徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

百姓一揆というセクト/「ぼくたちの近代史」

2011-04-30 21:49:02 | Osamu Hashimoto
<全共闘っていうのが不思議なのは「セクト」という形で規定されない、「それ以外のもの」――つまり「非セクト」なんですよね。「それ以外」っていういっしょくたが全共闘なのね。で、全共闘という概念のその外側が何によってくくられるかというと、これは「一般学生」というカテゴリーによってくくられる。「一般学生」以外でしかも「セクト」ではない――だからノン・セクト・ラジカルなのね。
 セクトであることを拒否していて、ラジカルで――要するに本来的でありたいっていう、なんか、「あァ、百姓一揆の理念ってこれだよね」っていうようなもんだけれども、それがあるから「全共闘」というセクトはない。「全共闘」というセクトが出来上がること自体が自己矛盾なのね。ノン・セクト・ラジカルであるということは、「セクト的であるということを一切拒否するのである」っていうことなんだけれども、それがいかに大きなプールでも、外を閉じられてしまえば、それは「全共闘」という膨大な一つのセクトになっちゃうわけね。だから、安田講堂にとどまることだって膨大な一つのセクトになること。「セクト的であることはやめよう。我々は、仮に『全共闘』というような、枠組を持たない、熱気によって出来上がっている一つの集団でありたいね」みたいなもんだったと思うんだよね。
 だから、全共闘はあくまでも、枠組を拒否してきたんだけれども、戦いが始まってしまうとね、敵と味方っていうのがはっきりしますからね。そうなってくると、もうセクトになるしかない。>

<ところが全共闘の場合、理論によって出来たセクトじゃない。だから、それがセクトになった後で、全共闘というセクトは、理論を作らなくちゃいけなくなっちゃったのね。作らなくちゃいけなくなったんだけど、理論てないんだよ。はっきり言って。だって「大人は判ってくれない」なんだもん。理論を作るんだとしたら、「大人は判ってくれない」ってとこからスタートする理論を作ってかなくちゃいけないんだけど、でも既にその頃の状況は“政治の季節”になっちゃってますからねェ。そういうことは全部政治用語で語らなくっちゃいけないんですよね。(中略)その時代誰が一番カッコよかったかっていうと、日大全共闘の「秋田明大」さんなんですよね。彼は、理論を言ってたんじゃなくて、「僕達には理論がないけれども、でも理論というものを持ってもいい筈だ」って、そういう演説をしてた人だからね。そのことが多分、一番カッコよかったんだと思う。>
(橋本治「ぼくたちの近代史」主婦の友社1988)


ぼくたちの近代史
<本書は、橋本治スーパー6時間講演会「ぼくたちの近代史」(於:池袋コミュニティ・カレッジ,1987年11月15日)の内容に補筆したものです。鬼才橋本治が語り尽くした「近代の検証と行方」の感動の書。>

登録情報
単行本:218ページ
出版社:主婦の友社 (1988/09)
ISBN-10:4079275471
ISBN-13:978-4079275477
発売日:1988/09
商品の寸法:19x13.2x1.6cm

途上/第8節 横浜FM戦

2011-04-30 05:34:14 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


日産スタジアムで横浜マリノス戦
前節の福岡戦は参戦できなかったので柏戦以来のリーグ再開。日産スタジアムの観にくさはもちろん相変わらずなので失点シーンは帰ってからyoutubeで確認するまでよくわからなかったのだけれども、残り10分で守り切れなかったのは、やはりゴトビが言うとおりチームとしての経験不足を露呈してしまったとしか言いようがない。それまでマリノスの強力なセットプレーをある程度しのぎ切っていただけに、やはり勝ちを逃したような気分である。
マリノス側にとってみれば左サイド(清水の右サイド)を中心に攻勢に出ていた場面も多く、それはそれで勝ちを逃した、PKは誤審と言いたい気持ちもわからないでもないが、レフリングに関しては明らかに清水の方が厳しく取られていたような気がする。望外のPKゲットで、奴が残り10分の間にバランスを取ろうとしないか、それが気になったほどである。で、確かにPK以降のレフリングは確実に(マリノスに甘かったとは言わないが)清水にはより厳しい判定が続いた。清水PA周辺のFKが続き、アディショナルタイムにGKと1対1になりかけた場面で止められたのにはさすがに激昂した。レフリーはゲームの演出家ではないのだ(メインスタンドの副審もかなり酷かった)。ホーム開幕戦のマリノスはもちろん、清水も福岡戦から確実に内容が向上していた好ゲームだっただけに余計なコントロールには興醒めである。
もちろんゲームマネジメントやコンビネーションには不満がある。元紀の好調ぶりは目立つが、フィジカルに不利があるとはいえボールロストも少なくない。これは元紀のみならず、それぞれが孤立しがちなことも原因だろう。しかし強力な個の力が問題を解消(糊塗)しない限り、こればかりはチーム全体で時間をかけていくしかない。
まあ、それでもこのチームがまだ途上であることを考えれば、好調のマリノス相手にこの内容は悪くないと思っている。

ゲーム終了後、伸二の肩に腕を回してゴトビがゴール裏にやって来た。この人は本当にJリーグを楽しんでいるのだろうし、ゴール裏へのアピールという大事なマネジメントを忘れない人だ。
先週末にはクラブの収支報告が行われ、5年振りの赤字が公表された。しばらくは厳しい時期が続くかもしれないけれども、それでもオレが彼らに拍手を送り続けたいと思うのは、やはりゴトビへの期待感なのだ。
リーダーって本当に大事だよ。

次戦は来月5月3日にアウスタで広島戦。今度はアウスタに参戦する予定。東名が渋滞しなきゃいいけど…。


いや、しかし突き抜けるような青空ではなかったけれども、休日らしいいい天気だった。
まさか、そんなに遠くない場所で重大事故が進行中で収束の見込みもないとは思えないよね。
スタンドも子どもだらけだったし、スタジアムの周辺には鯉のぼりが泳いでいたりして。まあ「子どもたちを守る!」みたいなことは言えないけど(いればいたでサッカー小僧のがきんちょ共はウザイし…)、やっぱり、こういうサッカーの風景は守りたいとは思うよなァ…ちと大袈裟かもだけど。

久々に大声で歌って、すっかり声が枯れた。でも気持ちはいい。

イカの煙幕と総懺悔meets放射能/ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人」

2011-04-29 04:25:59 | Books
<日本は、原爆体験という基盤のうえに立って、世界の非武装・非核の唱導者となることで、過去の失敗を(あるいは犯罪を、あるいは悪行を、あるいは罪を)一部なりとも償うことができる、という考えがしだいに平和運動の中核をなす教義となった。しかし、「懺悔」の語法で表現されるこのような考え方は、占領が始まる前からすでにあったのである。八月二七日、『朝日新聞』は、内閣情報局総長が外国による占領にいかに対応すべきかの心構えについて国民に指示を出したことを報じる社説で、こう提言した。戦争は相対的なものであり、深刻なる反省をしなければならないのは常に、勝者ではなく敗者である。これは必要であり、望ましいことだ。「われら一億はみな等しく「懺悔」三昧の生活に」入らなければならない。もしかしたら、今後の世界人道のため核兵器使用禁止において指導的役割を果たすことで、日本人は「戦争の敗者」転じて「平和の勝者」になりうるかもしれない。>

<八月一五日に辞職した鈴木貫太郎首相は、同じ日の夕刻のラジオ放送で、「今回戦争における最大欠陥であった科学技術」について語った。退任する文部大臣も同日付けの声明で、戦争中の学徒の苦労をねぎらい、これからは日本の「科学力と精神力」を最高の水準に押しあげることが責務である、と激励した。三日後に就任した新文部大臣、前田多門のもとでの戦後教育は「基礎科学に力注ぐ」と新聞の見出しが報じた。そして八月二〇日の「科学立国へ」と見出しを掲げた『朝日新聞』は「われらは敵の科学に破れた。この事実は広島市に投下された一個の原子爆弾によって証明される」と断じ、「科学」とは、組織の各部、社会のあらゆるレベルにおける「理性」と「合理性」を含めた、きわめて広い意味で理解しなければならない、とわざわざ指摘した。(中略)
「敗戦の責任」にたいするこの実用主義的こだわりが、基本的に保守的で自己本位なものであることは疑いを容れない。しかし、これはつづれ織りの織り糸の一本であった。一本が緩めば織物全体が、この場合は日本帝国という織物が、ぐずぐずとほどけてしまう。国民を犠牲にした張本人はもはや鬼畜米英ではなく、本質的に後進的で、非理性的で、抑圧的な制度的構造のなかで動いてきた無責任な指導者たちになった。>

<八月二八日、アメリカ軍先発隊の第一陣が厚木航空基地に到着した日、公的論議の中心は「懺悔」であった。日本人記者たちに「敗戦の原因」を問われた東久邇首相は、注意深く説明した――それには、多くの規制や統制、軍部や政府当局の誤り、それに、たとえば闇市などに見られるような国民道徳の低下など、多くの原因があった。そして、前日の情報局の声明に使われたことばを借用して、こう断言した。「軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思う。一億総懺悔をすることがわが国再建の第一歩であり、国内団結の第一歩と信ずる」。
 それまでの二週間、軍部と文民官僚が一丸となって好ましくない証拠文書の廃棄作業に忙しかったのだから、まさにその瞬間において、この「責任」の均一化、集団化の議論はある種ねじれた真実であった。誰も責任をとりたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。この数年後、政治学者の丸山真男が、政府の「総懺悔」キャンペーンを、緊急場面に遭遇したイカが危険から逃れようと噴きだす墨の煙幕に喩えた。個人の責任を真剣にとらえ、厳しく自己批判していた個人や団体も多少はいたが、公式版の総懺悔は、基本的に、まるでイカの墨のようにどこへともなく霧散してしまった。>
(以上 ジョン・ダワー/三浦陽一・高杉忠明・田代泰子・訳「敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人(下)」岩波書店

Instant karmas

2011-04-27 21:11:49 | Music



今、タイジがHeroesを歌ってたのでインスパイヤされた。

改めて現状ってのは
We can be Heroes, just for one day
で、
Well we all shine on Like the moon and the stars and the sun
なんだと。
NHKの生放送で東儀秀樹が弾き語りで歌いたくなったように、今キミが何か歌いたくなったのなら、それは正しく現在に生きていることなのだと思う。

「エネルギーだけはある」という不健康な快適/「'89」

2011-04-27 02:11:36 | Osamu Hashimoto
<今、日本の産業構造は、何かを前提にすることによって袋小路に来ているんだよね。「この先どうするか?」の選択をちゃんとしないと、一切が全滅しちゃうかもしれないと思う。
 たとえば原発を廃止したいといっても「じゃァ、電気がなくなったらどうしますか? この快適な生活をやめられますか?」って話になると困っちゃうでしょ。原発問題の最大のネックは、代替エネルギーをどうするかの問題だと思う。一部の万能科学バンザイ論者以外、あんな危険なものない方がいいと思ってることは確かでしょ? でも代替エネルギーをどうしたらいいか分からなくて、「原発は危険なものでもある」ってことが認められないってだけでしょ?(中略)
 原発の代替になる「安全でクリーンなエネルギー」なんて、決まってるじゃない。「人力」だよ。そうでしょ? 早くそっちの方へ持っていかないとヤバイよ。(中略)今の若いやつは、「働く」ってことを知らないんだから。その意味を知らないでいやいややってたら、日本の産業が没落するのなんて、当然でしょ。原発作って「エネルギーだけはある」という状況を作り出してしまうってことは、実はそっちの方に日本を持っていってしまうということでもあるんだから。(中略)
「原発がなくなったらだれが一番困るのか?」の答は、病院の植物人間とか、足腰が弱った都市の老人だよね。自分からはなんにもしないで、全部を周りのエネルギーに頼っているんだから。膨大なエネルギーを必要とする人為的な「環境整備」を本当に必要としている人間がどれだけいるのかっていうの。今のエネルギーの「需要予測」っていうのはさ、そういう植物人間型の増大を前提に算出されてるんだよ。「便利」とか「快適」という名のもとにさ、ホントにみんな、植物人間になろうとしてるじゃない。「なるべく働きたくない……」という怠惰を前提にして、「快適」を作ろうとしてるじゃない。エネルギーを持って働いてる人を「キタナイ」「貧しい」「下層」ってことにして切り捨てて、「人間がもっと自力で動いたら、原発がなくてもやっていけるかもしれない」っていう試算は、誰もしようとはしない。人間関係が怖いから、人間に触れないようにして、とんでもなく無駄なエネルギーの使用を平然と「前提」に置いてるね。(中略)
 要するに今みんなが求めているものは「何もしなくてもすむ老人のための快適生活」なんだよ。もっとも、その快適生活を享受しようとしてるのは、引退した老人じゃなくて、働き盛りのサラリーマンだったりはするけどね。なんというメンドクサガリ屋なんだろう。「無能」と「メンドクサイ」が「科学技術」と称するものの上に乗っかって近親相姦やってるだけだぞ。>
(橋本治『89』マドラ出版1990「人工エネルギーで“快適”生活を」)

<歴史って、それをちゃんと「過去のものにする」という作業がない限り、永遠に祟るような、そんなものなんだから。>
(橋本治『89』マドラ出版1990/「労働の意味と世界史の展開について」より)

自販機に缶ジュースやペットボトルを配達をしている兄ちゃんやパチンコ屋でドル箱を運んでる兄ちゃんたちが身体を動かしている“エネルギー”は、結局都庁の爺さん共には「試算」できないんだよね。そんなものに庶民が同調する必要なんかない。震災という「過去」をなし崩しの先送りにして、逃げ切るその日までこの日常が続くことを祈っている爺さん共は本当に「歴史から祟」られてしまえばいいとさえ思う。

ところで治ちゃんの専属“飛脚”をしていたという青年(当時)はしっかりライターになったのだろうか…。

'89〈上〉(河出文庫―橋本治コレクション)
<昭和が終わり、天安門事件が起こり、リクルート事件がピークを迎え、美空ひばりが死亡し、東西の壁が崩壊し、宮崎勤事件が発覚した一九八九年。さまざまな時代の亀裂を見せたこのとんでもない一年に真向からぶつかり、体を張ってラジカルに問いかけ、問題の中心をひっぱり出す。“いま”という歴史をどう読み解くかをすべての人に示してくれる恐るべき89年の総括。>
登録情報
文庫:323ページ
出版社:河出書房新社 (1994/01)
ISBN-10:4309404014
ISBN-13:978-4309404011
発売日:1994/01
商品の寸法:14.7x11.2x1.5cm

'89〈下〉(河出文庫―橋本治コレクション)
<男の子にも女の子にも、僕にも君にもあった1989年を総括し、“今”の生き方を問う。>
登録情報
文庫:391ページ
出版社:河出書房新社 (1994/01)
ISBN-10:4309404022
ISBN-13:978-4309404028
発売日:1994/01
商品の寸法:15.6x11.2x1.8cm

ライオンハート初勝利/第7節 福岡戦

2011-04-25 23:09:41 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
スカパー!で福岡戦
当日は現地に行けなかった上にキックオフ1時間前までスカパーの契約を忘れていたので今日やっとフルで観戦(2時間後に契約が間に合ったので、SBSのネットラジオを聴きつつ当日後半は観られた)。

サイドの高い位置からアグレッシブにボールを奪い、ショートカウンターからサイドを突くという福岡の戦いが徹底されていて、もうどっちがホームなのかわからない。まあゴトビエスパルスも一からのスタートで成長途上である上に、昇格チームは(再)スタートダッシュに全力を傾けるというのは毎年恒例のことなので実に嫌な相手ではあった。
まあ、元紀の背の小ささが確実に武器になる(こともある)のがわかったフリーキックでありました。
スタジアムで観ていたら最高に焦れただろなあ。タイムアップまで何回テレビを付けたり消したりしたかわからんわ。

中町(福岡)「(ベタ引きして守っても、活路は見出せないと?)その能力はうちにはないですね。ベタ引きで跳ね返して、(低い位置で)ボールを奪ってから相手のゴールまで行く能力というのは、うちは他よりも少し劣るところだと思うので。個で打開できる外国人がいるわけでもないので、高い位置で奪って、人数をかけて攻撃するというところは明確だと思います」(J'sGOAL 4月23日付

仕事で関係もあり、好きな街でもあるので福岡はセカンドチームぐらいの勢いで応援している。この日のアクレッシブさが続けば(続かないが)期待できるんじゃないかな。

一方、わが心の清水は今の時点ではとにかくできるだけ負けずに勝ち点ゲットでチームを固めていくことが第一。
ちなみに公式では7節ですが、リーグ戦2試合目です。最下位脱出!

受け取りが遅れていたけれども、アフシンの<ライオンハート>Tシャツも到着。なかなか男前でいいっすよ。





東京の無意識/くり返すな!原発震災 つくろう!脱原発社会 4.24

2011-04-25 16:09:34 | News
日曜日は芝公園へ行った。
到着した頃には集会は始まっていて、23号地はすでに人で埋まり、集会らしい風景になっていた。
4500人に及んだ参加者は東電前で待ち構えるテレビカメラの前でアピールをし、4月10日の前回とは比較にならないほどニュースで取り上げられた。当然である。そこがニュースの現場なのだから。

そして30日には渋谷でTwitter発のデモが行われる。
そこで思い出したのが喜納昌吉の言葉。以前もブログに書いたけれども再掲する。20年前のライブビデオ「ニライカナイ」の中で、彼は実に漲るような確信に満ちた表情で、オーディエンスに優しく語りかけた。
<まずは東京の無意識を破壊すること。
東京の下には莫大なるスピリットの実がある>


果たしてデモは渋谷や高円寺という<東京の無意識>に働きかけることはできるのか。
もちろん無自覚なコミューンごっこではなく、本当に、そこに<スピリットの実>があるならば破壊してみたいという希望はまだ持っているけれども。

福島から来た男性は集会ではっきりと「東京が変わらなければ福島(日本)は変わらない」と言った、その言葉には心から同意する。23号地で受け取ったチラシの中には革マルのチラシがあった。東電本店に到着する手前では右翼の団体がしきりに煽りかけてきた。東電周辺の状況はリアルに沸騰し始めている。ただし敵を見間違うべきではないとは思う。
そんな中、渋谷の無意識に訴えかけることが本当に今リアルなのかはまだわからない。

状況がわかっていながら様々な事情で反対を表明できない人もいるだろうし、デモそのものがこっ恥ずかしいと思っている人もいるだろう。「現場」に近ければ近いほど物言うことすら憚れることも物凄く理解できる。
でもさ、スーちゃんの最後の言葉を聞いて、やっぱりいい歳して後悔したくないって思ったよ。

再び23号地へ

2011-04-23 20:53:45 | News
大寝坊で今日は静岡へ行けなかった。
ということで青葉公園のデモには参加できないけれども、明日は再び23号地でデモがある。

30日にはTwitter発で渋谷デモも行われる。<人通りのない休日の銀座ではなく渋谷でデモ>はTwitterでもよく書き込まれたことで、それがついに実現することは素晴らしいことだと思う。
一方で彼らの多くは先日の高円寺デモが1万5000人もの人間が集まりながらニュースに取り上げられないことを嘆いている。つまり彼(オレ)らはテレビを嫌悪しながらも、テレビの破壊的な影響力もまた自覚しているわけだ。しかしよく考えていただきたい。1万5000人というのはそれなりの数の力はあったけれども、そこにはニュースになるべき関係(敵)がない。
テレビは<絵>になる風景を求めている。だから東電前は警官が取り囲み、それを取り囲むようにテレビカメラがある。

残念ながら現時点ではニュースに<する>のではなく、ニュースに<なる>場所へ行かなければ意味がない。
この動きをニュースにしたいなら明日は23号地へ、東電前へ行くべきだと思っているよ。
もちろん<渋谷>も大事なアクションだけれども。

また明日はあの女連れの野次爺と遭遇するかなァ…。

2011年4月24日(日)
会場:芝公園23号地(都営地下鉄三田線御成門下車5分)
集合開始:14時30分/デモ出発:15時30分
コース:経済産業省別館前・中部電力東京支社前・東電本社前・銀座数寄屋橋交差点(ソニービル前)・東京駅前・中部電力東京支社前・常磐橋公園で流れ解散(東京駅先)
雨天決行 参加費無料
主催:原発とめよう!東京ネットワーク
連絡先:プルトニウムなんていらないよ!東京/大地を守る会/原子力資料情報室/日本消費者連盟/たんぽぽ舎

震災後の無責任のために(再掲)

2011-04-19 20:43:48 | News
<3バカトリオ>というとても嫌な言葉が流行っていた数年前、同時に<自己責任>という気味の悪い言葉もワンセットで流行していた。あの頃、ネットだけではなく、リアルでそんなことを言うようなヤツは本当に頭が悪いのだと思っていたのだが、あれは、やはり実に過剰な自己防衛の裏返しだったのだと、いま、つくづく感じる。
結局、他人に対しては自己責任、自己責任と言っていたわりには、誰も責任は取らないし、いつも他人の責任なのである。

「個人の幸福に関して何の責任ももたぬ体制に対しては無責任な態度で居直るよりない」(小林信彦『日本の喜劇人』第7章「クレージー王朝の治世」)

という60年代のしたたかな美学も、ここにはもうない。

Baby

2011-04-16 12:07:59 | Music



何がわからないかと言えば、レベル7を宣言しながら相変わらず事故を小さく見せようとしている神経がわからない。
そら汚染水の上昇だって止まるわけがないわな。
彼らは本気で停める気あるんかね。結局本気ってのは人と金とスピードだぜ?
パチンコと自販機とファシストのストレス解消に誤魔化されるんじゃない。
ま、レベル7も有耶無耶になっちまったけど。

<日本は言葉がから回りする国だからさ、言葉を巧みに操った奴の勝ちなんだ。こんなんでマジに生きようとしたらキチガイになるよ、俺みたいに。>(江戸アケミ詩集「それから」思潮社1993)

目が覚めた/3.11チャリティーライブ LIVE FOR NIPPON

2011-04-15 06:24:05 | Music
下北沢の風知空知「3.11チャリティーライブ LIVE FOR NIPPON」
今回も店に着いたときにはほぼ座席は埋まっていたので立ち見。
黙祷に続いて、まずはタイジの「昨日よりちょっと」「お尻を引っぱたけ!」。
そして黒猫チェルシーの澤君が登場。何だか遠慮しているのかアコギのアタックが弱い。若いんだからもっと思い切り叩きつけるようにカッティングすればいいのに、と思っていたら、岡林の「それで自由になったのかい」で一気に盛り上がった。続いて浜崎貴司。もう圧倒的な安定感。そして寺岡呼人が「大人」「ハローグッバイ」、そしてチャボの「ティーンエイジャー」などをカバーしつつほのぼのとした空気を作ったあと、会場は一気に熱を帯びる。いや、個人的には凍りついた。

渡辺俊美の熱すぎるうたと、その直後に現れたキャンドル・ジュンの慈愛に満ちたメッセージはギャップが激しすぎた。
「Key word」「死んでしまうことがわかっているなら」「Innocent Love」の熱い流れに加えて、あまりに素朴な猪苗代湖ズの「I love you & I need you ふくしま」で胸が熱くなってしまった。一方、キャンドル・ジュンも訥々と30分以上に渡って自論をオーディエンスに説明した。まるで諭すように。

福島県双葉郡で生まれ育った渡辺俊美は、原発で育った当事者としての過去を受け入れつつ原発にNOを突きつけた。
LOVE FOR NIPPONというプロジェクトをいち早く立ち上げたキャンドル・ジュンは、これまでの日本人のライフスタイルを見直しつつも、現状(東電)を批判(NO)をするのではなく、シンプルにチェンジの選択(YES)をするべきだと語った。
被災者への想いはふたりとも重いものがあったし、共鳴できる。そしてそれぞれにリアルはある。またそれぞれのアプローチに違いがあるのは当然だと思う。しかし当事者としての渡辺俊美の絶望にこそ心から同情とリアリティを感じるが(彼はNOでもYESでもなく、当事者らしくMAKEと言った)、キャンドル・ジュンの主張は現時点では到底納得はできない。もちろん「チェンジ」という結論こそ同意するが…。

その直後、佐藤タイジは「Keep on Rock'n in The Free World」と叫んだ。
オレはやっぱりタイジにこそ一番共鳴するよ。ロックは<ユースレスなインフォメーション>に満ちたこの世界に疑問と不同意を突きつける表現なんだから、オレたちは批判の言葉を否定すべきじゃない。第一そんなもの、まったくクリエイティブじゃない。
まあMCの中村勉さんが、時に突っ走りそうになるタイジの言葉を抑えつつ、ラブ&ピースな内容で穏便に済ませようとする意図は物凄くよくわかるのだが、さすがにそれはロックンロールではないだろう。
フル回転で考え続けろ(ロックし続けろ)、転がり続けろ(ロックンロールし続けろ)、この不自由な世界で、というわけだ。




近田さんの言葉を再び引用する。
<ところで、我々の住むこの世界とはどんなところなのであろうか。ひとつ言えるのは、それこそローリング・ストーンズの歌ではないが、あふれかえるユースレスなインフォメーションにウンザリしながらも、結局はその源であるメディアの一方的な支配に甘んずること以外、ここで現実を暮らすのは至難の業だということだろう。(中略)
実は世界の“秩序”やら“正義”やらは世界の都合で出来ていて、いかにも変幻自在なものなのだが、なんとも仕組みが巧妙で、ついつい絶対的なものに見えてしまう。
「そんなことはねぇだろう!」
内田裕也は様々な表現を通じて、そのことをずーっと訴え続けてきたのだと思う。そして内田裕也の何が素晴らしいかと言って、そうした作業のすべてを<<ロックンロール>>と呼んだ、その直観に尽きる。>
内田裕也「俺は最低な奴さ」白夜書房 プロローグより)

最後に登場してタイジとセッションしたAO(from Dachambo)は心から楽しかった。久々にボ・ガンボスの「目が覚めた」のカヴァーを聴いて本当に目が覚めたような気がしたな。
ライブとしては前回よりも格段にパワーアップしたような気がする。コロナ1本しか飲まなかったがいろんな意味で熱くなった。次回は5月12日(木)です。







どんと、やっぱしかっこええ…。

サッカー以上/HOLLAND HELPS JAPANアヤックスvs清水エスパルス

2011-04-14 12:29:21 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
ツビタニッチは「ゴールを決めるのは重要じゃない」と言った。
内容はもちろん重要ではない。ましてやシーズンの佳境に入っているアヤックスと急遽決まった対戦で移動距離も長く、チーム作りの途上であるエスパルスでは条件に違いがありすぎた。
しかしチャリティマッチであるとはいえ、エスパルスやアヤックスの若手にとってはトレーニングマッチでもある。
ほとんど何もできなかったのは悔しいな。
フランク・デブールは「真剣勝負だと思ってやった」と言う。
若手中心のチーム構成とは言え(エスパルスの中心も同世代の若手なんだが)、ほとんど為す術もなく完敗。今更当たり前ではあるんだが、ひとつひとつのプレーの正確性、ゲーム運びでは、条件の違いがあったにせよ、明らかな力不足を感じざるを得ない。
でもやはり「真剣勝負」だったのは嬉しかったな。
このゲームは日本へのメッセージであると共にエスパルスにも力を与えてくれたと思う。
まあ福島の惨状については日本サッカー界としてはちょっとした後ろめたさもあるんだけれども、このゲームはフットボール以上のものも見せてくれたと思う。
アヤックスとアムステルダムとオランダの皆さんに最大の感謝を。

ゴトビ監督「このイベントはサッカー以上のものだった。世界中の人々がつながっている。日本のみなさんにとって特別な日だった」(日刊スポーツ 4月14日付

<入場料などの収益と約2週間の募金活動で合計約600万ユーロ(約7億2600万円)が集まり、オランダ赤十字を通して義援金として寄付される。>(日刊スポーツ 4月14日付