徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

toshさん

2011-05-30 04:42:58 | 素日記
博多のnois/noizのtoshさんって店譲ってたんだ…ということを今知った(一昨年の話だとか)。知らんかったなァ…博多行くたびに寄るわけでもなかったんだが、んー行っておけば良かったな。

あ、ロックスターだったことも今知った。
ロッカーだったけど。

その後をご存知の方は教えて下さい。

自己表現/第13節 磐田戦

2011-05-29 13:19:21 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14


ゴトビ「全体的にホントに素晴らしい雰囲気の中での静岡ダービーだったと思います。ファンの我々に対する愛、そして彼らが持ち込んでくれたエネルギーというものをホントにありがたいと思います。チームのことを誇りに思います。(中略)我々はしっかりと試合ごとに成長して来ていることを、そして毎回成長して、良くなって来ていると思います。将来的に太陽が我々に照ってくれれば良いなと思います」(Sの極み 5月28日付)

昨日はアウスタで静岡ダービー
ドローで終わってしまったとはいえ、神戸戦で5失点を喰らってしまったホームゲームで、好調のジュビロをシュート2本(CKは0!)に抑え、内容についても序盤こそミスの多い展開だったが、前半の半ばからはほぼゲームを支配したことはもっと評価されていい。柳下体制によって完成しつつあるジュビロに対して、発足から4ヶ月のゴトビエスパルスは同等かそれ以上に戦えた。チームとしての未成熟を補うように伸二、タカ、大悟という成熟したプレーヤーが若いチームを落ち着かせ、元紀、トシはチームを活性化させる。もちろんチームでは中堅であり、中心である岩下はチャレンジングなフィードを前線に送り続けた。結果こそ出てはいないがチームは今、実にバランスの取れた状態にある。

それにしてもジュビロはファウルスローが多かった。まるでスタジアムの雰囲気に気圧されているような印象さえ受けた。
今回のダービーがピッチ外のことばかりが語られているように、一枚の横断幕がきっかけにキックオフ前からスタジアムは異常にテンションがあがっていた。直前の入梅の影響もあり観客はわずか1万2000人ではあったが、ピッチに向けられた緊張状態は数字以上。キックオフ後、数十分の清水ゴール裏のテンションは異常だった。

ゲーム終了後、ゴール裏のコールに応えて、ゴトビはプレーヤーを呼び戻して改めて挨拶をした。今回の<事件>は実に残念で不幸な出来事ではあったけれども、清水サイドに立って見れば、ゴトビと若いチームへの信頼を再確認することになったと思う。まさに目頭が熱くなるほどの胸熱。こうして御託のような<スポーツマンシップ>を越えて、静岡ダービーの人間臭い記憶と歴史が積み上げられていくのである。

<事件>についても言及しておく。ゲームの内容よりもこちらの方が感想が長いのはちと問題あるが。



誹謗中傷…水を差された「静岡ダービー」(サンスポ 5月28日付

吉野博行社長(磐田)「先程、竹内さん(清水社長)から話しがあったように意図もなく非常に大変なことをやってしまったと、かなり反省はしてましたけども、色んなカタチで、「意図はない」んですけどもホントにご迷惑をお掛けしたと、クラブからもお詫び申し上げたいという風に思っております。先程の関連の中では2度とこういうことが起こらないように色んなチェック体制も、もう1回更に強化しなければならないですし、どこまで我々が全てのああいう看板から幕から全てを事前にチェックするというカタチになるわけでという風に思います」(Sの極み 5月28日付)

政治的というには稚拙な表現ではあったが、「意図もなく」というのがよくわからない。
意図はあっただろう。誹謗中傷する意図が。
クラブのトップはそれを言葉通りに受け止めて「少年2人だけの行動」として収めようとしているニュアンスも感じられなくもない。それは一体本当なのか。イラン生まれのアメリカ人監督に対してイランの核兵器疑惑を持ち出して中傷する高校生、である。それはいかにも2ちゃんねる的ではあったが。

それにしてはゴール裏に掲げられた横断幕の大きさは尋常ではなかった。
個人のゲーフラサイズではない。コアサポが掲げた「清水だけには負けられない」云々の横断幕とほぼ同じ大きさで(しかもそれ以上に目立った)、コアサポ、周囲の人間が「知らなかった」では済ませられないほどの大きさである。これを少年ふたりだけの責任にしてしまうのはあまりにも無責任過ぎると言えないか。また、それほどの大きさなのだから、まずは掲げられたときに真っ先にジュビロ関係者が制止、横断幕を下ろさせることはできなかったのか。そうすれば清水サポーターのジュビロエリアへの乱入などという事態は防げた可能性はある。
ちなみにビデオでも確認したがあの程度の揉み合いが「乱闘」だの「暴動」だのと表現されるのは間違っている。あれはあくまでも多めに見積もっても乱入程度のことで<抗議>の範疇と言える。確かに警備エリアを突破してジュビロエリアに入り込んでしまったのは警備上の問題として指摘されても仕方がないが、つまり、あれも<デモ>である。抗議なのだからそれ自体に批判など必要ない。オレだって<デモ>はやる。

それよりも懸念されるのはゴール裏での自己表現の規制である。
今回も騒動の尻馬に乗ってTwitterでも清水ゴール裏が掲げる「磐田の首ひとつ」云々のフラッグについて言及する輩も予想通りいた訳だが、それはあくまでも自己表現の方法の違いでしかないのであって、今回の問題に絡めて公(ネット)の批判の俎上に上げるのは間違っている。コールが嫌なら歌わなければいいし、フラッグ、ゲーフラが嫌ならばまず当事者と直接会話するべきなのだ。そんな最低限のコミュニケーションも取らずにいきなり管理者の規制を求めるというのは、まさに311前から日本に蔓延っていたあまりにもディフェンシブな保守的思考と言わざるを得ない。
ゴール裏(スタンド)というのは、「自分の愛するクラブを応援する」という一点だけで繋がっているバラバラの個人の「社会」でしかない。確かにそんな「社会」ではフロントとズブズブのサポ団体だっているだろうが、まず守られなければならないのは個人個人の自己表現である。今回のジュビロの中傷横断幕が批判されるのは当然だが、経緯と状況はもっと分析されるべきだし、それによって議論が始まるならば歓迎だが、無条件にゴール裏の規制が強まるのはお門違いと言っておきたい(まあゲーフラにまでは及ばないとは思うけれども)。

このトラブルのせいでキックオフ直前に完全に勢いを削がれてしまったジュビロのゴール裏はちと気の毒だったかな。
相手への煽り合いはサポーターの習性とはいえ(それ自体を批判する必要はない)、相手への誹謗中傷以前に味方の足を引っ張っちゃ駄目だよ。イランの核疑惑を知っている程度の知性はあるんだから、もっと「勉強」しようぜ、少年。

竹内康人社長(清水)「いや、私自身、今はね、やっぱりジュビロさんとのダービーマッチは、このスタジアムでということでやってますので、ここでやれるようにしっかり見直して、是非やっぱりこのスタジアムで開催したいという風に思っています」(Sの極み 5月28日付)

これは正解。竹内さんはわかってる。
できれば警備上の問題、動員の問題を越えて、再び浦和戦もアウスタで開催して欲しいところではあるんだが。

あ、あと清水サポの乱入に批判の矛先を変えようとしているジュビロサポのブログ(魚拓)は論外です。

行間/「思考論理学 考えるワシ」「大人の学校 卒業編」

2011-05-26 20:34:29 | Osamu Hashimoto
<で、いまっていうのはさ、「自分は絶対だ」と、ものを考える人はみんなどっかでうっかり思ってるからさ、「自分は絶対だ」と思ってしまうと、その周りは具体的なディテールなんか、どうでもよくなっちゃうんだ。自分自身の真実の前に比べりゃ、ごみのようなディテール、ごみのようなリアリティ、と思うんだろうけれども、でも“自分の真実”だって、ごみのようなリアリティの一つかもしれない――はたから見ればね、っていうことってあるわけよ。
 そして、それをそのまんまにしとくと、「向こうもごみ、こっちもごみ、どうせね」ってことになっちゃう。「自分は自分で、なんか確かなものでありたいぞ」と思ったときにどうやるのかっていったら、「自分がいて、周りのディテールがあって、周りのディテールがこんなにでっかく広がるくらいに豊かさを持っているんだとしたら、自分の中にもそれと対応するものはあるだろう。自分の中にも、言葉になってないけれども“具体性”というものがあって、その具体性は、未来で開いていくんだから、それを“行間”という形で保留にしといてもいいな」となるしかないの。>(橋本治『思考論理学 考えるワシ』マドラ出版1992「第二講 行間の読み方」/共著『大人の学校 卒業編』静山社文庫2010)


大人の学校 卒業編 (静山社文庫)
橋本治, 杉浦日向子, 中沢新一, 養老孟司, 天野祐吉
<橋本思考論理学、杉浦江戸学、中沢宗教学、養老生死学、天野社会学を公開。単行本五冊分が一冊に、極上の知のエッセンス。>

登録情報
文庫:368ページ
出版社:静山社;初版(2010/11/9)
ISBN-10:4863890761
ISBN-13:978-4863890763
発売日:2010/11/9
商品の寸法:14.8x10.8x2.6cm

金輪際の行方

2011-05-26 17:15:02 | News
Twitterでは書ききれないのでこちらに書く。
確かに二つのツイートには直接的な関係はない。関係があるとしたら書いている人間が同一人物だということ。
それぞれのツイートの内容にさほど文句はない。内容に文句はないが、文句があるとしたらふたつのツイートを書いている人間が同一人物だということだ。

昔から「絶対」「許せない」という言葉には違和感を覚えてきた。思わず口にしてしまった瞬間に後悔してしまうような言葉だ。
絶対はないし、許せないというほど傲慢な態度はない。
「金輪際」という言葉もそんなニュアンスを含んでいる(決して、絶対、二度と)。これが健全な「消費者行動」などというならば、何とエゴイスティックな表現だろうと思う。
だからオレは憤った。
金輪際という言葉はどこへ向かっているのか。お茶を飲まないのは自分の勝手だが(自己責任! 自己判断!)、批判対象のはっきりしないものに向けた「金輪際」という言葉は所謂「風評被害」や「生産者批判」を招きかねない。「金輪際、静岡のお茶を飲まない」という宣言は果たして誰に向かっているのか。はっきりと批判は、検査を拒否した組織であり、自治体に向かうべきだろう。

それに対して今日は「こっそり喜んだ」と。
要するに「小せえな」って思ったわけです。二つの事柄が関係あるわけがない。「小せえ」って思っただけなんだから。
ま、オレは「金輪際」にムカついたし、向こうは「この程度」にムカついたということだろうが…。

もちろんオレも静岡の魂でもある「お茶」に問題があるという事態には憤りを感じているし、こんな状況で安全性PRなど逆効果を招きかねないと思う。だからこそその批判はしっかりと自治体や関係組織に向かうべきだと思っている。

ちなみに高橋健太郎氏のツイートは実に参考になっているし、数多くの人に読んで欲しいとは思っている。それはオレのFavoritesを見ればわかることです。

それは、あり得ない/第12節 大宮戦

2011-05-23 19:52:30 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
昨日は結局スカパーで大宮戦

前節の大敗を受けてセンターラインを変更してきたゴトビのアクションが功を奏し、望外の大勝利となった。
まずはタカのポストの存在が大きかった。清水のプレスを指して<カミカゼプレス>などという頓珍漢な表現をしたライターもいたわけだが、前節にしても要は前線でボールが収まらないために大きく開いたウイングのセカンドボールの処理もルーズ(カミカゼ)になり、自ら苦しい展開を招いていたわけで、わずか数秒であってもポストにボールに収まるという形は、それだけで中盤に余裕を生んだ。まあ、それでも前半は思うような形に持ち込むことができずに大宮のチャンスを幾度となく招いたのも事実で、<もしあのシュートが決まっていたら>という気持ちは判る。

しかし<清水は連続での大敗もあり得た>などということはあり得ない
なぜならゴールマウスをかすめたシュートやポストやバーに当たったシュートは、芥川和久氏がいくら<清水は連続での大敗もあり得た>とPCのキーボードを叩きつけるようにタイプしても、泣き喚こうともゴールにはカウントされないからである。

いくら惜しいシュートでもゴールに入らなければノーカウント。
これはフットボールの揺るぎない事実である。
入っていたら大宮大勝(清水大敗)――それは願望というのだ。ましてや負けた側(のライター)が書いちゃいけない。
事実、オレは書かなかった。翔のシュートが決まっていれば神戸戦もドローぐらいにはなったかもな、とか。
いや、本当はそう思ったけれども。
成長曲線を描いていた中での大敗、ケアレスミスとチームのゲームマネジメントの稚拙さから招いた大敗、(伸二、タカといった大駒を大事に使いながら)予想外の怪我人が出た中で新たなメンバーを試しつつ大敗してしまった神戸戦の評価に見解の違いはあるだろうが、それは書かないのが矜持というものだろう。
リーグ終盤の総力戦とは別の意味で、今、清水はゴトビの見極めのための総力戦を戦っている。
だから結果を恐れる必要はないんだよね。

ゴトビは前節大敗の要因になってしまった辻尾をあえて再びスタメンで起用した。台所事情があるとはいえ、大敗を受けてのアウエー戦でディフェンシヴな布陣で臨むことも考えられた中で、それでも辻尾をチョイスした。
そして辻尾は幾度となくチャンスの基点になっただけでなく、リーグ通算15000ゴールとなる、Jリーグ初ゴールを決めて見せた。
これはゴトビの素晴らしいマネジメントだったと思う。
大敗を受けて、いかにしてチームを立て直すのか。立て直すことができたのか。
チームにとっても、辻尾にとっても<ターニングポイント>というのは、そういうことである。

次節、28日は静岡ダービー。
ジュビロはともかく、清水が「好調」かどうかはまだわからないが、久々に両チーム共いい雰囲気で臨戦態勢が整った。
大一番にしたい。

見舞い

2011-05-21 01:45:39 | 素日記
GW後に緊急入院した斉藤の見舞いに新宿の大学病院まで。
まあ、そんなお年頃なのである…というにはまだ若いとは思うのだが、大事に至らなかったから書けるけれども、こんなこともないとフリーは健康診断や人間ドックなんて受けないのだから、いい機会だったんじゃないか。
て、オレももうかなり健康診断なんて受けてないけどなァ。

競馬(予想)業界ではナントカ王国の大臣で通っている斉藤ですが、徐々に回復しつつはあるようです。復帰も意外と早そうな感じではあります。

帰り道はスマイリーさんと歩いて話しながら新宿まで。

第一世代

2011-05-19 12:00:16 | Sports/Football

昨日は浦和の吉沢さんに誘われて両国国技館の五月技量審査場所に出かけた。
ライブで相撲を観るのは数年前に親孝行したとき以来。改めて思ったのだけれども大相撲って便利な親孝行イベントだよなあ。朝早くからやってるし、国技館の中だけでも一日楽しめるし、18時には終わるから夜は夜で呑みにも行けるし。今回は椅子席だったのだけれども、日産スタジアムあたりとは違って一番上(一番遠く)からでもしっかり取組が観えるのも素晴らしい。
まあ、当たり前の感想なんですが。

あと、八百長問題はまだ燻っているけど本場所じゃないんだし、何でNHKは中継しないんだろう?とか。
中継はもちろん、被災地でも同じようなイベントを開催したら現地の爺婆がどれだけ喜び励まされるだろうとか。
そんなことを話しながらあっという間に3時間半が過ぎた。
話題のブラジル人力士の魁聖も観られたし、白鵬はさすがの横綱相撲を見せた。琴欧州と稀勢の里という個人的には楽しみな取り組みは琴欧州の当日休場で稀勢の里の不戦勝。まあ星取りを見ていると琴欧州は絶不調みたいだったから仕方ないか。
今度は椅子席でもいいから本場所も行きたい。


終了後は両国で酒。吉沢さんと呑むのも物凄く久しぶりだったのだが、シラフのときは良いお父さんみたいになっちゃっていたのだけれどもw酔うと相変わらず永ちゃんだったので安心した。
この間、ブログにも書いた治ちゃんの引用<Jリーグが生み出した根無し草世代>というのはまさにオレや吉沢さんの世代だと思うのだけれども、彼が<サポーターとしてのドーハ世代(第一世代)のその後>を熱く語るのを聴いていて、まだ「浦和の吉沢」も老け込むのはまだ早いと思ったな。彼の構想や企画が何らかの形でまとまるのを期待しているし、微力ながら協力もしていきたいと思う。興味のある人は治ちゃんの『天使のウインク』に収録されている「サッカー社会と野球社会」を読んでみて頂きたい。非常にシンプルだけれども、そこには<20年前に起こった革命>のヒントが書いてあるから。

CDJの藤本さんのビートルズイベントには行けず。Twitterを読んだら結構面白かったみたいでちと残念。
まあ、そもそも両国で楽しく酒を呑んでる時点でアウツなんですが。

その拍手に嘘はない/第11節 神戸戦

2011-05-17 02:24:16 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス11~14
今週末は震災以来初めて首都圏を離れた。
さてゲームだ。静岡について1時間ほど時間を潰してからアウスタへ向かった。
1-5というどんな言い訳も空しくなるような結果ではあるが、意外にも途中から面白くなった。

アレックスがフリーで放った枠内シュートあたりまでは、これまでロースコアで痺れるような戦いを繰り返してきた神戸戦の再現を予感させた。そもそもこの対戦で5失点などという夢のスコアはあり得ないのだ(昨年秋のアウエイゲームはミラクル神戸のエクストラだ)。しかし、この神戸戦は本当にあの神戸戦なのか。

チームはまだ若く、成長途上だ。
マリノス戦の失点後の10数分間にしても、今回前半18分に大久保に流し込まれた先制点(失点)にしても、カウンターパンチを喰らった途端にこのチームはゲームコントロール不能に陥ってしまう。神戸は序盤から終盤に至るまでアグレッシヴにボールを追い続けた。まず前半は負傷で離脱している平岡、村松に代わりスタメンでデビューした岡根と、相変わらずディフェンスに不安の残る辻尾の右サイドを執拗に狙われた。その結果、ちょっと信じられないようなミスで失点すると、そのショックが癒えないまま簡単にサイドを揺さぶられて都倉の美しいシュートが決まってしまう。前半、チームにリーダーはいなかった。
これで神戸はすっかりゲームを手の内に入れたと思う。そもそもガチムチのディフェンスと大久保、都倉らの老練さと高さ、鋭さを兼ね備えたカウンターが売りなのだから、次の一点がゲームの趨勢を決める。
しかしこのチームからは、あまりにも感動的だったJ1残留の余韻がまだチームに残っているような、ちょっとした風格のようなものさえ感じさせた。圧倒的な強さでJ2を勝ち抜いて、チームを成熟させた柏、広島とは別の意味の成熟か。現在、この2チームが(再)スタートダッシュを成功させて、好調をキープしているのも理解できる。この日の神戸にも同じような、チームの動きに確信めいたものを感じた。
※清水戦の後、神戸は来週、再来週にかけて広島、柏と対戦するのだが、これは好ゲームを期待できる。

後半、ゴトビは辻尾に代えて伸二を投入。さらに16分、岡根に代えてナギー、さらにさらに30分には翔に代えて高原を投入した(これでは10年前のレッズである。まあゴトビにしたら知ったこっちゃないが)。この交代でチームはそれでもオフェンスに関しては落ち着きを取り戻していく。結果的には神戸のゲームになっていたとしても、清水は圧倒的に攻め続けた、
その代わりに後半の3失点というのは決定的なチャンスを外した直後に喰らった。まさに決めるべき場面で決めなければこうなる、ということである。急造3バックの上に、意識的にワイドに展開する清水相手に神戸のカウンターが面白いように決まっていく。もちろん前半の大久保、都倉のシュートを含めてどれもが素晴らしいゴールではあった。そもそも至近距離ならともかく、ニアを抜かれ続けた海人はちょっとどうかとも思うが。

呆然とゲームを観ている間に、ノムさんがスカパーのCMで連呼している<勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし>の言葉が浮かんできた。これ元々は松浦静山(肥前国平戸藩第9代藩主、心形刀流剣術の達人)の言葉だそうだが、この日の清水は結局負けるべくして負けたとしか思えなかった。勿論、神戸の勝ちを不思議だとは思わないが(それでも、さすがに5得点は出来すぎだと思うけれども)。
あまりにもはっきりと<負けに不思議の負けなし>が見えてしまった以上は、この敗戦を引きずる必要はない。
マリノス戦、広島戦から名古屋戦にかけて見えた成長曲線が誤解だったとは思わない。成長途上のチームだからこそこんな風に派手に散るゲームも起こり得る。サポ、ファンが結果に失望するのは当然だが、決して内容に失望する必要はないと思う。

それでも後半11分の翔のシュートがバーに当たった瞬間のスタジアムの空気はちょっと凄いものだったけれども。
「あれでも駄目なのか」というか。
「もう決まらないんじゃないか」というか。
テレビでそのシーンを観戦していた人は歓声(悲鳴)をマイクが拾っていただろうから印象が違うだろうけれども、現場の印象ではスタジアム中が言葉を失うような雰囲気だったと思う。テレビはネガティヴな感情をブーストする危険なマシンですからゲームはなるべく現場で観た方がいいですよ。おそらくこの結果を激怒している人の多くはテレビ観戦していたんじゃないかな。

さすがにインジュリータイムに5失点目が決まった途端にスタンドは動き始めたのだけれども、1-4になっても見渡す限り席を立つような観客はいなかった。ついでに言えば昨年までにはあった監督やプレーヤーへの露骨な野次というのもあまり聴こえなかったように思う。昨年までの健太時代だったらこうはいかなかっただろう(それを愛憎とも呼ぶが)。
ゴトビは試したことのない3バックで完全にバランスを崩してまでも攻撃的なカードを切り続けたし、プレーヤーはそれでもチャンスを作り続けた。そこに希望さえあれば、希望を感じ取ることができれば人は留まり続けるのだ。もういくら泣いてお願いしてもひっくり返りそうもないスコアで負けていたとしてでも、だ。

ゲーム終了後、すっかり静まり返ったスタジアム(神戸サポ除く)のセンターサークルに整列したプレーヤーたちがピッチサイドを歩き始めると、それでもサポやファンの多くは拍手を送った。ゴール裏(有志)は励ますようにチャントを歌った。
その拍手やチャントに安直な憐憫や嘘はなかったと思う。
1-5で負けたのに、それでも前向きでいられるって素晴らしいことだぜ。

次は22日、日曜日に大宮戦。さらに28日は静岡ダービー。
まだこんなところで止まっちゃいられないのである。

浜岡と違って。



ちなみにメインスタンドの怒りはレフリーに向かいました。
後味悪かったなァ…。

オナニズム的/坂口安吾「日本人に就て 中島健蔵氏への質問」

2011-05-14 03:49:11 | Books
<僕は時々日本人であることにウンザリします。むろんウンザリしてはいけないのですが、時々ウンザリするのです。近頃自意識過剰ということが言われていますが、我々日本人の場合これを自意識過剰というべきや行動過少というべきや甚だもって疑わしいと思われるのです。
 日本人は宗教心を持たない代りに手軽な諦らめとあんまり筋道のはっきりしない愛他心とに恵まれてきました。元来情熱は一途に利己的なものであるようですが、日本人はこれまで情熱を追求することを教えられず、途中で抑え、諦めることに馴らされてしまい自分の正しい慾念よりも他人の思惑の方に余計気にしたりするようであります。それの愚かしいことに重々気付き、又憎んでいても、長い習慣から脱けでることができません。(中略)
 日本人の精神生活を性生活にたとえると全くオナニズム的ではないでしょうか? 性的な意味だけではなく、日本人の小説を読んでいると打たれる美の多くのものがオナニズム的な傾向を多分にもっていることに僕はよく気付くのです。けれども日本人が年中オナニズムにふけっているわけでなく、あたりまえの性生活だってチャンとやっているように、日本人の小説も所詮オナニズム的であることはまぬかれないとしても、もっと積極的な行為の生活へはいってゆく必要はあるでしょう。>
坂口安吾『日本論』河出文庫1989「日本人に就て 中島健蔵氏への質問」1935.7)

Tomorrow Never Knows/共同通信社社会部「銀行が喰いつくされた日」

2011-05-14 03:04:32 | Books
<九三年の末、頭取の堀江鉄弥ら経営首脳は、再度、決断を迫られていた。
 内部調査委メンバーが言う。
「このころが最後のチャンスだった。株式の含み損などを総合的に判断すれば、長銀にはまだ処理のための体力が残されていた。堀江さんの責任は重いと言わざるを得ない」
 堀江ら経営陣の決断は重く、危機感に欠けていた。
「当面は受け皿会社に移し、時間をかけて徐々に処理していこう」が全社的方針になり、以後、長銀内では不良債権隠しは中間処理対策と呼ばれることになる。(中略)
 過剰融資の傷跡を隠すことによって塗りつぶそうとした長銀が作った受け皿会社は最終的に直系だけで十九社、グループ全体では九十九社に上り、十九社だけでも六千九百六十億円分もの不良債権隠しが行われた。営業畑にいた元部長は必死な表情でこう訴えた。
「隠したって言うけど、悪意なんかなかった。当座しのぎだったんだ。地価の回復に一縷の望みをかけてね。地価さえ持ち直せばすべては解決するってね。何年かたって、いつか同僚とあの時は苦しかったなって笑って話せる日がくると思ってたんだよ」
「その日」がくることはなかった。>
共同通信社社会部「銀行が喰いつくされた日」講談社+α文庫


回を追うごとに/3.11復興支援ライブ LIVE FOR NIPPON Vo.3

2011-05-13 20:45:53 | Music
昨夜は下北沢・風知空知3.11復興支援ライブ LIVE FOR NIPPON Vo.3
もうこのシリーズも実質4回目なのでスタートの時間も確認しないで行ったのだけれども、19時30分スタートってことになってたのか。ということでこの期に及んで20時スタートだと思っていたので当然のように今回も立ち見。まあ弾き語りライブシリーズとはいえ、半分ぐらいは立ち見の気分で行っているのでいいんだけど。
「まばたき」「ノックし続ける男」に続いて、今回の共同MCのクリス“兄さん”ペプラー登場。
クリスさんとのクロストークでまた言葉が滑ったとしか思えないが、この夜のタイジのキーワードは「ソーラーマーシャル」「なし崩しで明治維新」になった(さすがになし崩しで維新は起こらないとは思うが、言いたいことはわかる)。回を追うごとに話が大きくなるタイジ代表である。いや、間違っちゃいないし、オレらはこの道を進むしかないんだけど。

続いて登場したCaravanは、チャボの「今夜R&Bを」を思わせる「Soul Music」、タイジとのデュオで「FREE BYRD」など5曲。爽やかだけど乾いた感じのする兄さん。ペプラーさんが言うようにタイジのギターとの相性も実に良かった。「音楽のやりがいのある時代」というタイジの言葉には同意した。本当に、こんな時代だからこそ、ダイレクトな表現手段って大事なのである。そして、それは皆が手に入れるべきだと思う。

この夜のクライマックスはタイジとヴァイオリニストの金子飛鳥の緊張感あるセッションだった(インディーズ電力の皆さんすみません)。緊張感というのは、ハコの空気は勿論それ以前にタイジに緊張感が見えた。ニール・ヤングの「Only Love Can Break Your Heart」(Crosby,Stills,Nash & Young)、911に311を重ね合わせた透明感の高い「朝を迎えて」。<音>を聴かせる場としてはそれほどいい環境とは思えない状況ではあったけれども、一音一音を聴き逃さないように会場内が集中しているようで、実に濃密だった。支援物資を求める金子さんのメッセージも具体的で、実際的でとても良かったと思う(詳細は彼女のHPまで)。
そのぶん後に登場したインディーズ電力(うつみようこ、高野哲、佐藤タイジ)は笑ってしまうぐらい異常なユルさを見せた。「UFO」「津軽海峡冬景色」でちょっとどうかと思うぐらいのgdgdっぷりを露呈(会場内に約1名、いや2名、大騒ぎする酔っ払いカップルがいたのだけれども、これで奴は更に火がついた…)、と思わせたところで「Don't Let Me Down」「Come Together」「Keep On The Rock'in A Free World」できっちり締める。特に「Keep On The Rock'in A Free World」は完全にタイジの手の内に入ってきたような盛り上がりを見せた。
しかし内容はgdgdだったけど着地だけは綺麗に決めて見せた体操の演技みたいな。
ステージの3人は勿論、たぶんオーディエンスも洋楽度数が高いんだから、風知空知でやるなら最初から洋楽のカヴァーに絞ってやればいいのにと思わないこともないがw さらに言えば、やっぱしようこ姐さんは日本語より英語で歌った方が素晴らしいのではないか。まあ回を重ねるごとに面白くなりそうなユニットではありますが。

最後は再び金子飛鳥とのデュオで「ありったけの愛」。果てしなくインプロが続きがちなラストの「ありったけ」も、この夜は金子さんとのデュオで抑制の効いた、濃密なヴァージョンになったんじゃないかと思う。
この夜はタイジのセッションが増えたことで今後のブッキングに一抹の不安も残るわけだが(ファンとしてはタイジのセッションが増えるのは歓迎なのだが)、次回は6月9日、ロックの日。さらに濃密なライブを期待したい。

ついでに書いておく。さすがのタイジもラス前に件の酔っ払い男に対して一喝したのは良かったですが…奴のせいで最後の「ありったけ」で会場の半分は座ったまま引いちゃってるじゃねーかバカ。ひとりが酔っ払い過ぎると周囲が酔えなくなるという、ライブハウスにありがちなパターンですね。空気読めなどと野暮なことは言わないが空気に呑まれるな。

とか言いつつ、オレも地元に帰って呑みましたがね。

今回のustのアーカイヴはこちら






“論理”を生み出せる現実/「江戸にフランス革命を!」

2011-05-10 03:35:16 | Osamu Hashimoto
<歌舞伎に代表される町人娯楽は、時の政府=公儀から見れば“下らないもの”である。それは存在するけれども、それを“下らない”とするものにとってはなんの関係もない。関係ないものが存在することは、ただ「いたしかたない」というようなものであって、それをより「高尚であれ」などという干渉が生まれる訳もない(中略)問題が生まれるとしたら、それはただ一つ、関係ないものが関係を持とうとすること――その一つが批判である。下らない町人の為の娯楽が“現在の日常”に迫ってきてはならない。現在の風俗・事件を、そのままドラマとして脚色することを幕府が禁じたのはその為である。だから歌舞伎は“現在”という時間を中途半端に放棄して、ドラマの背景を“過去”に設定するという特殊な劇作術を持った。“日常”というものは、既に停止しているのである――“平和な現在”という状態の内に。“批判”とは勿論、この停滞を衝いて“未来”を要求することである。>

<演劇というひとつのものを挟んで、明らかに対立するような“論旨”が二つある。あって当然で、総論というものは、その総論を必要とする集団の数だけ存在するのが常識というものです。
 我々は、そこを忘れてしまった。総論といえば「一つですむもの」という考え方自体が“目的”というものを喪失してしまった、行動を喪失してしまった時代の退廃というものなんですね。現実がなければ論理だって存在しない。にもかかわらず我々は、論理だけを先に立てて、その論理を生み出すような現実が、果たして一体存在するのかどうかということを、考えてみようともしない。これは明らかな退歩ですね。
 我々にとって江戸が重要であることの意味は、多分一つしかない。それは“現実が論理を生み出すということが可能だった”ということだけ。
 我々は、単に“生み出された論理のその後”に生きているだけなのであって、果たして我々の生きている現実が、まともな“分担”なり“目的”なりを可能にする、生きて“論理”を生み出せる現実なのかどうかは分からない。>
(橋本治『江戸にフランス革命を!』青土社1990)


江戸にフランス革命を!

登録情報
単行本:458ページ
出版社:青土社 (1990/01)
言語 日本語
ISBN-10:4791750470
ISBN-13:978-4791750474
発売日:1990/01
商品の寸法:19.2x13.6x3.4cm