴針を刺した母はまだ少しシンドそうに見える。
病室ではなかなか眠れないようで、それも原因なのかも知れない。
30分ほどシャベったあと、近くのスーパーへと靴下とパジャマを買いに行く。

家へ寄って竜也くんにオミヤゲを渡して別れる。
再び病院へ戻ると、エレベーターで加地のオバサン (母の妹、女傑!!) と一緒になった。
叱られないよう、シャンとして歩く。
オバサン 「病室はどこやったかいな」
私 「えっと・・・あ、ここですよ」
オバサン 「こんにちわ。 アレ? おらん」

よく見ると、となりの部屋だった。
キンチョーのあまり間違ってしまったようだが、怒られなかったのホッとする(?)

母にパジャマや靴下を渡しているあいだに、となりのベッドの患者さんと叔母は、もう昔からの知り合いのように話し込んでいる。
テンポの速い愛媛弁を聞いていると、まるで異国の地に迷い込んだよう (ふだんの母との会話でも支障をきたし気味の私なのだ)
Nはパイプイスでこっくりこっくり。

4時過ぎに病院を出る。
母も全快というワケではないが、こじらさないで済んで何よりだった。
同じような世代の人たちと助け合って暮らせる環境が、今回も母を救ってくれたのだ。
ありがたい気持ちでいっぱいである。
帰り際、道の向こうに近所の人たちが見えた。
Nが、「チビは元気ですから」 と叫ぶと、うれしそうな顔をしてくれた。

帰りは与島SAでキツネうどんの夕食。
大好きな、鳴門うず芋 を買い、早速車内でパクつく。
おいしいねと言いながらオシャベリに夢中になっているうち、ガソリンの入れ忘れに気づきあわてる。
なんとかギリギリで竜野西PAで確保。
この時ほどガソリンスタンスタンドをありがたく感じたことはなかった。

宝塚ICを9時に到着。
そのままHIROへ直行して一服、お疲れさま。

帰宅すると、チビがものすごく喜んで跳ね回っていた。
もうすっかり森家の住人だ。



おわり
コメント (2)
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