徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

運命のひとひねり/監督交替について(1)

2014-08-03 18:45:53 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


アフシン・ゴトビが更迭された。
シーズン再開後の川崎戦、ガンバ戦の惨敗で解任やむなしのムードが濃厚に漂っていたのは事実だが、先週の柏戦での快勝を見る限り、またもや首の皮一枚残ったかと思っていた。

やはりポイントは神戸戦だったと思う。
今季好調をキープしていた神戸相手に終始ゲームを支配し、終盤に何度も訪れた決定機をひとつでも確実に決めていればその後の状況は生まれなかったと思う。それはリーグも、ナビスコカップも、そしてゴトビの解任も、である。
そして3年前の春、ホームで5失点の惨敗をしながらも、ゲーム終了後のゴール裏は「ゴトビのエスパルス」の船出を拍手で支えたのも神戸戦だった。何てったって、その半年前にボロボロに傷ついたサポーターはアフシン・ゴトビと彼のチームに期待せざるを得なかったのだ。アフシン・ゴトビという人はそれだけのメッセージを持っている人だった。
ただアフシンは運の悪い人だったと思う。

去年の春、ホーム広島戦のゲーム終了後にバス囲みが強行されたときに、ある中年女性が吐いた言葉が忘れられない。
おそらく枝村のファンであろうその女性は、アフシンや通訳の遠藤さん、原強化部長に向かって「誠意がない!」と叫んだのだ。
その言葉に対して猛烈な違和感を覚えたのは言うまでもない。
お客さんとしてその場にいるのならば、そのカスタマーメンタリティたっぷりなクレームも「アリ」なのだろうけれども、当事者たるサポーターはフロントに「誠意」など求めているわけではない。
チームのために何ができるのか、フロントはクラブのために何をするのか、その真剣を求めているのだ。
もちろんアフシンは結果責任を取る立場にある。

健太体制の大崩壊からのチームの建て直し、東日本大震災の発生といったエクストラな2011年シーズンを経て、2012年は「結果」が出てもおかしくないシーズンだった。事実前半戦を上位で快走し、夏から秋にかけては若手中心でナビスコカップのファイナルにまで進出したのだからアフシンのマネージャーとしての手腕は疑うべくもない。付け加えてユングベリの加入はアフシンなしには考えられなかっただろうし、彼が出場したホーム名古屋戦でオレたちはこのチームの未来を見たのだ。

「結果」としてアフシンのチームはそれほど悪いチームではなかった。
事実、健太体制で強化部長を務めた山崎氏(鈴与からの出向社員)は、エスパルス在籍時のインタビューで「数年に一度カップ戦を獲り、時々優勝争いをするチーム」という、実に情けないヴィジョンを語っていたではないか。
サポーターとしてはとても承服できないけれども、それは清水エスパルスの経営という現実に根差した率直なヴィジョンだったと思う。そして、その「ヴィジョン」は現在でも概ね変わってはいないだろう。
2008年のナビスコカップ決勝も、健太体制最後の天皇杯決勝も、アフシン体制でのナビスコカップ決勝も(後者は両方とも鹿島が相手だったが)、もう、ほとんど、間違いなく、優勝を確信して国立のスタンドにオレたちは立ったのだ(両方とも負けた)。自虐的に書いてしまえば、それが清水エスパルスのいう「結果」だったはずなのだ。

またアフシンのチームは一方で0-4の3連敗、ナビスコカップファイナル以降の勝ちなしなど、毎年不可解な負けっぷりを繰り返し見せ続けるチームでもあった。そこには今季の駿のような負傷離脱だけではない、特殊な事情でのプレーヤーの途中離脱が毎年繰り返されたという事情もある。
残念ながらシーズンを通して、このチームに安定感を感じたことはなかった。
これはアフシンのマネジメントの責任だけではなく、チームが経営に振り回された印象しか残らない。裏事情は漏れ伝わる程度でしか把握していないけれども、それが実感だ。今回、早川巌特別顧問の退任も同時に発表された。エスパルスのリーダーとしてはその手腕に対して毀誉褒貶の激しかった人でもあるけれども、健太、アフシン体制を通した時代の終焉を感じざるを得ない。しかし、これはフロントの総括なのか。責任を取るべき人物は他にもいるだろうと思う。

そして大榎克己は「強いエスパルスを復活させる」と宣言した。
(続く)

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